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夏期休暇の後半はまたたく間に過ぎた。炎暑を避けるように冷房の効いた予備校に長居し、講習を受けたり、学校の課題を片付けたり、予復習を進めたり、あるいは休憩室でゲームや読書に興じたりして日々を過ごした。家族との接し方はまだよくわかっていないし、街で遊ぶような危険も犯せない。人で溢れた図書館よりは、規定の料金を支払った予備校に逃げ込むのが一番、心身共に楽な居場所だった。
両親への相談はできていない。申し訳なさもあるが、結局の所、秋内は離れるのを惜しんでいた。あれから絡まれたのは僅かに三回だけだ。引っ越すまでもないのではないかと、八月が終わるころには、そんな風に楽観視しはじめていた。
学期が替わっても、日々の在り方は変わらない。通学の電車で板見と合流し、学業を終えて帰宅する。その繰り返しだ。
新学期に入って五日目の放課後の教室で、板見は秋内の机の前に立っていた。席替えをしたので、前後の座席ではなくなったのだ。板見は窓から三列目の前から二番目、秋内は廊下から二列目の前から三番目と離れている。ただ、この席配置だと秋内からはいつも板見が視界の中にいて、斜め後ろから細い首や背中を盗み見ては、悪いことをしているような気分に襲われた。前の席の女子の晒された首筋よりも、板見の首や耳や肩や腕から肘までのラインに視線を奪われる自分を、認めないわけにはいかなかった。
「今日もまだ帰らないの?」
秋内を見下ろした板見が、訝しげに訊ねてくる。あまり日焼けしていない顔を見上げて、秋内は頷いた。
「悪いけど」
「別に悪くはないけど……何か、困ってない?」
前の席の椅子を勝手に引いて、板見が横向きに腰を下ろした。心配そうな表情が、間近から秋内を覗き込む。秋内はさり気なく上体を引き、眉を上げた。
「何かって?」
「だから何か……また、絡まれたりだとか」
迷うように言い淀んだ板見が、小さな声で問う。秋内は意識して笑顔を作った。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫」
「本当に?」
「嘘ついても仕方ないだろ」
隠し事がないと示すように、広げた両手を軽く振る。板見は納得のいかない様子で眉をひそめた。
「じゃあなんで付き合い悪いの」
「ちょっと野暮用」
「……薄情者」
あくまで軽い調子を崩さないまま答えを濁した秋内に、板見が低く吐き捨てる。罵るという勢いもなく、恨みがましいというほどの暗さもないが、それは確かに捨て台詞だった。立ち上がって椅子を戻し、鞄をかついで教室を出て行ってしまう。挨拶ひとつなく別れたのは、出会ってから初めてだった。
板見の罵倒は正しい。確かに秋内は薄情だ。だから知人がいる組織を簡単に捨てた。そして今現在抱えている問題を、誰にも言えずにいる。
八月中はろくになかった揉め事は、九月に入ってから頻発している。
それも、この学校の最寄り駅付近でだ。これが続くようなら、一駅分歩いて他の駅を利用することを検討するべきかとも考えたが、それはそれで移動距離が伸びても絡まれる可能性がそう下がりそうにないし、もしも他の生徒になんらかの影響が出たらと思うと実行するのも抵抗がある。そんな状況で、とても他の誰かと一緒に動けるわけがなかった。
図書室で時間を潰し、日が傾いてから帰路につく。帰宅部の生徒はあらかた帰り、部活動の生徒はまだ多くが学校に残っている、ちょうど狭間の時間帯だった。大気はまだ昼間の明るさを残しているが、空は隅のほうから朱を帯び始めている。
通い慣れた通学路の、生活道路と幹線が交わる交差点の手前で足を止めた。男が三人ばかり塀の辺りにたむろしている。幹線沿いのコンビニ前で待つのはやめたらしい。地元の不良にでも追い払われたのかもしれない。東京都内で、ファッション的ではない不良など、あまり見ないけれど。
「――ケイ」
すっかり聞き馴染んでしまった枯れた声に、秋内は溜息を吐いた。
「毎日、毎日よく飽きねえな。不良って暇なの」
「おまえが話を聞いてくれるなら、一日で引き下がるけど?」
根元が黒くなりつつある赤い髪の男が、お世辞にも友好的とは言い難い表情で言ってくる。自然と眉が寄った。
「不良と話すことなんてないんで」
「友好的にしてるうちに、観念して欲しいんだけど?」
疲れたように嘆息して、長めの金髪をひとまとめにした男が言う。秋内は大仰に肩をすくめて見せた。
「どうしてもっていうなら立ち話でいいなら、駅まで付き合ってもいい、ってのも何回か言ってる気がするな」
「てめえ……!」
「……なあ、なんで毎日待ち伏せしてんの、俺に恨みがあるの? だったらなんで、ここで掛かってきたり、どっかに連れてったりしねえの。一対三だってのに」
脇をすり抜ける機会を探りつつ、秋内は胸に溜めていた疑問を口に出す。にやりと笑ったのは赤毛だった。
「おまえ相手に三対一くらいで手出せるかよ。怖えな」
「そんな、別に格闘技の達人になった覚えもないし……」
確かに何度か、複数人数で来られたのを捌いたことはある。だがそれは例えば、長モノでも手元にあったり、持っていた物を投げつけるといった少々姑息な手段を使った結果だ。こんな明るい場所で、通学用鞄しか持っていない状況でできることではない。
もしも秋内が肩に掛けている鞄がスクールバッグではなく、二束三文で売り払っても構わないような雑誌が詰め込まれたいらない紙袋で、もう片方の手に五百ミリリットル入りのペットボトルでも持っていたら、難なくこの場を切り抜けられた。しかし荷物は手放せないものばかりで、立ち回りには圧倒的に不利だった。埒のない思考を切り上げて、秋内は身体の重心を僅かに左に移した。
「平和的な話だったら別に聞いてもいいんだけどさ、そこらのカフェとかでなら。違うみたいだし、残念だけど」
三十六計、逃げるにしかず。
宅配業者のトラックが曲がってこようとするタイミングを活用し、秋内は交差点をすり抜けた。何に遠慮しているのか、彼らが掴み掛かってくることはないことはわかっている。行く手を塞がれた状況さえ突破できれば、あとはどうにでもなった。
しかし、と秋内は胸中でごちる。
どうして秋内の地元付近を根城にしている不良グループに、東京都内で待ち伏せされ続けているのだろう。家の場所はともかく、どこが地元かくらいは知っているだろうし、その近辺のほうが動きやすいだろうにと、そればかりはどうにも不可解だった。
両親への相談はできていない。申し訳なさもあるが、結局の所、秋内は離れるのを惜しんでいた。あれから絡まれたのは僅かに三回だけだ。引っ越すまでもないのではないかと、八月が終わるころには、そんな風に楽観視しはじめていた。
学期が替わっても、日々の在り方は変わらない。通学の電車で板見と合流し、学業を終えて帰宅する。その繰り返しだ。
新学期に入って五日目の放課後の教室で、板見は秋内の机の前に立っていた。席替えをしたので、前後の座席ではなくなったのだ。板見は窓から三列目の前から二番目、秋内は廊下から二列目の前から三番目と離れている。ただ、この席配置だと秋内からはいつも板見が視界の中にいて、斜め後ろから細い首や背中を盗み見ては、悪いことをしているような気分に襲われた。前の席の女子の晒された首筋よりも、板見の首や耳や肩や腕から肘までのラインに視線を奪われる自分を、認めないわけにはいかなかった。
「今日もまだ帰らないの?」
秋内を見下ろした板見が、訝しげに訊ねてくる。あまり日焼けしていない顔を見上げて、秋内は頷いた。
「悪いけど」
「別に悪くはないけど……何か、困ってない?」
前の席の椅子を勝手に引いて、板見が横向きに腰を下ろした。心配そうな表情が、間近から秋内を覗き込む。秋内はさり気なく上体を引き、眉を上げた。
「何かって?」
「だから何か……また、絡まれたりだとか」
迷うように言い淀んだ板見が、小さな声で問う。秋内は意識して笑顔を作った。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫」
「本当に?」
「嘘ついても仕方ないだろ」
隠し事がないと示すように、広げた両手を軽く振る。板見は納得のいかない様子で眉をひそめた。
「じゃあなんで付き合い悪いの」
「ちょっと野暮用」
「……薄情者」
あくまで軽い調子を崩さないまま答えを濁した秋内に、板見が低く吐き捨てる。罵るという勢いもなく、恨みがましいというほどの暗さもないが、それは確かに捨て台詞だった。立ち上がって椅子を戻し、鞄をかついで教室を出て行ってしまう。挨拶ひとつなく別れたのは、出会ってから初めてだった。
板見の罵倒は正しい。確かに秋内は薄情だ。だから知人がいる組織を簡単に捨てた。そして今現在抱えている問題を、誰にも言えずにいる。
八月中はろくになかった揉め事は、九月に入ってから頻発している。
それも、この学校の最寄り駅付近でだ。これが続くようなら、一駅分歩いて他の駅を利用することを検討するべきかとも考えたが、それはそれで移動距離が伸びても絡まれる可能性がそう下がりそうにないし、もしも他の生徒になんらかの影響が出たらと思うと実行するのも抵抗がある。そんな状況で、とても他の誰かと一緒に動けるわけがなかった。
図書室で時間を潰し、日が傾いてから帰路につく。帰宅部の生徒はあらかた帰り、部活動の生徒はまだ多くが学校に残っている、ちょうど狭間の時間帯だった。大気はまだ昼間の明るさを残しているが、空は隅のほうから朱を帯び始めている。
通い慣れた通学路の、生活道路と幹線が交わる交差点の手前で足を止めた。男が三人ばかり塀の辺りにたむろしている。幹線沿いのコンビニ前で待つのはやめたらしい。地元の不良にでも追い払われたのかもしれない。東京都内で、ファッション的ではない不良など、あまり見ないけれど。
「――ケイ」
すっかり聞き馴染んでしまった枯れた声に、秋内は溜息を吐いた。
「毎日、毎日よく飽きねえな。不良って暇なの」
「おまえが話を聞いてくれるなら、一日で引き下がるけど?」
根元が黒くなりつつある赤い髪の男が、お世辞にも友好的とは言い難い表情で言ってくる。自然と眉が寄った。
「不良と話すことなんてないんで」
「友好的にしてるうちに、観念して欲しいんだけど?」
疲れたように嘆息して、長めの金髪をひとまとめにした男が言う。秋内は大仰に肩をすくめて見せた。
「どうしてもっていうなら立ち話でいいなら、駅まで付き合ってもいい、ってのも何回か言ってる気がするな」
「てめえ……!」
「……なあ、なんで毎日待ち伏せしてんの、俺に恨みがあるの? だったらなんで、ここで掛かってきたり、どっかに連れてったりしねえの。一対三だってのに」
脇をすり抜ける機会を探りつつ、秋内は胸に溜めていた疑問を口に出す。にやりと笑ったのは赤毛だった。
「おまえ相手に三対一くらいで手出せるかよ。怖えな」
「そんな、別に格闘技の達人になった覚えもないし……」
確かに何度か、複数人数で来られたのを捌いたことはある。だがそれは例えば、長モノでも手元にあったり、持っていた物を投げつけるといった少々姑息な手段を使った結果だ。こんな明るい場所で、通学用鞄しか持っていない状況でできることではない。
もしも秋内が肩に掛けている鞄がスクールバッグではなく、二束三文で売り払っても構わないような雑誌が詰め込まれたいらない紙袋で、もう片方の手に五百ミリリットル入りのペットボトルでも持っていたら、難なくこの場を切り抜けられた。しかし荷物は手放せないものばかりで、立ち回りには圧倒的に不利だった。埒のない思考を切り上げて、秋内は身体の重心を僅かに左に移した。
「平和的な話だったら別に聞いてもいいんだけどさ、そこらのカフェとかでなら。違うみたいだし、残念だけど」
三十六計、逃げるにしかず。
宅配業者のトラックが曲がってこようとするタイミングを活用し、秋内は交差点をすり抜けた。何に遠慮しているのか、彼らが掴み掛かってくることはないことはわかっている。行く手を塞がれた状況さえ突破できれば、あとはどうにでもなった。
しかし、と秋内は胸中でごちる。
どうして秋内の地元付近を根城にしている不良グループに、東京都内で待ち伏せされ続けているのだろう。家の場所はともかく、どこが地元かくらいは知っているだろうし、その近辺のほうが動きやすいだろうにと、そればかりはどうにも不可解だった。
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