嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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七月

ワンダーフォーゲル部に関する諸問題 2

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 睨み合っていた時間は、三十秒にも満たないだろう。何分間もそうしているかのような疲労と緊張で、手にじっとりと汗をかき始めた頃、前部長がにやりと唇の端を上げた。
「いいよ、貸してあげる」
「え」
「いいの?」
 他の最上級生二人が、驚いた風に振り向く。それに前部長は軽く頷いた。
「今日の所はね。横峰、また今度話そう」
「……何度来て貰っても、返事は変わりませんよ」
 素っ気ない横峰の言葉に、暴力行為を働いていたほうの最上級生が舌打ちする。前部長ともうひとりは目配せし合って、いかにもな愛想笑いを浮かべた。
「心変わりしてくれるのを待ってる。じゃあね」
「またね、横峰。君も」
 隣を通り過ぎざま、前部長が囁くように氷川に声をかける。背筋がぞわりとして、氷川は肩をすくめた。一応の礼儀として、部室を出て行く上級生らに向き直る。
「お邪魔しちゃってすみません、ありがとうございます」
 その声は聞こえているだろうに綺麗に無視して、上級生らはまっすぐ階段のある方角へと歩いて行った。それを見送り、部室に入ると、氷川はそのまま戸に鍵をかけた。スマートフォンを取り出して、録画を終了させる。安堵の溜息を吐くと、膝が震えていることに気付いた。自覚していた以上に緊張していたらしい。
「……氷川くん?」
 横峰に声をかけられてはっとする。そして早足で、まだ床に座り込んだままの横峰の元へ進んだ。
「いきなりごめんね、ちょっと物騒な雰囲気だったから。大丈夫?」
「ああ……助かった」
「……そう。良かった」
 余計な真似をするなと詰られなくてほっとする。成り行きで話を聞かせたけで、これ以上首を突っ込むなと牽制される可能性だって考えてはいた。けれど第一声がこれならば、その心配は外れそうだ。
 とりあえず手を貸して、横峰を椅子に座らせる。それから、倒れたままの机と椅子を起こして適当に並べた。この状態でよく遊んでいただけだと言い訳できたものだと、最上級生に対して呆れと感心を抱いてしまう。鵜呑みにした振りをした氷川も氷川だが。
「踏まれた所とか、大丈夫?」
「うん。骨は異常ないと思う」
「そっか、良かった。でも打ち身ぐらいしてそうだし、帰る前に保健室寄っていこう」
「いい。湿布くらいなら持ってるから」
 拒絶の言葉に、自然と眉根が寄るのが分かった。治療者――この場合は養護教諭であって医師でも看護師でもないが――に患部を見せたくないのは、怪我をしたと知られたくない時か、怪我の程度を知られたくない時だ。そういえば先程、床に座ったままだった。
「ちょっとごめん」
 横峰の前に膝を突き、右と左の足首を順に押す。慌てた風に横峰が身じろぐのを見て、そのまま右の膝に触れた。問題なし。左。
「いっ……」
 びくりと、横峰が声を上げて身体を竦ませた。
「脱臼や骨折じゃなさそうだし、悪くても捻挫だろうけど……」
「お、まえ……怪我人にいきなり何すんだ」
「誤魔化そうとするからだよ。怪我したならちゃんと治療しないと。関節は傷めると再発しやすいんだから」
「知ってる。でも、今怪我したらインターハイに出られない」
 横峰の言い訳に、氷川は目を丸くした。いくら運動部に所属していない氷川でも、インターハイが八月に行なわれていることくらいは知っている。もう七月も終わりに近く、確かにこの時期に怪我をしたら出場は不可能だろう。言葉だけ取れば間違いではない。怪我の予防として心がけるならば理解できる。しかし、既に怪我をしてしまってから言う台詞ではない。怪我を隠し通すつもりでなければ。
「その足で山に登る気?」
「主将は俺なんだよ」
「捻挫だとしたらインターハイまでには完治しない。足手まといになるだけだよ」
 自分の知識を用いて指摘した氷川に、横峰は傷ついたように目を伏せた。
 足手まといという表現が堪えたのだろう。誰だって他人の足を引っ張りたくはない。運動部系で部長を務める横峰ならばなおさらだ。
「……ルートの研究して、練習もして、合宿だってやって……俺の怪我ひとつで棄権なんてできない」
「それなら、誰か代役を探すのは? 他の高校にだってワンゲル部ってあるよね」
「無理だ。今更変更は出来ない」
「それなら、どうしようもないでしょう。横峰くんが諦めたくない気持ちは察するけど……」
「違うんだ」
 落ち込む横峰の膝を撫でていた氷川は、硬い声の否定に目を見張った。横峰は顔を伏せて、眉をひそめる。向かい合っていれば見えないはずの表情が見えてしまうことに動揺して、氷川は目をそらした。空は青く澄み渡り、夕暮れの気配はまだ遠い。
「俺の成績じゃない。ちゃんと部の実績を残さないと、来年度の部費分配に影響する。後輩の苦労を増やしたくない」
 絞り出すような声に、こちらまで息苦しくなるようだ。
 確かに、ワンゲル部は部員数も少なく、大会もさして多くはないのだろう。せっかく出場切符を手にしたインターハイで良い成績を残せなければ、あるいは棄権ともなれば、来年度の部費が削られる可能性はある。部外者である氷川には、皆で頑張って乗り越えるべきだと無責任に言い放つ資格はない。しかし現実問題、膝を痛めてしまったのならば、横峰が戦力たり得ないことは誰にもどうしようもない事実だ。
「でも、大会の成績は良かったんだよね? 県大会とか、地区大会とかさ」
「それは、まあ……」
「だったら交渉の余地はあるかもしれない。予算編成はまだ先だしね。それよりも、怪我の手当をしなきゃ。保健室、行くよね」
 再度促すと、横峰が諦めたように頷いた。
 連れて行った先の保健室で、打ち身と膝の手当をした養護教諭に病院に行くよう指示され、タクシーを呼ぶ。担任の夏木なり、ワンゲル部の顧問なりに車を出して貰うことも可能だったろうが、できれば横峰とふたりで話したいことがあった。
 最寄りの整形外科で、骨に異常なし、打ち身はしているが捻挫でもないようだとのお墨付きをもらって、横峰は安堵の溜息を吐いた。二時間ばかりも待たされる間中ずっと沈みきった顔をしていたから、こちらまでほっとする。
「よかった」
「良かったね。あーでも、先生、じゃあ身体を動かしても平気ですかね」
 強引に診察室に同席した氷川が訊ねると、年配の医師は眉を跳ね上げた。何を言ってるんだこの子はと言わんばかりの表情に、見られてはいない横峰がたじろぐ。
「歩くくらいなら、無茶しなければいいけど。それが競歩やウォーキングだったら休んだほうが良いね」
「じゃあ、走るとか、泳ぐとかは? 登山やロッククライミングとか」
「駄目だね。大事にしとけばすぐ治るけど、無茶して悪化したらなかなか治らないどころか、症状がひどくなる。骨や靱帯に異常がなくたって、健康体ですってわけじゃないんだから」
「……駄目ですか?」
 弱り切った表情で縋るように見る横峰に、医者が困ったように眉を寄せた。
「二週間は安静にしていなさい。いいね」
「でも」
「僕の診断に不満があるなら、他の病院にも行ってみなさい。同じように言うだろうけどね」
 ぴしゃりと叱りつけられて、横峰がうなだれる。その背を軽く叩いて、医師に頭を下げた。
「すみません、大事な時期なので気が立っていて」
 代理で謝った氷川に、なんだか複雑そうな表情を見せて、医者が仕切り直すように咳払いをした。
「まあ、そうだろうね……処方箋を出しておくから、帰りに薬局で受け取ってください。何日かしても腫れや痛みが続く時はまた来てください。今日はもういいですよ」
「はい、ありがとうございました。行こう、横峰くん」
「うん。お世話になりました」
 歩きづらそうな横峰に手を貸して、診察室を出る。沈んだ表情を見ていられなくて、目をそらした。
 整形外科院の真横にある調剤薬局で湿布や痛み止めなどを受け取り、またタクシーで学院に帰る。敷地を横切るように私道が走っているのを有効活用し、寮の玄関口までタクシーで乗り付けた。近くにいた生徒が何事かと見てきたので、どうやら金持ち学校でもこれは普通ではないらしい。世界はまだ夕暮れのほの明るさを残しており、嫌な形で顔が売れてしまう可能性は否めない。
「見られると緊張するね」
「緊張感の欠片もない顔で言うことじゃないって」
 ぼんやりとこぼした氷川に、横峰が呆れたように切り返す。それが、診察室を出てから彼が口にした最初の言葉だった。
 建物の中に入ると、冷房が効いていてほっとする。靴を履き替えている途中で、ふと思い出したように横峰が顔を上げた。
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