嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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文月凉太

文化祭の前に 1

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 早朝の教室は不思議と静かだ。
 運動部は文化祭が迫っていようと関係なく朝練に打ち込んでいるし、早出して文化祭の準備に取り組む生徒は多くない。ほとんどが放課後から夜の時間を準備に割り当て、遅くまで作業をした分だけ、食事も入浴も自室学習もずれ込んだ挙げ句に、遅刻ギリギリに登校してくる。だからここ最近、教室に人が集まる時間はいつもよりも遅い。
 七時過ぎに登校し、連絡ノートを開く。そこには文月の綺麗な文字で、昨日の放課後の進捗状況が書かれている。今日は、研究成果がまとまった所らしい。これを張り出せる形にまとめ直し、できるならレイアウトまで考えられれば上出来だろう。氷川は筆記具を準備して、ノートを開いた。
 レポート用紙にまとめられた、福島の歴史と工芸品の関わりのまとめを読んでいると、教室の後ろ側の扉が開いた。
「おはよう、氷川。今日も早いな」
「おはよう。文月くんこそ早いね」
 氷川が早出して準備を始めて今日で四日だが、文月は昨日も七時半よりも前に登校した。といっても、作業を手伝ってくれるわけではない。氷川の前の席の机を動かし、向かい合わせにして勉強をしている。昨日は予習だったが、今日は課題を埋め始めた。前髪の掛かった額を少しだけ眺めて、氷川は読みかけのレポート用紙に戻った。
 ざっと目を通し、構成を考えながらノートに見出しを書いていく。重要なのは視点の動きを阻害せず、興味をそそる構成にすることだ。目を惹く見出し、写真やイラスト。文章の隙間だって例外ではない。黒すぎず白すぎず、適度なバランスでないと、ボードに貼り出した記事を読んでは貰えない。ぎっしり文字が詰まっているほど喜ばれる、玄人向けの小説ではないのだから。
「上手いもんだな」
 いつの間に手を止めたのか、文月が感心したように言ってくる。顔を上げると、彼は身を乗り出すようにして氷川の手元を覗き込んでいた。
「そうかな、普通じゃない?」
「いや、構成が一番気を遣うだろ。俺だったら倍は時間がかかる」
「そんなことないでしょ。俺だって難しいこと考えてないよ。専門の勉強もしてないしさ」
 照れて熱くなった頬を隠すために、俯いて作業を再開する。文月が持っていたペンを置いた。
「謙遜も過ぎると嫌味だぞ」
「謙遜なんかじゃないよ。俺が考えてることなんて簡単だもん」
「ふうん、例えば?」
 さして関心があるようでもなく問われて、氷川は少しだけ考え込む。とはいえ、本当に難しいことではない。ほんの少し勉強すれば、誰でもできる程度だ。
「視点は左上から右下……細かく言うと左上から右上、左下、右下って動くのが普通なんだって。特に、手に持って読む新聞や本と違って貼り出すものは、本文は横書きのが読みやすいでしょ? だから左上から右下、って意識する。真ん中の右側は読み飛ばされる可能性が高いから、重要な内容は上のほう。写真や図に目が行くから、俺ならあえて左下に置く。小見出しがあると目を惹くから、見て欲しいところは強調する。たとえば」
 ある程度作業の進んだノートを、二つの机が接する地点で文月に向けて置いた。
「歴史の細かいことなんて、興味ある人だけが読めばいいから下のほうでいいよね。それより、大まかな歴史と気候風土が、工芸品とどうして、どういう風に結びついているかを読んで欲しいんだと思うから、上に書く。そうなると、この図はここで、この絵はこっち。ね、難しくないでしょ」
 シャープペンシルで示しながら、配置の意図を説明すると、文月は低く唸った。
「よく考えてると思うが」
「いや……普通だよ」
「指導を生業にしているような人間と比べるようなものではなくても、高校生の発表としては充分じゃないか?」
「でも、大学でも社会に出てからでもプレゼンとかしなきゃだし、皆そういうの研究してるでしょ? まだまだだよ。もっと勉強しなきゃ」
 氷川が真面目に言うと、文月はなんだか微妙な表情になった。迷うように視線を泳がせてから、手を伸ばす。温かな手がそっと髪を撫でた。
「まあ、そう言うならそれでいい。だったら頑張れ」
「うん。これはこんな風でいいかな? まだ、まとめてる途中だけど」
 文月が何故難しい顔をしているのかわからず、とりあえず訊きたかったことを訊ねる。彼は何も言わず、ノートを引き寄せた。
 しばらく黙って目を通してから、顔を上げる。そしてノートをこちらへ押し返した。
「いいんじゃないか」
「本当? 良かった」
 肯定的な評価に安堵して、作業を再開した。展示用にまとめ直して、模造紙にあたりをつけるところまではやっておきたい。下書きは、まとめ直したものを見せて、了承を得てからだ。箇条書きだったり、冗長だったりと安定しない文章を一通りそれらしくまとめたところで、文月が勉強を再開していないことに気付いた。
「どうしたの?」
「一段落ついた?」
「うん」
 ほら、とノートを見せると、ろくに目をも通さずに、文月はそうかと呟くように言う。そして彼は転がっていたペンを取った。その表情がどことなく不機嫌そうで、氷川は小さく身じろいだ。
「どうかしたの?」
「朝はクラス展の準備、放課後は生徒会の手伝い。課題や予復習の時間は取れてるのか?」
「してるよ。八時か、八時半には切り上げちゃうもん、寮でゆっくりご飯食べてお風呂入って勉強できてる」
「睡眠は?」
「五時間は寝てるよ」
「足りないだろ。寝ないと背が伸びないぞ」
「同じ背丈の文月くんに言われたくないよ」
 子供に対するように言われて、つい、半眼で言い返してしまった。確かに氷川は百七十センチと長身ではないが、文月だって同じだったはず。あと二センチ伸びてくれると平均身長、というところで足踏みされて悲しんではいるものの、小柄というほどでもない。
 反論された文月は、こめかみを押さえて嘆息した。そして壁に掛けられた時計に視線を走らせる。八時前、そろそろ登校してくる生徒もいるだろう。
 模造紙を用意しようと立ち上がると、文月が制止の声を上げた。待ての一言に氷川は動きを止め、文月を見下ろす。
「どうかした?」
「今日はもういい」
「え、でも」
「それ参考にして、放課後続きやらせる。だからちょっと座って」
 指先でこつこつと机を叩かれ、氷川は立ったばかりの椅子に座り直した。文月は使っていた机を元の状態に戻すと、氷川の机からノートを取り上げ、自分の課題を広げた。
「あのノートじゃ分かりにくいでしょ」
「大丈夫だ。それより、課題が終わってるなら教えてくれないか」
 そこまで言うならいいかと、作業を終わらせることに決め、机に視線を落とす。数学の応用部分が空欄になっていた。荷物から数学の課題と教科書、参考書を引っ張り出す。ここは確かやった記憶があった。
「文月くん、数学苦手だったっけ?」
「数学というか、今やってるあたりだな。基礎はいいが、応用でたまに混乱する」
「へえ、知らなかった。なんかなんでも出来そうなイメージだったし」
「俺より順位が高い奴に言われたくない」
 シャープペンシルを構えた文月が、恨みがましい視線を向けてくる。氷川は首を傾げた。他人の順位など覚えていない。というか、自分の順位だって教科単位では覚えていない。
「そうだった? クラスの平均あたりなのかなって思ったけど」
「平均なら、上も下もいるだろうが。俺は七十位より上に上がったことはない」
 どこか暗い声で文月が言う。氷川の二学期中間考査の総合順位は、学年五十七位だった。一学期の期末より上がったので喜んだ記憶がある。五十位まで食い込めれば、推薦も貰いやすい。
 それでも学年上位四割には属しているのだから、充分なのでは、とは言わなかった。この学校も進学校だ。偏差値は高く、授業の進行も速く、名門大学の合格率、進学率も高い。しかし御三家と呼ばれる学校のような、トップクラスの学力を誇る学校には劣る。端的に表現すれば、学年上位二十人だって東京大学に入れるかは怪しい。
 氷川は経済系の学部であれば、別に東京大学や京都大学に進学する必要はないと言われてるが――そして、その方針に唯々諾々と従うかどうかを迷ってもいるが――、文月はどうするつもりなのだろう。そういえば、そういう話はしたことがない。訊ねても良かったが、もうあまり時間がないので、課題に取りかかったほうが良いと判断した。
「じゃあ、次のテストで数学の順位上がるように頑張ろう。基礎が出来てるなら、応用も難しくないはずだよ。数学なんて、基礎問題を数こなせば解けるようになるし。これはね」
 教科書と参考書を広げて解説していく。文月は神妙な顔で、話を聞きながら問題に取り組んでいる。実のところ氷川もそこまで数学が得意でもない上、人に教えるのは不得手だ。だから分かって貰えるか不安だったが、基礎が出来ているのが幸いしたらしい。文月は拙い解説でも理解を深めて、問題を解いていく。
 その様子を見ていても良かったが、氷川は問題集のページをめくった。少し、進めておこう。
 いくつか問題を解いたところで、文月の手が止まっていることに気付いた。顔を上げると、彼は静かにこちらへ視線を向けている。
「ごめん。解き終わった?」
「ああ。これでいいかな」
「いいと思うけど」
 見せられた問題の解は、氷川が導き出した答えと同じだ。自分が間違っていたら駄目だが、そうでなければ大丈夫だろう。渡された課題を返すと、文月は息を吐いた。
「ありがとう。助かった」
「どういたしまして」
「今日の放課後も生徒会の手伝いに行くのか?」
「そのつもりだよ」
 首肯して答えると、文月が眉間に皺を寄せた。芯を仕舞ったシャープペンシルで、かつんと机を叩く。
「神森を連れ出した分の埋め合わせといっても、もう充分だろ。そろそろやめたらどうだ」
「それは難しいなあ。なんか、一度手伝いに入ったら頭数に入れられちゃってさ」
 今の時期はどこだって人手不足だ。急遽助っ人として連れ込まれた氷川だが、四日もいれば当たり前のように馴染めてしまう。もちろん、今日まででやめますと言えば通るだろうが、それは薄情な気がしてしまうのだ。毒を食らわば皿までという所か。それは文月の気に召す返答ではなかったらしい。
「生徒会の手伝いが、そんなに大切か。クラス展示より楽しいか」
 しかめ面のまま訊かれ、氷川は困惑して首を捻った。そういうつもりはない。
「楽しいっていうか……クラスのほう、そんなに忙しいの?」
「まあ、それなりに」
 曖昧に答えて、文月が教材を片付けていく。気付けば、教室に生徒が増え始めていた。
「明日の午後と、日曜日は丸一日準備に当てる。手が空いたら顔を出してくれ」
 言うだけ言って、返答を待たずに文月が自分の机に戻っていく。クラスの展示は研究発表だし、そんなに大変だとは思っていなかった。軽い気持ちで他を優先したが、間違いだったのだろうか。身体が二つあれば良いのにと、無茶なことを思った。

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