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十月
文化祭当日:これも一つの結末
しおりを挟む演劇部と吹奏楽部とダンス部の発表を見たり、ステージに引っ張り出されたり、展示を見て回ったりしていれば、あっという間に一日が過ぎる。生徒会室にずらりと並べられた生徒会誌に気圧されて、口車に乗せられて何冊か購入してしまったりもした。運動系なのにワンゲル部が展示に名を連ねていると思ったら、山岳の写真や、植生の研究を展示した上、部発行の初心者向け登山の心得ガイドブックなどというものを売っていて、ついつい買ってしまったりもした。そうこうして散財しているうちに、三日目の昼になっていた。
少し早めに昼食を済ませ、店番のために教室へ向かう。案の定というべきか、教室内はほとんど見学者がいない。娯楽要素に乏しい展示だから、クラスの人間の関係者くらいしか立ち寄らないのだろう。店番をしていた生徒が、氷川を見つけて手を振った。
「待ってたよー」
「うん。でも行くのちょっと待って、相方が来てから交代しないと」
さっと立って教室を出ようとする二人を引き止める。氷川の言葉に、堅物! と野次が飛んだ。話しているうちに相方の赤田がやって来て、前の当番二人は嬉しそうに教室を出て行った。とても暇だったらしい。
「店番って暇なの?」
ボードが乱立する教室の窓際に用意した椅子に座って、氷川は赤田に尋ねる。隣に座ってスマートフォンを操作している赤田が、心ここにあらずな風情で唸った。
「そーだね、暇かな。でも一日目、二日目は本当に暇だけど、三日目はお客さん来るほうだよ」
「そうなんだ。家族とか友達とか?」
「そうそう。ダチっていうか、親? うちの子はどんなことを発表してるのかしらみたいな感じで」
ちらりと赤田が視線を向ける。教室内には二組の来客があり、確かにどちらもそんな雰囲気だった。四十台後半くらいの男女が一組に、四十台半ばと二十五歳くらいの女性が一組。
「たまに若い女の子がいるけど、あれは? 誰かの彼女とかじゃないと思うけど」
恋人だったら一緒に行動しているはず。氷川の問いに、赤田が浅く頷いて、近隣の女子校の名前を挙げた。
「マリナの子とかじゃん? あと青田買い狙いも地味にいるかな」
「青田買い?」
「女日照りの高校のうちに、将来有望そうな奴にツバつけとこうって魂胆の人」
赤田の身も蓋もない物言いに、近くに来ていた女性二人連れがぎょっとした顔で振り返った。愛想笑いで会釈すると、先方も困ったように会釈を返す。
「……教えてくれてありがと」
「や、俺もごめん。まあそういうわけだから、ナンパには気をつけてね」
「うん。そうする」
もっとも、特に門地があるわけでもなければ、実家が大企業を経営しているわけでもない氷川には縁遠い話だ。十分ほどで女性二人組が退室し――編み組細工がとても好評だった――、入れ替わるように別の家族連れが来室する。質問されれば答えたり、修学旅行の感想を聞かれたりしていると、案外時間は早く過ぎる。あと十分ほどだなと時計を見上げた時、また誰かが教室を覗いた。
「あ! 泰弘くん!」
聞き覚えのある声に、目を見張る。視線を向ければ、早足でやってくる少女の姿があった。聖マリナ女学院の生徒と違って私服姿で、デニムのミニスカートから伸びる素足が、男子中高生の目には毒だ。オフショルダーのカットソーは長袖とはいえ、肩や足など肌の見える面積が多くて寒そうで仕方がない。彼女は、思わず立ち上がってしまった氷川の前で立ち止まると、綺麗に微笑んだ。
「久しぶりだね。元気だった?」
「紗織ちゃん、久しぶり。来てたんだ」
「うん。おばさまたちに乗せてきて貰ったの」
「連絡くれれば案内したのに」
そうしたら、もっと早く会えたのに。残念さを隠さずに言うと、彼女はふふと笑った。
「だって泰弘くん、案内状くれなかったし、来てとも言わないから」
「それは、ごめん」
「いいよ。二時までに会えなかったら電話するつもりだったし」
謝った氷川に満足そうな笑みを浮かべて、紗織が思い出したように振り返る。そして首を傾げた。その仕草を見て氷川は、あ、と声を上げた。
「そういえば、母さんは? 一緒に来たんだよね」
「うん。一時にこの教室で待ち合わせの約束だから、そのうちいらっしゃるんじゃない?」
軽い調子で言う紗織の近くに、赤田が椅子を置いた。いつの間にか取りに行っていたらしい。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。俺、氷川くんの友達の赤田です。彼女さんです?」
椅子に座った紗織に、赤田が問いかける。紗織が可笑しそうに笑った。
「いいえ、ただの幼馴染みで、古川紗織って言います。よろしくね、赤田くん。あ、タメだから敬語いらないよ」
「へえ、幼馴染みかあ、なんかいいね」
「そうかな、普通だよ。ねえねえ赤田くん、泰弘くん、学校でどんな感じ?」
柔らかい表情で対する赤田に、紗織が少し身を乗り出す。二人とも物怖じしないタイプだから、打ち解けるのも早い。二人の会話に時折口を挟みながら、時間が過ぎるのをぼんやりと待つ。次の当番の二人は遅れているようだ。一時を過ぎた頃、忙しない足音が近付いてきて、教室の前で止まった。数拍分の間合いを置いて、扉が開かれる。開けっ放しにしていたはずだが、誰か礼儀正しい人が閉めていったようだ。
顔を覗かせたのは、よく知った人物だった。
休日仕様のカジュアルな、しかしかっちりしたシルエットのジャケットとパンツ姿の、四十歳ほどの女性。母親だ。反射的に立ち上がった氷川を見つけて、彼女は破顔した。
「泰弘さん、久しぶりね」
つかつかと歩み寄り、氷川の前で拗ねたように言う。スリッパなのによくそんな風に歩けるものだと感心してしまった。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「あなたもね。夏休みの間も一度も顔を出さないから、何をしているのかと思ったけれど……学校は楽しいかしら」
「はい、とても」
母の問いに頷く。今までに何度となく繰り返されてきた問答だが、素直にこう答えられるようになったのは、この学院に来てからだ。彼女はふわりと破顔した。
「そう、良かった。あ……あら、失礼を。氷川の母でございます」
紗織との会話を中断した赤田がこちらを見ていたのに気付いて、母が頭を下げる。赤田が焦った風に立ち上がった。椅子ががたんと揺れる。
「ご丁寧にありがとうございます、クラスメイトの赤田です。氷川くんにはいつも仲良くしていただいてます」
お世話になっています、という表現が咄嗟に出てこないあたりがフレンドリーな赤田らしい。交代のクラスメイトが来たので、展示を見ながらその場でしばらく話して、教室を出た。赤田は川口達と合流するからと行ってしまったので、今は三人連れだ。
「どこか見たい場所はあります?」
「見たいものは見られたから、もういいわ」
「私も。やっぱり進学校だよね、模擬店より研究発表って感じ。真面目でいいけど、お勉強しに来たんだっけって思っちゃった」
「ええ。受験予定者にはいいアピールでしょうけれど。ああ、でも、男親は喜ぶかもしれないわ」
休憩所でパンフレットを覗き込んでいた母が、ふと思い出したように言って表情を緩める。その言葉に、氷川は一瞬呼吸を止めた。
「あの……母さん、父さんは今日は……?」
父と最後に話したのは、この学院への転入が決まった日だ。あの時の氷川は、父は、学校に順応できなかった自分を投げ出したのだと思っていた。あるいは本当にそうかもしれない。思い通りに、普通に出来ない息子に手を焼いて、厄介払いしたかったのかもしれない。だが、心配だってさせたはずなのだ。そうでなければ弟に相談したり、高い学費を払ってこんな全寮制の学院に転入させたりなどしない。
確信的な問いを投げられない自分は、相変わらず臆病だ。相対するのが怖くて、招待状一枚郵送できなかったくせに、その姿を探す自分はとても愚かだ。あの人は子供のことに興味がないと、そんな決めつけで諦めようとして、今まで一度だって、父親に面と向かって何かを求めたことなどない。
ふと、紗織が表情を和らげた。母が目を細める。
「おじさまはね」
「お父さんなら、そこにいるわ」
近付いてきていた足音が、ぱたりと止まった。
恐る恐る振り返ると、そこには約半年ぶりに見る、父の姿があった。
「……父さん」
「久しぶりだな、泰弘。元気でやってるみたいで何よりだ」
「ご無沙汰しています……今日は、来てくれてありがとうございます」
何を言えばいいのかわからなくて、他人行儀な挨拶をしてしまう。父は苦笑して距離を縮めた。ひとつだけ空いていた椅子に腰掛ける。
「おまえが招待状も寄越さないから、迷ったんだがな。先生に挨拶もしたかったし」
「職員室に行ってらしたんですか」
「うん。夏木先生と話したよ。彼はいい人だな。真面目で、生徒のことをきちんと見ている。毎月一回は、おまえの様子をメールで送ってくれた」
「そうだったんですか」
夏木がそんなことをしていたなんて、知らなかった。他の生徒の保護者に対しても同様にしているとすれば、かなりの時間と労力を裂いていることになる。だからいつも忙しそうだったのかと、納得した。
担任の夏木には感謝しているし、何より、父が学校に来て、担任教師と話そうとしてくれたことが嬉しい。けれどそのきっかけを作ったのはあくまで夏木で、氷川ではないのだ。
口を閉ざして父を見つめた氷川に、彼は不安そうに眉をひそめた。
「泰弘、私の選択は間違ってたか?」
小さな声で訊ねて、氷川を覗き込む。それはどの選択だろう。小中と学校行事に顔を出さなかったことか。休暇に旅行どころか、遊びに行ったことすらないことか。学校を休みがちになり、登校できなくなった氷川に、学校へ行きなさいとしか言わなかったことか。それとも、この学院に入るように勧めたことか。
ひとつひとつ考えて、氷川は微笑んだ。
「いいえ、何も間違っていませんでしたよ」
悲しいことも、悔しいことも、苦しいことも、すべてが今の氷川を形成している。何かひとつでも欠けたら、今の自分はいなかっただろう。自分の過去の歩みは、失敗が多かったけれど、それを間違いだったとは思わない。
「今、僕がここにいるのは父さんのお陰です。感謝してます」
氷川の言葉に、父が眉を寄せて目を細めた。唇が震えて、迷いながら言葉を紡ぐ。
「そうか、良かった。おまえもいい顔になったよ」
大きな手がためらいがちに伸びて、氷川の頭を撫でる。眼の奥が熱くなって、まばたきをして誤魔化した。タイミングを見計らったように、校内放送がイベントのアナウンスを流す。声楽部の公演のお知らせに、紗織が声を上げて立ち上がった。
「やだ、これ見るために来たんだった! 私、行きますね!」
パンフレットを掴むと、紗織は人混みを縫って駆け出す。呆気にとられてその背中を見送った後、氷川は慌てて席を立った。女の子が一人でいたら、ナンパしてくださいと言っているようなものだ。
「紗織ちゃんに付き添ってきます! また……あの、あとで、夕食を一緒にいかがですか」
「ええ、楽しみにしているわ」
「行っておいで」
微笑む父母に見送られて、氷川は人波に身体を滑り込ませた。もう世界が怖くないなんて、そんな大それたことは言わない。けれど怯えて閉じこもっている日々にはもう、戻れない。世界には嬉しいことや楽しいこともあって、自分を迎え入れてくれる場所もある。そう知ったから、怯えてでも知らない場所に向かうことができる。
人混みに紛れてしまった幼馴染みを探して、氷川は足を速めた。我知らず、笑みを浮かべて。
終
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