嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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十月

文化祭の前に 分岐点

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 放課後は文化祭実行委員会室に顔を出す。予算関連や消防への申請からプログラムに至るまで、紙仕事は数も種類も少なくない。二日目で既に顔なじみになった氷川には、コピー取ってとか、書類揃えてとか、雑用めいた指示が飛んでくる。頭を使わないし、責任もかからない作業は楽でいい。
 その日の作業を終えて帰る支度をしていると、橘がやって来た。
「お疲れさま。いきなり手伝わせちゃってごめんね」
 橘が、さして申し訳なさそうでもない調子で言う。氷川はファスナーを閉めた鞄を肩にかけた。
「クラスのほうはそんなにやることなかったから大丈夫」
「ならいいんだけど。良かったら夕飯一緒にどうかな。お詫びを兼ねて奢るよ」
「奢って貰う理由がないけど、いいの?」
 時刻は既に二十時を過ぎている。通常ならば既に校内も寮も食堂は閉まっているが、この時期は営業時間を延長しているため、まだ開いている。
 橘は少し考えたあと、こくりと首肯した。そして氷川の腕を取る。
「うん。行こ」
 急かすように腕を引く橘に引きずられるように、寮に向かう。この時間でもまだ、学生寮の食堂のほうが空いているらしい。
 校舎を離れ私道に出ると、夜気が吹き抜けていった。見上げた夜空で、灰色の雲が随分早く流れていく。月は見えない。
「もうすっかり秋だね。ちょっと肌寒いかも」
 橘がジャケットの見頃をかき合わせて肩を震わせる。言葉よりもよほど寒そうな仕草で、首をすくめる。
「そう? 俺は快適なくらいだけど……ちょっと急ごうか」
「ん。ありがと」
 歩調を速めて、学生寮に急いだ。靴を履き替えてそのまま食堂に向かう。橘の言った通り、寮内の食堂は空いていた。橘がメニューを検分しながら訊ねてくる。手元にはスマートフォンがある。彼はおサイフケータイ派だ。
「何食べる?」
「橘くんは?」
「温かいものがいいけど、まだ鍋もシチューもあんまり充実してないし……うどんにする」
 うどんは色々種類がある。橘は月見きつねうどんを選んだ。氷川はじっとメニューを眺めた。橘と違って身体が冷えたと感じてはいないし、定食でいいような気がする。文字を目で追っていると、秋の味覚を発見した。
「秋刀魚定食にする」
「なんかそれ、朝ご飯っぽいね」
「確かに。でも朝食べないからいいよ」
 わかったと答えて、宣言通り橘が会計をしてくれる。トレイを受け取って、窓際のカウンター席に座った。窓は私道側、つまり校舎棟側に向かって開かれているため、まだ校舎から光が漏れているのがわかった。ここから見えるのは中等科校舎の側面だ。熱心だなと目を細めた。
「そうだ氷川くん、文化祭のプログラム見た?」
「作業しながらちらっとは。なんで?」
「んー、と、じゃあステージイベントの募集要項とかは見てない?」
「見たかもしれないけど、覚えてない」
 秋刀魚から背骨を取り外す。橘はきつねを箸でつまんで、そっかと頷いた。
「あのさ、修学旅行の時に言ったこと、覚えてる?」
 薄揚げを囓ってから、橘が訊ねる。氷川は首を傾げた。さざえ堂の時の話だろうか。それとも、抜け出した夜の話だろうか。橘は箸を置いた。
「文化祭でライブイベントがあるの。講堂じゃなくて体育館使ってやってて、申し込みがあった全員に適当に時間割り当てて、誰でも出れるやつ」
 彼が言わんとしていることがわかった。橘は真剣な表情で、氷川を覗き込む。
「出てくれないかな。一曲でも二曲でもいいから」
「いや、俺は……」
「オリジナル書き下ろせるし、既存の改変でいいならそれでもできるし、なんならU2練習するから」
 橘は椅子を引いて、氷川に頭を下げた。
「遊びでいいから。もう一回俺の隣で歌ってください」
 エクステンションがなくなった黒い髪が、膝につきそうなくらい低い位置にある。氷川は戸惑って箸を置いた。覚えていたつもりで、忘れていたのかもしれない。彼は自分を口説くと言ったのだ。それならばきっと、ずっと、こうして誘う機会を窺っていたに違いない。
 飲み込んだ唾液が苦くて、眉を寄せた。膝の上で手を握る。爪がてのひらに刺さって痛い。
「ちょっとだけ、考えさせて」
 そう告げると、橘は弾かれたように顔を上げた。
「うん! あ、締め切りが土曜日だから、それまでにお願い」
「一週間でオリジナルでも出来るの?」
 驚いて訊ねると、橘が上機嫌で唇の両端を吊り上げた。
「だって、氷川くんに歌って欲しい歌なんてもうできてるもん。あとは微調整だし、それは氷川くんがいないとできないからね」
 橘は考えたいという言葉の意味を分かっているんだろうか。断る可能性なんて微塵も想定していない様子に、眩暈がしそうだ。それとも、そう感じてしまうことを分かっていての態度なのか。氷川は困った挙げ句、とりあえず箸を手に取った。

 如水学院の文化祭は、正式には善祥祭という名称がつけられている。三日間の日程で行なわれ、三日目の文化の日だけが一般公開される。初日と二日目は原則として生徒しか参加しない。この原則としてが曲者で、事前に申請すれば外部の者の来校も受け入れている。保護者等の親族、教育関係者などだ。
 その日の夜、氷川は寮の自室で考え込んでいた。
 半月も前に配布された、家族宛の招待状が手元にある。送るべきだろうか。こんなものを送付せずとも、母は来るかもしれない。幼馴染みも興味津々でやって来そうだ。けれどこれを送付したとして、父は来るだろうか。
 一般的な父親というものが、子供の学校行事にどれくらい熱心に関わるものかは知らない。ただ、父兄参観の日も、運動会の父親参加種目も、氷川の父は不在だった。それを寂しいと思ったことは、おそらくない。そういうものだと思っていた。それが普通ではなかったと気付いたのは、ある程度成長してからだ。父の気を引きたいと思うようになる頃には、甘えられる年齢を脱してしまっていた。今になって、気にかけて貰っているのかどうかを考えるのは、愚かなことだろうか。
 氷川は招待状を畳むと、机の引き出しに仕舞った。


→分岐:文月
→分岐:橘


 十一月に入り、段々と秋の気配が強くなってきた。空や木の葉の色が少しずつ褪せていく。秋めくとは、夏の光が抜けていくことだ。
 準備に追われていれば、時間は飛ぶように過ぎる。朝早めに登校して、クラス展の準備か、することがなければ予習を進める。放課後は夜になるまで生徒会と文化祭実行委員会を手伝うか、橘たちとリハーサル。そんな風に慌ただしく過ごし、気付けば文化祭当日の朝を迎えていた。今日は生憎の雨だが、生徒達は朝から賑やかだ。早い時間から、校内放送が流れている。開会式までに完璧に仕上げようと、各教室も、正門をはじめとした出入り口も、飾り付けや展示の確認に余念がない。それは氷川のクラスも同じだった。
「でもこれ、工芸品の研究っていうかさ……」
 張られた模造紙を見上げて、氷川は乾いた笑いを漏らした。このあたりは関わっていなかったので、見るのは初めてだ。何故、福島の歴史が書かれているのだろう。福島・宮城両県の歴史は確かA組の展示内容ではなかっただろうか。
 呆然と見上げていると、隣に立った生徒が苦笑した。
「おはよう。これが例の、気合い入っちゃった奴らのだよ」
「あ、おはよう文月くん。そうだと思った」
「全く無関係ではないけど、まあ……脱線だよな。とりあえず間に合ったからもう何も言わないけど」
 疲れ切った表情の文月が、模造紙を睨むように見上げる。文字は綺麗だし、レイアウトも美しいが、文月には忌々しいもののようだ。随分と手こずらされたのだろうと思うと、同情してしまう。
「本当、お疲れさま。大変だったんだね」
「もう二度とやりたくないくらいは。それより氷川、これ店番のシフトな」
 少し笑って、文月が話を切り替える。渡されたプリントにはとてもシンプルに、時間帯と名前が列記してあった。親切なことに、氷川の名前にマーカーでラインが引かれている。三日目の十二時から一時間だ。
「店番って何するの?」
「特にすることもないな。単純にトラブル予防の見張りで、二人ずつ教室で待機する。各組待機時間は一時間だけだから問題ないと思うけど、もしどうしてもまずかったら適当に掛け合って誰かと交代して貰ってくれ」
「わかった。動きやすい時間にしてくれてありがとう」
「俺だけの配慮じゃない。おまえ今年が初めてだからな、皆、楽しんで欲しいって思ってるよ」
 文月の優しい言葉に、胸が締め付けられたように苦しくなる。受け入れて貰えていると感じることは、こんなに嬉しいことなのかと驚いた。ありがとう、と繰り返した氷川の頭を軽く撫でて、文月が他の箇所を確認しに行く。氷川は緩んだ口元をてのひらで覆うと、ロッカーに向かった。鞄の中から、先日配布されたプログラムを引っ張り出す。
 そこまで気を遣われたなら、ステージイベントも、クラスや部活の展示も、できるだけ回らなければ失礼というものだ。
 ――開会式まで、あと三十分。

 文化祭は九時から十七時まで行なわれる。氷川はプログラム片手に校舎内を徘徊していた。
 調理部や三年生有志による食品系の模擬店は、最終日の外部公開日しか営業しない。橘の言っていた体育館のライブイベントは午後からで、まだ開場していない。各クラスの教室は基本的に展示に使われていて、自習室と特別教室の一部が部活動の展示に使用されているらしい。部活棟は使用しないようだ。講堂では部活動の発表の他、最終日には外部から講師を呼んでの講演会が予定されている。校庭は駐車場として開放されているが、今日は利用者はあまりいないだろう。
 さて、どこへ行こうか。


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