嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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野分彩斗

電波と心

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 氷川自身がどう思うか。
 果たして自分は野分に対して、どんな感情を抱いているのだろう。
 どのような動機であれ、野分は実家の争い事まで話してくれるほど、氷川に心を許してくれている。それに対して、氷川は野分に自分のことをろくに話していない。嘘はついていないが、騙すように話していないこともある。それを知っても、彼は氷川に好意を向けてくれるだろうか。
 そもそも、野分は氷川のどこを取って好きだなどと酔狂なことを言い出したのか。
 ――結局、相手のことばかりか。
 大きく息を吐いた氷川は、不意に背筋に感じた寒気に慌てて立ち上がった。湯冷めしてしまったらしい。いくら全館空調でも、開放された廊下の温度は決して高くない。急ぎ足で自室にたどり着き、もうひとつ溜息を吐く。
 知りたいと思う、その感情の根本は、ただの好奇心と好意、どちらなのだろう。
 照明を入れ、スマートフォンを手に取る。届いていたメールは二通、一通は紗織からの近況報告で、もう一通は野分からだった。
 見に行った映画が面白かったという改めての礼の他、話を聞いてくれてありがとうと綴られている。
 ――お礼にもならないけど、もし氷川に悩みがあったら相談に乗るから。
 その一文を二回読み返し、氷川は寝台に上体を倒した。足を床に投げ出し、天井を見上げる。すっかり見慣れたクリーム色の天井では、昼光色の蛍光灯が輝いている。LEDシーリングライトへの変更は検討中という話をいつかどこかで見聞きしたような気がする。
 こちらこそ楽しかった、うまくアドバイスできなくてごめん――文章を組み立てる途中で、氷川は端末機器を寝台に置いた。ありがとうと伝えておけばいいことは理解している。相談に乗ると言ってくれる気持ちは嬉しい、それは本当だ。
 氷川は他者に頼ることが不得手だ。自分のことを話すことも、相談をすることも。だから野分の厚意に応える日はおそらく来ない。信用していないわけではなく、単純に性格的な問題だが。
 閉じていた瞼を押し上げ、無難な文章を作って送信する。社交辞令は嘘ではないと言い訳しながら寝返りを打ち、ヘッドボードの棚から本を一冊抜いた。
 いつぞや野分と購ったものはとうに読み終わり、現在はハイチの歴史などを扱ったものを読んでいた。かつてはカリブの真珠とも呼ばれ、独立戦争により自由を勝ち取り、代償のように最貧国に転がり落ちたカリブ海の島国。その歴史はなかなかに興味深く、常ならば自然と集中できるのだが、今日はどうにも文字が頭に入ってこない。同じページを三回読み直し、諦めて勉強しようか、それとももう寝てしまおうかと考え始めた時、スマートフォンが振動し始めた。しおりを挟んだ本を閉じ、電話の着信を報せる小さな機械を拾い上げる。そこには予想通りの人物名が表示されていた。
「……はい」
 少しだけ迷い、通話を繋げる。素っ気ない応答に笑う声が聞こえた。
『悪い、寝てた?』
「起きてた。どうしたの、野分くん」
『んー、なんとなく』
 耳元で聞こえる声は、普段よりも甘く感じる。同じ建物の中にいるのにと思うと、少し奇妙な感覚がした。
「何か話なら、談話室でもロビーでも出られるけど」
『いや、いい。今日一日付き合わせたし、悪い』
「別に、部屋に来てくれてもいいけど」
 野分はどこにいるのだろう、部屋にいるのか、共有スペースのどこかか。この時間ならば同室者が入浴などで外している可能性もあるが、共有スペースならば寒いだろう。そう思って提案すると、電話の向こうで息を呑んだ気配がした。流れる沈黙が居たたまれず、氷川は倒していた上体を起こした。
『……本当に?』
 掠れた声が耳元で囁く。産毛がそそけ立つような気がして、氷川は咄嗟にスマートフォンを左手から右手に持ち替えた。そして左耳を手の甲で擦る。動揺が透けないよう、努めて落ち着いた声を作った。
「話があるなら、そのほうがいいと思って」
『話というか、声が聞きたくて。変だな、さっきまで会ってたのに。でも、おまえの声聞いてると落ち着く気がするんだ』
 甘い声と言葉に、指先が落ち着かなくなる。そわそわする感情のまま、つま先を揺らした。こちらは全く落ち着かないと言えば、彼は動揺するだろうか。それは少し楽しい想像だったが、報復が怖いので取りやめた。代わりに訊ねる。
「野分くん、今、どこ?」
『廊下。何で?』
「部屋にいるならいいけど、廊下は意外と寒いから、湯冷めしたら大変だし」
 身体の力が抜けて、また寝転んでしまう。シーツと髪が擦れる音がした。
『心配してくれてんの?』
「そりゃね、忙しい時期に身体こわしたら大変だもん」
『ありがとう。嬉しい』
 笑顔が見えるような声でそう言って、野分は短い沈黙を挟んでなあ、と呼びかける。囁くような声なのに、聞き取りづらくならないのが不思議だった。氷川は身じろぎもせず、耳を澄ませる。
『やっぱり、部屋行っていい?』
 濡れたような声音に、思わず息を呑む。我知らず溜まっていた唾液を嚥下し、咄嗟に伝えそうになった了承を飲み込んだ。
「……どうして?」
 囁くように訊く。野分が笑ったような気がした。
『キスしたい』
 音の少ない吐息が、電気変換ののち鼓膜をくすぐる。変換後の合成音声だと知っているのに、まるですぐそこにいるような質感がある。
「野分くんって、案外即物的だよね」
『そうだな、してもいいなら、もっと即物的なこともしたい』
「そんな風に言われたら、もう部屋に上がって貰えなくなっちゃうよ」
『ガード堅いな。残念』
 甘やかな誘惑を冗談めかして切り捨てた氷川に、野分が似たような声で応じてくれる。気付かれないよう大きく息を吐き、氷川は空いた手で胸を押さえた。心臓の拍動がやけに急いている。
「ねえ……どうして俺なの」
 端的な問いに、電話の向こうで野分が息を詰めた気配がした。彼はしばし黙し、そして息を吐いた。
『なにかあった?』
 柔らかな声がなだめるように問う。彼には氷川が不安になっているように感じられたらしい。実際そうかもしれない。随分と甘えているなと自嘲する。
「ない、けど」
『それなら、知りたくなった?』
 笑みを含んだ問いかけに奇妙な予感を覚えて、部屋の扉を一瞥した。そして背を向けるように寝返りを打つ。
「少しだけ」
『少しか』
 残念そうに呟き、彼はこつこつとスマートフォンをつついた。耳障りな音に眉をひそめる。
「何?」
『開けてくれたら、教えてもいい』
「それは無理」
 即答で断りながらも、つい振り向いて戸口に視線を向けてしまう。やはりそこにいるのだろうか。まだ廊下に出ている生徒も多い時間帯に、そんな場所に立たせたままでいるのを同フロアの顔見知りの生徒に見られたら、明日なりに顔を合わせた時に何を言われるか。そう考えつつも、迎え入れる勇気がなかった。もしも野分がその気なら、氷川は上手く拒めない。
 目を瞑り、足を引き寄せた。胎児のように身体を丸め、意識を電話をあてた耳に集中させる。
『それは残念。だったら答えもおあずけ』
「教えてくれないと、悪い風に解釈しちゃうかもよ」
『それは怖いな。でも、そうなったら宥めて誤解をとく楽しみもできる』
「ねえ、俺より野分くんのほうが性格悪いよね」
『うん。知らなかった?』
 おかしそうに問われて言葉に詰まる。彼が一筋縄ではいかない人物であることくらいは、把握していたつもりだった。人をまとめる立場にある男が、御しやすい人物のわけがない。その上で連ねる恨み言は、まるで睦言のように効力を成さない。
 黙した氷川の返答を待たず、野分が言葉を繋げる。
『入れて貰えないなら仕方ない。今日は一日ありがとう、おやすみ』
「風邪ひいたりしないように気を付けて。おやすみ」
 なんとか落ち着いた声で答え、スマートフォンを耳から離す。直前に聞こえたリップ音に、頭に血が上り詰めたような気がした。
 画面を見つめ、三秒数えてから通話を終わらせる。電話対応の基礎は既に身体の一部のように馴染んでいる。氷川が切るまで伸び続けていた通話時間は、野分も同じような習慣があるからなのか、それとも切られることを――もしくは切られないことを――待っていたのか。
 スマートフォンを投げ出すように落とし、氷川は両手で顔を覆った。頬が熱いし、耳も熱い。更にいえば胸の内まで灼けたように熱いし、心臓はずっと早鐘を打ち続けている。跳ね起きて扉を開け追いかけたい気持ちと、このまま布団を被って丸まっていたい気持ちとかせめぎ合っている。
 一日一緒にいて、それでも会いたいと電話をしてくるのがただの打算ならば、この世界の誠意や愛情は全て、打算と思惑に虚飾を被せたものと見分けがつかなくなってしまう。あるいは仕事ならば、そういうこともあるのだろうが。
 趣味が悪いと、自分でも思う。
 野分も大概、趣味が悪いが、氷川も他人のことは言えない。もっと扱いやすくて、底意のなさそうな人物なんていくらでもいるはずだ。それなのに、やはり扉を開ければ良かった、手を伸ばせば良かったと悔いてしまう。どう思っているのか、意識して考えれば、感情は勝手に答えを出してしまう。
 触れたい。
 それよりも確かなことなどありはしない。

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