嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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橘祐也

文化祭の前に 4:ライブの誘い

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 夜中の二時まで練習した帰り道、思い出したように声を上げて、橘が氷川の隣に並んだ。降りしきる雨が、傘の上で不規則なリズムを刻む。水跳ねに気をつけながら、歩調を揃えた。
「ねえ氷川くん、土曜日の午後って用事ある?」
「土曜日、明後日? 生徒会とクラスの展示の準備くらいだけど」
「なら、それ休んで外出しない?」
 雨粒がアスファルトに叩きつける中、橘の声は不思議と響いて聞こえた。氷川は困惑して足を止める。引きずられるように立ち止まって、橘が振り返った。
「駄目かな」
「迷惑にならない?」
 文化祭実行委員や生徒会執行部の役員、あるいは文月たちクラスメイト。誰だって人手が必要なはずなのに、抜け出したりなんてしていいんだろうか。氷川の問いに、橘は苦笑めいた吐息を漏らした。
「なるかも。でも、俺には凄く大事な用事だし……氷川くんにも見せたいんだ」
「見せたいって、何を」
「奇跡みたいなものを、かな」
 具体性に欠ける言葉に、氷川は眉をひそめる。橘の冷たい手が、氷川の手をぎゅっと握った。硬い指先が僅かに震えているのは、夜風の冷たさのせいか、それとも緊張でもしているんだろうか。傘の中で、彼の表情は見えない。足音が遠ざかって、戸田達に置いて行かれたことだけがわかった。
「奇跡、みたいなもの」
「少なくとも、文化祭の準備するより勉強になることは保証するよ」
 袖が濡れたのか手を引っ込めて、橘が穏やかな声で断言する。まるで導かれたように、氷川は頷いた。彼が見せたいものがなんなのか、興味もあった。
「行く」
 端的な返答に、彼が傘を揺らした。笑ったのかもしれない。傘の端からばたばたと滴が落ちて、それは氷川と橘の服を濡らした。

 土曜日。半日授業を終えた氷川は、橘に急かされるまま全ての準備をキャンセルして帰寮した。動きやすく、着脱しやすい服装でという指定に従い、カットソーとシャツを着込み、掴んだトートバッグにカーディガンを突っ込む。この頃すっかり、夜は冷えるようになった。
 寮の玄関に向かうと、橘は既に待機していた。黒いカーディガンとブラックデニムに、背中のメッセンジャーバッグも黒。中に着た黒地のカットソーのドット柄だけがカラフルな原色だ。あまり橘のイメージにそぐわないコーディネイトだなと考えながら声をかけた。
「お待たせ、橘くん」
「や、こっちこそ急かしてごめんね。辰彦さんと貴幸さん来てるから、合流してからご飯にしようと思ってるけど、お腹空いてる?」
「大丈夫」
 実のところそれなりに空腹ではあるが、耐えられないほどではない。それよりも、橘が挙げた名前のほうが気になった。向井辰彦と早坂貴幸は、橘の地元の友人と従兄弟だ。仙台から、何の用事で出てきたのだろう。
 部屋から出してきたデッキシューズに足を突っ込み、内履きを下駄箱に入れて外に出る。一昨日までの雨が嘘のような快晴で、陽射しがきつい。
「向井さんと早坂さん、なんの用事で来てるの? 今日は何処いくの?」
 バス停までの道すがら訊ねると、橘はああと呻くように言って空を仰いだ。
「ライブ、なんだけど。氷川くん、ロックバンドのライブ経験は?」
「UKの来日公演は行ったことあるよ。あと、エヴァネッセンスも」
「邦楽は?」
「ない、かな。邦楽なの?」
「うん。邦楽って聞く?」
「ごめん、あんまり。ロキノン系? それともメタルとか」
「謝らなくていいけど、あのね、あの……ヴィジュアル系、なんだけど」
 もの凄く言いづらそうに口ごもり、重い口調で橘が言う。氷川は目をまたたいた。ビジュアル系。それは主に女性をターゲットにしたジャンルではないのだろうか。アイドルではなくとも、限りなくそちらに近い類いの。
 戸惑う氷川の手を、橘が掴んだ。引きずるように歩みを進めながら苦笑する。
「まあ引くよね」
「いや、その、ごめん。ええと、あれだよね……」
 知識を総動員し、覚えのある名前を幾つか出すと、橘が安堵した表情で三回ほど頷いた。
「そうそう、その辺り出して貰うと安心するね。エアバンドはバンドじゃないって説明しても皆なかなか分かってくれないから」
 少し嬉しそうな声音で、橘が繋いだ手を振る。実は名前しか知らないとは言えずに、氷川は気になったことを訊ねた。
「橘くんは、ビジュアル系が好きなの?」
「うん。女の子みたいでダサいと思う?」
「や、正直よく知らないジャンルだから。以前ヴァッケンに出てたバンドもいたって読んだし、ちゃんと音楽やってる人もいるんだろうけど」
 ヴァッケン・オープン・エアは、ドイツで行なわれるヘヴィメタル・フェスティバルだ。近年こそ日本代表という名目で数バンド出演しているが、それ以前のラインナップに、ビジュアル系だと紹介されているバンドがいた。海外フェスに呼ばれたからどうということでもないのだろうが、気には留まる。少なくともオリコンチャートの上位をアイドルと争ったり、音楽番組でにこやかなトークと当て振りを披露する姿よりは好感を抱きやすい。とはいえ、名前も覚えていないのだが。
 橘はそっかと笑って足を止めた。いつの間にかバス停に着いていた。バスが来るまで、定刻通りであと十分ほどだ。
「俺、仙台出身でしょ。結構有名な、宮城出身の人たちがいるんだけど」
 彼が出したバンド名には聞き覚えがあった。確か、と記憶を探る。
「名前は知ってる。アニメのオープニングかなんかで」
「タイアップしてたね。あの人たちさ、震災の後でどこもかしこも自粛ムードになって、火が消えたみたいな東北に来てくれたんだよ。しかも前日に、津波の被害に遭ったお宅の復旧のボランティアして。プロの、凄く人気のあるミュージシャンがだよ。それ知って、なんか気になってね、ちゃんと聞いたら凄く凝ってて、格好いい音楽やってる人たちも沢山いてさ。ステージセットとか衣装とか写真とか、舞台みたいで面白いし。気付いたら大好きになってたんだよね」
 本当にジャンルが好きなのだろう、橘は嬉しそうに笑顔で話してから、はっとしたように口元を押さえた。
「ごめん、一方的に。つまんない話だったよね」
「ううん。橘くん本当に好きなんだね」
「う、ん。前のバンドもヴィジュアル系だったし、あの、それでね」
 言い止して、橘がちらりと氷川を見遣る。話の展開が読めて、氷川は僅かに構えた。会話を中断させるカードは手元に何枚かあるが――たとえば行き先を尋ねるとか、一番好きなバンドを訊ねるとか――どれも先送りの効果しかない。黙ったまま目顔で先を促すと、橘は頷いた。
「次のバンドもヴィジュアル系で、って思ってるんだよね」
「ええと、それはつまり」
 氷川は道の左右に視線を走らせる。バスはまだ来ない。しばし黙考し、観念して口を開いた。
「俺にもやろうよって言ってる?」
「と、いうか、もし考えてくれるなら、その可否も一緒に考えて欲しいな、みたいな」
「もし、絶対に嫌だって言ったら?」
「その時はよくあるJロックで活動するよ。そっち方面は知り合いいないしツテもないから大変そうだけど、氷川くんとやれるなら余裕」
 至極当然のように平然と言われて、橘の誘いの重みでずしりと肩に重圧がかかった気がした。とても軽々に返答などできそうもない。改めてそう思い知った。
「よく、考えるね」
「うん。いい返事を期待してるから」
 バスが着いた。乗客の少ないバスに乗り込み、並んで座る。なんというバンドを見に行くか聞けたのは、駅に着いてからだった。

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