嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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神森竜義

勉強会 1

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 文化祭が終われば今年のメインイベントは残す所、二学期の期末考査くらいだ。ミッション系の学校ではクリスマスミサとパーティーを執り行う例もあるらしいが、この学校にはそんな洒落たものはなく、むしろ天皇誕生日には年末年始休暇に突入している。学校は休みでも、学内で冬期講習が開催されるので、生徒も教師も普段通りの生活を送るらしいが。
 そんな先のことはさて置き、問題は二学期の期末考査だ。目の前に立つ神森を見て、氷川は頬を撫でた。十一月下旬、今二人がいるのは放課後の教室だ。生徒会の前にB組に来たらしい神森は、まだ多くのクラスメイトが残っているというのに躊躇なく教室に入ってくると、氷川に声を掛けた。
「勉強会?」
「ええ。野分も橘も今回は危ないそうですし、僕も同様ですので、是非ご一緒して、ご教授いただけないかと」
「俺は人に教えられるほど頭良くないよ」
 一緒に勉強しようという誘いではなく、一緒に勉強して教えてくれという誘い方に苦笑しつつ、軽く首を振る。神森は困ったように眉根を寄せた。
「そこをなんとかお願いできませんか」
「いや、教わるなら先生や先輩……は無理でも、Aクラスの人とかのほうがいいって」
「個人的に頼めるほどの相手はいないんです、彼らは彼らで成績を落とさないために必死ですし」
 それでは自分はいいのか、そんな風に切り返す前に、神森が指を一本立てる。
「昼食のご用意くらいはしますから、お昼休みと放課後を貸していただけませんか」
 魅力的な交換条件に、氷川は口を閉じる。昼食代は、実際馬鹿にならない。学食でも購買でも、出ていく金額に差はあれど安くはない。それが神森が作ってくれるなら、出来たての美味しい食事を味わえるわけだ。
 誘惑に弱い自分を自覚しながら考えていると、神森がもう一度頭を下げた。
「助けると思ってお願いします」
 だめ押しに、氷川は息を吐いた。
「教えるのは無理だけど、一緒に勉強するっていうなら、いいよ」
「ありがとうございます」
「いや、お礼言う所じゃないからね」
 目上の相手にするような態度に釘を刺す。氷川はあくまで友人と勉強会を開くことを了承しただけで、講師役を引き受けた記憶はない。
「それで、場所と時間は?」
「明日の放課後から、生徒会室で」
「私用で使って良いの?」
「本来はまずいですが、他に適切な場所もありませんし。しばらくは行事の準備などもありませんので」
 堂々と本当は駄目だと言われて、氷川は唇の端を引きつらせた。以前、野分が神森は潔癖だと言っていたが、意外とそうでもないようだ。まあ、自習室や教室は他の生徒も使いたいだろうし、無難な選定ではあるが。
 そのあたりに言及するのも野暮なので、別の思考を口にした。
「それにしても、珍しいね。神森くんがこういうこと言いに来るの」
「言い出したのが僕だからですよ。だから、お礼も僕から出すのが筋でしょうし、お願いするのも人に頼むのは気が引けます」
 なるほどと頷き、そしてやはり意外だと心中で思う。神森とは美術部の事件とその後の文化祭準備で関わりが増えたものの、そこまで関係が深くなった気はしていない。それなのに勉強会をしたいと勝手に企画するほど、どんな心境の変化があったのか。それは今ここで訊ねるようなことでもないので、考えるだけに留めた。
「とりあえず、わかった。明日の放課後、生徒会室に行けばいいんだね」
「お願いします。お昼は寮の食堂にいらしてください」
「教科書を持って?」
「できれば」
「いいよ。お邪魔させて貰うね」
「よろしくお願いします」
 深々と頭を下げて、神森は早足で出て行った。委員会の時間が近いのだろう。思いがけず話し込んでしまった。
 名目はどうあれ、教える側になるんだろうな、そんなことを考えながら、氷川は帰り支度を再開した。
 不意に、頭の隅を影のようなものが過ぎって、氷川は顔をしかめた。そのまま、手にした数学の教科書を鞄に収める。
 神森に言われたのと同じようなことを言われた記憶がある。そう昔のことではない。ほんの、一年半ばかり前だ。神森の頼みを応諾した理由には、少なからず、同じ轍を踏みたくないという感情が含まれていた。
 ――氷川、勉強教えてよ。
 ――氷川って頭良いんだな。なあ、課題見せてくれよ。
 ――課題写させてくんね? 今日当たるんだ。
 前に通っていた学校では、氷川は今よりも成績順位が上だった。学年で十位くらい、クラスでは二、三番目くらいの位置だった。一番ではないことが逆に親しみやすさを感じさせたのか、入学して最初の頃は、そんな風に言われることがよくあった。しかし、氷川は一度してその頼みを聞き入れなかった。
 ――悪いけど、人に教えるのは苦手なんだ。
 ――課題は自分でやらなきゃ意味ないよ。
 殊更に冷淡な言い方をしたつもりはない。しかし、他力本願な頼みごとや、遊びの誘いを無下にし続けたのは事実だ。言い訳をするならば、氷川にも理由はある。氷川は資格取得の勉強に必死だった。学業成績を落とすことなく、高校在学中に日商簿記の一級に合格するためには、勉強時間はいくらでも必要だった。だから、クラスメイトに何を言われても応じることはなかった。
 ――なんだよ、付き合い悪いな。
 ――感じ悪い言い方しやがって。
 ――ちょっと成績良いからって調子乗ってんの?
 そんな風に罵られ、挑発されても、相手にはしなかった。それがやがて、暴力を伴う悪質な嫌がらせに発展するまでは。
 胸に浮かんでは消える記憶に、氷川は大きく息を吐いた。思い出したくもないし、実際、ここ半年はほとんど思い出さずに済んでいた。神森が悪いわけではないが、契機となったのは彼からの誘いなのは確かで、つい恨めしく思いたくなる。もう浮上しないでくれと強く願って、止まってしまった手を動かす。それでも投げつけられた心ない言葉は、しばらく頭から離れなかった。

 翌日の放課後、生徒会室に向かうと、既に生徒会執行部役員二年生が勢揃いしていた。
 生徒会室は普通の教室を衝立で区切って使用している。入ってすぐの側には会議用だろう長机や来客用のソファがあり、作業空間は衝立の向こう側に隠されているらしい。
「お邪魔します」
「お待ちしてました」
 ボランティア活動の説明などで何度か来たことはあるものの、役員でもない氷川には慣れない空間に戸惑っていると、橘が笑顔で手招いてくれる。長机に近付くと、机を囲んだ彼らの前に広げられているのは教科書や問題集やノートの類いだった。
「本当にここで勉強していいの?」
「活動日じゃないし、打ち合わせとかもないから大丈夫だよ。座って座って」
「うん、失礼します」
 空いていた一辺に座る。普段は役員が使っているだろうパイプ椅子が、ぎしりと軋んだ。
「何の科目やるとか決まってる?」
「とりあえず数学かな。暗記は一人でできるし、自分だけだと詰まりやすいところから行こうと思って。氷川くんの得意科目と苦手科目は?」
「数学はそこそこいけるよ。国語系は苦手だけど、英語は最低限できるつもり」
「理科の選択、物理だったよな。得意か?」
 問題集を開きながら、野分が思い出したように訊ねてくる。氷川は少し考えて、首を捻った。
「得意って程でもないけど、まあまあかな」
「よかった。俺ら物理なんだけど、神森が毎回赤点スレスレなんだよ。俺もイマイチわかってないし、時間見繕って基礎から頼むわ」
「あ、俺も物理は波動あたりが全然だから教えて貰えると助かる」
「よろしくお願いします」
 三方向から順に頭を下げられて、氷川は唇の端を引きつらせた。
「俺だって物理は別に得意じゃないんだけど……まあ、よろしく」
 帰寮したら物理の復習を重点的にやろう。そう決めて、氷川は数学の教材とノートを取り出した。本当は教員に教えて貰えればいいのだが、彼らも今の時期は忙しい。神森たちならば最上級生にも知己がいるだろうが、三年生は現在、受験シーズンだから頼れない。畢竟、自分で乗り越えるしかない。
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