嘘の多い異邦人と面倒見の良い諦観者たち

村川

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神森竜義

彼のご飯と、それから 1

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 診療所が開く時間に合せて、整形外科に行った。内出血が青あざになっているのを診た医師に、休日診療を利用しなかったことを怒られたが、レントゲンで確認した結果はただの打撲だった。
「どうでしたか?」
 診察を終えて待合室に戻ると、神森が心配そうに訊ねてくる。彼は本当に付き添いでやって来た。正当な遅刻理由になっているかが心配だ。
「打撲で、全治二週間。腫れが引くまでは安静にして、お風呂はシャワーで済ませること、だって」
「そうですか、骨折や内臓に異常がないなら何よりです」
「内臓は経過観察らしいけどね。痛みが引かなかったらまた来いって。もしかしたら沢山着込んでたから、ちょっとはダメージが減ったのかも」
「それでも、臓器は見えない部分ですからね。何もないといいのですが」
 神森が痛ましげに眉をひそめる。ごく自然に腹部に伸ばされた手は、触れる寸前でぴたりと止まった。そして慌てたように腕を引く。音がしそうな勢いに、自然と笑いがこぼれた。
「触るくらいなら平気だよ。押すと痛いけど」
「いえ、失礼いたしました」
 恥じ入ったような謝罪をされると、こちらまで居心地が悪くなってしまう。タイミング良く名前を呼ばれて、氷川は慌てて立ち上がった。
 診断書と処方箋を受け取り、領収証を出して貰って支払いを済ませた。保険証と診察券をレシート共に財布に仕舞い、神森の所へ戻る。彼は既に防寒具を着込み終え、氷川のコートを広げていた。昨日とは逆の立場だ。確かにこれは、フォーマルな場でサービスされるのとは感覚が違って気恥ずかしい。
「行きましょう。今車を呼びました」
「手際がいいね」
「慣れですよ。薬を受け取っている間に着くでしょうから」
 神森はさらりと流して、氷川の肩にマフラーを掛けた。
 診療所の隣にある調剤薬局で湿布薬を受け取り、領収証をもらって清算を済ませる。出入り口付近で車を待つ間、神森が思い出したように口を開いた。
「そういえば昨夜、弁護士の先生に電話で相談しましたが、氷川くんがお嫌でなければ早めに被害届を出したほうがいいとおっしゃっていました。診断書もありますし、今から行きますか?」
「被害届?」
「ええ、診断書がありますから傷害ですね。受理されるかはともかく、警察に相談した実績はあるほうが良いとのお話でした」
 神森に言われて初めて、暴力行為は警察沙汰になる事件なのだと気付いた。弁護士に相談すると言われてもなお、その認識がなかったのは、あれがいじめの延長にあるものだと認識していたからだ。考えてみれば、場所が学校だろうが道端だろうが、暴力は暴力なのだが、不思議と教育現場でのそれは事件とは捉えない風潮があるらしい。
 被害届が受理されれば、事件化することになる。氷川はしばらく考えて、首を横に振った。
「親に相談してから決めてもいいかな」
「構いませんが、届けを出さなくとも、話だけでもしておいてはどうでしょう」
「神森くんはそうしたほうがいいと思うんだね」
 ええ、と神森がこともなげに頷く。氷川は眉を寄せて視線を落とした。
 二の足を踏むのは、警察と関わった経験がないからだ。今まで、警察官と接したのは出前授業の交通安全教室や防犯講座くらいしかない。交番の前を通ったり、巡回の警察官を見たりはしても、交番にも警察署にも入ったことはない。結果、どのような気構えで対すればいいかが想像できないのだ。
 氷川は荷物を持たないほうの手を握り込んだ。ここで避けても、どうせ遠くないうちに行くことになる。それなら今、行ってみたところで問題はないはずだ。
「じゃあ、行ってみる」
 そう答えると、神森は何故か嬉しそうに微笑んだ。
「それでは、ひとまず駅前の交番に行ってみましょう」
「うん。よろしくね」
 当事者ではないためか、それとも弁護士を抱えている神森の実家は警察の世話になることもあるのか、神森は落ち着いた様子を崩さない。彼がいるなら安心だと頷いたのだが――結果として、交番にいた警官は話を聞くだけだった。氷川と神森が未成年なためか、氷川と加害者の関係性のためか、被害届を出すかどうかさえ訊かれることなく帰されてしまった。
 相談した実績しか作れなかった交番を辞し、神森が手配してくれたタクシーで帰校する。学院に着いた頃には十一時に近くなっていた。
「午後の授業は出られそうだね、良かった」
「そうですね。少し早いですが、昼食にしましょう。僕と同じメニューでよろしければ御馳走します」
「あ……それ、久しぶりな気がする」
 二学期の期末考査の勉強をしている間は、いつも神森に昼食を振る舞って貰っていたが、試験期間以降はその機会もほとんどなかった。試験期間は昼から寮の食堂が開いているし、年末年始休暇も同様で、場所と機会がなかった。そして休み明けは、そういう雰囲気でもなくなっていた。
 皮肉でも何でもなかったが、神森は少しだけ苦く唇を歪めた。
「和食がよろしければ、校内の食堂に行きますが」
「そんな我儘言わないよ。神森くんがいいなら喜んでご相伴にあずからせて貰いますとも」
 前言撤回しそうな神森に、冗談めかして告げる。彼は少し驚いたように目を見張ってから、軽く頷いた。
「良かった。では荷物を置いたら食堂にいらしてください」

 神森が作ってくれたのは、きのこと大根おろしの和風パスタだった。セロリと人参の浮いたコンソメスープと、水菜のサラダを添えて、箸を渡される。洋風なのか和風なのかわからないが、和食ではないことは確かだ。
「大根おろしは消化にいいんです。火を通せば辛みも抜けますから」
「内臓の調子は悪くないよ。でも、気を遣ってくれてありがとう」
「昨日の夜は何も召し上がっていないんでしょう。朝食も召し上がらないそうですし、いきなり重いものが入ってきたら胃が驚いてしまいます。それに、目の下に隈ができていますよ、ろくに寝ていないのでしたらなおさらです」
 神森に指摘されて、氷川は頬を撫でた。
 確かに昨夜は何も食べなかった。腹部の痛みと重さで食欲がわかず、眠りも浅かった。以前は痛みをどうやり過ごしていたのかとも考えたが、そもそも暴力を奮われるようになってからも学校に通い続けるほどの強靱な精神を持ってはいなかった。
 今となっては、恥じ入る必要もない、ごく自然な防衛行動だったと認識できる。しかし当時は自分が情けなくて、恥ずかしくて、苦しくて仕方がなかった。そしてその原因が、昨日の二人を筆頭とする数人の同級生たちだ。
 食事を終え、洗い物を済ませた神森が、氷川の前に手帳とペンを寄せた。
「昨日の彼らの名前と所属高校、もしお分かりでしたら学年とクラスを書いて頂けますか」
「大した怪我じゃなかったし、そこまでしなくても……ほら、警察官さんも保護者を通して話し合ったほうがいいって言ってたし」
「あれは警察の怠慢です。確かに全治二週間の打撲は大怪我とは言えませんが、それ以前に氷川くんは彼らのせいで転校までする羽目になっているんですよ。本来でしたら過去に遡って慰謝料を請求してもいいところでしょう。最低限、今回の治療費と、今後のために二度と関わりを持たない旨の誓約書くらいは書かせるべきです」
 及び腰の氷川を叱咤するように、神森がつらつらと述べる。氷川自身のために氷川を説得しようとする神森の言葉には熱意が籠もっている。彼は本来はこういう、熱心な人なのかもしれない。
「俺としても、関わり合いにならなくて済むならそのほうがいいけど……俺は謝って欲しいわけじゃないんだよ。二度と顔を見たくない。近付きたくない。でも、治療費や慰謝料を請求するって言うのは、自分から関わるってことじゃない?」
「手続きは全て弁護士が行ないます。窓口は僕です。氷川くんにも弁護士とは面談していただくことになるでしょうが、個人的に相手方との連絡を取る必要はありません。最終的に誓約書と必要経費を受け取れるまでは、待っていてくだされば結構です」
「どうして……そこまでしてもらう理由がないよ」
「ありますよ」
 弁護士を頼むならば、費用は決して安くない。民事訴訟で勝訴すれば相手方に負担させることも可能だろうが、示談の場合はどうなるかわからない。金銭的な負担が掛からずに済んだとしても、手間暇がかかるのは変わらない。それで得られるのは、神森の安寧ではないのだ。困惑を隠しもせずに眉をひそめた氷川に、神森がゆったりと口元を緩めて反駁した。
「僕が、氷川くんのために何かしたいと思っているんです。それでは理由になりませんか。僕のしようとしていることは、無用な……迷惑なことですか?」
 切れ長の瞳が伏せられると、寂しげな風情になる。それに圧されて納得しかけたが、それでは何故、力を貸そうとしてくれるのかの説明にはなっていない。そこまでして貰えるほどのことをした覚えはない。だが、問い詰めるのも妙だし、これ以上訊いても納得できる返答が得られる木がしなくて、氷川は逡巡の末に背筋を伸ばした。
「迷惑なんて、そんなことないよ。じゃあ、お言葉に甘えて、お世話になります。ご助力のお申し出、心から感謝申し上げます」
「良い成果が得られるよう、尽力します。名前を書いて頂けますね」
「うん」
 再度促されて、氷川はペンを取った。彼らが在籍しているはずの学校名と学年次、そしてフルネームを記入する。忘れてしまいたいと思っていても、確執のある相手の名前は不思議と忘れられないものらしい。自然と漢字で表記することが出来た。
「これでいいかな」
「確かに。今度、弁護士の都合のつく日に一度面談して頂くことになると思います。実家が懇意にしている先生ですので、構える必要はありません。医師の診断書や、各種領収証などが必要になるでしょうが、それも日程の調整がついた時に指示があると思いますから」
「わかった。お手数掛けてごめんね」
「僕から言い出したことです。氷川くんはただ巻き込まれただけだと思って、のんびりしていてください」
 どうしても腰が低くなってしまう氷川を困ったように見て、神森がリラックスさせるように告げる。そして視線を壁に走らせた。つられて目を向けた先にはアナログの時計が掛かっている。時刻は十二時半を少し回った所で、まだ昼休みの最中だ。
「さて、話も纏まったことですし、午後からは授業に出られそうですね。行きましょうか」
 移動を促して、神森が席を立つ。あ、と声を漏らして、氷川は神森を見上げた。
「待って。その前に、話したいことが……謝りたいことがあるんだ」
 そう引き止めると、彼は小さく首を傾げてから座り直した。
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