長野ヨミは、瓶の中で息をする

橘花やよい

文字の大きさ
6 / 53
第一章 ヨミ、失恋中の大学生に出会う

(六)

しおりを挟む
「相当好きだったんですね、彼女さんのこと」
「好きだったんですよー」

 ポケットティッシュを差し出した。まぶしいなあ、涙でさえきらきらしている。

 顔はよし。性格も、たぶんよし。そんな千田と別れることを望んだ彼女は、どんな理由を抱えていたのだろう。

 会って一時間ほどしか経っていないから、千田のことは全然知らないし、もしかしたら裏の顔はとんでもない男だったりするのかもしれないけれど。

 ……いや、なさそうだな。人畜無害なオーラがだだもれている。泣いている姿は情けないと言えるけれど、それも愛嬌のひとつだと思う。と、ヨミは思うけれど、捉え方はひとそれぞれだろう。元カノさんはそうは思わなかったのかもしれない。会ったこともない元カノさんの考えなんて、それこそヨミにはわからないけれど。

 さて、どうしたものか。

 さすがのクールな双子店員たちも、こちらを興味深そうにうかがっている。これではヨミが泣かせたみたいだ。小さな町では噂もよく広がる。年下男子を泣かせたなんて知人に知られたら困りものだ。

 嫌いになったわけではないのに、別れることになった恋人たち。

 ヨミは想像してみる。想像でしかない。けれど頑張って考えてみる。それがいまのヨミにできることだ。多分、無駄なポジティブ能力を活かす場が来ている。

「千田くん」
「はい」
「水、飲みますか?」

 ヨミは、水入りのボトルに手を伸ばした。お願いしますとうなずく千田のグラスに、水を注ぐ。こぽこぽと最初は勢いよく。途中から慎重に、すこしずつ。ボトルシップを作るときと同じくらい集中して。コップの中の水位が上がる。

「……あ、あの、お姉さん」
「なんですか?」
「ちょっと入れすぎでは」
「まあまあ遠慮なさらず」
「いや、そういう問題じゃ」

 表面張力がんばって。グラスの縁よりもこんもりと。あふれる一歩、いや半歩手前まで。まだいける、ファイト、もうちょっと。

「お姉さん、こぼれますって……!」
「さて千田くん。人間関係って、与えるものと与えられるものの関係だと思うんですよ」
「はい?」

 ボトルを置いてヨミは言う。グラスからは一滴の水もこぼれていない。完璧な注ぎっぷりに満足。

 それで、だ。

「相手を幸せにしてあげたいし、自分も幸せになりたい。それがいいバランスで成り立っていると、人間関係も良好に築かれていくんだと、わたしは思うんですね」
「はあ。えっと、なんの話ですか?」

 千田が困惑の目を向ける。驚きで涙は引っ込んだようだ。

 ヨミは千田の彼女の顔も名前も知らない。だから本当のところはよくわからないけれど、ここは一度、千田の言葉を信じてみる。嫌いになって別れたわけではないのだと。だとしたら、たとえそれがヨミ特有の妙な方向に注がれたポジティブだとしても、ただの想像だとしても、ヨミはこう考える。

「彼女さんはきっと、幸せでいっぱいいっぱいなんですよ」

 水があふれそうなグラスは、あと一滴でも注げば、均衡が崩れるだろう。

「わたしが思うに、これ以上の幸せはいらないですって、そういう状態なんだと思うんですよね。人は与えられすぎても、許容量を超えたら受け取ることができなくなるから」

 ほらこれです、とグラスを示す。

「彼女さんは幸せがあふれてしまって、もう受け止めることができなくなったんじゃないでしょうか」

 窓からの光がさして、水が光を反射した。千田はたっぷりと時間をかけて瞬きして、首をかたむける。

「それは……、だめなことですか? だって、幸せなんですよね?」
「そう、幸せです」

 とても幸せ。
 でも。

「幸せを浴び続けると、人間は不安になるものですよ」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

処理中です...