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番外編

管財人の後始末

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 借金と言っても様々な種類がある。
 金を金貸しから借りるのは、純然たる借金だ。
 払えない金を待ってもらうのは、借金ではなく負債と呼ぶのが正しいのだろう。

 リュース伯爵家はそのどちらも抱えている。
 使用人への賃金や、現金を用意しなければ手に入れられないものを買う金を借り入れ、納めるべき税金や掛け払いの代金を待ってもらうのは日常。
 せめて決められた期日までにその支払いを済ませることだけが、伯爵家に残された矜持と言っても過言ではない。

 かつてはその支払いすらままならず、期末にはたくさんの請求書が机の上に積みあがったものだ。
 借り入れ先もよく調べぬままに飛びついたので、ずいぶんと高額な利子を支払っていた時期もある。

 そんな窮状が一変し、楽になったのは数年前。

 様々なところからこまごまと借りてしまい膨れ上がった利子の支払いで手一杯になっていた借金を良心的な利率で商売をしている金貸し業者にまとめられた。
 支払い先が一つになったおかげでわい雑だった業務からずいぶんと解放された。

 払わなければならないものはなるべく後回しにしないようにしたことで、後で苦しむことが減った。
 月賦での購入はしないと決めてしまえば楽だということを思いつきもしなかった。

「全部お嬢様のおかげだなぁ」

 シェザムはしみじみと呟きながら手元に残る借用書を片付けている。
 そのどれにもロロナの名前が署名してあった。

 てっきりすべて金で解決しなければならないものばかりだと思っていたその借用書だったが、冷静になって文面をよく精査してみれば、ロロナ名義で所有しているものを担保にしているものが少なくなかった。

「それらを問題なく引き渡すという書面一つで解決か」

 もはや苦笑いしか浮かばない。
 ロロナは自分がいなくなった後のことをしっかりと考えていたのだ。
 きっとそれは王太子妃として嫁入りした時のことを想定していたのだろう。
 思い至った事実に、胸の奥が苦しくなり、喉の奥から苦いものがせりあがってくる。

 本当なら。
 本当なら手放す必要のないものがほとんどだ。

 ロロナが最初に売り払ったのは、実の母親から引き継いだ装飾品だと聞いている。
 シェザムが伯爵家の窮状を訴えた直後、ロロナは装飾品を二束三文で売り払いその金をシェザムに渡してくれた。
 後からその事実を知り、どれほど後悔したことか。

 その後も、ロロナは母親が遺していた様々なものを手放した。
 ドレスに宝石、そして別荘。
 そのお金を元手に貴族令嬢でありながら市井で商売を行い資産と信用を得た。

 王家からの恵賜品は下手に換金すれば不敬罪に問われることもあり、保管してあるものが多かった。
 ロロナはそれらを借金の担保に据えていたのだ。
 王家に嫁いだ後であれば、たとえ手放したとしても問題にはならないだろうから。

 どこまでも思慮深くあったロロナの高潔さが、今はただ哀しい。

「まるですべて計算されていたような気さえしてきます、お嬢様」

 いざという時のためだと借金の返済には充てずに蓄えていたものと、色々と売り払って手に入れた金を合わせれば借用書として形に残っているものはすべて清算できそうだった。
 むしろ、ほんのわずかだが余裕すらある。

「……」

 二度と戻らぬつもりで伯爵家を出たシェザムは、目的の場所に向かう前にある小さな店を訪れた。
 そこは貴族が急な金を用立てるために貴金属などを換金する、いわゆる質屋だ。
 リュース伯爵家もずいぶんと世話になった。

「おや、あんたは」

 すっかり顔見知りの店主はシェザムの顔を見て「おや」という顔をした。
 客の私情には首を突っ込まない主義である店主が出した感情に、シェザムは苦笑いを浮かべるしかない。

「ご主人。あれを買い戻しに来ました」
「ああ」

 シェザムの言葉に店主は目を見張り、それから大きく頷いた。
 店の奥に消えた後、店主が抱えてきたのは小さな箱だ。

「……本当なら、祝儀のつもりで渡すつもりだったんだがな」

 ぽつり、とこぼされた言葉。

「金はいらんと言ってもお前さんは納得しないだろうな。それに黄泉への餞に金を出すのは生者が生きていくために必要なことだという。決別代を惜しめば、ずっとそれを後悔することになる」

 普段は無口な店主の長いおしゃべりは、きっとシェザムを慰めようとしているのだろう。
 その優しさに視界が潤む。

 それでも提示された金額は昔シェザムが約束したものよりずっと安い。
 ここでごねるのは店主の好意に泥を塗ることだと知っているシェザムはおとなしく代金を払った。

 受け取った箱は小さくて軽い。
 だがきっと、これを手放した時のロロナにとっては重いものだったに違いない。

「ありがとうございました」

 ロロナが母親の形見を手放したと知ったシェザムは自分の金を握り締め、この質屋を訪れた。
 一番気に入っていた髪飾りだけでも取り返してあげたかったのだ。

 だが店主はそれを拒んだ。

「これはあのお嬢ちゃんが担保としておいてった品だ。期日まではお嬢ちゃん以外には渡せない」

 はっきりとそう告げられてもシェザムは食い下がった。
 きっとロロナにはこれらを買い戻しに来る日は来ない。だがきっといつかそれを悔やむ日が来るから、自分に譲ってほしい、と。

 その必死さに店主はある条件を提示した。
 もし質流れの期日を過ぎてもロロナが買い戻しに来ないままだったら、シェザムに髪飾りを売ってくれる、と。
 ただしその代金はシェザムの金ではなく伯爵家の金でなくてはならない、と。

 伯爵家の財産状況ではなかなか買い戻せなかった髪飾り。
 ようやく取り戻せたそれをシェザムは万感の思いで見つめた。

「供えてやるのか」
「……はい」
「そうか」

 それ以上の言葉はなく、沈黙だけが二人を包む。
 シェザムは無言のまま店主に頭を下げて、質屋を出た。

「お嬢様、もう少しだけお待ちください」

 ――これであなたの魂が救われるとは思っていませんが、せめて少しでも安らかに眠れますように。

 祈りを込めるように箱を抱きしめながら、シェザムは前を向いて歩きだした。
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