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07.嘘と真実
しおりを挟む皇帝は、現在宴を行っているはず。それならば、おそらく、太極殿。そこに行けば、きっと、皇帝は居る。
琇華は、悪夢のような言葉を振り払う勢いで遮二無二駆けた。
(金子の為に、妾と結婚するだなんて、きっと嘘よ……)
そう信じて、琇華は駆ける。途中、宦官や女官達に見つからないように、物陰に隠れながら。
掖庭宮の出入り口には、警備の衛士が居たので、どうしようかと思ったが、ふと、ひらめいた。どうせ、琇華の顔など、誰も知らないのだ。ならば、隣国から来た侍女とでも言って、皇帝の所へ案内させた方が良い。
琇華は、意を決して、衛士に声を掛ける。
「もし、お伺い致します」
「おや、あなたは……?」
衛士たちが顔を見合わせた。見慣れない格好をしているからだろう。この国の女官達の、円領(まるい襟ぐり)の上襦とは違って、直領(襟周りが交差しない上襦)に、長裙は胸元まで引き上げて、錦で作ったきらきらしい帯で止めてある。長裙の下には、華やかに薄衣を幾重にも重ねた下裳を着ている。どう見ても、この国の女官には混じれない。
「妾……いえ、わたくしは、堋《ほう》国王女殿下の、侍女でございます。王女殿下から、皇帝陛下に火急、とりなして頂きたいことがございまして、内密に、ご案内頂きたく存じます」
「堋《ほう》国の……」
「ああ、先ほど、こちらに入った姫君だろう」
衛士たちは、顔を見合わせる。戸惑っているようだったので、琇華は、ここでたたみかけることにした。
「何をなさってますの? 早く案内してくださいまし。わたくしの姫さまに、何かあったら、私は、あなた方を道連れに自害するしかりませんわっ!」
顔を覆って肩を震わせる。泣き真似だった。これに引っ掛かってくれるとは思わないが、存外、善良な衛士だったようで、
「侍女殿、そう、お嘆き遊ばしますな。皇帝陛下は、現在、内々の宴でございます。……こっそり行けば、裏口から入れますので」
「まあ、そうですの? でも、わたくし、このお城には、全く不案内ですの。一緒に行って下さらないかしら」
「勿論。……堋《ほう》国からのお客人を、放ってはおけません」
爽やかに微笑む衛士の姿を見て、琇華は、心底、安堵した。すくなくとも、この衛士は、先ほどの女官のように、琇華を侮らなかった。それだけでも、この国に、一人の味方もいないのだという妄想だけは消えていくようだ。
(そうよ、大丈夫、陛下が居るわ)
言い聞かせながら、琇華は、衛士とともに、宴が開かれているという太極殿へと向かった。
太極殿には、さらに幾つも殿舎があると言う。その中でも、瓊玖殿というのが、皇帝の私的な生活を行う為の殿舎であり、皇帝の寝所や湯殿、書斎などを備えている。そこには、花玉堂という広間があって、皇帝が思い立って親しい臣などを招いてささやかな宴などを行う事があるらしい。
「本日の宴は花玉堂のはずですから」
「まあ、ありがとうございます。……ご親切ですのね。もし、よろしければ、お名前を伺いたいわ」
「名前? 私の名前ですか?」
衛士は驚いて、目を丸くした。琇華も、驚く。衛士が、こういう反応を返すとは思って居なかったからだ。
「ええ、聞いてはならない決まりでもありますの?」
「いいえ……普通、高貴な方々は、我々のようなものの名など興味がないのです。我々は、高貴な方々にとって、ただの役割です。私は、ただの、衛士。それ以外の価値はありませんから」
「それは淋しいわ……では、わたくしを、ここまで連れてきて下さった方が、あとでお叱りを受けるとなりませんから、その為に、お名前を教えて下さいな」
これも堋《ほう》国と游帝国の文化の差なのかしら、と琇華は思う。なにしろ、琇華の周りに使えてくれた侍女たちや、門を気軽に通してくれた衛士たちは、みんな名前で呼んでいたからだ。
「では……私の名は、彭機鏡と申します。もし、お咎めを受けそうになった時には、どうぞお取りなし下さいませ、堋《ほう》国の侍女殿」
照れくさそうに笑いながら、彭機鏡は、立ち去っていった。
花玉堂は、殿舎の離れにつくられており、黒い漆で一面塗られた贅沢な殿舎だった。その上、柱や扁額の周りなどは、極彩色の牡丹で彩られており、鮮やかな色彩の対比が美しい。堋《ほう》国では見たこともない、色使いだった。
花玉堂の入り口に立って、琇華は躊躇う。ここで、いきなり琇華が闖入して、楽しい宴に水を差してもならない。どうしようかと思案していると、話し声が聞こえてくるのが解った。
「………しかし、兄上も、良く、蕃国から姫を迎えたな」
豪快な笑い声が聞こえる。会話の流れから察するに、どうやら皇弟のようだ。
(ならば、蒼士殿下……)
「致し方ないだろう。……とにかく、金が必要だった。今すぐに、黄金一万斤など、我が国には、どうしても捻出できない。金の為ならば、何でも出来るさ」
(嘘……)
琇華は、耳を疑った。この、声の持ち主は、間違いなく、皇帝だ。
(金一万斤って……どういうことなの!)
耳をふさぎたくなったが、我慢した。琇華の前では、この皇帝も、真実を語らないだろう。唇を噛みしめて、涙を堪える。
「何でも、ねぇ……わざわざ、姫の為に求婚しろって?」
「まさか」と皇帝は呟いて、フン、と鼻を鳴らした。「あの国王は、ああ見えて、存外、性格が悪い策士でな。でなければ、例の件で、我が帝国に介入しない。おかげで、先帝は退位に追い込まれ、私は、娘を皇后に娶らざるを得なくなった。……あれはな、跪いて、求婚してくれというのは、あの男の嫌がらせだよ」
「嫌がらせ?」
「ああ……意地でも膝を折って礼をしなかった私に、跪かせたくて、あんなことを言ったんだ。流石に、娘は何にも知らない様子だったが……あそこまでお気楽な娘を皇后に迎えるほど、私は暇じゃない。黄金だとでも思わなければ、あんな女を、娶るものか」
言葉の一つ一つが、胸に突き刺さる。
あの、胸がときめくような求愛も、嘘。琇華を気に入っているというのも、勿論、嘘。
「ああ、『黄金姫』だっけ?」
皇弟が嘲笑う。
「我ながら、詩的な名前を思いついたものだろう? ……それ以外に全く価値のない、黄金姫。蒼士、私は、万が一、黄金姫の間に子供が産まれるようなことになったら、処分するからな。肉親の情だとか言って、止めるなよ? お前は、案外情深いからな」
(子供は、処分………それは、妾の子は、殺すと言うこと?)
信じられないことばかり聞いて、いっそ、これは夢の中なのかと、思う。ついさっきまで、あんなに幸せだったのだ。一刻も早く、結ばれたいと、そう言って頬に口づけしてくれたのは、この声の持ち主だというのだろうか。
「しないよ、皇帝陛下の思し召しに従うだけさ。たしかに、蕃国の介入を許す原因にもなりかねないから、子供は処分した方が良いだろう」
生まれても居ない子供が、健やかに育つ可能性を潰されている。その、どうしようもない現実に打ちのめされていた琇華は、(帰ろう)と思った。
(帰ろう。てんんてお父様にお願いして、黄金は差し上げるように言って。妾は、李将軍と一緒に帰る)
そう決意して、歩き始めたときだった。
髪に飾った、金歩揺が、しゃらり、と揺れた。
「だれか居るのかっ!」
激しい誰何の声と共に、小刀が、ヒュッと風を切って飛んでいった。琇華に絣もしなかったが、頬すれすれの所を飛んでいった小刀に怯えて、ぺたん、と尻餅をついてしまう。
「……こんな所まで、賊か? 全く衛士は何を……」
窓から、ひらりと外に出たのは、黒い深衣と漆黒の下裳を身に纏った、皇帝、その人だった。
秀麗な美貌が、琇華の姿を見て、一瞬、虚を突かれたようで、目を見開いたが、すぐに、歪んだ嘲笑に変わった。琇華が知る、皇帝とは、別人のような、嫌な顔だった。
「おやおや、こんなところで、何をなさっているのかね。我が皇后殿は」
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