伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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08.黄金姫に、貧乏皇帝

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 尻餅をついて地面に座り込んでいる琇華しゅうかの腕を、皇帝は引っ張って身体を引き上げる。

 今まで受けたこともない乱雑な所作に、琇華は戸惑った。

堋国おくにでは、夫の話を盗み聞きするのが、良き淑女のあり方なのかな? ……あなたの父上も、大分、耳が早いようだしね」

 見下すような冷笑を浴びて、琇華は、震えが止まらなくなった。いったい、なにが、どうなっているのか、悪夢のようで、訳がわからなくなった。

(誰か、嘘だと言って……っ!)

 琇華の心の叫びなど嘲笑うように、皇帝は言う。

「しばらくあなたには秘密にしておきたかったけれど、まあ、知られては仕方ない。今のが真実だ、それとも、あなたは、私の求婚を、信じたの?」

「し……信じましたっ! だって、妾は………」

「おや、ご愁傷様。ともあれ、あなたは、もはやほう国へ帰ることも出来ない。この国で、何か愉しみでも見つけなさい。間男を引き込んでも構わないよ。先ほど話したとおり、あなたの子供は、全員処分するからね」

 なんという、酷い言葉だろう。

「あなたとは、結婚しません! 妾は、ほう国へ帰るわ! 黄金は、妾からの手切れ金だとでも思って頂戴!」

 皇帝の手を振り払い、きびすを返そうとした琇華だったが、「させないよ」と甘く皇帝が囁きながら、琇華の身体を引き寄せたので、踵を返すことも出来なかった。

「あなたの父上との約束は、黄金の返済は要らない。だから、あなたを皇后にしろというものだった。だから、私は、なんとしてでも、あなたを皇后にしなくてはならないんだよ」

 歪んだ微笑みを、美しい顔に浮かべながら皇帝は言う。

「それで、妾は、黄金代わりだから『黄金姫』なんて、お呼びになったのね」

「中々、気の利いた名前だと思って居るよ」

(なんて酷い人なの!)

 踏みにじられた初恋が、恥ずかしくて口惜しくて、消えて溜まらなくなる。こんな方だと解っていれば、恋なんかしなかった。涙がにじんだが、この男の前で涙ぐむのは耐えられない。最後に残っている、ほう国王女としての矜恃きょうじで、琇華は、しゃん、と背筋を正した。

「お放しになって!」

「あなたも、私を好きに呼べば良い。どうだい? 黄金姫に、貧乏皇帝なんて、なかなかお似合いじゃないか?」

 ふふ、と自虐的に笑う皇帝を見て、琇華、すぅ、と気持ちが冷えて行くのを感じた。

「あなたは、なぜ、そんなにもご自身をいやしめようとなさるの?」

 琇華の言葉に、皇帝の象牙の肌が、サッとしゅいたように赤く染まった。図星のようだった。

「皇帝陛下なのだから、堂々となさっていればよろしいのに」

「私が、自虐だと?」

 こめかみのあたりが引きつっていた。琇華は、震え上がりそうだったが、努めて冷静に答える。

「ええ。妾を黄金姫と仰有るのも、ご自身を貧乏皇帝と仰有るのも……自虐的だわ」

「中々、言うね……そろそろ宴の時間だよ、我が花嫁殿。一度、殿舎へ送ってやろう。ちゃんと、仕度をしておいで」

「そのまま、堋国へ帰りますわ」

「そうはいかない。私は、黄金を逃すわけには行かないんだ」

「いっそ、玉座を売りに出したら如何? 今なら、妾が、黄金百万斤で買ってさしあげてよ」

 皇帝が、何か言いたげに口元を歪めたのを見て、琇華は、悲しくなった。

(もしも百万斤で叶うのならば、時間を戻してあの時の妾に、言ってやるのに。この男は、金子ほしさに、あなたに嘘を言っているだけよ! って……あなたは、この男に騙されるのよって……)

 けれど、そんな忠告は、無意味なことを琇華は知って居た。あの瞬間、琇華は恋をしてしまったからだ。恋心は、止められない。誰にも。琇華自身にも。




 皇帝に手を引かれながら、しずしずと歩く。琇華と皇帝は、端から見れば、似合いの二人に見えただろう。宴の前に、公邸に案内されて、庭院にわを散策しているという風情を、二人は装っている。

 皇宮の庭院は、見事なものだった。瑞々しい緑に溢れながらも、雑草の一本も生えてはおらず、木々は、名工が描いた仙境の木々のように完璧な形に整えられている。陽の光の差し込む角度―――まで考え尽くされているのが解る。

 本来の琇華ならば、この素晴らしい庭を見て、心が躍るはずだが、今、琇華の胸中は、どんよりと、厚い灰色の雲が立ちこめているようだった。

(妾は、この先、一生、この男の幸せな皇后を演じ続けなければならないの?)

 口唇を、噛みしめようとして、取り繕って幽かな笑みを浮かべる。

「……あなたも、災難だね。恨むんなら、自分の父親を恨みなさい」

 皇帝の言葉を聞いた琇華が、幽かな嫌悪感を覚えた。皇帝の言うように、琇華の父王が、こうなるように仕組んだのだとしても、これを受け容れたのは、皇帝自身だ。ならば、皇帝にも、非はある。

「そんなことまで、他人に責任を転嫁なさるの? ゆう帝国で、手が回らなくなったから、蕃国の力を借りなければならなくなったのでしょう? ならば、それは、皇帝陛下の責任だわ」

「はは、手厳しい。何にも知らないくせに、手厳しいんだな」

 皇帝は笑う。琇華は、その笑顔が見たくて、胸を弾ませながら嫁いできたはずだった。なのに、どうして……と、目の奥が熱くなる。

「何にも知らなくても……誰からも、歓迎されていないのは解りましたわ。あなたも、黄金を引き出したいのだったら、妾を歓迎してる素振りでもなさっていれば良いのに」

「そうしていたでしょう。私は」

 確かに皇帝の言う通りだった。ここまで来るときは、皇帝に抱えられて入宮したのだ。頬に口づけまでされて。結ばれるのが待ち遠しいと言われて。

「皇帝をお辞めになって、役者にでもなったら、きっと売れっ子になりましてよ」

「ああ、そうだな……貧しいその日暮らしでも、その方が、よほど良い」

 はは、と屈託なく笑う皇帝の明るい笑顔を見て、琇華は、胸の痛みを覚えた。認めたくはなかったが、こんな男だと解っても、まだ、初恋を捨てる気にはなれないらしいと言うことだった。明るい笑顔を見れば、胸が弾む。もっと、見ていたくて、胸の奥が疼く。

(なのに、妾は、この方にとって、ただの、金子なんだわ……)

 その事実が、琇華の胸を、圧迫するようだった。押しつぶされそうで、息が出来なくて、大きく喘ぐ。

 皇帝は、琇華のことなど、しらんふりだった。



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