伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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29. 皇帝の気まぐれ

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 愁月しゅうげつは、自分の部屋が、琇華しゅうか玄溟げんめい殿にあるので、朝餉の為に玄溟げんめい殿に戻ってくるのは仕方がないことだとしても、同じくるまに乗り込んで、甘い言葉を掛けながら寵妃と共に訪れる皇帝には、今少しの配慮が欲しいものだと琇華は呆れていた。

「皇帝陛下に拝謁致します。本日もご気色よろしいようで、妾も安堵致しました」

淑媛しゅくえん(古淑媛(愁月))がよく仕えてくれているからね。……あなたのほうも……毎夜、琵琶の稽古に精が出るようで。伶人れいじんでも目指していたのかな?」

「妾が伶人でしたら、陛下は、役者ですわね。……二人で、旅回りでも致しましょうか?」

 にこり、と微笑みながら琇華は答えるが、琵琶の音が、瓊玖ぎきゅう殿まで届いていたとは迂闊だと、冷や汗が出る心地だった。

「皇后。さすがに、国中を旅回りなどすることは出来ないが……本日は、少々疲れ気味でね。温泉に行こうと思うから、供をなさい」

「供……ですか? それならば、愁月をお連れすればよろしゅうございましょうに」

 今日に言われて、琇華は戸惑う。

「昼夜の進御では、淑媛が疲れるだろう?」

 まあ、と琇華は、顔が赤くなるのを感じてふい、と顔を背けてから「急に、そんなことを仰せになっては……周りの方々が迷惑するのでは?」と問い掛ける。

「私が居なくとも、学綺がくきが回してくれるよ」

「そのような事を仰せにならずともよろしゅう御座いましょうに……ご命であれば、仰せに従います。それよりも、朝餉が冷めてしまいます。お早く、お席へ……」

「ああ、そうしよう。……玄溟げんめい殿の食事は美味しいからね。ついつい、ここに来てしまう」

「料理人も喜びますわ」

「朝に、玄溟殿ここで食べる粥のおかげで、一日、しっかりと働くことが出来る。とはいえ、なにか料理人に採らせる褒美の一つも持っていないが……」

「妾から、陛下のお言葉と……多少の金子を与えておきましょう」

「済まないね」

 食卓に着席する。食卓には、皇帝と琇華、それに愁月まで同席する。こうして、妃嬪が同席するのは、まず有り得ないことなのだろうが、琇華の希望で、こうなっている。だが、愁月は、居心地が悪そうだった。

 程なく、熱々の粥が運ばれる。

 皇帝は毒味などを経た、冷え切った食事をすると言うわけではない。毒味は通しているが、美味なものを召し上がって頂くと言うことも忘れては居ない。粥やあつものなでは、湯気が立つほど熱々のものが運ばれてくる。

「今日は、干し魚の粥なのだね」

「妾も、食べるのは初めてです。それに、さいも、いろいろと精の付くものが並んでおりますから、どうぞお召し上がり下さいませ」

 琇華が勧めると、皇帝は躊躇い一つなく、青菜の炒め物に手を伸ばす。

「あなたの所の料理人は……この国の料理人だけど……あなたは故郷の料理が懐かしくなったりはしないの?」

「時折、ほう国の料理を作ってくれることもあるので、あまり、寂しさや恋しさはありませんけれど……こちらに来てからは、茶菓子のようなものはあまり食べていないので、お茶会は、懐かしく思って居ます」

「ああ、それで、あなたは、茶会をしたいと言ったのか」

 皇帝は、合点が行ったようだった。

「はい」

(勿論、妾の誕生日だから……責めて、あなたと二人の時間を持ちたい気持ちのほうが大きいけど)

「あなたのような方が、なぜ、茶会を所望しているとおもったら、茶菓子の為か」

 ふん、と皇帝は嘲るように笑う。急に不機嫌になった皇帝の気持ちがわからずに、琇華がオロオロとしていると、愁月が、そっと助け船を出す。

「この国では、いま、優雅に茶の時間を楽しむことも出来ませんけれど……その時間を、陛下と過ごしたいと、皇后陛下は思し召しです」

「ん? ……そうなのか? 皇后」

「ええ。せめて……ひとときでも、優雅な時間を過ごすことが出来たら良いと……」

「ならば、それは、今日で良いな……温泉で、優雅に過ごせば良い。茶菓子など……」

 つきん、と胸の奥が痛んだ。

「お茶会の代わりに……温泉でございますか?」

 皇帝には、なにも教えていなかった。その日が、琇華の誕生日であることなど。

「ゆるりとした時間が過ごすことが出来れば良いなら、温泉でも構うまい。……茶と茶菓子ならば、ここから待たせるよ」

「そ……うですね」

 幽かな痛みを訴える胸を押さえつつ、「では、そのように仕度致します」と瑛漣えいれんに目配せした。

「うむ。……楽しみだな。私も、温泉は、久しぶりなのだ。以前、愁月を連れたから、あなたも連れないと」

「そうでしたの」

 笑顔で受け答えながら、琇華は、気分がしぼんでいくのを感じていた。

(妾は……愁月との思い出の温泉に連れられるより、お茶会が良かったの)

 見当違いな皇帝の気遣いなのか、彼の真意はわからなかったが、とにかく、誕生日の茶会はなくなったのは確実だった。

 作り笑いを浮かべながら、琇華は、朝餉に手を伸ばした。

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