伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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32. 思いがけない事実

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 俥がとまり、「降りるよ」と促されて外へ出る。まだ、山道に入ったような気配はなかったので不思議な事だと思って居たら、あたりには、焼け焦げた建物の残骸が残されていた。

 元々は、美麗な建物だったのだろう。広々とした邸宅は、建屋も七つもあり、それが回廊で結ばれている。内院にわは石畳みで整えられて、水を巡らせていたあとがあるが、今は、緑色の藻と枯れ草が多い茂るばかりであった。

 風に吹かれて、からん、と音がするので何かと思って目をやれば、人の頭蓋骨が、転がっていた。

「あの………っ、ここは、どこですの?」

 皇帝は、指さした。その先に、壊れかけた扁額へんがくがある。『はい府』とあった。

 湃家の邸宅という意味である。

「湃家……は、焼け落ちてしまったのですか?」

 琇華しゅうかの問いには答えずに、皇帝は呟く。「淑媛しゅくえん愁月しゅうげつ)は、ここに嫁ぐはずだった」

「では……陛下が、愁月を奪ったというのが……ここなのですね。それでは―――陛下が、このような仕打ちを? 先ほどの骨は、湃家のものなのですか?」

「―――愁月の兄、涛樹とうじゅは、罪を犯した」

「はい。内容は、存じ上げませんが……」

「実は、父上の一番の寵愛を受ける妃と、密通したのだよ」

「えっ!」

 琇華は思わず声を上げてしまったが、それならば、皇太后の言葉も納得出来る。


『あなたは、掖庭えきてい宮の主。……ここを守っていくことがあなたの務めなの。わたくしは、守ることが出来ずに、陛下と、この国を危険にさらしたけれど』


(皇太后さまが、守れなかったというのは、妃嬪が密通を行ったからだったのね)

「通常、密通を行った妃嬪は、死罪。一族は族滅。相手の男も同様だ。……なぜならば、これは、帝室の血統に繋がる問題だからだ。だが、今回は、話が違った」

「話が違う……?」

「すでに、私が立太子したあとだった。後継が居れば、帝室の血統は守られている。妃を殺すのだけはやめてくれと、父上は、取り乱した」

「では……相手の妃嬪は」

「まだ、父上の愛妃をやっているよ。名は、りゅう。元は、皇后のすぐ下……貴嬪きひんまで、異例の昇格を果たした方だった。……結局のところ、沽家だけが処罰を受けた形だ」

『沽』から『さんずい』を奪われて『古』となり、愁月以外は、族滅という重い処分だ。

「愁月は、母上の女官だったから、母上から格別の思し召しがあった。それと……はい家に嫁ぐことが決まっていたからね。すぐに宿下がりさせることになったんだ。
 はい家も、名門でね。当時は、大臣も居たのかな。そこの一人息子である、はい清延せいえんと、愁月の婚礼が行われるのが、ここのはずだった」

(ここまで、馬を走らせて、花嫁を奪ったのだろう……)

 愁月が、どう思っていたかは解らないが、素直に、羨ましく思ったし、胸は張り裂けそうだった。

「ここから先の話は、あなたしか知らないことだ。だから、他言はしないで欲しい」

 皇帝は、そう前置きした上で、そっと語り出した。

「湃《はい》清延せいえんは、おそらく、愁月を愛していたのだと思う。だから、私に奪われたあとで、こうして、邸に火を放ち、自決したのだろう。
 ここには、私を呪う言葉が刻まれ、呪詛されていたというから、あなたも、あまり邸に近づかない方が良い。
 けれど……湃《はい》|家は、そうではなかった」

「そう、なのですか?」

「天涯孤独の上、大悪人の妹だ。縁を切りたいところだろう。それで一計を案じた。……この近くに、湃《はい》|家の息の掛かった寺がある」

「そこで、出家させようとしたのですか?」

 あんな、若くて美しい人を寺に閉じ込めて置くのは勿体ない。琇華が憤慨かかった時に、皇帝は微苦笑した。

「いや、そこで初夜を過ごすと言いつけてね。……待たせておいたが、実際は違ったんだ」

「違った?」

「……湃《はい》家は、愁月を売ったんだ。あなたのような人の耳に入れるのは憚られるけれど、売春窟というのがあってね。金子次第で、女が色を売る場所だ。湃はい|家は、愁月を、売春窟に売ったんだ」

「えっ! では、陛下は、愁月を奪いに行ったのではなくて……助けに行ったのではありませんか!」

 声を荒げてしまう。

 湃《はい》|家……の、言い分も解らなくはない。だが、人のやることとして、あまりに非道だ。

(おそらく、愁月は、清延《せいえん》さんを好いていたのよね……その人に嫁ぐと思って居たのに、初夜を踏みにじられて、娼婦に堕とされるなんて……)

 あまりにむごい事実に、琇華の大きな瞳が潤った。すぐに、そこから、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。

「なぜ、陛下は……真実を公表しませんの?」

 琇華の問いに、皇帝は、微苦笑しながら言う。

「湃《はい》|家は……長らく、ゆう帝国によく仕えてくれたからね。一族の主立ったものが、この湃《はい》|府で死んでいるんだ。それに、追い打ちを掛けて死後の名誉まで汚すことはないだろう。
 それに、愁月も、自分が、湃《はい》|家に売られたのは、辛いだろうから」

「でも、陛下ばかりが……徳がないだとか……」

「あなたひとりが知って居れば良い」

 苦笑する皇帝の腕に、琇華は躊躇いながら抱きついた。

「温泉ではなくて、ここに来るのが目的だったのですね」

 皇帝は、しばらく、無言だったが、「温泉のついでだよ」と言うので、琇華もそれ以上、追求はしなかった。

「愁月にも黙っておりますから」

「うん……悪いが、そうしてくれ」

 二人は、しばらく、焼けたままのざらしにされ、誰にも顧みられることのない湃《はい》|府を眺めていた。


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