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33. 茶の味は
しおりを挟む『湃府』からしばらく行くと、山道に入った。
「ここからは揺れるよ」
と皇帝が言うように、酷く揺れた。ここに来て、琇華は、この山道の為に馬車でなく俥にしたのかと、納得した。この山道を、馬に行かせるのは、酷だろう。
靡山までは片道一刻と聞いていたが、湃府跡に立ち寄っていた為に到着が遅くなったようだった。
靡山中腹に立てられた離宮に辿りついた時には、昼食の時間になっていたので、琇華が同行させていた周おばさんに食事の仕度して貰うことにした。
とはいえ、昼食は軽く済ませて構わなかったので、まずは浴室ではなく、寛ぐ為にと作られた建物に入った。琇華は持参した茶を楽しんで、それに合う饅頭でも持ってきて貰うように言いつける。
「饅頭は、二百個ほど作れるかしら」
随行の人数と、この離宮の職員達全員に行き渡るようにと、手配した。
「折角の温泉だから、妾は、存分に楽しみたいと思いましたの。ですから、食事は軽めにしておいた方が良いかと思って」
琇華の言葉に、皇帝が「たしかに、食べ過ぎたあとの入浴は、身体に悪い」と同意する。
また、この靡山の温泉は、かつて竜女が人間との間に子を儲けたことを育てたという『翡翠池』のほかにも、様々な温泉があるようだった。
「大小七つだったかな。それが、いつでも入ることが出来るように、温泉が引かれているよ」
「翡翠池というと聞きましたけれど」
「例の、竜女の伝説か」
「ええ」
「そこはね、皇族しか入ることが出来ない浴室だよ。あとで、供に入ろう」
そっと琇華の腰を引き寄せて、皇帝が囁くように言う。
「それは……畏まりましたけれど。では、随行の者たちに……ほかの浴室を使わせてもよろしゅう御座いますか?」
「あなたがそう言うのなら」
皇帝は、茶を傾ける。堋国から取り寄せた、とっておきの紅茶だ。
「甘い香りがする。これは……茘枝かな?」
「はい。茘枝の実を乾燥させたものと、紅茶を調合したものですの。それと……菓子も持ってきておりますわ。玄溟殿の、料理人に、作らせたものですけれど、堋国の母が作るものと、遜色ないはずです。
こちらは、妾だけで楽しむのは良くないと思いましたので、皇太后さまにもお持ち致しましたわ」
琇華は、蓮のつぼみを模して作った美しい菓子を皇帝に披露した。淡い緑色に色づけした酥(この場合はパイ生地)で、歯触りの違う酥を包み込んだものだ。パリパリに焼かれたパイ生地で包まれた、淡い薔薇色をした木の実がふんだんに入ったクッキーである。
「これは、だいぶ、手の込んだお菓子だね」
「はい。……実は、二十五日のお茶会の為に、練習として作って貰いましたの。練習とは雖も、腕前は確かですから、仕上がりは、完璧ですわ」
「ではね……次に作るときは、この蓮のつぼみを、薄紅色ではなくて、黄金色で作りなさい。あなたの菓子だ」
「妾は、黄金の花ですものね。では、中の木の実も変えましょう。今は、干葡萄に棗、落花生、胡桃、蓮の実などが入っておりますけれど、黄金をとの仰せてございますから、木の実にまぜて、塩漬けの家鴨の卵を真ん中にあしらって貰いましょう」
「おや、どんな味わいになるか楽しみだね……では、それは、七月七日の夜に楽しむとしよう。その日は、夫婦和合の日だからね」
上機嫌に言いながら皇帝は菓子を食べる。蓮花包酥は、パイ状の、薄い層が重なった生地を使っているので、サク、と歯を立てると、はらはらと生地が零れるのが難点だ。
(でも、ハラハラと零れる酥は、出来の良い酥の証だって、母様が言っていたわ)
遠い堋国にいる母の姿を思い出すと、涙が溢れそうになる。本当は、二十五日の誕生日を、いっしょにすごしたかったけれど、その代わりに、今、お茶の時間を持てることに感謝しよう、と琇華は気持ちを切り替える。
「あなたの料理人自慢の饅頭が届いたようだね」
ふかふかの白い饅頭が、山と積まれて運ばれてくる。ここから、皇帝に三つ、琇華が一つ取る予定だった。残りのものは、すべて下賜する形になる。
「お毒味も、済んでいるはずけれど……妾から、一口戴きますわ」
ふんわりとした白い饅頭に歯を立てて、かぶりつく。ほのかな甘みを帯びた生地に包まれているのは、豚肉で作った餡だ。
「とても美味しいですけれど……いつもと、風味が違うような……」
念のためぺろり、と光沢を帯びた皮を舐めてみると、いつもならば感じない、塩気を感じた。それに、聞き慣れない薫りを感じる。若干の渋みを連想させる薫りだった。
「ん? どれどれ……ああ、これは、温泉だよ。温泉の湯を使って、蒸しただろう。身体にも良いはずだよ。あなたの料理人は、いろいろと気遣ってくれる良い料理人だね」
「そうでしたの。……陛下は、三つでよろしゅう御座いますか?」
「ああ、食べ過ぎるのも良くないからね」
「では、のこりは、皆に分け与えましょう。……瑛漣!」
琇華は、瑛漣を呼んだ。すかさず拱手して現れた瑛漣に、琇華は告げる。
「こちらの饅頭は、皇帝陛下から、あなたたちへ下賜します。みんなでわけて食べなさい」
「畏まりました。……陛下、皇恩に感謝致します」
拱手しながら後ろに下がった瑛漣は、山と積まれた饅頭を持って、退室する。
「あれは、みんな喜ぶだろうね」
「ええ、とても美味しい饅頭でした……ああ、お茶がなくなりましたわね。お注ぎ致します」
皇帝の茶椀が空になっていたのを見て、茶を注ごうと急須に手を伸ばしたところ、腕を取られて、胸の中に引き寄せられる。
「陛下?」
訝しく思って見上げると、皇帝は、饅頭をもぐもぐと食べている。とりあえず、食べ終わるまで待った琇華に、皇帝は告げた。
「私が注ぐよ」
「あら、妾がお注ぎしても良かったのではありませんか?」
問い掛けるが、答えはない。皇帝も、一人の時は、自分で茶を注ぐことがあるのか、慣れた手つきで茶を注いでくれた。
「飲むが良い」
「有り難う存じます。ぜひとも、頂きますわ」
一口、二口、口に運ぶ。一煎目よりも、大分薄くなるのが、乾燥した果実を入れた茶の特徴だった。やはり、大分、色味の薄いし、薫りも飛んでいる。だが、琇華は、この茶が、今まで飲んだどんな茶よりも一番美味だと感じた。
「美味しゅうございます」
「ん? そうか……? ……いや、皇后、嘘を言うな。大分、薄まっている。この茶は、一杯しか飲めないものなのだな」
皇帝は、琇華の手から茶碗を奪おうとしたので、やんわりと、琇華がその手を制した。
「妾は、このお茶が一番美味しく感じます」
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