伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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52.幽鬼の正体見たり。だがしかし

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 夜着の上に、衛士の服を纏った愁月しゅうげつが、琇華しゅうかの姿を見るなり尻餅をついたのをみて、致し方なく、琇華は、宦官を呼んで輿を手配した。

 そのまま、ゆっくりと玄溟げんめい殿へと帰還して理由を聞いた琇華は、申し訳ない気分になる……。

「幽鬼の声が聞こえてきたものですから、わたくし、皇后さまをお助けしなければと……」

 恥ずかしそうに言う愁月に、琇華は夜着と上衣を貸してやる。彭《ほう》機鏡ききょうには、衣装を返却した上で、褒美の品を送っておいた。

「幽鬼の声だなんて……、不気味な事ね」

「ええ。本当に聞こえたんです。わたくしの侍女も聴いております。『う、っふっ、ふっ、ひっ、……っ。』と……」

 震えが来て、肩を抱いた愁月を見て、琇華と瑛漣えいれんは顔を見合わせた。

淑媛しゅくえんさま……、恐れながら、それは、幽鬼ではなく、我が主の、笑い声かと存じます」

 拱手しながら、瑛漣は言う。

「えっ? ……そんな……」

 愁月が驚いて、琇華を見る。琇華は、額を押さえながら、「そうなの。実はね……」と切り出した。

「陛下が、妾に、かんざしを下さったの。……それも、以前に、陛下が壊したものを、わざわざ、自ら修理なさって下さったの」

 婚礼の日。乱雑に釵を抜いて、踏みつぶして壊したのは、皇帝だった。

 全く同じようにとは修復出来ていなかったが、あのあと、釵の事を気に掛けてくれていたのと、琇華の為に修理していたという事実が、何より嬉しかった。

「それでね……妾は、釵と、陛下の絵姿を、見比べながら、顔のにやけが止まらなくって」

「止まらなかったのは、にやけだけではありませんわよ。先ほど、古淑媛が、お聞きになったというあの不気味な笑い声は、皇后さまのものだったのですからね? ……もう、古淑媛が幽鬼と勘違いするのも無理はありませんわよ!」

 瑛漣は、本気で怒っていた。腕を組んでいるし、顔は上気して真っ赤に染まっていた。筆頭侍女の瑛漣は、琇華に日中付きそうので、夜に眠る。従って、こちらも白い夜着のままだった。

「ごめんなさいね。その……怖がらせるつもりはなかったのよ。ただ、もう、本当に……嬉しくてたまらなかったのですもの。初めて、皇帝陛下が、妾に、贈り物を下さったのよ? もう、天にも昇る心地で……」

 おずおずと、琇華は瑛漣と愁月に言う。

「でも、幽鬼でないのでしたら、良かったですわ……。わたくし、本当に、心配でしたの。それで、回廊の向こうに白い影を見つけた時には……」

 と、愁月はそこまで呟いて、はた、と気がついた。

「お待ち下さいませ、娘娘にゃんにゃん

「なあに、どうしたの、愁月?」

 のんびりと、琇華が聞く。だが、青ざめた顔をしている愁月を見て、すぐに、口元を引き締めた。

「笑い声は、確かに、娘娘にゃんにゃんだったのでしょう……けれど、回廊で見た白い影は、娘娘にゃんにゃんではありません。そして、わたくしの姿を見て、逃げ出しましたわ。
 きっと、賊か何かです。衛士は、門を通ったものはいないと言っておりましたから……、まだ、賊が潜んでいるはずですわ! 早く、掖庭えきてい宮を探って下さいませ!」

 愁月は、興奮気味に語った。琇華は、「解ったわ」と瑛漣に目配せする。瑛漣は、すぐさま拱手して琇華の前を辞した。愁月と二人きりになった琇華は「ごめんなさいね」と唐突に、愁月に謝った。しかし、愁月は、「いいえっ!」と振り切るように叫んでから、やおら、床に跪いて拱手した。

「あの……笑い声のことでしたら、わたくしの早合点で、大騒ぎをしてしまい、お休みを妨げてしまいました。本当に、申し訳ありません、娘娘」

「まあ、愁月……、妾のほうこそ、ごめんなさい」

 愁月を起こしてやりながら、琇華は言う。

「あなたは、しばらく陛下にお目通りが叶っていないのに……妾ばかり、ごめんなさい。でも、妾は、今は、陛下に毒を盛って弑奉しいたてまつろうとしたものを、捕らえなければならないの。だから、事態が一段落するまでは、我慢してね。あなたのことを疑っているわけではないから、それも、信用して頂戴。妾は、いまは、医官と妾以外のものを遠ざけているわ。だから、宦官の一人も近くに寄せないし、陛下の側近、しゅ学綺がくき殿だって、側には寄せていないの」

「わたくしに、お気遣い下さいませぬよう……それにしても、洙学綺さまとは……どんなかたですの?」

「あら、あなた、洙学綺を知らないのね……」

 意外なことだった。確かに、琇華が見ているところでは、二人が鉢合わせたことはなかったようだが、皇帝の寝所に仕える愁月が、洙学綺を知らないとは思わなかった。

「はい……。お名前だけは聞きますが」

 仮面の側近、洙学綺は一度見れば忘れるはずのない、容貌をしている。つまり、愁月は、本当に、彼を知らないのだ。

 にわかに、外が騒がしくなる。愁月の言っていた賊を探しはじめたのだろう。



 毒殺未遂。賊。そして、皇帝の『後継者』問題―――眩暈がしそうだった。

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