伏して君に愛を冀(こいねが)う

鳩子

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53. 今夜は少し仲良くなろう

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 琇華しゅうかの必死の看病もあって、皇帝の体調は、程なく快復した。

 とはいえ、毒の後遺症で、身体は思うように動かないらしく、回廊は、側近のしゅ学綺がくきに支えられなければならなかった。

「七月七日の宴をすぎてしまったな」

 残念そうに、皇帝は言う。

 七月七日の夜の宴は、盛大に行われるものであったが、今年は、皇帝の体調が悪い為に流れた。但し、掖庭えきてい宮では、女達の祭りと言うことで、皆で、月を眺めながら針に糸を通して、穀物を備え、歌舞音曲は控えたが、愁月しゅうげつに女官たちまで総出で、ささやかな宴を張った。

「来年は、盛大に行いましょう」

「そうだな。来年……」

 皇帝は、小さく呟いて、そっと、溜息を溢した。その横顔に翳りを感じて、琇華は「如何なさいまして?」と声を掛ける。「暑いようでしたら、少々、お休みになってから出御なさればよろしゅう御座いましょう」

「いや、暑くはない。……らしくもなく、来年など来るのかと、思ってしまったのだ」

 皇帝は、今まで、毒殺未遂はなんどかあったようだ。しかし、今回のように、重篤な症状が出る前に、大抵は、毒味役が死ぬ。だから、気弱なことを言っているのだろう。

「気弱なことを仰せになりますな。……来年は、参ります。今年と同じように、今日と同じように、当たり前に」

 ぴしゃりと琇華が言うと、皇帝は、微苦笑した。

「では、もし私が死んだら……、あなたは、ほう国へ帰るのかな? 不甲斐ない夫だったと言って」

 また、ふざけたことを言うものだと思いながらも、琇華は、にこりと微笑んだ。

「皇后?」

「あなたが死ねば、妾は、あなたにご相伴します。古来、妃嬪は、皇帝の死に殉じたはず。………愁月には供を言いつけませんから、ご安心を」

 艶然と言い切った琇華に、皇帝のほうが気圧されているようだった。

「それは……」と掠れた声で言う。「あなたに何かあれば、堋国を敵に回すね。それは、私も避けたいから、なんとか気力を振り絞るとするよ」

「はい、そうなさいませ」

 艶然と微笑む琇華の手を取って、皇帝は、そっと口づけした。

「最近、城下へ行っていないでしょう」

「食事だけは届けていますけれど。……ああ、それと、もうそろそろ、愁月の衣装が出来上がるようですから、あとで、御前へお仕えするように申しつけますわ」

「いや……愁月は良い。あなたも、そろそろ、城下へ行きたいのではないかな? おそらく、毒を入れた下手人は、しっぽを出さないよ?」

 皇帝の言葉尻が気になった。『下手人は、しっぽを出さない』どういうことだろう。

「なにか、ご存じなのですか?」

「うむ……実はね。私に、白湯を持ってきた侍官じかんが、失踪していてね。おそらく、それに、毒が入っていたんだろうということになったよ。彼は、なんでも、両親が借金していてね。妹を売られるところだったと言うから……」

「まあ……」

 なんと痛ましいことだろうと琇華は思う。勿論、どんな理由があろうとも、皇帝を弑奉しいたてまつろうとした事実は変わらないが、それにしても、酷いことだろう。

 目を伏せようとした琇華に、皇帝が、少し目くばせをするのが解った。しかし、なにを訴えようとしているのか、琇華には解らない。

「おそらく、今頃、その者は殺されていることだろうが……、どうか、その者を、恨まないでやって欲しい。私は、あなたが、誰かを恨んで醜い心を持つのが、嫌なのだよ」

 そっと、皇帝は琇華の手を引いた。そっと、琇華の頬に口づけを落としてから、耳許に、皇帝が低く囁いた。

「今晩、あなたを召すからね」

 思わず、恥ずかしくなって顔が赤くなってしまう琇華だったが、皇帝は、おそらく、違うことを考えて居るのだと、なんとなく察した。なんというか、詳しくは解らないが……。

(そうよ、態とらしいんだわ)

 つまり。これは、誰かに見せつける為の、演技。

 献身的な看病で、皇后は、皇帝の愛を取り戻し、また、寵愛を得るに至ったという演技。そして―――なにか、琇華に秘密裏に、伝えたい事があるはずだ。

 琇華は、ぎゅっと、皇帝の袖を掴んだ。

「皇后……?」

「こんなところで、恥ずかしゅうございます……でも、嬉しい」

 そっと、琇華は、皇帝に身を預ける。皇帝の口元が、ふ、と緩んだ。

「しばらく、あなたを召していないからね。……今日は、すこし、仲良くなろうか」

 あけすけにいう皇帝の言葉に、全身の血が沸騰してしまいそうなほど、恥ずかしく思いながら「そんなことを仰有らないで」と、琇華は彼を詰った。

 皇帝が、琇華を抱きしめようとしたとき、「えー……こほんっ!」と態とらしい、咳払いが聞こえた。

「なんだ、お前。こういうときは、気を利かせて、席を外すモノだろう。まったく、気の利かないヤツだな」

 皇帝が、眉を寄せながら言う。

「俺の支えなしで、移動できるんですか? まったく、誰が、ここまでお体を支えてやったと思ってるんです。俺はですね! 一応、主でも、男の身体なんか支えるのは、まっぴらごめんなんですよ! たおやかでふっくらとしたご婦人の柔らかい身体でしたら、いくらでもお受け致しますけれどね!」

 仮面の側近は、早口に怒鳴り散らすと、皇帝と琇華を見捨てて去って行く。

「学綺殿?」

「ああ、いい。あれは、ああいうモノだ……それより、今日は、瓊玖ぎきゅう殿に来てくれるね?」

 皇帝の指が、琇華の口唇に触れる。ふに、と口唇を指で押された。

「陛下……」

「必ず、来なさい」

「あの……本当に、その……進御しんぎょ(よとぎ)ということ……ですわよね……?」

 おずおずと聞く琇華だが、寝台で仕えるのと、そうでないのとでは、仕度が違うのだから、仕方がない。皇帝は、心なし顔を赤らめながら「そう、申しておる」と、やけに、古めかしい口調で口早に言った。



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