戦う理由

タヌキ

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商店街の中

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 仕事を終えた俺は、アパートと職場のほぼ中間にある商店街へ来ていた。
 食料品や日用品の買い物はアパートに近いスーパーやドラッグストアで済ませているが、今回はそういった物を買いに来た訳じゃない。
 本屋の自動ドアをくぐる。お団子頭の店員が「いらっしゃいませ」と来店の挨拶をする。
 他は本棚をぼんやりと眺めている客が一人いるだけで、店内は静かだった。迷いの無い足取りで、俺は旅行雑誌のコーナーに向かう。
 日本各地の観光地を網羅している情報雑誌や海外のメジャーな観光地の情報雑誌の中から、自分の独断と偏見で海が綺麗だと思う観光地の雑誌を抜き、立ち読みを始めた。
 立ち読みといっても、そうガッツリとは読まない。海について特集しているページを見つけ、そこだけ読むのだ。
 しかし最初こそ久し振りに感じる高揚感らしきものに胸を高鳴らせていたが、三冊目に取りかかった時点でそんな気持ちは消え失せ、代わりに洞穴の中に冷たい空気が吹きすさぶような感情が湧き上がってくる。
 雑誌に掲載されている写真はどれもこれも綺麗だった。でも、それだけだった。
 同僚の携帯に映った海を見た時の感動とはほど遠い。雑誌に載っているのは、広い広い大海原を連想させる写真ではなく空から綺麗な場所だけを切り取ったしょぼくさいピンナップだ。
 写真を撮ったカメラマンには失礼だが、失望せざる負えない。
 結局、俺は五冊目に手を伸ばすことはなく、何の成果も得られないまま本屋を出た。「ありがとうございました」と言う店員の声が、やけに鋭く聞こえた。
 向こうからしたら、俺は本を一冊も買わなかった客でもない奴なのだ。帰り際に塩を撒かれなかっただけマシなのだろう。
 商店街にやってきた時とはうって変わって、肩を落としながらアパートの方に歩いて行く。
 寄り道して手ぶらで帰るのもアレだなぁと、空虚な気持ちを物で埋めようと脇に並ぶ商店を眺める。肉屋でコロッケを買ってもいいし、魚屋で干物でも買おうかと思案してると、喫茶店の隣にある旅行代理店が目に入った。
 歩道に向けられてるパンフレットは、よくある観光地を特集するものから多種多様なパッケージツアーの案内だ。
 新婚旅行パックなどのオーソドックスなものから、特撮爆破体験パックなんて変わり種もある。
「進化してるんだなぁ……」
 ショーウィンドウの前で立ち止まり、端から順にパンフレットの表紙を眺めていると。
「旅行先をお探しですか?」
 代理店の男性店員が声を掛けに来た。
「……え?」
 突然声を掛けられ、俺が面食らっていると店員は人懐っこい笑みを浮かべながら。
「いや、随分と熱心にパンフレットを見てらっしゃったので」
 と付け加えてきた。どうやら自分でも気付かない内に熱中していたらしい。もしかしたら、本屋で収穫が無かった分ここで成果を得ようと脳内でバイアスが掛かったのかもしれない。
 とはいえ、パンフを見ていたのは事実だ。適当に相手をして、パンフの一枚でも貰って早々に退散しようと思った。
「ああ……。仕事で少し、かなり長い休みが出来たもので……」
「そうですか。今さっき見てらしたのは草津ですね。奥様と温泉旅行の御計画を?」
 奥様と言われ、少しクラッときた。自分が四十八歳で独身である事実にではなく、左手の薬指に指輪をしていない俺に奥様という単語を持ち出した店員の見る目の無さにだ。
「……生憎と、独身でね」
「そうでしたか。じゃあ、一人旅で草津に?」
 失礼しましたの一言もなく、店員は話を進めた。客商売、このくらいのメンタルじゃなければやっていけないのだろうか。
 客商売への偏見を強め、目の前の店員への変な歓心を抱きつつ、俺は話を返す。
「いや、温泉とかじゃない。……海が見たいんだ」
「海ですか……。近場なら伊豆、遠くて沖縄、変化球としては北陸ですね。日本海は太平洋とはまた違う良さがありますよ」
 伊豆や沖縄は論外だが、北陸には少し心動かされた。がしかし、その興味はすぐに消えてしまった。
「……確かに、海だな」
「ええ。良いですよ。春だからシーズンオフで空いていますし、宿代も少し安い。でも、景色もどこもいいですからね。食べ物も、伊豆は春ぐらいに伊勢海老が食べられますし、北陸も海鮮系が有名ですからね、富山の鱒寿司とか福井のイカとか。沖縄はもう言わずもがな、グルメの宝庫ですからねぇ。チャンプルーにソーキそばに海ぶどう」
 俺は少ししつこくなってきた店員のセールストークをぶった切り、希望を伝える。
「綺麗な景色とか、そういうのはいい。大海原を見たいんだが」
「大海原ですか……」
 こればかりは店員も少し考えてから、ゆっくりと話し出した。
「そうですね……。お客様、乗り物には強い方ですか?」
「それなりには」
「それでは、これなんてどうでしょう」
 店員が指さす所には、やはりパンフレットがあった。『1泊2日 フェリーの旅』という黄色の文字が大海原の上で踊っている。
「フェリー……」
「船旅ですよ。大海原の上を行く訳ですからね、お客様の希望にも沿えるかと」
 船旅。その手があったかと、俺は先程までウザいとまで思っていた店員の手を取りたい衝動に駆られた。
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