戦う理由

タヌキ

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部屋の中

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 結局、国内外問わず色々な豪華客船のパンフレットを数冊貰って帰ってきた。
 パンフにはクリップであの男性店員の名刺と共にアドバイスなんかが書かれたメモが留められており、彼の商魂を垣間見せる。人に遠慮するより、案外あんな人間の方が成功するのかもしれない。
 俺は晩飯の焼きそばを啜りながら、パンフレットを眺める。設備面や費用のページをすっ飛ばし、客室や甲板からの眺めを確認する。
 いい眺めが見える客室はグレードが高く予算的に難しいが、旅の最中に足を運ぶであろう大抵の場所は見晴らしよく設計されている。
(船に乗っているのに、海が見えないって事は無いのか)
 俺が一番興味を抱いたのは外国航路の豪華客船のパンフレットだ。
 同じ海なら、デカい所のど真ん中に行きたい。そんな心理が働いているのかもしれない。数あるパンフの中でひときわ目を引いたのは、太平洋横断の航路を往く客船だ。
 船名を『リンカーン』と言い、アメリカの会社が所有している客船だ。
 サンフランシスコから出発し、ホノルル、上海、横浜に寄港そこから再びホノルルに寄り、サンフランシスコに戻るというルートを辿る。
 船旅というのは寄港地での途中下船は認められていないというのが普通だったが、最近はそうでもないらしく途中下船や途中乗船もOKな場合が増えてきたらしい。
 言わば、これまでの船旅が目的地に着くまで降りられない特急電車だとしたら、最近の船旅は各駅停車出来るようなシステムなのだ。
 もし俺がこの船に横浜から乗ったとしたら、ホノルルかサンフランシスコで降りられるという事になる。
 勿論、その分料金は安くなるが設備は他の客と同じく使えるからお得……ということらしい。パンフにあったメモを読みつつ、そのシステムについて理解を深める。
「な~るほどねぇ……」
 最後の麺を飲み込み、畳の上に寝転がった。
「ちょいとばかり値は張るが、大海原を見れる事が確定してる……」
 改めて思い返せば、海を見た回数は子供の頃から数えても片手の指の数より少ない。
 俺の記憶の大部分を占めるのは、戦場での記憶。そこに海の青色も生臭い海臭さも無い。
 あるのは灰色と茶色と赤色、血と硝煙と人が腐った臭いだ。
 目を閉じれば、悲鳴と銃声が脳裏に蘇る。俺は目を開き、薄汚れた天井を見ながら誰に言うでもなく呟いた。
「……いい機会かもな」
 自ら望んで戦場から抜け出したのに、心はまだ忘れてくれない。発作や脳裏にこびり付いた音がその証拠だ。
 もし旅に出たら、心や気持ちを雁字搦めにしている何かを断ち切れるかもしれない。断ち切れなくても、何かを掴めるかもしれない。
 そんな淡い期待が、俺の胸に灯る。
 旅に出れば、戦場ともこの三年間送ってきた平穏な生活とも違う、非日常が待っているのだ。
 結論を出すのにそう時間は掛からなかった。
 俺は通勤用のショルダーバッグに『リンカーン』のパンフを入れ、他のパンフをゴミ箱に突っ込む。パンフレットには悪いが、自分の中の迷いを消す必要があった。
 明日の帰り、また商店街の代理店に寄ってあの店員と会おう。
 そう固く誓い、食べ終わった皿をシンクへ置いた。

 翌日。
 俺が出勤すると、既に働いていた隣の席の同僚が不思議そうな顔をして話しかけてきた。
「石田さん、どうしたんです? やけに機嫌良さそうですけど、何かありました?」
「え? いや、特に変わった事は無いが……」
 旅に出ようという気持ちが俺になんかしらの変化を与えているのだろうが、それ以外はいつもと変わらないのでそう返答する。
「そうですか……。でも、本当にいつもと違うから。なぁ」
 彼は別の同僚にも同意を求め、同意を求められた別の同僚も「顔色とか、表情がいつもより明るい」と答えた。
「石田さん、言っちゃ悪いですけど、いつもは全て土気色ですからね。顔色も態度も」
「……そうだったのか」
 自分の顔や態度は自分でも気が付かないもので、他人に指摘されて初めて気が付くものだが、そう他人からは見えていたという事実を突き付けられ、少し悲しくなる。
 自分が明るい性格ではないのは百も承知だったが、土気色なんて言われてショックを受けないほど、自分のメンタルは強くない。
「……今度からは、極力気を付けるよ」
 椅子に座りながら鞄の中にあるパンフを確認しつつ、愛想笑いで俺はそう答えた。
 それからその日の仕事を早めに切り上げ、俺はいつも退勤するより早く職場を後にすることにした。
「お疲れ様でした」
 挨拶をしてタイムカードを押し事務所を出ようとすると、案の定「いつもより早いですね」と言われる。
「ちょっと、用があって」
「まさかですけど……デートですか?」
「まさか。ちょっとした野暮用ですよ」
「……にしては、朝も機嫌良かったし。本当はデートなんじゃないですか?」
「だったらいいですね。孤独死は嫌だし」
 孤独死というワードが出て、俺の本気度を悟ったらしく同僚は退散していった。
 しかし、口ではああ言ったものの事務所を出る足取りが軽かったのは事実だ。
(いつも世話になってるし、お土産でも買うか)
 柄にもない事を考えつつ、俺は例の代理店の扉をくぐった。空いているカウンターの一つに、あの男性店員が座っていて、彼は俺を見るなり「やっぱり」といった表情を浮かべる。
 いい様に手玉に取られたようで癪に障るが、それはすぐに興奮の荒波に洗い流されて行った。
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