戦う理由

タヌキ

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港の中

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 予約を取ったりパスポートを更新したりデジカメを買ったりと、あれよあれよとしている内にあっという間に時間は過ぎていき――。
 日付は改装前日まで進んでいた。
 特別に開かれた朝礼にて、校長は一か月にも及ぶ改装工事とそれに伴う休みについて長々とお言葉を垂れ流す。
 「改装工事が出来て嬉しいです」で済むところを三十分も掛けるのは、学生時代なら怒っていただろうが、今はどうってことなくなっていた。
 そして、とうとう終業時間が訪れる。同僚達が一斉に浮足立つ中、俺はいつもと変わらずパソコンをシャットダウンさせ荷物をまとめると、皆に「お疲れ様でした」と挨拶をして事務所を後にする。
 扉が閉まりきる直前、聞き覚えのある声で「よい休暇を」と聞こえた。
 よい休暇というのもが、俺にはどういったものか分からない。でも、その言葉通り、なんとなくよい休暇になる気がした。
 家に帰ると、ここのところ毎日やっている荷物確認を念入りにし、晩飯を作る。といっても、大袈裟な物は作らないし、作れない。二週間近く家を空ける故に、腐りやすい物を優先的に始末しなければならず、生鮮食品の類はとっくに食べきってしまったからである。
 レトルトカレーとレトルトご飯を温め、皿にあけて手を合わせる。味は何の変哲もないカレーだ。
 ルーと白米を混ぜながら、船での食事について考え始めた。
 乗船料金には船での飯代も込みになっていて、決まった時間帯に指定のレストランに行けば飯が食える仕組みらしい。
 勿論、別料金にはなるがルームサービスや好きな物が食えるレストランもある。
 その気なら、毎日ローストビーフやらキャビアやらをたらふく食える生活を送れる。しかし、俺にはそんな事をする金も余裕も身体も無い。そんな事をすれば、糖尿に痛風まっしぐらだ。
(まぁ、レトルトカレーに負けるなんて事はあるまい)
 けれど、もしかしたらカレーもしばらく食べられないかもしれない。
(だったらせめて、味わっときますか)
 米一粒一粒を噛み締めながら、食べれるかもしれないメニューに思いを馳せた。

 翌朝。
 いつもより早い時間に起き上がり、身支度をする。
 仕事の時に着る吊るしのスーツではなく、スラックスにポロシャツを合わせジャケットを羽織った。決しておしゃれでは無いが、俺が出来る最大限のおめかしである。
 それからガスの元栓を閉め、戸締りを確かめ、家を出た。
 命を張らなくていい遠出は三十年ぶりかもしれない。そのせいか、気分は遠足へ出発する小学生だ。
 ボストンバック片手に電車を乗り継ぎ、横浜港は大さん橋まで行く。
 ターミナルまで歩いていると、港に停まる豪華客船『リンカーン』が見えた。
「デカいな……」
 全長約三百、高さ約六十メートルある船体は圧巻で、乗船待ちであろう人や作業員がミニチュアに見える程だ。
(空母加賀が全長約二百四十くらいだから……約一・二五倍か)
 空母が飛行機を搭載する物なのに対し、客船は人を乗せる物だ。それに、太平洋戦争中の空母と現代の豪華客船を比べること自体がナンセンスなのだが、こう数値を出して改めて考えると、凄い差である。
(飛行機載せる船よりデカいのか……)
 変な事で感心しながらも、俺は乗船の列に加わった。遠目でも迫力は伝わってきたのに間近で見ると、また違った味がある。
 パンフレットには見上げるアングルでの写真もあったけれど、生で見ると感動もひとしおだ。
(百聞は一見に如かず、とはよく言ったもんだよなぁ)
「次の方」
 列は順調に進み、すぐに自分も船に乗る順番がやってきた。
「チケットと、パンフレットを拝見願います」
 タキシードを着た乗務員に言われるがまま、その二つを差し出す。チケットは代理店のあの店員から受け取った物だし、パスポートも更新したばかりの新品である。
 特に問題はなかったようで、チケットとパスポートも返させる。部屋の鍵も渡された。
「ボンボヤージュ」
 フランス語で「良い旅を」と言われ、俺はパスポートを仕舞いつつ「メルシー」と返した。
 以前知り合った、フランス人外国部隊出身の傭兵に教えてもらったフランス語だ。それと同じ様な形で教わり、分かったり話せる言語が多いのが俺の密かな自慢であり、元傭兵という不安定な職歴の人間を飯のタネへあり付かせた技能でもある。
 イスラム圏と東欧の言語は分かるし話せる。東南アジア方面とハングルなんかも分かる。
 これが無ければ、俺は今頃野垂れ死にしていたか、万引きでもして刑務所の中だったかもしれない。
(芸は時に人を救うもんだ)
 俺は鍵に付いているキーホルダーの部屋番号と船内の見取り図を交互に見て、部屋の場所を確かめた。
 一番グレードの低い部屋なので、場所も奥まった所にある。
(焦らず、のんびり行きますか)
 俺は鞄を持ち直し、回れ右をした。
 明らかに高そうな服を身にまとった人々が闊歩し、どことなく優雅で気品溢れる空気が漂っている。
 非日常が空気にも溶け込んだこの空間の中、俺はなんともいえない高揚感が湧き上がってくるのを感じた。
(来てよかった)
 俺は早くもそう思い始めていた。
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