34 / 70
礼儀の中
しおりを挟む
ナザロフの家は都市部からも離れた、小高い丘の上に建つ白い壁の平屋だった。
丘からはパイナップルのプランテーションと海が眺められる。車から降りると、エアコンが発する冷気とはお別れしたが、不思議と暑くは感じない。丁度良く風が吹いているようで、熱を受ける肌を優しく撫でてくれる。
「いいところじゃないか」
俺が褒めると、ナザロフは腰に手を当て得意げな顔をした。
「でしょう。しかも、これまで付いたきたし、相場からすればかなり安いんですよ」
これまでのところで、彼はハイラックスのボディーを叩いた。
「へぇ。そりぁいいな」
だがそれは、あくまでもホノルルでの相場であり、家賃数万の安アパートに住んでいる身としてはまさに住む世界が違う話である。
「そうでしょう」
それでも、自慢臭くなくそれどころか親しみすら覚えるのは、ひとえにナザロフの人柄にあるのだろう。
「まぁ、立ち話もナンですし、上がってください」
言われるがまま、俺はナザロフの家に入る。綺麗な外装とは裏腹に、家の中は男やもめの部屋といった感じでかなり散らかっていた。
イリナはしかめっ面でエレナは周囲を興味深く観察するようにキョロキョロとし、俺は何処かで見たことある荒れっぷりに思わず苦笑した。
「これまた、お恥ずかしい」
冷や汗を浮かべたナザロフは、手近にあったジュースの空き缶を拾いながら言う。
「てっきり、ウチに来るのは石田さんだけだと思っていたんで……」
「あー……」
それは完全に俺のミスである。しばらく泊まらせてほしいという用件を伝えようと、もう一つ肝心なことを伝えていなかったのだから。
「自分片付けるんで、御三方は座って、なにか適当に飲んでてください。冷蔵庫に、ビールとかコーラがあるんで」
空き缶を部屋の隅に低く積み上げ、脱ぎ捨てたであろう服を抱えるナザロフ。
だが、こうなった原因を作っておいて呑気に酒を飲む図太さは無い。俺もテーブルの上に重ねられていたピザやボックス中華の箱を畳む。
「あ、自分やりますよ」
「いいから。……元はと言えば、俺の連絡ミスだ。俺もやらんとな」
俺とナザロフでそんなやり取りをしていると、イリナが何処かからごみ袋を持ってきて。
「そこらへんウロウロされてたら、気が散って気分良く飲めないから」
照れ隠しなのか本音なのか分かりにくい言葉を口にしながら、分別もクソもなく片っ端から袋へぶち込んでいく。
エレナもイリナに倣って、ごみを袋に突っ込みだした。
それから四人がかりでごみを片付け、その勢いで掃除機やら洗い物にまで手を出し、全てが終わったのは夕方になってからだった。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
半泣きのナザロフを宥めながら、少し早いが晩飯の支度をする。
といっても、冷凍食品を温め、店屋物を注文し、缶ビールを出すだけだが。
しかし、店屋物が届くのを待つ空白の間。その時間をただボーッと過ごす訳にはいかない。
「エレナ」
ソファーにチョコンと座るエレナに手招きをする。
「何? おじさん」
一人の子供を育てる人間として、まず最初に教えるべきこと。助手席で揺られている時に色々と考えたが、行き着いたのは結局これだった。
「……これから、ご飯を食べる前と後に絶対にやってほしい事があるんだ」
「何をするの?」
エレナが首を傾げる。だが、表情には少し緊張の色が見える。
(……まだ完全に信用はされてねぇか)
心ではそう分析しつつも、それをおくびに出さず話を続けた。
「そう難しい事じゃない。ただ、おまじないをするだけさ」
「……おまじない?」
「おまじない。『いただきます』と『ごちそうさま』だ」
「『いただきます』と『ごちそうさま』?」
慣れない日本語の発音に、エレナが困惑する。彼女がワタワタしている様を、後ろの方でイリナとナザロフが観察している。
「そうだ。命をいただきますって意味と、命をごちそうさまって意味がある」
「命を?」
「そう。昨日食べたジャムやら野菜やらも、元を正せば命だからな」
昔読んだ何かで、人間は何かを殺さないと生きていけないなんて文言を目にした事がある。
食事の際に口にする物は当たり前として、俺の場合は誰かを殺さないと自分が死ぬ状況下にいた。命とはなんぞやと、生きている内に教えておきたいのだ。
「食べ方が汚いのは、後でどうにでもなる。けれど、これは言わなきゃ、失礼だ」
「……じゃあ、私、失礼だった?」
「ああ。だが、晩飯を食う時に、これまでの分も込みで言えばいい。それでチャラだ」
「チャラ?」
「文句無しって事さ」
俺が歯を見せて笑ってやると、エレナも笑顔を見せてくれた。
それと同時にインターホンが鳴る。ナザロフが応対し、ピザの箱を持ってきた。
「食べましょ」
イリナが率先して椅子に座り、俺達もそれに続く。
「いただきます」
ぎこちないながらも気持ちの籠った挨拶を合図に、再会を祝し新たな門出を祝う、ささやかな宴を始まった。
丘からはパイナップルのプランテーションと海が眺められる。車から降りると、エアコンが発する冷気とはお別れしたが、不思議と暑くは感じない。丁度良く風が吹いているようで、熱を受ける肌を優しく撫でてくれる。
「いいところじゃないか」
俺が褒めると、ナザロフは腰に手を当て得意げな顔をした。
「でしょう。しかも、これまで付いたきたし、相場からすればかなり安いんですよ」
これまでのところで、彼はハイラックスのボディーを叩いた。
「へぇ。そりぁいいな」
だがそれは、あくまでもホノルルでの相場であり、家賃数万の安アパートに住んでいる身としてはまさに住む世界が違う話である。
「そうでしょう」
それでも、自慢臭くなくそれどころか親しみすら覚えるのは、ひとえにナザロフの人柄にあるのだろう。
「まぁ、立ち話もナンですし、上がってください」
言われるがまま、俺はナザロフの家に入る。綺麗な外装とは裏腹に、家の中は男やもめの部屋といった感じでかなり散らかっていた。
イリナはしかめっ面でエレナは周囲を興味深く観察するようにキョロキョロとし、俺は何処かで見たことある荒れっぷりに思わず苦笑した。
「これまた、お恥ずかしい」
冷や汗を浮かべたナザロフは、手近にあったジュースの空き缶を拾いながら言う。
「てっきり、ウチに来るのは石田さんだけだと思っていたんで……」
「あー……」
それは完全に俺のミスである。しばらく泊まらせてほしいという用件を伝えようと、もう一つ肝心なことを伝えていなかったのだから。
「自分片付けるんで、御三方は座って、なにか適当に飲んでてください。冷蔵庫に、ビールとかコーラがあるんで」
空き缶を部屋の隅に低く積み上げ、脱ぎ捨てたであろう服を抱えるナザロフ。
だが、こうなった原因を作っておいて呑気に酒を飲む図太さは無い。俺もテーブルの上に重ねられていたピザやボックス中華の箱を畳む。
「あ、自分やりますよ」
「いいから。……元はと言えば、俺の連絡ミスだ。俺もやらんとな」
俺とナザロフでそんなやり取りをしていると、イリナが何処かからごみ袋を持ってきて。
「そこらへんウロウロされてたら、気が散って気分良く飲めないから」
照れ隠しなのか本音なのか分かりにくい言葉を口にしながら、分別もクソもなく片っ端から袋へぶち込んでいく。
エレナもイリナに倣って、ごみを袋に突っ込みだした。
それから四人がかりでごみを片付け、その勢いで掃除機やら洗い物にまで手を出し、全てが終わったのは夕方になってからだった。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
半泣きのナザロフを宥めながら、少し早いが晩飯の支度をする。
といっても、冷凍食品を温め、店屋物を注文し、缶ビールを出すだけだが。
しかし、店屋物が届くのを待つ空白の間。その時間をただボーッと過ごす訳にはいかない。
「エレナ」
ソファーにチョコンと座るエレナに手招きをする。
「何? おじさん」
一人の子供を育てる人間として、まず最初に教えるべきこと。助手席で揺られている時に色々と考えたが、行き着いたのは結局これだった。
「……これから、ご飯を食べる前と後に絶対にやってほしい事があるんだ」
「何をするの?」
エレナが首を傾げる。だが、表情には少し緊張の色が見える。
(……まだ完全に信用はされてねぇか)
心ではそう分析しつつも、それをおくびに出さず話を続けた。
「そう難しい事じゃない。ただ、おまじないをするだけさ」
「……おまじない?」
「おまじない。『いただきます』と『ごちそうさま』だ」
「『いただきます』と『ごちそうさま』?」
慣れない日本語の発音に、エレナが困惑する。彼女がワタワタしている様を、後ろの方でイリナとナザロフが観察している。
「そうだ。命をいただきますって意味と、命をごちそうさまって意味がある」
「命を?」
「そう。昨日食べたジャムやら野菜やらも、元を正せば命だからな」
昔読んだ何かで、人間は何かを殺さないと生きていけないなんて文言を目にした事がある。
食事の際に口にする物は当たり前として、俺の場合は誰かを殺さないと自分が死ぬ状況下にいた。命とはなんぞやと、生きている内に教えておきたいのだ。
「食べ方が汚いのは、後でどうにでもなる。けれど、これは言わなきゃ、失礼だ」
「……じゃあ、私、失礼だった?」
「ああ。だが、晩飯を食う時に、これまでの分も込みで言えばいい。それでチャラだ」
「チャラ?」
「文句無しって事さ」
俺が歯を見せて笑ってやると、エレナも笑顔を見せてくれた。
それと同時にインターホンが鳴る。ナザロフが応対し、ピザの箱を持ってきた。
「食べましょ」
イリナが率先して椅子に座り、俺達もそれに続く。
「いただきます」
ぎこちないながらも気持ちの籠った挨拶を合図に、再会を祝し新たな門出を祝う、ささやかな宴を始まった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる