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「アリスティア!良かった・・・・良かった・・・・」

目を開くと、目に涙を溜めた優しそうな男の人が視界一杯に映る。
「何処か痛いところはあるかい?僕の事がわかる?」
逸る気持ちを抑えるかのように、ゆっくりと噛みしめるような口調で問い掛けてくる、彼。

「・・・おうじ、さま?」

何故そんな言葉が出てきたのか・・・
―――誰?知らない人・・・外人に知り合いはいないもの・・・

彼は私の言葉に目を見開き、そして嬉しそうに「おかえり、アリス」と泣き笑いした。
あぁ・・・何だろう・・・とても懐かしくて、愛おしくて、その頬を流れる涙を拭おうと手を伸ばそうとしたけれど、力が入らない。
それに気付いたのか、彼が手を握ってくれた。そして、手の甲に唇を押しつける。

それを見て、パチンと私の頭の中で何かが弾けた。
そして、思い出す。さっきまで見ていたモノを・・・
そうよ、に何が起きたのかを、見ていたのよ・・・・







気が付くと私は古びた映画館の中にいた。
ちょうど真ん中の・・・スクリーンが良く見える一等席に座っている。
明るかった館内の灯りが徐々に落ちていき、目の前のスクリーンに映像が映し出され、何処かぼんやりした頭のままそれをじっと見つめた。

その内容は、中世のヨーロッパに似た世界の、ある少女が主人公の物語のようだった。
少女の名前は、アリスティア。ルーベン侯爵家の長女で十七才。
真っ直ぐな癖の無い銀色の髪に、青く澄んだ瞳をしている、稀に見る美少女だ。
だが、その少女は喜怒哀楽を表す表情が非常に乏しかった。
何をしても真顔。能面の様な顔で見つめられると、大概の人間は目を逸らしその場を後にする。
それでも家族だけには微かな変化が分かるらしく、疎まれるわけでもなく愛情深く育てられていた。

家族にはわかる変化でも、それは針の穴から覗くほどの小さなもの。
他人にわかる筈もなく、世間が彼女に付けたあだ名は『人形姫』。
当然、まともな縁談など来るはずもない。ほとんどが権力目当ての者ばかりだった。
だがそんな時、クレメント公爵家の子息アーサーとの婚約話が舞い込んできたのだ。
侯爵家は勿論お断りした。何故なら、アーサーには複数の愛人がいると専らの噂があったから。

そこで場面は変わり、沢山の花が咲き誇る庭に美しい男女がいる。
アーサー・クレメント小公爵とアリスティアだ。
アーサーの身長はアリスティアよりも頭一半ほど高く、短く揃えられた艶やかな黒髪に、アメジストの様な瞳をしている。言わずもがな、美丈夫だ。
その表情は誰もが目を奪われるような柔らかな笑みを浮かべており、大概の女性は心を奪われるのだろう。

「・・・なんか、胡散臭いわ・・・・」

心など一つも籠っていないその笑みに、思わず漏れる呟きと、自分でもわかるくらい眉間に刻まれる深い皺。
何故か手に取る様にわかる、アリスティアの心。そして表情。
彼女は彼に惚れてしまったのだ。
家族の心配をよそに、婚約を受け入れ半年の婚約期間を終え結婚してしまった。
当然彼女の表情は、彼女の家族以外読み取る事は出来ない。
たかだか数か月の付き合いである夫など、到底無理な事。
上手くいくのだろうかと、誰もが思った。
そんな周りの心配をよそに、アーサーは何時も優しくアリスティアをエスコートしている。
そんな二人を見て、互いに愛し合っているのならと周りの者達は微笑ましく見守っていたのだが、アリスティアの家族はアーサーを信用してはいなかった。
そして、当のアーサーの中でもアリスティアは、既に面白みのない人形だと位置づけられていた。

そしてまた場面は変わる。
恐らく、アーサーが住んでいる屋敷なのだろう。
アリスティアは一人静かに泣いていた。
夜にベットの上で、一人きり。
夫は結婚した当初から、初夜にも関わらず現れることなく、噂の愛人を部屋に連れ込んで楽しんでいた。
しかもその声がアリスティアの部屋にまで聞こえてきていたのだ。
アリスティアにあてがわれた部屋は、一応妻となる者の部屋で夫との部屋とは扉で繋がっている。
夫婦の部屋の間には、本来であれば二人で過ごすための寝室があるのだが、すでにその役割は果たしていない。
何故なら、アーサーは愛人と自室にあるベッドで何時もいたしているから。
初夜は馬鹿正直に寝室で待っていたアリスティア。だが彼は訪れることなく、自室で愛人と睦んでおり、尚且つその声を聞かせていた。
それ以来、彼女はその寝室に向かう事はなかった。
アーサーも翌日には、なぬ喰わぬ顔でアリスティアと接してくるのだから、その人間性を疑ってしまうというもの。
愛人との行為を毎晩聞かせられるアリスティア。
恐らく意図的に彼の部屋の扉が開け放たれているのかもしれない。

その声を聞くたび、悲しみと絶望と恐怖がアリスティアを満たし、内側からしっかりと鍵をかける。まるで心をも閉ざすかのように。
夫が愛人を呼び寄せる度に、アリスティアは静かに泣いて夜を明かす。そんな日々が続いていた。

「はぁ・・・嫌がらせかぁ・・・彼女も馬鹿ね。こうなる事を見抜けなかったのかしら・・・」

私は頬杖をつきながら、つまらなそうにスクリーンを見た。
アーサーは絵に描いた様なゲスい人間だった。
彼は女性全てに対し、平等に接する。他人でも友人でも恋人でも、愛人でも。
結局、彼は誰も信用しておらず、誰も愛してはいない。だから、誰にでも平等に接する事が出来てしまうのだ。
そして皆、勘違いをする。アリスティアもその一人だった。
アーサーにとってもアリスティアは、他の女と同じだと思っていた。
皆、必ず自分に好意を持つ。今は無表情のままの彼女も、いずれは自分を愛しその表情は崩れていくのだと疑わなかったのだ。
だが、彼女は変わらなかった。彼に対し好意を持っても、顔には表れないだけなのに。
そんな事など知る由もない彼は、矜持を傷つけられたとばかりに悪意を持って彼女に対し、全く面白みのない人形の烙印を押しつけたのだ。
だからこそ抱かれる事も無かった。
初夜を無視し毎晩愛人と情事を重ねるのも、彼女に対する腹いせの様なもの。
だが、そんな気持ちなどおくびにも出さずアリスティアに対しては、愛人との情事など無かったかのように、平然と接するのだ。

「普通は考えられないわね・・・どんだけツラの皮厚いんだか・・・」

それ以降も夫は複数の愛人を抱き、アリスティアには目もくれない。
だが、夫婦で参加しなければいけない行事には必ずアリスティアを伴い、人目がある所では大切な物を扱うように優しい言葉をかける。
その言葉に、態度にアリスティアはありもしない希望を抱いてしまい、自分を傷つけていたのだ。

「まるでDV(ドメスティックバイオレンス)ね・・・・」

伴侶から暴力など振るわれる女性がなかなか別れられないのは、暴力で支配されている事もあるが、相手が時折見せる優しさに希望を抱いてしまうからなのだと、テレビで見た事があった。
アリスティアはまさにそう。その優しさに、叶うはずの無い希望を見ていたのだ。
他人から見れば「もう、止めた方がいいよ」という状態なのに。

そして、結婚から三か月。
そんな相手の気持ちを顧みることなく、平気な顔で傷つけ続ける彼に天罰を下すかのように、とうとう事件が起きてしまう。
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