紅に咲く ー鳥籠の姫君と忠義の軍師ー

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四章 初恋の花束

第二話 翡より来たるもの

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ようやく馬車が止まり、伽耶はむくりと身体を起こした。

すぐに、トントン、と外から戸を叩く音が響く。

「姫様、よろしいでしょうか?」

誠の声だった。

伽耶は、軽く手ぐしで髪を整えると、応えた。

「ええ、大丈夫」

戸がゆっくりと開き、心配そうな顔の誠が、そっとこちらを覗き込んだ。

「到着しました。……お身体は、大丈夫でしょうか?」

「横になってたから、さっきよりは随分いいわ。ありがとう」

伽耶は小さく頷きながら、弱々しくも微笑んだ。

誠は少し表情を和らげながら、次を告げる。

「このあと、翡国からの歓迎の挨拶があります。
軍団長の華蘭様が代表で応対なさいますが……姫様は、どうなさいますか?」

今回、華蘭はこの合同訓練において季国の代表として一軍を率いていた。
伽耶自身は、無理に顔を出す必要はない立場だ。

だが。

「行くわ。……他国との親善のために来たようなものだしね」

伽耶はすっと顔を上げて言った。

誠は、心配そうな顔を浮かべたまま、一拍置いてから、小さく頷き、手を差し伸べた。

伽耶はその手を取り、軽やかに馬車から降りる。

外には、季国と翡国、両国の旗が美しくはためき、
すでに設営された数多くの幕屋が規則正しく並んでいた。
兵や女官たちが慌ただしく動き回り、その中を少し冷えた風がふわりと吹き抜けていく。

そんな光景の中、女官たちがすぐに駆け寄り、伽耶の身なりを手際よく整えた。

ふわりと春風が伽耶を包み込む。

身なりを整え風を浴び、乗り物酔いで重たかった身体が、少しずつ軽くなっていくようだった。


伽耶はきょろきょろとあたりを見回す。

「お姉様は……?」

尋ねると、誠が軍の前方をさした。

「あちらに」

視線の先では、華蘭が馬から降り、愛馬のたてがみを愛おしそうに撫でているところだった。


「お姉様!」

伽耶が駆け寄ると、華蘭も嬉しそうに顔をほころばせた。

「もう大分よさそうね。安心したわ。
……このあとの挨拶、いけそう?本当に無理しなくていいのよ」

「大丈夫です。そのために来たんですから。わたしだって、姉様の隣で頑張らせてください」

にっこりと微笑む伽耶に、華蘭はじーんと目を潤ませ、ぐっと抱きしめながら頭を撫でた。

「この子ったら、いつの間にかこんなに大きくなって……!」

「わ、わ、姉様!転んでしまいますよ~!」

そう言いながらも、伽耶はとても嬉しそうに笑った。

そのとき、誠の静かな声が響いた。

「姫様方、翡国より参られました」

ふたりは、はっとして身を離す。
華蘭がすぐに気を引き締め、一歩前に出た。

前方から、三人の男たちがゆっくりと歩み寄ってくる。

先頭に立つ男。

束ねた長髪を揺らしながら、背筋を伸ばして進むその姿は、背が高く、がっしりとした体格で、自信に満ち溢れていた。

武術に明るくない伽耶でも、

「ただものではない」

そう直感できる気配を纏っている。

(――あの方が、翡国の王子、翡陽珀(ひ・ようはく)殿下……)

伽耶は、胸の奥でそっとつぶやいた。

そのとき、右に立つ男が一歩、前に出た。
細身の体に、手には扇。
だが、その佇まいには不思議な威圧感があった。

(おそらく、誠から聞いた翡 陽珀殿下の右腕、軍師・岑 晶真(しん・しょうしん))

伽耶は内心でそう呟いた。

「ようこそいらっしゃいました。このたびは遠方より御足労いただき、誠に有難うございます」

男の声は澄んでいて、どこか冷ややかだった。

その言葉に、華蘭、伽耶、誠の三人は一斉に小さく礼を返す。

「私は岑 晶真(しん・しょうしん)と申します。軍師を務めております。
――そして、こちらが我が翡国の第一王子、翡 陽珀殿下にございます」

紹介を受け、陽珀が一歩前に出て、軽く頷いた。

「このたび、合同訓練にて季国の皆様と剣を交えることを、光栄に存じます」

「そしてこちらが騎馬兵隊長 司鷹真(し・ようしん)です」

晶真が続けると、陽珀の左隣に立つ、全身を鎧に包んだ男が一歩前に出て、軽く会釈した。

そのとき、伽耶の隣に立つ誠が、静かに口を開いた。

「ご紹介いただき、ありがとうございます。
また、このたびの合同訓練へのご招待につきましても、重ねて御礼申し上げます」

誠は凛とした声で一礼した。

「わたくしは陸誠、この軍の軍師を務めております。そしてこちらは、我が季国の姫君であり、今回軍団長を務めております季華蘭様です」

紹介を受け、華蘭が一歩前に進み出る。
春の陽光を受けた華蘭は、爽やかな笑顔を浮かべた。

「剣に名高い翡殿下と相見える機会をいただき、光栄です」

その明るい声に場の空気が和らぎかけたところで、誠が続ける。

「そして、こちらが末姫であり、今回鼓舞の舞をご披露される――季伽耶様です」

誠が隣に立つ伽耶をそっと示すと、
伽耶は緊張しながらも、柔らかな笑みを浮かべた。

「精一杯、努めさせていただきます」

伽耶がそう口にした、その瞬間だった。

陽珀が――
伽耶を、じっと視界に捉えたまま、動かなくなった。

(……え?)

伽耶はふと、違和感を覚えた。

(なんだか、視線が……?)

陽珀の瞳は、まるで伽耶の存在そのものを射抜くように、真っ直ぐ向けられている。

戸惑う伽耶の耳に、晶真の声が届いた。

「伽耶様の舞のお噂は、翡国にまで届いております。
今宵の宴でのご披露を、心より楽しみにしております」

晶真が場を繋ぐように穏やかに言葉をかけるが、
それでも、陽珀の視線は微動だにしなかった。

「光栄です。両国の親善の橋渡しになることができれば、よい、の、です、が……」

伽耶は笑みを浮かべながら応えようとするも、
あまりにも強い視線の圧に、言葉がどんどん尻すぼみになっていく。

(あ、圧が……)

伽耶は内心で叫びながらも、必死に笑みを絶やさないように努めた。

そのとき。

誠が一歩、すっと前に出た。

伽耶を背にかばうように立ち、静かに、しかし柔らかな微笑を浮かべながら、翡国の一団を見据える。

「翡国の皆様には、かくも温かいご歓迎を賜り、感謝に堪えません。
――さて、今宵のご挨拶や舞に備え、少し身を整えるお時間を頂戴できればと存じます」

その申し出に、晶真がすぐに頷き、控えにいた兵へ視線を送った。

「承知いたしました。……ご案内いたします」

兵が静かに膝をつき、誘導の準備を整える。

「では、また後ほどお会いしましょう」

華蘭がにこやかに声をかけ、一行に向き直ると、伽耶もその後に続いた。

ただ、背を向けてもなお――
伽耶の背中には、鋭い視線が突き刺さるように感じられていた。








伽耶と華蘭、それぞれが幕屋に通され、幕屋の入り口の布が下ろされる。

伽耶はようやく息を小さく吐き、無理を言ってついてきてもらった誠の方へとくるりと振り返った。

そして誠の袖をそっと引っ張る。

「ね、ねえ誠……」

誠が少ししゃがんで目線を合わせると、伽耶が耳元で小声で聞いてくる。

「わたし、今日……顔になにか、ついてる?」

誠は一瞬、きょとんとしたが、思わず小さく微笑んだ。

(この方は、気づいてはおられるが、わかってはおられないのか……)

伽耶の顔は、真剣そのものだった。

伽耶は十年ほど、ほぼ幽閉されて育ってきた。

いずれは政略結婚の身ということで、恋やら愛やら、そういった題材の書物からも徹底的に遠ざけられてきたのだ。

(何故あれほどの視線を浴びたのか、本当に意味が理解できないのでしょうね……)

誠はふっと目を伏せる。
が、すぐに顔を上げ、穏やかに微笑んだ。

「いいえ。特に気になるところはございませんよ」

「で、でもなんだかすごく見られていたわ…髪が乱れていたのかと思って……横になっていたでしょう?」

伽耶は帯のあたりから手鏡を取り出し、鏡を見るが、頬がほんのり赤いくらいでいつもと変わりなく、首を傾げた。

「大丈夫です、姫様"には"なんら問題はありませんでした」

誠は優しく微笑むと、すっと立ち上がった。

「さあ姫様、今宵は舞のご披露がございます。わたしも列席予定です。楽しみにしております」

誠がそういうと、伽耶もはっと我にかえる。

「そうね!そろそろ準備しないとね。ありがとう誠、引き留めてごめんね」

「いえ、何かありましたらすぐにお申し付けください。では、また後ほど」

誠はそういうとくるりと回り幕屋からでていき、同時に沢山の荷を持った女官たちが入ってくる。

(そうだ、気を引き締めなければ。そのためにここまで来たのだから)

伽耶は両手をギュッと握りしめた。



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