紅に咲く ー鳥籠の姫君と忠義の軍師ー

やまだ

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四章 初恋の花束

第十二話 姫、飛ぶ

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「……もうまもなく、目的地点です」

それが伽耶に向けられた言葉なのか、それとも自分自身への確認なのか、鷹真の声はひどく淡々としていた。
ぐったりと担がれていた伽耶は、ぼんやりとした意識の中でうっすらと目を開けた。

風に揺れる見慣れた幕。
はためく季国の旗。

(……帰って、こられた?)

その思いが胸に芽生えた、その刹那。

「っ……!」

馬が急に足を緩め、揺れた衝撃で伽耶の身体が跳ねた。
見ると、前方の道を横切るように何重にも張り巡らされた縄が、夕日に照らされて光っていた。

鷹真は手綱を引き、咄嗟に馬を横へ滑らせるようにして避けた。
だが、急な進路変更に馬は大きくいなないて動揺し、速度を落とす。

そのときだった。

「姫様を、お返しいただきます」

凛とした、聞き覚えのある声が伽耶の耳を打った。

はっとして顔を上げようとする。

(……いまの声……)

だが、鷹真の腕はまるで鋼のように彼女の身体を固定しており、伽耶の細い身体ではどうしても振り返ることができなかった。


鷹真は前方の誠を睨んだ。

しかしすぐに馬の手綱を引き、軽く後方に下がると、勢いよく腹を蹴る。

(ま、またこれ……!)

伽耶は身をすくめ、ぎゅっと目をつぶった。

だが、次の瞬間。
身体がふわりと浮いた――その一瞬で、彼女は気づいた。

(手が、緩んだ……!)

跳ね上がる身体に逆らい、伽耶は思いきり鷹真の肩に足をかける。

その視線の先には、目を見開いてこちらを見上げる誠の姿。

「誠っ!」

鷹真が「なっ……!」と慌てて振り向いたときにはもう遅く、伽耶はその肩を蹴り、空へと飛び出していた。

次の瞬間。

「姫様!!」

誠の馬が地を裂く勢いで駆け寄り、彼は全身で伽耶を受け止めた。

「……っ!」

低く短い呻き声が誠の喉から漏れる。
だが、足を緩めることなく、馬は突き進む。

伽耶はその首元に腕を回し、顔を埋めるようにして呟いた。

「……誠……やっと、会えた……!」

震えるような声に、誠は息を呑む。
けれどすぐに、その胸の奥に熱がこみあげるのを感じながら、微かに笑った。

「お待たせしました、姫様……」

低く優しい声でそう告げた、そのすぐあと。

伽耶が首に回した手はそのままに、そっと耳元に唇を寄せる。
彼女の髪からふわりと香る花の匂いが、風に乗って誠の頬をかすめる。

そして、伽耶はそっと口を開いた。

「……もうむり。吐いちゃう……」

その切実な声に、誠は一瞬、言葉を失った。

「……えっ」

伽耶を支えたまま横目で見ると、彼女の顔は真っ青に染まり、目を固く閉じている。
全身に力が入らず、微かに震えていた。

(まずい……!)

前方に目的地点は見えていた。
あと少し。

だが。

「姫様、失礼いたします」

誠は馬を止めると、静かに伽耶を抱き下ろす。
伽耶はふらつきながらも、足元に広がる確かな地面の感触に、ほっとしたように膝をついた。

「なにごとだ……?」

背後から迫ってきた鷹真の声が聞こえる。
だが誠は、それを右手で制したまま、一歩も引かずに言い放った。

「医官を!姫様の容態が優先だ。訓練はこれにて終了とする!」

その声は鋭く、迷いなく。
まるで誰も、否とは言わせぬような力を帯びていた。

「姫様……ご無事ですか」

そっと膝をついた誠が、伽耶の背へ優しく手を添える。

「ごぶじじゃ、ない……ぐるぐる、する……」

伽耶は今にも泣きそうな声で、眉を寄せながらまぶたをかたく閉じていた。
喋るのもつらいらしく、肩も小さく震えている。

「まさか……あの体勢のまま、ずっと運ばれていたのですか」

唇を引き結ぶ誠の問いに、伽耶がかすかに頷くと、誠の瞳が鋭く光る。
その視線の先には、沈黙を守る鷹真の姿があった。

「……すまない。運びやすかった」

視線を逸らしながら、ぽつりと落ちたその言葉に、誠は深く息をついた。

ちょうどそのとき、馬の嘶きとともに、陽珀が現れた。
優雅に馬を降りると、ひざまずくように伽耶の横にしゃがみ込む。

「この件につきましては、後ほど正式に抗議を――」

ぴしりとした声音で告げる誠に、陽珀は視線を逸らしながら、わずかに苦笑を浮かべた。

「はは……」

その曖昧な笑みに、伽耶の手がふるふると上がった。
指先が小刻みに震えている。

「やめて……大事にしないで。大丈夫、だから……」

震える声。

それでもきっぱりと断ち切るようなその一言に、皆がはっと息を呑んだ。

(まさか、自分の馬酔いのせいで戦にでもなったら――)

伽耶は込み上げる吐き気を必死でこらえ、目をぎゅっと閉じる。

姫である前に、年頃の女の子なのだ。
……こんな大勢の前で、嘔吐するなんて絶対にごめんだった。

幕屋の方から、医官と女官たちが駆け寄ってくる。

「姫様!」

その呼び声に、伽耶は支えを借りてよろよろと立ち上がる。

誠も、陽珀も、付き添おうとわずかに身を乗り出した。
だが万が一にも吐く未来のことを考えると、伽耶は、それをぴたりと手で制した。

そして――
ふらふらと数歩進んだところで、ふいに足を止めた。

振り返ると、その視線はじとりと陽珀を射抜いていた。

「殿下の、今後のために申し上げますが……」

声は震えていたが、確かに通る。

「女性を……あのように運んではいけません……」

まるで、王族の命としての宣告のように。
静かに、しかしはっきりと言い切った伽耶は、そのまま再び前を向いた。

よろよろと歩いていくその背を、
陽珀は、ふっと笑みを浮かべて、見つめていた。
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