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五章 わたしの目覚め
第八話 姫の時間、開宴
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あれから。
伽耶たちは雪遊びを切り上げ、冷えた身体を温めるため湯殿に身を沈めた。
陽はとっぷりと暮れ、湯上がりの温もりがじんわりと肌に残るころ、宴の刻限が近づいていた。
伽耶は、扇で口元を隠しながら、そっと欠伸を押し殺した。
(……眠い……)
朝から外で遊び続けた疲労が、温湯に溶けて全身へと染みわたり、今もまだ名残のように重だるい。
けれど、これからは“姫”の時間だ。
本日催されるのは、領主が用意した歓迎の宴。
初めてこの地を訪れた季国の姫として、伽耶は主賓の座に就くことになる。
(招かれたのだから、応えねばならないわ)
そう言い聞かせながら、扉の前で立ち止まったとき、傍に控えていた誠が、心配そうに声を落とした。
「姫様、ご無理はなさらぬよう……」
それはもう、何度も耳にした台詞だった。
伽耶はふ、と微笑むと、そっと首を横に振った。
「大丈夫。こなしてみせるわ」
そう応える声には疲れが滲んでいたかもしれない。
けれど、次の瞬間には、彼女はいつもの姫の面差しを纏っていた。
両手を頬に添え、目を閉じ、大きく息を吸い込む。
(そうよ、わたしは季国の姫なのだから。どんなに疲れていても、微笑んで座っていられる。それが、わたしの役目)
ぱちりと目を開け、扉の向こうへと意志を向けた伽耶は、控える誠に小さく頷いてみせた。
その笑みには、彼女が背負う覚悟と誇りが、確かに宿っていた。
宴は、何事もなく、粛々と進行していた。
雪の国らしい、静謐で淡い彩りの会場。目にも鮮やかな料理の数々に、澄んだ音色の楽の音。
領主が言った通りの、贅を尽くした歓迎の宴。
そのすべてが、丁寧で、心のこもったものであるのは間違いなかった。
伽耶は、笑顔を絶やすことなく、景仁の隣に控えていた。
その背筋は凛と伸び、口元には柔らかな微笑み。
姫としての振る舞いに、一分の乱れもない。
だが、ただ一つ、普段と違う光景があった。
「うむ……今宵の宴は、魚も美味よの。酒も……ふふ、いつもより、香りがよい……」
景仁は、珍しく上機嫌だった。
頬にはうっすらと紅が差し、口元には少年のような笑みが浮かんでいる。
その変化に、最初に気づいたのは煌辰だった。
伽耶たちとは少し離れた席で、煌辰はそっと身を乗り出し、隣に座る誠にささやく。
「おい……あれ、絶対疲れで酔いが回ってるぞ。あんな陛下、初めて見た…」
誠は言葉を返さず、わずかに頷くだけだったが、鋭い視線はすでに景仁へと注がれていた。
その隣の伽耶は、いつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。
が、誠はその手が膝の上で握られていることに気づいていた。
やがて、領主が酒瓶を携えて景仁のもとへとやってくる。
「陛下、お気に召されたようで何より。……本日は、雪で戦を嗜まれたとか?」
「うむ。娘と共に……実に愉快なひとときであったぞ!なんとこの子が、わしに“1番槍”をくれてやったのだ!」
景仁は腹の底から笑い、その声が賑やかな広間に朗々と響く。
そして、盃を一気にあおると、傍らの伽耶に視線を向けた。
「伽耶、来い」
手招きの指は、どこか無邪気で、父そのものだった。
「はい、お父様」
伽耶は椅子を離れ、そっと歩み出る。
裾を払う所作も、揺れる髪も、どこまでも端然として美しい。
そのまま、景仁の横に控えると、彼はにこやかに笑って言った。
「これは実にうまい果実水だ。……おまえも、一杯飲んでみなさい」
そう言って差し出された盃からは、薄く甘い果実の香りが立ちのぼっていた。
それはまるで、本当にただの果実水のように――無邪気で、優しい匂いだった。
「お父様がお勧めしてくださるなんて、嬉しいです。いただきます」
伽耶はにこ、と微笑むと、並々と注がれた盃を手に取る。
口にした液体は、確かに甘く、喉越しもすっきりしていて、驚くほど飲みやすかった。
満足げに頷いた景仁は、再び酒瓶を手に取り、今度は自らの手で盃を満たす。
「ありがとうございます、お父様」
伽耶はにこりと微笑み、周囲が言葉を挟む間もなく、その盃に唇を重ねた。
甘い香りが鼻をくすぐり、喉をなめらかに滑ってゆく。
(……なんだか、あたたかい)
身体の芯から、ふわりと熱が広がっていくのを感じながら、伽耶は景仁の隣で静かにまつげを伏せた。
「おぉ、姫様は実に見事な飲みっぷりにございますな!さすがは陛下の御子にございます!」
陽気な領主が景仁の盃に酒を注ぎながら褒めそやすと、景仁は豪快に笑って盃をあおる。
「そうだろう、そうだろう!総雅は妻に似てあまり飲めんが、烈翔も華蘭も酒豪だぞ!わしは良い子に恵まれた!」
その高らかな声が響いたちょうどその時。
盆に料理を乗せた女官たちが、音もなく入ってきた。
「姫様、どうぞお席へ。お次は肉料理でございます、温かいうちに」
女官の声にうながされ、伽耶はそっと立ち上がった。
(……あれ?)
ふわり、と視界が傾ぐ。
足元にふらりと力が抜け、思わずよろめいた身体を、そっと隣の女官が支えた。
「ごめんなさい、少しふらついてしまったみたい……」
それでも伽耶は笑顔を崩さず、今度はゆっくりと立ち上がり、自席へと戻っていく。
(なにか、おかしい、ような…?)
その時、ふと視線を上げると――
誠がいた。
遠くから、まるで今にも駆け寄りそうなほどの勢いで、じっとこちらを見つめている。
伽耶は小さく唇を動かした。
(……大丈夫)
そう伝えたつもりだった。
けれど、誠の眉間のしわは、解けなかった。
(……立った時にほんの少し、ふらついただけなのに)
その真面目な心配に、伽耶はふっと笑みをこぼした。
伽耶たちは雪遊びを切り上げ、冷えた身体を温めるため湯殿に身を沈めた。
陽はとっぷりと暮れ、湯上がりの温もりがじんわりと肌に残るころ、宴の刻限が近づいていた。
伽耶は、扇で口元を隠しながら、そっと欠伸を押し殺した。
(……眠い……)
朝から外で遊び続けた疲労が、温湯に溶けて全身へと染みわたり、今もまだ名残のように重だるい。
けれど、これからは“姫”の時間だ。
本日催されるのは、領主が用意した歓迎の宴。
初めてこの地を訪れた季国の姫として、伽耶は主賓の座に就くことになる。
(招かれたのだから、応えねばならないわ)
そう言い聞かせながら、扉の前で立ち止まったとき、傍に控えていた誠が、心配そうに声を落とした。
「姫様、ご無理はなさらぬよう……」
それはもう、何度も耳にした台詞だった。
伽耶はふ、と微笑むと、そっと首を横に振った。
「大丈夫。こなしてみせるわ」
そう応える声には疲れが滲んでいたかもしれない。
けれど、次の瞬間には、彼女はいつもの姫の面差しを纏っていた。
両手を頬に添え、目を閉じ、大きく息を吸い込む。
(そうよ、わたしは季国の姫なのだから。どんなに疲れていても、微笑んで座っていられる。それが、わたしの役目)
ぱちりと目を開け、扉の向こうへと意志を向けた伽耶は、控える誠に小さく頷いてみせた。
その笑みには、彼女が背負う覚悟と誇りが、確かに宿っていた。
宴は、何事もなく、粛々と進行していた。
雪の国らしい、静謐で淡い彩りの会場。目にも鮮やかな料理の数々に、澄んだ音色の楽の音。
領主が言った通りの、贅を尽くした歓迎の宴。
そのすべてが、丁寧で、心のこもったものであるのは間違いなかった。
伽耶は、笑顔を絶やすことなく、景仁の隣に控えていた。
その背筋は凛と伸び、口元には柔らかな微笑み。
姫としての振る舞いに、一分の乱れもない。
だが、ただ一つ、普段と違う光景があった。
「うむ……今宵の宴は、魚も美味よの。酒も……ふふ、いつもより、香りがよい……」
景仁は、珍しく上機嫌だった。
頬にはうっすらと紅が差し、口元には少年のような笑みが浮かんでいる。
その変化に、最初に気づいたのは煌辰だった。
伽耶たちとは少し離れた席で、煌辰はそっと身を乗り出し、隣に座る誠にささやく。
「おい……あれ、絶対疲れで酔いが回ってるぞ。あんな陛下、初めて見た…」
誠は言葉を返さず、わずかに頷くだけだったが、鋭い視線はすでに景仁へと注がれていた。
その隣の伽耶は、いつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。
が、誠はその手が膝の上で握られていることに気づいていた。
やがて、領主が酒瓶を携えて景仁のもとへとやってくる。
「陛下、お気に召されたようで何より。……本日は、雪で戦を嗜まれたとか?」
「うむ。娘と共に……実に愉快なひとときであったぞ!なんとこの子が、わしに“1番槍”をくれてやったのだ!」
景仁は腹の底から笑い、その声が賑やかな広間に朗々と響く。
そして、盃を一気にあおると、傍らの伽耶に視線を向けた。
「伽耶、来い」
手招きの指は、どこか無邪気で、父そのものだった。
「はい、お父様」
伽耶は椅子を離れ、そっと歩み出る。
裾を払う所作も、揺れる髪も、どこまでも端然として美しい。
そのまま、景仁の横に控えると、彼はにこやかに笑って言った。
「これは実にうまい果実水だ。……おまえも、一杯飲んでみなさい」
そう言って差し出された盃からは、薄く甘い果実の香りが立ちのぼっていた。
それはまるで、本当にただの果実水のように――無邪気で、優しい匂いだった。
「お父様がお勧めしてくださるなんて、嬉しいです。いただきます」
伽耶はにこ、と微笑むと、並々と注がれた盃を手に取る。
口にした液体は、確かに甘く、喉越しもすっきりしていて、驚くほど飲みやすかった。
満足げに頷いた景仁は、再び酒瓶を手に取り、今度は自らの手で盃を満たす。
「ありがとうございます、お父様」
伽耶はにこりと微笑み、周囲が言葉を挟む間もなく、その盃に唇を重ねた。
甘い香りが鼻をくすぐり、喉をなめらかに滑ってゆく。
(……なんだか、あたたかい)
身体の芯から、ふわりと熱が広がっていくのを感じながら、伽耶は景仁の隣で静かにまつげを伏せた。
「おぉ、姫様は実に見事な飲みっぷりにございますな!さすがは陛下の御子にございます!」
陽気な領主が景仁の盃に酒を注ぎながら褒めそやすと、景仁は豪快に笑って盃をあおる。
「そうだろう、そうだろう!総雅は妻に似てあまり飲めんが、烈翔も華蘭も酒豪だぞ!わしは良い子に恵まれた!」
その高らかな声が響いたちょうどその時。
盆に料理を乗せた女官たちが、音もなく入ってきた。
「姫様、どうぞお席へ。お次は肉料理でございます、温かいうちに」
女官の声にうながされ、伽耶はそっと立ち上がった。
(……あれ?)
ふわり、と視界が傾ぐ。
足元にふらりと力が抜け、思わずよろめいた身体を、そっと隣の女官が支えた。
「ごめんなさい、少しふらついてしまったみたい……」
それでも伽耶は笑顔を崩さず、今度はゆっくりと立ち上がり、自席へと戻っていく。
(なにか、おかしい、ような…?)
その時、ふと視線を上げると――
誠がいた。
遠くから、まるで今にも駆け寄りそうなほどの勢いで、じっとこちらを見つめている。
伽耶は小さく唇を動かした。
(……大丈夫)
そう伝えたつもりだった。
けれど、誠の眉間のしわは、解けなかった。
(……立った時にほんの少し、ふらついただけなのに)
その真面目な心配に、伽耶はふっと笑みをこぼした。
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