紅に咲く ー鳥籠の姫君と忠義の軍師ー

やまだ

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六章 その背に祝福を

第六話 その膝の上は誰のもの?

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翌朝。
伽耶と桜華の世話を終え、一度解散した誠は、再び伽耶の書房へと足を運んでいた。

(本日は歴史の振り返りと、算術を少々……)

手にしていた書を胸元で整えながら、誠は伽耶の宮へとたどり着く。
しかし、取り次ぎに出た女官の表情は、どこかぎこちない。

「……何か、ございましたか?」

誠が声を潜めて問うと、女官は小さく目を伏せ、何か言いかけ、その視線が、一瞬、部屋の奥を気にした。

「誠、入って」

部屋の奥から伽耶の声がかかる。
女官はぱっと道を開けると、誠は首を傾げながらも、書を抱えて静かに中へと踏み入った。

そして、次の瞬間。
誠の目に映った光景に、意識が一瞬止まった。

 

「伽耶様、ご覧ください!これが燿国の歴史書です。僕、もう全部読みましたし、ちゃんと覚えてるんです!」

「まあ……それはすごいですね。ほんとうに偉いわ。わたし、歴史はちょっと苦手で……」

「じゃあ、僕が教えてあげます!得意ですから!」

 

ふたりは顔を見合わせ、にこりと笑っていた。

そこまでは、よかった。

問題は「位置」だった。

玲淵は伽耶の膝の上にちょこんと座り、伽耶はその背後から腕を回して本を支えている。

(……あの、玲淵殿下が、姫様の膝の上で抱かれて……!?)

誠の中で、理性の何かが静かに崩壊した音がした。

ちら、と目をやれば、女官長となって以来久々に召された芳蘭が、まるで悟ったように首を横に振っている。
昨日もいた玲淵の従者は鳩尾をずっとさすっていた。

(いえ、相手は六歳……六歳です……)

誠は内心で言い聞かせ、深く息を吸い込んでから咳払いを一つ。

すると、伽耶がはっと気づいたように顔を上げた。

「誠、先ほど玲淵殿下が来てくださったのよ。わたしも驚いたのだけれど」

その言葉に合わせるように、膝の上の玲淵がじっと誠を見つめた。

誠は静かに膝をつき、臣下の礼を取る。

「陸誠でございます。姫様の教――」

「おまえ、昨日もいたよな?」

玲淵の鋭い言葉が、誠の挨拶を断ち切った。

(……相手は、六歳の王子殿下…六歳です…)

「どうして今日もいるんだ」

その小さな体からは想像もつかない王族の威圧感に、誠は眉一つ動かさず頭を下げ続けた。

「殿下」

伽耶が、少し困ったような微笑を浮かべて口を開いた。

「誠はわたしの教育係をしてくれているんですよ。毎朝来てくれて、とても頼りになるんです。…ね、誠?」

伽耶が柔らかく助け舟を出すと、玲淵は「ふーん」とだけ返し、

「じゃあ今日は帰っていいぞ。伽耶様には僕がついてますからね」

と言い放った。

誠は、顔を上げた。

その表情は、伽耶が見たことのないほど……静かで、無表情だった。

「……それには及びません。
姫様の教育は、殿下のご滞在中であっても、私の大事な職務でございます」

いつもの丁寧な口調のまま、しかしどこか“絶対に譲らない”という意志を含んでいた。

玲淵は口を尖らせたまま誠を睨みつけたが、すぐにくるりと伽耶を振り返り、ぱっと顔を明るくした。

「ねえ伽耶様、この滞在中は、僕が教えて差し上げますね!何でも聞いてください!」

「え、ええ……ありがとう。じゃあ、今日は歴史から、だったかしら――」

伽耶が困ったように眉を下げつつも頷くと、こくこくと玲淵が頷く。

「誠も、座って…?」

戸惑いを隠せない様子の伽耶に促され、誠も静かに席に歩み寄る。

芳蘭がわずかに口元を歪めていたのは、たぶん、気のせいではない。


そこから先は――
誠にとって、まさに「試練」としか言いようのない時間だった。

「伽耶様、ほら、この地図をご覧ください!地図を見れば、この戦も理解しやすいのです!」

「わぁ…本当ね。すごいわ、もうここも勉強なさっているのね」

「ええ!頼りになるでしょう、僕だって!」

「ふふ、そうね」

伽耶の柔らかな笑みに、玲淵はふん、と得意げに鼻を鳴らし――
そのまま、明らかに誠へと鋭い視線を飛ばした。

「伽耶様、こちらの史実書はご覧になったことが?これを読めば暗記も減ります!」

「そうなの?これはまだ読んだことがなかったわ。読んでみるわね」

「ええ!ぜひ!」

……そして、また誠をひと睨み。

その間、誠はというと――
本を開いては閉じ、筆を手にしては置き、読みかけの巻物を何度も巻き戻し、ただただ無言で「自分の居場所」を探し続けていた。

伽耶も何度か誠に話を振るのだが、玲淵の強引さに敵わず話を戻されてしまう。

――結局。

いつもならば的確に進行を促すはずの誠が、
その午前の学習時間、とうとう一度も口を開くことはなかった。

「……あの、誠。今日もありがとう。また明日も、お願いね?」

伽耶が少し眉を下げて、そっと声をかける。
玲淵はすぐに口を尖らせた。

「えーっ、僕がいるのに! 伽耶様には、僕がいるのに!」

「でも……」

伽耶は困ったように言葉を濁し、ちらりと誠の方を見た。

「……また早朝、参ります」

誠は静かに、けれどしっかりと礼をして部屋をあとにした。

廊下に出た瞬間、誠は一度、足を止めた。
深く息を吸い、吐く。

(……私は今、何を見せられていたのだろう)

女官が廊下の隅で「陸誠様、お顔が……能面のようでございましたね」などと囁いているのを、聞こえぬふりで通り過ぎた。





午後、軍議を終えた誠の足取りは、どこか落ち着かないものだった。

「……誠、今日は君らしくなかったな?」

焉明のひとことが、図星を刺したように胸の奥に残っている。

(……六歳です。六歳の子どもです)

何度となく心の中で繰り返しても、そのたびに思い出してしまう。
朝、あの少年が伽耶の膝の上でふんぞり返っていた姿。
そして、困ったように、でも微笑みかけていた伽耶の横顔。

(わたしは、一体……何に、嫉妬しているんでしょうね)

そんな自問を振り払うように、誠はふと立ち止まる。

今日は義務の仕事は、すでに終わっている。

(姫様が、王族のお相手でお困りかもしれませんし…忘れ物でもしたことにして…)

口の中で言い訳のように呟きながらも、気づけば足は自然と、伽耶の宮へと向かっていた。
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