紅に咲く ー鳥籠の姫君と忠義の軍師ー

やまだ

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七章 紅に咲く

第十一話 音に抱かれて

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「いいじゃない、上客じゃないの!ほら、端っこで縮こまってないで、こっち来なさいな!」

ぐいっと両肩を押され、伽耶はいつの間にか幕屋の中央、ござのど真ん中へと座らされていた。

「みんなー!張り切りなさい!このお方は、あんたたちの三年分の食い扶持を払ってくださったのよー!」

どっと湧く劇団員たち。
先ほど舞っていた女性と、もうひとり幕の奥から現れた大柄な女が、伽耶の両脇にぴたりと腰を下ろす。

「あ、あの……」

「あたしは胡蝶。この劇団の団長。そっちが陽炎(かげろう)、こっちが初音(はつね)」

紹介されたふたりは、にっこりと笑みを浮かべ、陽炎は軽やかにウィンクを、初音は茶目っ気たっぷりに投げキスを一つ。

「お客様には、最高のものをお見せしないとねぇ。……まあ、こんなオンボロ劇団だけどさ」

「やだ蝶ちゃん、失礼ね。ここだって味があるわよ」
「そうよ。ちょっとカビ臭くて辛気臭いけど」
「辛気臭いは余計なお世話よ」

両脇のふたりが顔を見合わせてくすくす笑う。
そのやり取りに、伽耶はぽかんとしながらも、どこか心が和らぐのを感じた。

「――それなら。舞を……もう一度、見せていただけませんか?」

伽耶は思ったよりも大きな声が出てしまい、慌てて口を押える。
だが、胡蝶たちは顔を見合わせて、ふっと笑った。

「もちろん」

3人はしなやかに舞台へと上がっていく。

「音楽!」

胡蝶の掛け声とともに、鼓と笛が鳴り響く。

即席の木箱舞台、控えめな松明の明かり。
3人並ぶとぎゅうぎゅうで、音も、動きも、決して洗練されたものではなかった。

けれど――

それでも彼女たちは、自分たちの“美しさ”を誇りとして、胸を張って舞っていた。
誰かのためではない、自分のために。
心から湧きあがる何かを、ただ全身で表現していた。

(……わたしは、今まで誰のために舞っていたんだろう)

ひたむきな動きのひとつひとつが、胸を打つ。
光もなく、音も不揃いで、贅沢な装飾もないのに、どうしてこんなにも、心が震えるのだろう。

『あなたが好きになって極めたのは“舞”。
その美しさは――どうしても、“愛でられるもの”として見られてしまう』

華蘭の言葉が頭をよぎる。

(……わたしの舞は、結局は紫宸の目を引き、男たちを喜ばせるだけだった)

けれど今、
“見せる”ためではない舞が、目の前にある。


やがて音が止み、三人が静かにポーズを決めて一礼する。
その瞬間、伽耶の頬に、ぽたりと涙が伝った。

「あ、あれ……?」

涙を拭う指が震える。
こみ上げる感情を抑えきれず、ぐっと唇をかむ。

「やだ蝶ちゃん、この子泣いてるわよ!」
「泣かないで~、かわいい顔がもったいないってば」

陽炎と初音が両脇から寄ってきて、そっと袖で頬を拭ってくれる。
伽耶は、震える声でかすかに笑った。

「ごめんなさい。……皆さんが、あまりにも美しくて……」

伽耶は城にいる時のように笑顔を作って涙を隠す。
胡蝶はその顔をじっとみつめた。

「そうだ、二胡はないのでしょうか?二胡があれば、もっと素晴らしい舞にできると思うんです」

伽耶の提案に2人は顔を見合わせる。

「あったんじゃない?ほら、前アイツが置いてったヤツ」
「あったあった。ちょっと待ってなさい」

初音が幕屋の奥へと消えていく。

「前は弾くやついたけど、今は誰も弾けないわよ。それともあんた弾けるわけ?」

胡蝶は半ば試すように伽耶を見つめた。

「あの……一般教養程度ですので、皆さんに満足していただけるかはわかりませんが」

伽耶は、すこしだけ照れたように、指先で髪を整えた。

城では幼い頃から、学問も芸事も仕込まれていた。
その一つが二胡。
師範には、人前でも恥ずかしくないと褒められた記憶が残っている。

「あったわよ~。ちょっと汚れてるけど」

初音は古びた二胡を袖で軽く拭き、伽耶に手渡した。
胡蝶たちは興味と期待を胸に、自然と伽耶のまわりへ集まってくる。

伽耶はそっと弦に触れ、音を確かめる。
ぽん……ぽん……と響く調律の音が、幕屋に静けさを連れてくる。

そして、弓を取る。

――ひと弓。

細く、透き通るような音が、張り詰めた空気をすっと貫いた。

それはまるで、忘れかけていた記憶を呼び覚ますような旋律だった。
懐かしさとやさしさをふくんで、けれど芯のあるその音色に、誰もが息を呑んだ。

幕屋の空間が、ふっとひとつにまとまる。
音の重さでも、華やかさでもない。
ただ、まっすぐに届いてくる音だった。

伽耶の指先が舞い、音は緩やかにうねりを描き、
やがて情熱を帯びた流れへと変わってゆく。
その一音一音が、どこか閉ざされていた心を、やさしくノックするようだった。

「……一般教養って程度じゃないわよ……」

胡蝶がぽつりと漏らした。

そのときだった。

ぽん……と鼓の音が重なった。
不器用な手つきで打たれたその音が、ふたつ、みっつと重なっていく。

そして、ひゅる、と風を切るような笛の音が響いた。
緊張しながらも、伽耶の旋律にそっと寄り添うように。

笛と鼓はまだ拙い。けれど伽耶の二胡がその音を受け止め、優しく導いていく。
まるで、音と音が対話しているようだった。

──陽炎と初音が、ふわりと舞台へ躍り出た。

さきほどまでの舞とは明らかに違う。
伽耶の音がふたりの背を押し、その舞は気高く、そして自由だった。

ふたりは微笑みながら、風に乗るように舞い踊る。

入り口にいた義足の男も、いつの間にか手拍子を加えていた。
リズムは拙くとも、そこにあったのは確かな拍動だった。

小さな幕屋に、生まれたての音楽が満ちていく。


それは、ひとときの奇跡のように。
静かで、あたたかい時間だった。


やがて旋律は静かに結びを迎え、しん……と幕屋は沈黙に包まれる。

その静けさを破ったのは、陽炎の明るい叫びだった。

「ちょっとちょっと! めちゃくちゃすごいじゃない! あたし、身体が勝手に動いたわよ!」

彼女は舞台から跳ねるように降りてくると、右側から伽耶をぎゅっと抱きしめる。

「沁みたわよ……! あたし、泣いちゃったじゃないの!」

続いて初音も舞台から降り、今度は左から伽耶を抱きしめる。

左右から挟まれるかたちで、伽耶は思わずきゅっと目を瞬かせた。

鼓と笛を奏でていた子供たちも、目をきらきらと輝かせて駆け寄ってくる。
ふたりの小さな手が、伽耶の袖をそっと掴んだ。

(……家族以外の人に、こんなふうに抱きしめられるのって、初めてかも)

伽耶の胸に、じんわりとあたたかいものが広がっていく。

(温かくて、少し、くすぐったくて――でも、嬉しい)

伽耶は自然と頬が緩むのを感じた。

(こんなに美しく、あたたかな舞を舞う人たちが……悪い人なわけ、ないわ)

そう思うと、自然に身体が動いていた。

そっと目を閉じ、拳をぎゅっと握り、小さく息を吸って――

「わたしを、ここに置いていただけないでしょうか」

凛とした声が、幕屋に澄み渡る。

「良いわよ~! いつまででもいなさいよ!」

「あなたの演奏があれば、化け物小屋なんて言わせなくなるわ!」

初音と陽炎が口々に言い、伽耶の頭を撫でる。

伽耶は目を輝かせ、口元をそっと綻ばせた、そのとき。

「……お待ち!」

胡蝶の声が、ひときわ響いた。

伽耶がはっと振り返ると、胡蝶はゆっくりと歩み寄ってきて、指先で伽耶の顎をくい、と持ち上げる。

「訳ありでしょ。こんな夜更けに女がひとり。行くあてがないって言ってたそうじゃない」

じっと見つめてくるその双眸に、伽耶もまた、まっすぐ視線を返す。

「……かわいそうじゃな~い」

伽耶を挟む2人が、口々に囁く。

「置いてあげましょうよ、蝶ちゃん」

「そうそう、この子、悪い子じゃないわよ」

だが胡蝶は、顎にかけた手を離しながら、ふっと意味深に笑った。

「――置いてあげるかどうかは、飲んでから決めるわ!」

からん、と酒瓶を掲げる。

幕屋の空気が、再び賑やかに揺れた。
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