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七章 紅に咲く
第十六話 あの手をもう一度
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季国の広間――。
誠は、多くの重臣たちが居並ぶ中、ただひとり膝をついて頭を垂れていた。
「……頭を上げよ」
低く沈んだ景仁の声が響く。
静かに顔を上げると、玉座に座す景仁、その隣に烈翔。
誰もが疲れと苛立ちを隠し切れていなかった。
景仁の目の下には深い隈が滲み、乱れた髪が肩に落ちている。
誠が知る限り、国王としての威厳を失った姿など、初めてだった。
「……もう十日になる。烈翔、どうなっている」
押し殺した声だった。
烈翔もまた、憔悴しきった顔で答える。
「未だ、足取りが掴めておりません。
国境付近の検問も強化し、誰一人通れぬようにはしておりますが……」
誠の耳には、その烈翔が兵を怒鳴り散らす声さえ届いていた。
(烈翔殿下ほどの人物をここまで追い詰めるとは……)
それだけで、伽耶がこの国にとって何者なのかが痛いほどに伝わってくる。
「ではなぜ、見つからんのだ!
街の捜索はどうした!花街も抜かりなく調べたのか!」
景仁の叱責に、烈翔は悔しそうに唇を噛んだ。
「……花街もすべて兵を入れました。
ですが、それらしい娘は……」
言葉を切る烈翔。
広間には、重い沈黙が落ちた。
「……それらしき遺体もないのか」
絞り出すような景仁の声。
本当は、その言葉だけは口にしたくなどなかったはずだった。
「ございません」
烈翔の短い返事が、余計に場を冷たくする。
その空気を破ったのは、一人の家臣だった。
手にした文を広げ、声を震わせる。
「……紫国より使者が直に参られるとのことです。
どうやら、紫宸殿について季国に誤解があると……それを晴らすための宴を設けたいと……」
烈翔は、舌打ちをした。
「……噂が漏れたな。
奴ら、伽耶がいないことを探りにきやがった……!」
再び、広間を沈黙が包む。
やがて、景仁の瞳が誠を射抜いた。
「――陸誠」
鋭い呼び声に、誠の背筋が震えた。
「お前は伽耶と共謀の疑いで謹慎させていた。
だが、もはや打つ手がない……紫国に失踪を知られるわけにはいかん。
――あの娘と最も近しかったのはお前だ。
どこに隠れたか、どこへ向かうか……わかるだろう」
景仁は疲れ切った目で、だがわずかに縋るように言葉を紡いだ。
「……必ず探せ。
それでこそ、お前の疑いも晴れる」
「……はっ」
誠は深く頭を下げると、静かに立ち上がった。
自分の背に、重いものが乗るのを感じた。
だが、誠が思うのはただひとつ。
(……姫様。
あなたを、この手で――)
視線の先に、薄く開かれた扉の隙間から光が射し込んでいた。
(必ず、連れ戻します)
重たい扉が、誠の背後で音を立てて閉まった。
誠は己の執務室で、積み上がった報告書の山を前に静かに息を吐いた。
謹慎処分となってからの十日間。
焉明や煌辰に頼んで、密かに手元へ回してもらった兵の報告は、何度も指でなぞられ、角が擦り切れていた。
(……姫様は、国境を越えてはいない)
誠の視線が鋭く紙面を走る。
失踪当日、封鎖命令が完遂されたのは報告によればその日の夕刻。
伽耶の足では、それまでに国境へたどり着くのは不可能に近い。
(街中に潜伏している可能性が最も高い)
烈翔は、街の捜索は全て済んだと言った。
だが。
(書面上は、確かに「捜索済み」だ)
誠は報告書を指先で弾くようにめくった。
きれいすぎる文面。
同じ言い回しの繰り返し。
誠にはそれが、現場を見ずに書いた報告書だとすぐにわかった。
(……抜けがある)
現場を知らずに動く将の穴を埋めるのが、自分の役目だ――
かつてそう叩き込まれた日々を思い出す。
(姫様は金目の装飾を持ち出されたが、若い女の換金の記録はない。金がなければ遠くへは行けない。……まずは、そこから洗い直す)
誠の脳裏には、伽耶が小さな手で握りしめていた香り袋が浮かぶ。
(……必ず、見つけ出す)
机の端に置いていた、色褪せた香り袋をそっと手に取り、拳の中で強く握りしめた。
そして、その足は街へ向かっていた。
いくつかの換金屋の記録をすべて洗った。
何十と続く帳面の走り書きの奥。
(必ず、なにかある)
とある取引を指でなぞった。
あまり他では見ない、多額の取引がなされていた。
「ああ、それですね。どこだったか、馬屋が持ってきたんですよ。現物で取引したとかで」
馬屋をいくつも巡り、ここ十日で高額の取引があった店を一つ突きとめた。
馬屋の親爺の嘘くさい言い訳をいくつも聞き流し、
「……“首飾り”……?」
口にした一言がすべてを繋げた。
「ああ、あの化け物劇団の連中か? 馬が死んじまったとかでずっと城下にいたが、金の首飾りを客からもらったとかで払っていったさ」
その瞬間、胸の奥の糸がピンと張った。
(――姫様。やはり、ここに)
劇団の痕跡をたどり、何度も風に紛れた声を拾っては振り返った。
(すべては、あなたを城へ連れ戻すため――
いいや、あなたに生きていてほしいと願ったから)
誠は小さく、色褪せた香り袋を握りしめた。
(もうすぐ、会えます――姫様)
馬の蹄が土を蹴る音だけが、夕暮れの道に残る。
(……攫われたのではないか。
どこかで泣いているのではないか。
誰かに無理やり、手を触れられてはいないか――)
考えまいとすればするほど、脳裏には、
小さな手で自分の袖を握りしめた少女の面影が蘇った。
(……守ると決めていた。
どんなことからも、必ず……)
それが、自分の手で壊れてしまった。
誰よりも傍にいた自分が、
何よりも遠くに追いやってしまった。
唇を噛みしめた。
冷たい風が瞼を打つ。
(……もし、あの方を傷つけた者がいるのなら――どれほどの代償を払わせよう。)
馬を蹴る足に、自然と力が籠る。
(……姫様。どうか、ご無事で。
……生きていてください――)
誠は、共謀の疑いのために見張りにつけられた兵たちを一瞥し、手綱を握る手に力を込める。
向かう先は、城下町からそう遠くない、小さな村だった。
誠は、多くの重臣たちが居並ぶ中、ただひとり膝をついて頭を垂れていた。
「……頭を上げよ」
低く沈んだ景仁の声が響く。
静かに顔を上げると、玉座に座す景仁、その隣に烈翔。
誰もが疲れと苛立ちを隠し切れていなかった。
景仁の目の下には深い隈が滲み、乱れた髪が肩に落ちている。
誠が知る限り、国王としての威厳を失った姿など、初めてだった。
「……もう十日になる。烈翔、どうなっている」
押し殺した声だった。
烈翔もまた、憔悴しきった顔で答える。
「未だ、足取りが掴めておりません。
国境付近の検問も強化し、誰一人通れぬようにはしておりますが……」
誠の耳には、その烈翔が兵を怒鳴り散らす声さえ届いていた。
(烈翔殿下ほどの人物をここまで追い詰めるとは……)
それだけで、伽耶がこの国にとって何者なのかが痛いほどに伝わってくる。
「ではなぜ、見つからんのだ!
街の捜索はどうした!花街も抜かりなく調べたのか!」
景仁の叱責に、烈翔は悔しそうに唇を噛んだ。
「……花街もすべて兵を入れました。
ですが、それらしい娘は……」
言葉を切る烈翔。
広間には、重い沈黙が落ちた。
「……それらしき遺体もないのか」
絞り出すような景仁の声。
本当は、その言葉だけは口にしたくなどなかったはずだった。
「ございません」
烈翔の短い返事が、余計に場を冷たくする。
その空気を破ったのは、一人の家臣だった。
手にした文を広げ、声を震わせる。
「……紫国より使者が直に参られるとのことです。
どうやら、紫宸殿について季国に誤解があると……それを晴らすための宴を設けたいと……」
烈翔は、舌打ちをした。
「……噂が漏れたな。
奴ら、伽耶がいないことを探りにきやがった……!」
再び、広間を沈黙が包む。
やがて、景仁の瞳が誠を射抜いた。
「――陸誠」
鋭い呼び声に、誠の背筋が震えた。
「お前は伽耶と共謀の疑いで謹慎させていた。
だが、もはや打つ手がない……紫国に失踪を知られるわけにはいかん。
――あの娘と最も近しかったのはお前だ。
どこに隠れたか、どこへ向かうか……わかるだろう」
景仁は疲れ切った目で、だがわずかに縋るように言葉を紡いだ。
「……必ず探せ。
それでこそ、お前の疑いも晴れる」
「……はっ」
誠は深く頭を下げると、静かに立ち上がった。
自分の背に、重いものが乗るのを感じた。
だが、誠が思うのはただひとつ。
(……姫様。
あなたを、この手で――)
視線の先に、薄く開かれた扉の隙間から光が射し込んでいた。
(必ず、連れ戻します)
重たい扉が、誠の背後で音を立てて閉まった。
誠は己の執務室で、積み上がった報告書の山を前に静かに息を吐いた。
謹慎処分となってからの十日間。
焉明や煌辰に頼んで、密かに手元へ回してもらった兵の報告は、何度も指でなぞられ、角が擦り切れていた。
(……姫様は、国境を越えてはいない)
誠の視線が鋭く紙面を走る。
失踪当日、封鎖命令が完遂されたのは報告によればその日の夕刻。
伽耶の足では、それまでに国境へたどり着くのは不可能に近い。
(街中に潜伏している可能性が最も高い)
烈翔は、街の捜索は全て済んだと言った。
だが。
(書面上は、確かに「捜索済み」だ)
誠は報告書を指先で弾くようにめくった。
きれいすぎる文面。
同じ言い回しの繰り返し。
誠にはそれが、現場を見ずに書いた報告書だとすぐにわかった。
(……抜けがある)
現場を知らずに動く将の穴を埋めるのが、自分の役目だ――
かつてそう叩き込まれた日々を思い出す。
(姫様は金目の装飾を持ち出されたが、若い女の換金の記録はない。金がなければ遠くへは行けない。……まずは、そこから洗い直す)
誠の脳裏には、伽耶が小さな手で握りしめていた香り袋が浮かぶ。
(……必ず、見つけ出す)
机の端に置いていた、色褪せた香り袋をそっと手に取り、拳の中で強く握りしめた。
そして、その足は街へ向かっていた。
いくつかの換金屋の記録をすべて洗った。
何十と続く帳面の走り書きの奥。
(必ず、なにかある)
とある取引を指でなぞった。
あまり他では見ない、多額の取引がなされていた。
「ああ、それですね。どこだったか、馬屋が持ってきたんですよ。現物で取引したとかで」
馬屋をいくつも巡り、ここ十日で高額の取引があった店を一つ突きとめた。
馬屋の親爺の嘘くさい言い訳をいくつも聞き流し、
「……“首飾り”……?」
口にした一言がすべてを繋げた。
「ああ、あの化け物劇団の連中か? 馬が死んじまったとかでずっと城下にいたが、金の首飾りを客からもらったとかで払っていったさ」
その瞬間、胸の奥の糸がピンと張った。
(――姫様。やはり、ここに)
劇団の痕跡をたどり、何度も風に紛れた声を拾っては振り返った。
(すべては、あなたを城へ連れ戻すため――
いいや、あなたに生きていてほしいと願ったから)
誠は小さく、色褪せた香り袋を握りしめた。
(もうすぐ、会えます――姫様)
馬の蹄が土を蹴る音だけが、夕暮れの道に残る。
(……攫われたのではないか。
どこかで泣いているのではないか。
誰かに無理やり、手を触れられてはいないか――)
考えまいとすればするほど、脳裏には、
小さな手で自分の袖を握りしめた少女の面影が蘇った。
(……守ると決めていた。
どんなことからも、必ず……)
それが、自分の手で壊れてしまった。
誰よりも傍にいた自分が、
何よりも遠くに追いやってしまった。
唇を噛みしめた。
冷たい風が瞼を打つ。
(……もし、あの方を傷つけた者がいるのなら――どれほどの代償を払わせよう。)
馬を蹴る足に、自然と力が籠る。
(……姫様。どうか、ご無事で。
……生きていてください――)
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