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第1章:『再会の残火、目覚める虚刃』
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しおりを挟むネオ・カマクラの地下、第十三区の最深部に位置する「コロシアム・ゼロ」。
かつて地下鉄の貯水槽だったその場所は、今や非合法な賭け試合の聖地と化していた。むせ返るような安煙草の煙、安価な合成酒の臭い、そして何より、敗者の絶望と勝者の狂気が混ざり合った、どろりとした熱気が充満している。
「次だ! 次の試合のオッズを出せ!」
「『首切りジャック』に全額だ! あいつのD-SABREは昨日、篠宮のところで弄ったばかりだって話だぞ!」
怒号が飛び交う観客席の隅、蓮は一人、コンクリートの柱に背を預けていた。
黒い作業着のフードを深く被り、周囲の狂騒から遮断されたかのような静かな佇まい。だが、彼のグレーの瞳は、リング上で調整を行う剣士たちの手元を、猛禽のような鋭さで射抜いていた。
(……左の男、グリップの握りが甘い。精神供給のバイパスに微かなノイズが乗っている。十合も交わす前に、コンデンサがパンクするな。右はマシだが、出力にムラがある。感情の制御ができていない。プラズマの揺らぎが大きすぎて、自壊の危険がある)
蓮にとって、この場は賭博場ではない。
剥き出しの欲望が武器にどう影響し、技術がどう崩壊していくかを確認するための、残酷なまでの実験場だ。
三年前まで、彼は光の側にいた。精密なルールに守られ、高潔な理想を掲げるプロの世界。だが、この底辺の戦いには、美学など存在しない。あるのは、相手を破壊し、金を奪うという生存本能だけだ。
「よぉ、蓮。またそんな隅っこで陰気な顔してんのか」
背後から声をかけてきたのは、いつものようにタバコを指に挟んだ篠宮だった。
「……篠宮さん。あんたが弄ったっていうジャックの剣、あれはやりすぎだ。出力の安定性を捨てて、瞬間破壊力に振りすぎている。死人が出るぞ」
「おっと、バレたか。さすがは俺の弟子だ。……でもよ、ここは裏だぜ? 派手な花火を見せなきゃ、客は納得しねぇんだよ」
篠宮は苦笑しながら、隣の柱に寄りかかった。
「それより、昨日のお嬢様……天ノ原紫苑はどうした。お前の店に通い詰めてるんじゃないのか?」
蓮は眉を顰めた。
「……あんなのが何度も来るような場所じゃない。それに、俺は断った。プロの世界に戻るつもりはない」
「ほう。あの『氷の女帝』を袖にするとは、相変わらず贅沢な奴だ。だがよ、蓮……お前のその『目』は、まだ引退しちゃいねぇ。リングの奴らの欠陥、全部見えてるんだろ?」
蓮は答えなかった。代わりに、試合開始を告げる無機質なブザーの音が地下室に響き渡った。
試合が始まった。
首切りジャックと呼ばれた大男が、篠宮が調整したD-SABREを起動させる。
『——Drive: Overheat. Warning.』
警告音を無視して、禍々しいまでの赤黒いプラズマが噴き出した。それは剣というより、制御を失った松明のように見えた。
「死ねぇ!」
ジャックが吠え、対戦相手へと斬りかかる。
対する男も青い刃を合わせるが、出力の差は歴然だった。金属音ではない、空間が焼けるような嫌な音が響き、青い刃が粉々に砕け散る。
「ひゃははは! 見たか! これが俺の力だ!」
観客が沸き立つ。だが、蓮だけは鼻で笑った。
(……馬鹿が。自壊まであと三十秒だ)
蓮の視界には、ジャックの持つ剣の内部構造が、透視するかのように浮かび上がっていた。
精神エネルギーをプラズマに変換する「変換核」。そこに過剰な負荷がかかり、熱膨張が始まっている。グリップから伸びるエネルギー導管が限界を超え、微かな亀裂が入った。
その亀裂から漏れ出たプラズマが、ジャック自身の腕を焼き始める。
「が、あぁっ!? 熱い、なんだこれは……!?」
ジャックが悲鳴を上げ、剣を振り回す。
制御を失った赤黒い炎が観客席に向かって飛び火し、会場は一転してパニックに陥った。
「逃げろ! 暴走だ!」
人々が我先にと出口へ殺到する中、ジャックの剣はさらに膨張を続け、今にも大爆発を起こそうとしていた。
「……やれやれ。これだから裏の調整は嫌なんだ」
蓮は溜息をつくと、トランクから『零刻』を抜き取った。
逃げる群衆とは逆に、彼は悠然とした足取りでリングへと向かう。
「おい、蓮! 何する気だ、危ねぇぞ!」
篠宮の制止を無視し、蓮はリングに飛び乗った。
目の前には、炎に包まれ狂乱するジャックと、膨れ上がった死の塊。
蓮は静かに『零刻』のスイッチを入れた。
『——System Identity: NULL. Drive Zero.』
黒いノイズが、空間を支配していた熱を一瞬で凍りつかせた。
蓮は一歩、ジャックの懐に踏み込む。
ジャックが反射的に、暴走する剣を蓮へと振り下ろした。触れれば骨まで蒸発するほどの高熱エネルギー。
だが、蓮の瞳は冷静だった。
(波長は六二〇ヘルツ。振幅は不安定。……ここだ)
蓮の黒い刃が、赤い炎の結節点に触れた。
ガキン、という硬質な音が響いたかと思うと、次の瞬間、あれほど猛威を振るっていた赤黒いプラズマが、まるで幻覚だったかのように消滅した。
蓮の剣が、暴走するエネルギーの因果を断ち切り、無へと帰したのだ。
「……え?」
ジャックが呆然と立ち尽くす。
蓮は彼の持つグリップを叩き落とし、冷たく言い放った。
「性能を過信するな。お前の安いプライドじゃ、この剣の重さは支えきれない」
騒動が収まった後、蓮は会場の裏手で汗を拭っていた。
壊れたジャミング装置の火花が、地下の湿った空気に溶けていく。
「……また目立つ真似を。お前、自分が有名になりたいのか、隠れていたいのか、どっちなんだよ」
篠宮が呆れたように近づいてくる。
「……放っておけば、ここが吹き飛んでた。それだけだ」
「たく……。だがよ、今のを見てた奴が他にもいたぜ。……ほら、あそこだ」
篠宮が指差した先。
薄暗い通路の奥から、一人の女性が歩み寄ってきた。
昨日会った紫苑ではない。だが、彼女もまた、この鉄の墓場には不釣り合いな気品を纏っていた。
黒いロングコートに身を包み、知的な眼鏡をかけたその女性は、蓮の前に立つと丁寧に一礼した。
「失礼いたします。神凪蓮さん……とお見受けします」
「……誰だ、あんた」
「申し遅れました。私は天ノ原家の秘書を務めております、佐伯と申します。……本日は、お嬢様ではなく、天ノ原家当主からの言伝を預かって参りました」
蓮は不快そうに眉を寄せた。
「当主? 紫苑の親父か。……話すことなんて何もない」
「そうおっしゃらずに。当主は、あなたの三年前の記録をすべて再調査いたしました。そして……当時のあなたの相棒、柊さんの死に関する『未公開資料』を一部入手したとのことです」
蓮の体が、目に見えて硬直した。
「……何だと? 柊の死は、ただの暴走事故だったはずだ」
「表向きは、そうです。ですが、当時のD-SABREのログには、外部からの不自然な干渉が見られたという報告書が存在します。……これ以上の詳細を知りたいのであれば」
秘書は一通のカードを差し出した。
それは、プロリーグが管理する特区への通行証だった。
「『刹那の祭典』の会場。その特別貴賓席にて、当主がお待ちしております。……紫苑お嬢様とのペア結成。それが、資料開示の条件となります」
蓮は差し出されたカードを凝視した。
三年間、自分を責め続けてきた。柊を助けられなかったのは、自分の力が足りなかったからだと。
だが、もしそこに悪意が介在していたとしたら。
もし、誰かが意図的にあの事故を引き起こしていたのだとしたら。
「……汚い手を使うな、天ノ原は」
「これは交渉です、神凪さん。お嬢様は、純粋にあなたの剣に惚れ込んでおられますが……大人の事情というものは、また別ですので」
秘書が立ち去った後、蓮は拳を強く握りしめた。
左腕の古傷が、今までで一番激しく疼く。
その頃、ネオ・カマクラの上層階。
贅を尽くしたホテルのスイートルームで、一人の男がモニターを眺めていた。
御剣鋼次郎。
現プロリーグのトップランカーであり、次期王者の最有力候補。
「……へぇ。まだ生きてたんだな、あの『失敗作』」
モニターに映っているのは、地下闘技場で暴走を鎮圧した蓮の姿だ。
御剣は傍らに置かれた大太刀『覇王』の柄を愛おしそうになぞる。
「三年前、柊と一緒に消えていれば幸せだったものを。……わざわざ恥を晒しに戻ってくるとはな」
彼の背後から、一人の男が影のように現れた。
「御剣様。天ノ原家が彼に接触したようです。……『刹那の祭典』に出場させるつもりかと」
「勝手にさせろ。紫苑お嬢様も物好きだな。あんな光を失った抜け殻と組んで、俺に勝てるとでも思っているのか?」
御剣の瞳に、禍々しい赤茶色の光が宿る。
「……まぁいい。祭りの舞台だ。最高の見世物にしてやろう。三年前の続きを……今度こそ完璧に終わらせてやる」
御剣の笑い声が、豪華な部屋に冷たく響き渡る。
一方、蓮の店。
夜も更け、再び静まり返った作業場で、蓮は一人、机に置かれた通行証と招待状を見つめていた。
そこへ、明里がひょっこりと顔を出す。
「蓮? まだ起きてたの? ……あ、それって」
明里の視線が、天ノ原家の紋章が刻まれた封筒に止まる。
「……プロリーグからの招待状? 蓮、もしかして……」
明里の瞳に、期待と不安が入り混じった色が浮かぶ。
「……明里。悪いが、しばらく店を閉めるかもしれない」
「えっ……?」
「……確かめなきゃいけないことができた。三年前、あの日……本当は何が起きたのかを」
蓮は立ち上がり、トランクを掴んだ。
その中に眠る『零刻』が、持ち主の決意に呼応するように、微かに、だが確かに鳴動した。
孤独な職人の時間は、ここで終わった。
止まっていた運命の歯車が、一気に加速を始める。
すべてを切り裂く無の刃と、すべてを照らす至高の光。
二つの魂が重なる時、ネオ・カマクラの空に、かつてない激しい火花が舞い上がる。
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