目に映った光景すべてを愛しく思えたのなら

ひかる。

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―――平成三年

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 下駄箱で靴に履き替えていると祥子が近づいてきた。

「明日はお願いね」

 言われて映子は、すっかり忘れていた昨日の祥子との約束を思い出した。

「あ、忘れてたやろ」

 図星を指されて映子は苦笑する。

「ごめん、二時に駅前だっけ?」

 昨日母の散らかした台所を片付けるのに深夜までかかった。
 鍋やスプーンやフォークといった割れない素材のものは無事だったが、食器類は全滅だった。
 食材も、割れた皿の上にぶちまけてくれたおかげで、破片が混ざってしまい、食べられる状態ではなくなっていた。
 必要最低限の食器と食材を買いに行く算段でいっぱいだった。
 祥子の約束は頭から抜けていた。

「映子ちゃんはあんまりかわいい格好してきたらあかんよ」

「なんで? ていうかかわいい服なんか持ってないけど」

「だって宮井さんが映子ちゃんのこと好きになったら困るやろ。わたし目一杯おしゃれしてくるから」

 お付きの映子にそんな気持ちはなかった。
 祥子は「じゃあ明日ね」と言ってバレー部の活動している体育館の方へ走って行った。

「誰なん、宮井って」

 祥子の姿が見えなくなると、下駄箱の陰から恵一が現れた。
 最初誰やったかなと映子がわからなくなるほど、恵一は中学に入って変わった。
 みどりばあさんの家へ行っていた頃の恵一は、真っ黒に日焼けした野球少年だった。
 今はすっかり色白になり、背は優に久子を追い越している。
 話すのは久しぶりだった。
 
 映子は恵一を見上げた。

「話聞いてたん?」

 恵一は気まずそうに履いていた上履きのつま先を蹴った。
 すのこが下駄箱にぶつかって、コンクリートの校舎に鈍い音が響いた。

「聞こえただけや」

「何なん、気になるん」

 恵一は顔を俯けた。首筋がほんのり赤く染まっている。

「でかい声で話してるから、聞こえただけやって言うてるやろ。もうええわ」

 恵一はすばやく靴に履き替えた。映子に顔を背ける。

「図書館のな、」

 内緒だとも言われなかったので映子は答えた。

「移動図書館。知ってる? タバコ屋の角に来るやつ」

「知ってる」

「その図書館の司書の人。祥子ちゃんその人のこと好きみたいやで」

 恵一は顔をしかめた。

「俺その人知ってるわ。なんやおっさんやん。祥子あんなんがいいの?」

「大人やし、かっこいいからいいねんて」

「ふうん」

 恵一はさして関心のない様子を装って、映子の話に頷くと行ってしまった。

 小学生の頃は野球少年で中学でも続けると思っていたら、恵一はあっさり野球をやめて、今では毎日塾通いだ。
 家が内科の病院で将来継がなければならず、勉強尽くめの毎日を送っているらしい。
 祥子から聞いた話だ。
 家が病院なら将来性有望だ。
 図書館司書なんてやめて、恵一にしておけばいいのに。
 映子はまた余計なお世話なことを考えた。

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