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―――平成三年
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週明けの月曜日、祥子が学校を休んだ。
この土日は宮井とのデートに誘われることもなく、ひがなみどりばあさんの家で映子は過ごした。
寒くなってきたので防寒対策で家から毛布を持ち出し、それにくるまって飽かず天井を眺めたり、時々外に出て銀杏の大木を見上げた。
この二三日で一気に銀杏の葉は黄色く色づき、ぎんなんが降ってくるようになった。
そうすると強烈な臭気で思わず鼻をつまむのだけれど、見上げる黄色の葉が風に揺れる様は、いつまでも見飽きることがなかった。
月曜日の放課後、帰るとすぐに目を真っ赤に泣き腫らした祥子が家にやって来た。
玄関に入るなりわっと祥子は泣き出した。
映子は慌てて祥子を台所へと引き入れた。
玄関横の和室が変わらずしんとしているのを確認して、映子は祥子を椅子に座らせ、暖かい紅茶を出した。
砂糖をたっぷり淹れて。
「どうしたん」
映子が聞くと祥子の目にまた涙が溢れてきた。
「宮井さんとはもう会われへん。お母さんにばれた」
「え?」
映子はクッキーの袋を開けようとしていた手を止めた。
「なんで? なんでばれたん」
「わたしがしゃべった。お母さん、映子ちゃんにこの間電話したんやってね。映子ちゃんのせいで、わたしの成績が落ちてるとか、土日の度にわたしを連れまわして遊び歩いてるとか。ほんとにごめん。まさかお母さんが映子ちゃんのこと責めるなんて思ってもみんかった。全部わたしのせい。ごめん」
祥子は泣き顔のまま映子に頭を下げた。
「いいってそんなん。もう気にしてないから」
祥子は首を振った。
「そんなわけないやん。映子ちゃんは何も悪くないのに、わたしのせいで怒られて嫌な思いさせられて。ほんとに、ごめんね」
「もういいって」
「それに映子ちゃん、宮井さんのこと最後までちゃんと黙っててくれたんやってそれもありがとう」
祥子に面と向かって礼を言わて映子は照れくさくなった。
「いいってそれは。そやのになんでしゃべってしまったん」
「お母さんが映子ちゃんのこと悪く言うから」
祥子は嗚咽をもらしながら、祥子の母が映子の家庭事情を持ち出して映子を責めたことを聞いたと話した。
小学校中学校と同じで、家も近いと何かと噂話は耳に入る。
祥子に直接家のことを話したことはなかったけれど、祥子も漏れ聞いて映子の家のことは知っていたのだろう。
それでも変わらず映子と付き合ってくれている祥子に、胸の辺りが暖かくなるのを感じた。
「わたし、いくらお母さんでもそれは許せんくて。映子ちゃんが誤解されたままなんはどうしても我慢できひんくて。だから」
「宮井さんのこと話したん?」
「もうほんまのことしゃべらないと誤解なんか解けへんやん。だから宮井さんと会ってたこととか、映子ちゃんについて行ってもらってたこととか、全部話した」
「お母さんはなんて?」
「図書館に電話して宮井さんのこと家まで呼び出した。中学生相手になんてことしたんやって宮井さんのこと怒って。お父さんもいてて、お父さん、宮井さんのこと殴って、馬乗りになって何回も何回も」
そのときの光景を思い出すのか祥子は目をきゅっとつむった。
「お母さんがさすがにもうやめてって止めにはいって。死んでしまうって。もう二度とわたしには会うなって宮井さんに約束させてた。もしまた会ったら警察に言うって。二十歳過ぎの男が勝手に中学生連れまわして犯罪やって。そしたら宮井さん、わかりましたって頭下げてた」
「そうやったんや」
肩を震わせて泣く祥子にどう接したらいいのかわからなかった。
大丈夫やでと言ったらいいのか、つらいねと同情したらいいのか。
そのとき祥子の背後からすっと自然に寄り添った人影があった。
祥子の両肩に手を置きなだめるようにさする。
いつの間にか台所に映子の母がいた。
和室で寝ていたはずが知らぬ間に祥子の肩をさすっている。
祥子が振り返って映子の母の姿を認める。
驚いたように目を開いた。
「わたしのお母さん」
映子は紹介した。祥子は慌てて涙を袖で拭った。
「ごめんなさい、わたし。お邪魔してます。遠藤祥子と言います」
こんな状況でも祥子はきっちりと名乗って居住まいを正す。
「祥子ちゃん。いらっしゃい」
母は映子の開けかけていたクッキーの袋を手に取って、はさみで開封すると、きれいに皿に並べて祥子の前に出した。
「ごゆっくり」
母はまたふらりと台所を出て行った。
扉が閉まると祥子が大きなため息をついた。
「はあびっくりしたぁ。映子ちゃんのお母さんに聞かれたかな」
祥子の涙がすっかり止まっている。
何度も母の出て行った扉に視線を飛ばす。また知らぬ間に入ってくるのではないかと警戒しているようだ。
「聞かれたとかいうより、もう泣いてる時点でアウトやん」
「ほんまや」
祥子はくすっと笑う。
「映子ちゃんのお母さん元気そうやん。わたし病気やって聞いてたけど」
「身体は健康やで。病気なんは心の方」
「それってやっぱり弟さんのせいで?」
祥子は言いにくそうに口に出す。
「やっぱり知ってたんや」
「お母さんからちょっと聞いたことあって。事故やったんやってね。かわいそうに」
映子は意外な気がした。
そうやって素直にかわいそうと言われるとそうか、そうだったのかと胸の底にことんと落ちた。
「事故やったのに…。お母さんは自分のこと責めてる。京ちゃんから目を離したこと後悔してる。ちょうどこの家に引越してきたとこでお母さん、荷物の片付けに忙しかってん。もう今更どうしようもないのにな」
「どうしようもないから悲しいんやろ。やり直されへんってしどいやん。そのまま受け入れるしかないって大変なことやで」
「祥子ちゃんは? 大丈夫?」
「わからん。正直今は何も考えられへん。誰かを好きになったら楽しいことばっかりやと思ってたわ。わたしはほんまあほやな。宮井さんにも悪いことしてしまった」
「また移動図書館に本借りに行ったら会えるやん」
宮井に会うのは簡単なことだと思ったが祥子は首を振った。
「もう行ったらあかんって。その時間に家庭教師つけられた。だからもう無理やねん」
祥子は焦点の定まらない瞳で虚空を見つめた。
この土日は宮井とのデートに誘われることもなく、ひがなみどりばあさんの家で映子は過ごした。
寒くなってきたので防寒対策で家から毛布を持ち出し、それにくるまって飽かず天井を眺めたり、時々外に出て銀杏の大木を見上げた。
この二三日で一気に銀杏の葉は黄色く色づき、ぎんなんが降ってくるようになった。
そうすると強烈な臭気で思わず鼻をつまむのだけれど、見上げる黄色の葉が風に揺れる様は、いつまでも見飽きることがなかった。
月曜日の放課後、帰るとすぐに目を真っ赤に泣き腫らした祥子が家にやって来た。
玄関に入るなりわっと祥子は泣き出した。
映子は慌てて祥子を台所へと引き入れた。
玄関横の和室が変わらずしんとしているのを確認して、映子は祥子を椅子に座らせ、暖かい紅茶を出した。
砂糖をたっぷり淹れて。
「どうしたん」
映子が聞くと祥子の目にまた涙が溢れてきた。
「宮井さんとはもう会われへん。お母さんにばれた」
「え?」
映子はクッキーの袋を開けようとしていた手を止めた。
「なんで? なんでばれたん」
「わたしがしゃべった。お母さん、映子ちゃんにこの間電話したんやってね。映子ちゃんのせいで、わたしの成績が落ちてるとか、土日の度にわたしを連れまわして遊び歩いてるとか。ほんとにごめん。まさかお母さんが映子ちゃんのこと責めるなんて思ってもみんかった。全部わたしのせい。ごめん」
祥子は泣き顔のまま映子に頭を下げた。
「いいってそんなん。もう気にしてないから」
祥子は首を振った。
「そんなわけないやん。映子ちゃんは何も悪くないのに、わたしのせいで怒られて嫌な思いさせられて。ほんとに、ごめんね」
「もういいって」
「それに映子ちゃん、宮井さんのこと最後までちゃんと黙っててくれたんやってそれもありがとう」
祥子に面と向かって礼を言わて映子は照れくさくなった。
「いいってそれは。そやのになんでしゃべってしまったん」
「お母さんが映子ちゃんのこと悪く言うから」
祥子は嗚咽をもらしながら、祥子の母が映子の家庭事情を持ち出して映子を責めたことを聞いたと話した。
小学校中学校と同じで、家も近いと何かと噂話は耳に入る。
祥子に直接家のことを話したことはなかったけれど、祥子も漏れ聞いて映子の家のことは知っていたのだろう。
それでも変わらず映子と付き合ってくれている祥子に、胸の辺りが暖かくなるのを感じた。
「わたし、いくらお母さんでもそれは許せんくて。映子ちゃんが誤解されたままなんはどうしても我慢できひんくて。だから」
「宮井さんのこと話したん?」
「もうほんまのことしゃべらないと誤解なんか解けへんやん。だから宮井さんと会ってたこととか、映子ちゃんについて行ってもらってたこととか、全部話した」
「お母さんはなんて?」
「図書館に電話して宮井さんのこと家まで呼び出した。中学生相手になんてことしたんやって宮井さんのこと怒って。お父さんもいてて、お父さん、宮井さんのこと殴って、馬乗りになって何回も何回も」
そのときの光景を思い出すのか祥子は目をきゅっとつむった。
「お母さんがさすがにもうやめてって止めにはいって。死んでしまうって。もう二度とわたしには会うなって宮井さんに約束させてた。もしまた会ったら警察に言うって。二十歳過ぎの男が勝手に中学生連れまわして犯罪やって。そしたら宮井さん、わかりましたって頭下げてた」
「そうやったんや」
肩を震わせて泣く祥子にどう接したらいいのかわからなかった。
大丈夫やでと言ったらいいのか、つらいねと同情したらいいのか。
そのとき祥子の背後からすっと自然に寄り添った人影があった。
祥子の両肩に手を置きなだめるようにさする。
いつの間にか台所に映子の母がいた。
和室で寝ていたはずが知らぬ間に祥子の肩をさすっている。
祥子が振り返って映子の母の姿を認める。
驚いたように目を開いた。
「わたしのお母さん」
映子は紹介した。祥子は慌てて涙を袖で拭った。
「ごめんなさい、わたし。お邪魔してます。遠藤祥子と言います」
こんな状況でも祥子はきっちりと名乗って居住まいを正す。
「祥子ちゃん。いらっしゃい」
母は映子の開けかけていたクッキーの袋を手に取って、はさみで開封すると、きれいに皿に並べて祥子の前に出した。
「ごゆっくり」
母はまたふらりと台所を出て行った。
扉が閉まると祥子が大きなため息をついた。
「はあびっくりしたぁ。映子ちゃんのお母さんに聞かれたかな」
祥子の涙がすっかり止まっている。
何度も母の出て行った扉に視線を飛ばす。また知らぬ間に入ってくるのではないかと警戒しているようだ。
「聞かれたとかいうより、もう泣いてる時点でアウトやん」
「ほんまや」
祥子はくすっと笑う。
「映子ちゃんのお母さん元気そうやん。わたし病気やって聞いてたけど」
「身体は健康やで。病気なんは心の方」
「それってやっぱり弟さんのせいで?」
祥子は言いにくそうに口に出す。
「やっぱり知ってたんや」
「お母さんからちょっと聞いたことあって。事故やったんやってね。かわいそうに」
映子は意外な気がした。
そうやって素直にかわいそうと言われるとそうか、そうだったのかと胸の底にことんと落ちた。
「事故やったのに…。お母さんは自分のこと責めてる。京ちゃんから目を離したこと後悔してる。ちょうどこの家に引越してきたとこでお母さん、荷物の片付けに忙しかってん。もう今更どうしようもないのにな」
「どうしようもないから悲しいんやろ。やり直されへんってしどいやん。そのまま受け入れるしかないって大変なことやで」
「祥子ちゃんは? 大丈夫?」
「わからん。正直今は何も考えられへん。誰かを好きになったら楽しいことばっかりやと思ってたわ。わたしはほんまあほやな。宮井さんにも悪いことしてしまった」
「また移動図書館に本借りに行ったら会えるやん」
宮井に会うのは簡単なことだと思ったが祥子は首を振った。
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