24 / 44
―――平成四年
23
しおりを挟む
高校へは自転車で通った。
みどりばあさんの家の前の畦道を真っ直ぐ行き、土手沿いの道を進む。
夏場は小さな虫が群れをなして飛んでいて、うっかりその中に突入してしまったら大変だ。
口から目から粘膜という粘膜にくっついてしまう。
朝方は少ないのだが、夕方はよほど気をつけないと、帰るまでに何度も群れに遭遇する。
市のシンボルである平和の鐘のある公園の角を右手に折れて、土手沿いを離れると中央環状の道路に突き当たる。その中環を横切る大きな交差点を渡ると高校はもう目の前だ。
平和の鐘は毎朝八時に音が鳴る。
その鐘の音を聞きながら自転車を走らせるのが映子の日課だ。
鐘の前には鳩がたくさんいて、映子が自転車で近づいても全く逃げない。
それどころか歩道を占領してしまい通れないこともある。
大抵の人はみんな自転車のベルを盛大に鳴らす。大きな音に鳩は驚き、軽く羽を羽ばたきながら道をあける。その開いた隙間をスピードを緩めずに進んでいく。
映子はベルを鳴らして無理に進むのが横柄な感じがして、いつも鳩をよけながらゆっくりと進む。
少しずつ近づくと、鳩の方でも映子の自転車に気がついて、道をあけてくれることもある。
鳩が全然避けてくれず、最悪引いてしまいそうな場合は、自転車を降りておすことにしている。
でも大体はその時間、同じ公立高校に通う学生と隣りの商業高校の生徒がよく通るので、鳩は歩道にはみ出すことなく公園にとどまっていることが多い。
が、その日は鳩が盛大に歩道にはみ出していた。
映子は自転車をおり、鐘の音に全く動じることなく悠然とアスファルトをつついている鳩を、慎重に避けながら自転車をおしていた。
後ろからチリンチリンチリリリリーンと盛大なベルが鳴らされた。
驚いた鳩が一斉にわっと飛び立つ。羽音がすぐ耳の近くを掠めていった。
「おはよー」
保だった。エナメルのスポーツバッグを斜めがけにして自転車にまたがっている。
鳩が飛び立ってしまった歩道をスピードを上げて映子に近づいた。
「ちんたらしてたら遅れるで」
「時間には余裕あるから大丈夫」
「俺は余裕なし! 朝練にすでに遅刻してる」
保は自転車をこぐ足に力を込めて加速した。高校でも保はサッカー部だ。
「お先!」
そのまま一陣の風のように走り去った。
が中央環状の信号で保に追いついた。
「ここの信号長すぎ」
後ろから悠然とやってきた映子に、保はげんなりして悪態をついた。
「なんや急いだ俺があほみたいや。結局は一緒やんか」
「保の行動はいつも的外れ」
「言ったな。映子め」
保は長い腕を伸ばして映子の髪の毛をかき混ぜた。
「ひゃー。ごめんごめん」
これでも朝はがんばって整えてきた。
乱された髪を手櫛でなでつける。
そうこうしている間に信号が青に変わる。
保は猛然とこぎ出すのかと思いきや、映子の速度に合わせてゆっくりとこぎ出した。
「どうしたん。急がんの?」
「あかん。完全な遅刻や。今更あがいてもどうしようもないと俺にも今わかった」
「何それ」
映子はくすくす笑いを漏らした。
「さっきからそう時間は経ってないで。今急いであかんのやったらさっきのがんばりももうすでに時遅しやったで」
「いや、この信号のせいや」
保は言い張った。
「そういや映子。昨日の話なんやけどな」
「ああ、うん」
映子は曖昧に返事を返した。
映子の好きな人の話をまた持ち出そうとしていることはわかった。朝から話題にしたくない話だったけれどこちらの心情などお構いなしに保は話し始める。
「そのほら。告白したらいいとか俺言ったやん。映子の気持ちも考えんと勝手なこと言うてしまったなって反省してん」
「保でも反省するんやな」
「それは余計や。俺は告白されて付き合ったんやけど、告白されたときすっげー嬉しかったから。きっと映子に告白されたら、相手の男も嬉しいはずやって勝手に思ったんや。でもそれでふられた話とかも聞くしふった奴もいるし、いつも上手く行くとは限らんから。簡単に告白したらいいって言ってしまってまずったなと」
映子と保は自転車で併走している。
時折前から来る自転車をよけるために一列になり、また併走しを繰り返した。
後ろからベルを鳴らされ保が映子の前に出て一列になった。
その脇を最近頻繁に嗅ぐ香水の香りがすり抜けていく。
三年生の図書委員長、安藤行彦の彼女、小林あけみだった。
あけみは映子には気づきもせずに長い髪を揺らして走り去っていく。
「わたしの好きな人には彼女がいるねん」
「そうなんか」
保は驚いて映子を見やる。
「だからどうすることもできん」
「じゃあ俺やっぱり余計なこと言ってもうたんやな。当たって砕けろ言うてるようなもんやんな。悪かった」
「いいよ謝らんでも。保に悪気はないのはわかってるし、気にせんといて」
正門の前で保と別れた。
みどりばあさんの家の前の畦道を真っ直ぐ行き、土手沿いの道を進む。
夏場は小さな虫が群れをなして飛んでいて、うっかりその中に突入してしまったら大変だ。
口から目から粘膜という粘膜にくっついてしまう。
朝方は少ないのだが、夕方はよほど気をつけないと、帰るまでに何度も群れに遭遇する。
市のシンボルである平和の鐘のある公園の角を右手に折れて、土手沿いを離れると中央環状の道路に突き当たる。その中環を横切る大きな交差点を渡ると高校はもう目の前だ。
平和の鐘は毎朝八時に音が鳴る。
その鐘の音を聞きながら自転車を走らせるのが映子の日課だ。
鐘の前には鳩がたくさんいて、映子が自転車で近づいても全く逃げない。
それどころか歩道を占領してしまい通れないこともある。
大抵の人はみんな自転車のベルを盛大に鳴らす。大きな音に鳩は驚き、軽く羽を羽ばたきながら道をあける。その開いた隙間をスピードを緩めずに進んでいく。
映子はベルを鳴らして無理に進むのが横柄な感じがして、いつも鳩をよけながらゆっくりと進む。
少しずつ近づくと、鳩の方でも映子の自転車に気がついて、道をあけてくれることもある。
鳩が全然避けてくれず、最悪引いてしまいそうな場合は、自転車を降りておすことにしている。
でも大体はその時間、同じ公立高校に通う学生と隣りの商業高校の生徒がよく通るので、鳩は歩道にはみ出すことなく公園にとどまっていることが多い。
が、その日は鳩が盛大に歩道にはみ出していた。
映子は自転車をおり、鐘の音に全く動じることなく悠然とアスファルトをつついている鳩を、慎重に避けながら自転車をおしていた。
後ろからチリンチリンチリリリリーンと盛大なベルが鳴らされた。
驚いた鳩が一斉にわっと飛び立つ。羽音がすぐ耳の近くを掠めていった。
「おはよー」
保だった。エナメルのスポーツバッグを斜めがけにして自転車にまたがっている。
鳩が飛び立ってしまった歩道をスピードを上げて映子に近づいた。
「ちんたらしてたら遅れるで」
「時間には余裕あるから大丈夫」
「俺は余裕なし! 朝練にすでに遅刻してる」
保は自転車をこぐ足に力を込めて加速した。高校でも保はサッカー部だ。
「お先!」
そのまま一陣の風のように走り去った。
が中央環状の信号で保に追いついた。
「ここの信号長すぎ」
後ろから悠然とやってきた映子に、保はげんなりして悪態をついた。
「なんや急いだ俺があほみたいや。結局は一緒やんか」
「保の行動はいつも的外れ」
「言ったな。映子め」
保は長い腕を伸ばして映子の髪の毛をかき混ぜた。
「ひゃー。ごめんごめん」
これでも朝はがんばって整えてきた。
乱された髪を手櫛でなでつける。
そうこうしている間に信号が青に変わる。
保は猛然とこぎ出すのかと思いきや、映子の速度に合わせてゆっくりとこぎ出した。
「どうしたん。急がんの?」
「あかん。完全な遅刻や。今更あがいてもどうしようもないと俺にも今わかった」
「何それ」
映子はくすくす笑いを漏らした。
「さっきからそう時間は経ってないで。今急いであかんのやったらさっきのがんばりももうすでに時遅しやったで」
「いや、この信号のせいや」
保は言い張った。
「そういや映子。昨日の話なんやけどな」
「ああ、うん」
映子は曖昧に返事を返した。
映子の好きな人の話をまた持ち出そうとしていることはわかった。朝から話題にしたくない話だったけれどこちらの心情などお構いなしに保は話し始める。
「そのほら。告白したらいいとか俺言ったやん。映子の気持ちも考えんと勝手なこと言うてしまったなって反省してん」
「保でも反省するんやな」
「それは余計や。俺は告白されて付き合ったんやけど、告白されたときすっげー嬉しかったから。きっと映子に告白されたら、相手の男も嬉しいはずやって勝手に思ったんや。でもそれでふられた話とかも聞くしふった奴もいるし、いつも上手く行くとは限らんから。簡単に告白したらいいって言ってしまってまずったなと」
映子と保は自転車で併走している。
時折前から来る自転車をよけるために一列になり、また併走しを繰り返した。
後ろからベルを鳴らされ保が映子の前に出て一列になった。
その脇を最近頻繁に嗅ぐ香水の香りがすり抜けていく。
三年生の図書委員長、安藤行彦の彼女、小林あけみだった。
あけみは映子には気づきもせずに長い髪を揺らして走り去っていく。
「わたしの好きな人には彼女がいるねん」
「そうなんか」
保は驚いて映子を見やる。
「だからどうすることもできん」
「じゃあ俺やっぱり余計なこと言ってもうたんやな。当たって砕けろ言うてるようなもんやんな。悪かった」
「いいよ謝らんでも。保に悪気はないのはわかってるし、気にせんといて」
正門の前で保と別れた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―
ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」
前世、15歳で人生を終えたぼく。
目が覚めたら異世界の、5歳の王子様!
けど、人質として大国に送られた危ない身分。
そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。
「ぼく、このお話知ってる!!」
生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!?
このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!!
「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」
生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。
とにかく周りに気を使いまくって!
王子様たちは全力尊重!
侍女さんたちには迷惑かけない!
ひたすら頑張れ、ぼく!
――猶予は後10年。
原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない!
お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。
それでも、ぼくは諦めない。
だって、絶対の絶対に死にたくないからっ!
原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。
健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。
どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。
(全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる