目に映った光景すべてを愛しく思えたのなら

ひかる。

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―――平成七年

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 年が明けて、みどりばあさんの小屋の脇の銀杏の木は、すっかり葉を落とした。

 一月十四、十五と二日続けて行われたセンター試験が終わった翌日、映子は一人みどりばあさんの家に来ていた。

 なぜ足が向いたのかはわからない。
 ここを訪れるのも久しぶりだった。
 
 小屋のあたり一面黄色の葉が覆っている。
 誰も拾わなくなったぎんなんがまだ臭気を放っていた。

 相変わらず何かがつかえた入り口の扉を、がたがた鳴らして引き開ける。

 隙間だらけの小屋の中は、太陽の日差しがない分だけ外よりも寒い。
 映子の持ち込んだ緑色のブランケットが、板張りの床の上に埃をかぶって置き去りにされていた。
 ぎんなんを集めるための熊手もそのままだ。きよももう長い間ここを訪れていないようだった。

 センター試験の結果は映子の予想通りの出来ばえだった。
 第一志望の大学の合格圏内の点をとることができた。


 恵一も祥子もきっと好結果だったに違いない。心配なのは保だ。

 高校を卒業したら働くと言っていた保は、秋に突然方向転換して、大学に進学すると言い出した。
 そこからの猛勉強。
 元々勉強は嫌いだと豪語していたくせに何を考えたのか。映子は知る由もない。

「うわ、埃くせっ」
 
 開け放していた戸口から恵一が顔を覗かせた。
 後ろには祥子の姿もある。

「やっぱいたか」

 保の声もした。

 待ち合わせしていたつもりもないのに、当然のように三人が現れたので映子は戸惑った。

「なんで」

「なんでいるんかって? そらなんとなくやな。映子がここ来るんちゃうかって思ったら、久しぶりにみんなで集まるのも悪くないと思った」

 恵一が答えた。
 その横で保もうなずいている。
 恵一と祥子は示し合わせたようだが保は保でここに来てみたようだ。

「センターどうやった?」

 恵一が聞くと保が「あー」とうめいて天を仰いだ。

「俺あかん。今朝の新聞で答え合わせしたけどぼろぼろや。国公立は俺には無理や。もう私立にかけるしかない」

「保の場合準備期間があまりに短かったからな。しゃーないで。映子は? どうやった?」

「予想通り。なんとかなりそう」

「さすが映子」

「そういう恵一と祥子はどうやったん?」
 
 映子が聞くと二人は顔を見合わせた。満足いく結果だったとその顔は物語っている。

「なんや俺だけかよ。またやな。高校のときもそうやったけど、また俺だけ置いてきぼりやんけ」

「まあまあすねんな、保」

 開け放した戸口からの風が冷たい。
 保は気づいて、扉をがたがた鳴らして閉めようとした。

「この扉相変わらずやな」

 保が言うのへ恵一も加わって、

「ほんまやな。動きにくいな。なんか詰まってるのかもな」

 恵一は戸口のそばにしゃがみこんだ。玄関の戸口は戸袋になっている。戸板が収納される隙間を覗き込んだ。

「やっぱりなんか詰まってるみたいやな」

「ほんまや」
 
 保も一緒に覗き込んだ。

「何が詰まってるんやろ。はずしてみようぜ」
 
 恵一が言って保と二人で戸板を持ち上げた。

 戸板の下を溝から持ち上げ、浮いたところで前に滑らせ、かつ戸袋から引き出すように戸板を斜めに傾ける。しばらく恵一と保は戸板と格闘していた。

「お、外れたで」
 
 恵一が言って、外れた戸板を壁に立てかける。保が隙間に腕を差し込んで何かを取り出した。

「なんやこれ」
 
 緑色の小さなぼろきれだった。

 あちこち擦り切れて原型はなくなっている。が、映子には思い当たるものがあった。

「それ、京ちゃんの靴下…」

「京ちゃんって映子の弟の?」

 保は緑の靴下を両手で持ち替えて映子にそっと渡した。
 映子はそれを広げてみた。

 片手に収まるほど小さな布は、ぼろぼろだがかろうじて筒型をとどめている。
 仏壇に仕舞っている緑の小さな靴下の片割れに違いない。

「こんなとこにあったんや」

「じゃあこの玄関が開きにくかったんって、これのせいやったんか?」
 
 恵一は念のため戸袋を覗き込んだ。

「これ以外は何もないな」
 
 恵一は保と二人で再び戸板を元に戻した。扉は何の抵抗もなく閉まる。

「京ちゃん、やっぱりここに来てたんやね」

 暗闇に目が慣れるまで恵一、祥子、保の姿が映子の視界から消えた。

 かわりに仏壇の写真の中の京介が現れて映子に笑いかけた。
 手を伸ばして触れようとしたとたん霧散し、三人の心配そうな顔が視界に戻ってきた。

「ここで遊んでたんかな」

 恵一が小屋を見渡した。

「靴脱いで靴下も脱いで何しようとしてたんやろな。前に水路があるから、やっぱり水遊びでもしようと思ってたんかな」

 はしゃぐ京介の声が幻聴となって映子の耳に届いた。

 映子はその声を振り払った。もう思い返すまいと決めたはずだった。

「なんかごめんね。心配させて。これからまだ受験も本番があるし気にせんとってね」

 明るく笑って見せたつもりだったけれど笑顔は引きつっていた。

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