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俺のことが好きな美形全員と付き合うことになったけど、想像以上に激重だった。
俺のことが好きな美形全員と付き合うことになったけど、想像以上に激重だった。【クリス編】
しおりを挟むど、どうしよう。
ハチャメチャにまずいことになった……。
俺の名前は神崎 瑪瑙。容姿能力共に平凡な大学生。あとゲイ。
こんなんだけど、インディーズロックバンド『DIAMOND』のボーカルをやっていたりする。
バンドメンバーは俺含め四人で、年齢や性格こそバラバラだが、ほどよい距離感を保ちつつなんだかんだでうまくやれている。……と、俺は思っていた。
そうではなかったのだと判明したのは、つい先日にメンバー三人から告白されてしまったからだ。
「要するに、三人とも瑪瑙のことが好きだと?」
そう言ってメンバーを見回したのは、バンドリーダー兼ベース担当の篠宮 透輝さん。
ダウナー系の外見とは裏腹に、面倒見がよくて気さくな兄貴分である。あとイケメン。
「うっすらそんな気はしてたけどね……」
重苦しい空気の中心にいる俺に申し訳なさそうに視線を寄越したのは、ギター担当の玻璃間 クリス先輩。
イギリスと日本のハーフで、容姿端麗、成績優秀、品行方正の三拍子揃ったまさに完璧王子様。あとイケメン。
「……」
敵意MAXといった様子で俺以外の二人を睨んでいるのは、ドラム担当の早乙女 蛍。
俺の高校からの後輩で、少々毒舌だがそれすら欠点にならないほどに可愛らしい顔立ちをしている。あとイケメン。
「あ、えっと……」
そして、この問題の元凶。俺。
タイプの違う超絶美形三人に囲まれて、イケメンゆえの謎の圧に負けてしまい何も言うことができません。
この三人、なんと全員俺のことが好きらしい。嘘だと思うだろ? 俺だってそう思う。
三人ともそれぞれ系統は違えど、同じ男の俺から見ても文句なしのイケメン。それでいてバンドをやっているわけだから、俺の目に見える範囲ですらこの三人はモテまくっていて、交際相手に不自由することなんて絶対にないだろう。
……それなのに、なんで平凡で特段美形でもない、せいぜい歌くらいしか取り柄がない俺なんかを揃いも揃って好きだと言うのだろうか。正直、今この瞬間ですら何かの間違いじゃないかと思っている。
それでも全員から告白されたのは残念ながら事実だ。先にクリス先輩と篠宮さんから告白されて、それを蛍に相談したら蛍からも告白されて……ブチ切れた蛍が全員に招集をかけ、今に至るというわけだった。
「言っとくけど俺、本気だからね?」
俺の思考を見透かしたかのように、クリス先輩が言った。
普段は穏やかで優しいクリス先輩だけど、今は目が本気だ……。
「当たり前だろ。冗談で告白するような相手じゃないしな」
「本気じゃなかったらそれはそれで許さないですけど」
先輩の言葉に続いて、他二人も同意を示す。
もう雰囲気は最悪。居心地の悪さが尋常じゃない。特に蛍が年長者二人をずっと威嚇しまくってて、すごい度胸あるなと思うけど切実にやめてほしい……。ああ、修羅場ってこういう場面を言うんだろうか。居た堪れない。
「あ、あの……」
ピリピリした空気に耐えきれなくなり口を開くと、三人の視線が一気に俺に集まった。
「お、俺が思わせぶりな態度とったりしちゃったんなら、謝ります。でも俺としては、三人ともバンド仲間って感じで、恋愛対象としては見たことないっていうか……」
変に取り繕ってもどうせバレるだろうと思ったので、正直に言う。
別に三人とも嫌いではないし、むしろ好きだとは思う。ここまでのイケメンに好きだと言ってもらえるなんて、この先の人生で絶対にないだろう。でも、だからといって今この中から一人選べっていうのは無理がある。俺は三人とも恋愛感情抜きで同じくらい大事に思ってるし、何よりここで一人だけ選ぼうものなら間違いなく角が立つだろう。
「それはつまり、『ごめんなさい』ってこと?」
クリス先輩からの問いに、俺はこくりと頷いた。
俺はこのバンドもバンドメンバーも、心の底から大切に思っている。だから俺のせいでバンドの雰囲気が悪くなるくらいなら、全員丁重にお断りさせていただくのが今後のためにも一番いいんじゃないかと思った。
「待て。俺達……っていうか、俺のどこが気に入らないんだ? 言ってくれたら全部直すから、教えてほしい」
篠宮さんが焦ったように俺の腕を掴んで蛍に睨まれる。ちなみにもう片方の腕は初めからずっと蛍がひっついている。なんだろう、俺そんなに逃げそうな感じ出てる……? 確かに今すぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいではあるんだけども。
俺は捕まったままの状態で篠宮さんに弁解した。
「いや、どこが悪いとかじゃないです! むしろみんな俺なんかには勿体無いし、他に絶対いい人いますから……」
「それは答えになってない。嫌なところがないんなら好きに選べばいい。別にお前が誰を選ぼうが……まぁあれだ、蛍に刺されるくらいで済むだろ」
篠宮さんが俺の隣にいる蛍をちらりと見てからそう言った。いやいや、それは大惨事なんじゃないですか。サラッと人死にが出ますよ。
ていうか蛍も篠宮さんも、こういうキャラじゃなかったはずなのに……。蛍は懐かない猫みたいなドライな感じだったし、篠宮さんはいつも余裕があって取り乱したりしない、こういう風に食い下がってくることなんて今まではなかったはず。それだけ俺に対して何か思うところがあるのかなって考えると、余計に頭が痛くなる。せめて一人くらい冗談であって欲しかった……。
「……む、無理です。俺、選べません……。別に三人に不満があるわけじゃないです。でも、今までそういう意味で考えたことなかったし……。それに誰か一人を選んだとして、そのせいでバンド続けられなくなったりしたら嫌ですし」
俺はゲイだ。だから男と付き合うこと自体には抵抗はない。
でも、自分の性癖を自覚しているからこそ周りには迷惑をかけないようにと心がけているし、それはバンド活動においても同じだ。いくら美形でもバンドメンバーをそういう目で見たりなんかしないし、ましてや手を出すなんてことは御法度だろう。というか全員あまりにも美形すぎるので、こうしてバンドを組んではいるけれど、きっとみんな俺なんかとは住む世界が違うんだろうなぁ…って思っていたし。
だから何を言われようと、今ここで一人選ぶなんて絶対できない。適当に考えていいことでもないし、真剣に考えていたらそれはそれで人間関係に綻びができるだろう。だから、無理だ。それが俺なりに考えた答えだった。
「……なるほど、わかった」
俺の返答を聞いた篠宮さんは納得いかないような顔をしていたが、言葉では一応理解を示してくれた。わかってもらえて安心したのも束の間、次に篠宮さんが発した言葉は俺の想像を絶するものだった。
「じゃあこうしよう。しばらくの間、瑪瑙は三人でシェアするってことでどうだ?」
「へ!?」
思わず間抜けな声が出てしまった。
シェア? シェアって、どういうことだ。俺を三人で、ってつまり……駄目だ、理解できない。
予想外の展開に頭が混乱してくる。俺の返事に対してまさかこんなことを言われるとは全く思っていなくて、どう返すのが正解なのかわからない。
「ちょっと透輝さん。シェアする…って、神崎は物じゃないんだから」
戸惑っている俺を見かねたクリス先輩が、そう言ってフォローを入れてくれた。篠宮さんはそれに対して「わかってる」と返しつつも、すぐに俺に向き直って質問した。
「瑪瑙は俺達のこと、嫌いではないんだろ? ただ恋愛対象として見たことがないってだけで」
「は、はい」
「さっき断ったのも、ここで誰か一人を選んだらバンドがギスギスするかも…って理由だよな?」
「……そうです」
まだ幾分か困惑している俺は、聞かれたことにただ素直に答えることしかできなかった。
篠宮さんの言うことは概ね間違っていない。別に嫌いだから振るわけじゃない。今後のためだ。仮にここで一人選んだとして、ちゃんと恋愛的な意味で好きになれるかどうかわからないし。
「お前の気持ちはよくわかった。でもな、バンドメンバーだからって理由で振られるのは、こっちとしても納得いかないんだ。断るのは、せめて俺達のこと恋愛対象として見てみてからでもいいと思わないか?」
恋愛対象として見てみてから……?
篠宮さんの言葉に俺がこてんと首を傾げると、彼は「ちょっとそんな可愛い仕草してお前は……」とか何やらぶつぶつ言いながら顔を赤らめる。それからひとつ咳払いをすると、気を取り直したようにこう言った。
「だからとりあえずお試しってことで、俺達全員と付き合ってみよう。それならお前が心配するようなことにはならないし、付き合っていくうちに心が決まるかもしれない。俺達も全員平等にチャンスがある。悪い話じゃないだろ?」
「あ、シェアってそういうことですか……」
ようやく合点がいった。要するに、三人同時に付き合うってことか。でも本当にそんなこと可能なのか……?
シェアだなんて言い方をしているけれど、俺からしたら実質三股するようなものだ。それってあまり褒められたことではないんじゃないだろうか。ていうかそもそも、こんなおかしな折衷案で他の二人が納得するのか?
「もちろん、それでも無理だったら今度こそフッてくれていい。その時は誰が選ばれても選ばれなくても、正真正銘恨みっこなしだ」
それでいいか?と篠宮さんが俺含め全員に視線を送る。
俺は恐る恐るクリス先輩と蛍のほうを見てみた。二人はそれぞれ難しい顔をしていたが、しばらく悩んだ後に同じ結論を出した。
「俺は神崎がいいならそれでもいいよ」
「正直嫌ですけど、今ここで振られるくらいなら……」
意外なことに、二人とも篠宮さんの意見に賛同した。クリス先輩はともかく、蛍は何がなんでも嫌がるかと思ったけど……そんなに俺に振られるのが嫌だったのかな。なんで俺なんかと付き合うのに皆そんなに必死なんだろう。俺、ほんとにただの平凡野郎なのに。
「……だそうだ。どうだ、瑪瑙?」
二人の回答を聞いた篠宮さんは、再び俺に意思確認をしてきた。
こうする以外に仲違いを避ける方法はない。本当にそれでうまくいくのか不安ではあるけど、俺は腹を括って篠宮さんに頷いてみせた。
「わ、わかりました……」
✦✦✦
その後の話し合いで、俺は週末の日曜限定で、三人と交代でお付き合いをする、ということになった。
「日替わりだとさすがにね。神崎だって大学やバイトで忙しいし、毎日俺達の相手してたら疲れちゃうだろ。だから、週末だけ。それなら神崎も少しは気が楽なんじゃないかな」
そう言ってくれたクリス先輩にはもう頭が上がらない。この人は本当に配慮の神様だな……。
クリス先輩の提案に、他の二人もすんなり了承してくれたので俺はほっとした。
「それと、手を出すのは絶対禁止にしましょう」
「え!? なんで!」
しかし続いたクリス先輩の言葉に、篠宮さんが抗議の声を上げる。
「当たり前でしょう! まだあくまで“お試し”なんですから。それに神崎はボーカルですよ。来週末にはライブも控えてるし、無理させて万が一体調崩したりしたらどうするんですか?」
「うぐ……それは、確かに」
クリス先輩の正論パンチに、篠宮さんはぐうの音も出ないようだった。
ていうか、俺に手を出したいって思うものなんだな…と、篠宮さんの反応を見て改めて考えてしまった。こんなにイケメンなんだから相手には困らないだろうに、それでも俺なんかとそういうことがしたいって思っているんだ……。そんな風に実感すると、妙に意識してしまう。
「蛍もそれでいいよね?」
「まぁ、手を出したいのは山々ですけど、他の男に好き放題されるよりはマシだから……」
クリス先輩に話を振られて、蛍も渋々といった様子だが了承する。
嘘だ、蛍まで手を出す気でいたのか? ていうか、蛍ですら“俺が手を出される側”なの前提で話すんだな……。俺に男としての魅力がないのは重々承知だけど、なんだか複雑だ。蛍なんて俺より小柄で可愛い感じなのに……。
結局全員が「絶対に手を出さない」と約束した上で、俺とのお付き合いが始まることとなった。
俺はまさかこんなことになるとは夢にも思っていなかったので、ものすごく先行き不安だ。お試しとはいえ、こんなイケメン達と“お付き合い”なんて俺に出来るんだろうか。こんなの人生初だ、というか何度もあってたまるかって感じだけど。
そして審議の結果、クリス先輩、蛍、篠宮さんの順で俺と付き合うことになった。
この中では一番まともそうなクリス先輩がトップバッターということで少し安心したものの、だからといって緊張しないわけではない。だって、週末だけは俺は“ただのバンドメンバー”から“恋人”にジョブチェンジしなきゃならないんだから……。
「じゃあ最初は気楽にデートでもしよっか。後で連絡送るから、週末の日曜空けておいて」
クリス先輩はそう言いながらにこりと俺に微笑みかけてくれた。
デート。クリス先輩とデート……。今までも一緒にご飯食べに行ったりとかそういうのはたまにあったけど、デートとなるとちょっと想像できない。先輩は「気楽に」なんて言っているけれど、俺にとってデートは気楽にできるもんじゃないし。あ、平凡な俺とは違って、イケメンはデートするのなんて慣れているのか……。
とはいえ、既に“シェア”を承諾済みの俺にはもはや拒否権などない。俺は先輩からのデートのお誘いに頷いた。
まぁクリス先輩にせよ、篠宮さんにせよ蛍にせよ、俺と付き合いたいだなんてほんの一時の感情に決まっている。三人ともめちゃくちゃモテるから、色んな女の子と付き合ううちに男にも興味が出てきて、あっちょうど身近なところにゲイの奴いるじゃん、って感じで俺に告白したんじゃないかな……。
じゃないと俺なんかのことを好きだと言うわけがない。少しでも付き合えば、俺が平凡でつまらない奴だと気付いて目を覚ますに違いない。
決して誇れることではないけど、自分の平凡さはお墨付きだ。
だから、全員どうせすぐ飽きるだろう……と、この時の俺はたかを括っていたのだ。
✦✦✦
そして週末の日曜日。
俺はクリス先輩の自宅に招かれていた。
「人が多い場所だと疲れるでしょ。今日は俺んちでのんびりしよ?」
そう言ってくれたクリス先輩に、俺は素直に甘えさせてもらうことにした。
人が多い場所、って先輩は濁してくれたけど、実はそうじゃない。というのも、俺も何度か一緒に歩いたことがあるから知っているが、街を出歩くとクリス先輩は毎回片手の指では足りないほど逆ナンに遭うのだ。芸能人かってくらい整った容姿をしたハーフのイケメンが街中を歩いていたら、まあそうなるだろう。先輩自身もそれをわかっていて、そうなってしまっては俺が疲れてしまうだろうと気を遣ってくれたのだとすぐにわかった。
何を隠そう、俺は大の女性恐怖症なのだ。恋愛対象が男のみであるのもこれが所以と言っていい。大学の同級生の女子と話したりする程度であればなんとか大丈夫だが、知らない女性と近距離で接したり、身体に触れたりすることは絶対にできない。だからたとえ先輩目当ての逆ナンだとしても、相手が女性というだけで俺は怖くなってしまう。年々悪化の一途を辿っていく症状に、俺自身も辟易しているくらいだった。
「すみません、気を遣わせちゃって……」
「全然気ぃ遣ってなんかないよ。俺さ、おうちデートって一度してみたかったんだよね」
俺が謝ると、クリス先輩はそう言って笑ってくれた。やはり配慮の神様である。
心の中で先輩を拝みながら後を着いていくと、かなり背の高いマンションらしき建物まで来た。先輩は手慣れた様子で入り口のオートロックを解除すると、そのまま俺を連れてエントランスを通過しエレベーターに乗る。何階かはよく見ていなかったけど多分結構階層高めの部屋まで到着すると、先輩は「どうぞ」と言って俺を中に入れてくれた。
「お、おじゃまします」
案内された部屋はなんかもうめちゃくちゃ広かった。リビングもダイニングもとにかく部屋のひとつひとつが広くて綺麗だし、内装もモデルハウス並におしゃれだ。俺も大学近くのマンションで一人暮らしをしているけど、その感覚で言うと「ここ本当にマンション?」って思ったくらい。
ていうか今更だけど、ここ、いわゆるタワマンってやつだよな。もしかしてクリス先輩って、めちゃくちゃお金持ち……?
「あはは、そんな緊張しなくていいよ。そこらへん適当に座ってて。飲み物持ってくるね」
「は、はい。失礼します……」
緊張しなくていいと言われたけど、しないはずがない。
先輩がキッチンのほうに行ってしまったので、俺はリビングをきょろきょろと挙動不審になりながら見回したあと、そばにあったソファに座らせてもらった。
少しすると、クリス先輩は二人分のアイスティーが入ったグラスを持ってこちらに戻ってきた。俺はアイスティーをちびちびといただきながら、控えめに先輩へ話しかける。
「あの、今日はご家族の方とかは……?」
「いないよ。ここ、俺の一人暮らしだから」
「ええ!?」
先輩の言葉に思わず大きな声が出てしまって、俺は慌てて口をつぐんだ。
これだけ立派なタワマンに一人暮らしできるって、一体どれだけのお金持ちなんだろう……。なんか急にクリス先輩が別世界の人間みたいに見えてきた。いや、もともと完璧イケメンの先輩と平凡な俺とじゃ、住む世界はまったく違うんだけども。
「す、すみません。すっごく広いおうちなので、てっきりご家族も一緒かと……」
「確かに広すぎて俺一人じゃ持て余してるかも。でも親の所有してるマンションだから、こうして住まわせてもらってるだけ有り難いけどね」
「ひぇ……」
タワマン所有とか、なんかもう凄すぎて現実味がわかない。
思えば、今までクリス先輩の身の上話なんかは全然聞いたことがなかった。見た目からなんとなく王子様っぽい雰囲気はあるけど、基本的にはいつも俺たちに優しく寄り添ってくれるような人だから、まさかこんな庶民離れした生活をしているだなんて思いもしなかった。このこと大学の皆は知っているんだろうか?
それにこんな立派な家だったら、いつ彼女を連れて来ても全然恥ずかしくないんだろうなぁと思った。今まで先輩の彼女だった人も、きっと嬉しかっただろうな。……あれ、でもさっき先輩は「おうちデートって一度してみたかった」と言っていた。ってことは、家に上げるのは俺が初めてだったりする? ……いやいや、そんなまさか。
「……大丈夫? 居心地悪い?」
「え!? ああいや、部屋広いし沢山あるから、何の部屋なのかなぁって……」
「はは、気になる? ええと、あそこがキッチンだろ。向こうが洗面所と浴室で、トイレもそっち。あっちがバルコニー……」
今更ながら自分の置かれた状況を理解して、変に考えを巡らせてしまう。そうしたら見かねた先輩から声をかけられてしまったので、俺は我に返って適当に部屋の話題を振った。そんな俺に対して、先輩は快く家の間取りを教えてくれる。改めて聞くとやっぱり先輩の家は広かった。俺が今いるリビングだけでもかなりの広さなのに、まだまだ部屋がある。これは持て余すのも無理はないな…と思った。
「それと、あそこが俺の部屋なんだけど、中には入らないでね。機材とか色々あってゴチャゴチャしてるから」
「あ……はい」
クリス先輩がそう言ってドアのひとつを指差したので、俺は素直に返事をする。先輩の自室かぁ。興味あるなぁ。
ちなみに機材収集は先輩曰く「趣味」だそうで、結構いいエフェクターからちょっとマニアックなものまで、練習やライブの際にはよく持参しているのを見かける。だからきっと自室の中はたくさん機材があるんだろうな。ちょっと見てみたい気がするけど、さすがにプライベートエリアなので「見てみたい」と言うのはやめておいた。
緊張していたけど、色々話していたら少し落ち着いてきた気がする。
それにしても、こんな立派な家に上げてもらって、先輩と二人きりで過ごすだなんて……まだちょっと実感がわかない。今までは大学の他の友達やバンドメンバーが一緒だったりで、二人きりになることは意外と少なかったし。
そういえば、今日ってデートなんだよな。先輩は気楽にって言ってくれたけど、やっぱり意識してしまう。こうして普通に話しているけどたぶん先輩は俺のことが好きで、俺はそのうち彼に対して返事をしなければいけなくて……。
そんなことを考えながらアイスティーのグラスをじっと見つめていると、ふいにクリス先輩が俺に声をかけた。
「神崎、こっち見て」
「え? ……わっ!」
顔を上げた途端、カシャ、という音がする。驚いて先輩を見ると、彼は愛用のスマホを俺の方に向けて微笑んでいた。
もしかして今、写真撮った? いや別に全然いいんだけど、なんで俺の写真なんか。やばい、驚いて変な顔していたかも。
「ごめん、びっくりさせちゃった?」
「い、いえ!大丈夫です! でもなんで写真なんか……」
「デート記念。神崎が俺んち来てくれたの嬉しくて。……あ、人に見せたりしないし、SNSにも上げたりしないから安心して」
先輩がそう言ってくれたので、俺はほっとして頷いた。SNS上だとメンバーで唯一平凡な俺をよく思っていない人も一定数いるから、顔の写った写真を上げられるのは抵抗があるけど、ネットに上げないでくれるのなら一向に構わない。そりゃ、ちょっと恥ずかしいけど……でもクリス先輩ならいいか。
クリス先輩は流行に敏感で、写真を撮るのも上手かったりする。実はバンドのSNSの更新もほぼ彼が担当してくれていて、よく俺たちの練習風景の写真や演奏動画なんかを撮ってアップしていた。ネットに投稿したそれらは結構ウケていて、バンドの知名度がここまで上がったのもひとえに先輩のSNS運用の賜物だろう。
俺はSNSには疎いほうなので、以前に「先輩にばかり任せてしまって申し訳ない」と言ったら、彼は「いいのいいの、俺こういうの好きだから」と言ってこともなげに笑ってくれた。本当に良い人だ。先輩個人のアカウントにもよく綺麗な写真が投稿されていたりするから、きっと好きなのは本当なんだろうな。センスがあって羨ましい。
「あの、先輩。ありがとうございます……いつも、色々と」
「ん、どしたの急に?」
俺が改まってお礼を言うと、クリス先輩はいつもの優しげな笑みのまま首を傾げた。
クリス先輩には本当にお世話になってばかりだ。SNSのこともそうだし、先輩はいつも俺のことをよく見ていて、困っているとさりげなくフォローしてくれる。何かにつけて、俺が嫌な思いをしないようにと気を遣ってくれる。それにバンドだけじゃなくて、大学でも彼は俺にすごく目をかけてくれていると思う。俺はもともと引っ込み思案で友達が少なかったから、先輩がいなかったら皆の輪の中に入れていなかったと思うし……。いつも感謝しているけど、こういう機会だからちゃんと伝えたいと思った。
「たまにはちゃんと言わないとなって……。先輩はいつも優しいし、俺が困ったり悩んだりしてる時も一番に気付いてくれて……本当に感謝してるんです。それに先輩がいなかったら、皆に歌を聴いてもらう機会なんて一生なかったと思うし……」
「……」
「かっこよくて頭が良くて優しくて、ギターも上手くて……俺と違って完璧で、すごく尊敬してます。先輩は俺にとって憧れの存在です」
クリス先輩は誰にも分け隔てなく優しいから、きっとこうして気にかけるのは俺だけじゃないんだと思う。先輩にとっては他人に優しくするのは当たり前なのかもしれない。でも俺は、そんな先輩にたくさん救われてきたから。
「……ありがとう。でも、そんなんじゃないよ、俺」
俺が伝えたかったことをすべて話し終えると、先輩は苦笑しながらそう言った。
そんなんじゃない、とはどういう意味だろう。俺、何か間違ったこと言っちゃったかな。それとも、先輩だって何の努力もせずに色々できているわけじゃないと思うから、俺ごときに軽々しく「完璧」だなんて言われて気に障っただろうか。
「す、すみません。俺なんかが分かったような口聞いて」
「ああいや、そうじゃないよ。むしろ嬉しいし……。ただ、そこまで言ってもらえるほど俺かっこよくないよなぁって」
「そんなことない。先輩はすっごくかっこいいです!」
少なくとも俺よりは数百倍、いや数千倍かっこいい。そもそも先輩を俺なんかと比較すること自体がおこがましいんだけど。
俺の言葉を聞いた先輩は、突然すっと立ち上がって俺から顔を背けた。どうしたんだろう、と思ったけど、よく見ると耳がちょっと赤い気がした。……もしかして照れてる?
「そういうこと言われると期待しちゃうんだけど……」
クリス先輩は何かぼそぼそと呟いているようだったが、よく聞こえなかった。
✦✦✦
それからしばらくの間、クリス先輩と映画を観たりお菓子を食べたりしてのんびりと過ごした。
先程は少し様子がおかしかった先輩もすぐにいつもの調子に戻って、「先日入ったラーメン屋さんが美味しかった」「ネットで見た猫の動画が可愛かった」、そんな他愛なくも興味深い話をたくさん振ってくれた。そんな先輩と一緒にいるうちに、俺の緊張も解けて次第にリラックスできるようになっていた。自分が今“お試しで先輩と付き合っている恋人”であることを忘れてしまうくらいには。
「ごめん、ちょっと外すね。すぐ戻るから好きにしてて」
しばらくすると先輩はそう言って、先ほど自室だと教えてくれた部屋へと入っていった。俺はそれに返事をしてから、大人しくリビングのソファに座ったまま先輩が教えてくれたおすすめの猫動画をスマホで再生していた。
それから5分。10分。15分……。
すぐに戻ると言っていたはずだけど、クリス先輩はなかなか自室から戻ってこなかった。動画もとっくに終わってしまっている。
最初はあまり気にせず待っていたけど、時間が経つにつれてだんだんと先輩のことが心配になってくる。大丈夫かな、もしかして何かあった? 部屋の中で倒れていたりとかしないよな……?
俺はおもむろにソファから立ち上がると、先輩の自室のドアの前まで歩いていった。しかし本人から中には入るなと言われていたので、ドアを開けるのを躊躇ってしまう。とりあえず小さくノックをしてみたけど、部屋の中からは何の返答もなかった。
「……クリス先輩? その、大丈夫ですか?」
ドア越しに声をかけてみるが、やはり返答はない。
どうしよう。勝手に入ったら怒られるよな……。でも話しかけても返事はないし、これでもし緊急事態だったら大変だし、いや、だけど……。
少しの間葛藤したものの、結果として俺はドアノブに手をかけて開けることを選んだ。機材でゴチャゴチャしてるから、って言っていたし、ちょっと中を覗くだけなら大丈夫だよな……? 開けてみて特に何も起こっていなければ、謝ってすぐにドアを閉じればいい。あとやっぱり先輩の部屋、ちょっとだけ見てみたい……そんなほんの少しの好奇心も俺の背中を押してしまった。多分大丈夫だと思うけど、いちおう、念のため。
俺はドアノブを回してそっと部屋の扉を開けてみた。
クリス先輩は部屋の中にちゃんといた。
なにやらパソコンの画面を真剣に見つめている。彼の頭には密閉型のヘッドフォンが装着されており、俺のノックや声かけに気付かなかったのはこれが理由だったのだとすぐにわかった。
いや、そんなことよりも。部屋の中。
機材も確かにあったんだけど、それよりも何よりも気になったのは、四方の壁を埋め尽くす勢いでびっしりと貼り付けられた何十枚、もしかしたら何百枚あるかもしれないほど大量の写真だった。先輩が撮ったのであろうそれらは、機能的な部屋の中で相当な異彩を放っていた。
そして、それらの写真に写っているものを見て俺は更に驚愕する。
「え……」
俺だ。全部。
ライブで歌っている写真、ギターを練習している写真、大学の学食で食事をしている写真、他にもとにかく色々。カメラに向かって視線を寄越しているものもあるが、中には明らかに隠し撮りのような写真もある。
え、え。待って。これって、どういうこと……?
「———ッ!?」
俺が混乱のあまりその場に硬直してしまっていると、気配を感じたのかクリス先輩がこちらを見てもの凄く驚いた表情をした。それから慌てた様子でヘッドフォンを外しこちらへ駆け寄ると、部屋から出て後ろ手で扉をバンッと閉める。
まだ動けないでいる俺の両肩に手を置いた先輩の顔色は、今まで見たことがないくらい真っ青になっていた。そして異様な圧を放ちながら、俺に向かって問いかける。
「…………見た?」
「み、みてない、です」
「……見たよね??」
思わず否定したけれど、状況的に見てしまったのは明らかだ。
クリス先輩、口元はかろうじて微笑んでいるけど、その笑みは引き攣っているし何より目が笑ってない。
ていうかさっきのって……いわゆるストーカーっていうか盗撮っていうか、世間一般で言うところのそういうアレなんじゃ。いつも皆に優しくて完璧王子様なクリス先輩がそんなことするとは到底思えないけど、でも俺はこの目で見てしまったわけで。
やばい。もしかしなくても俺、パンドラの箱を開けてしまったのかもしれない……と、今更ながら背筋が寒くなった。
「……ご、ごめんなさい。見ました……」
言い逃れできる状況ではないし、何よりクリス先輩の放つ尋常じゃない雰囲気に気圧されてしまって、俺は結局観念した。
俺が白状するなり、先輩はハァ~と大きな溜め息を吐いてその場に蹲った。それから両手で顔を覆うと、あのクリス先輩とは思えないくらいの情けない声音で俺に言った。
「俺のこと振っていいよ……」
「えっ!?」
先輩の口から突然予想もしていなかった言葉が飛び出してきて、俺はびっくりしてつい聞き返してしまう。
「な、なんでですか?」
「なんでって、気持ち悪いだろ。こんなストーカーみたいな……」
クリス先輩は顔を隠したままそう言ったが、俺は正直気持ち悪さよりもただただ驚きしかなかった。
「……ごめん。俺はね、ほんとは神崎が思ってるような奴じゃないんだ。好きな子に陰で一年以上ストーカーしてるような、陰湿で気持ち悪い男なんだよ」
俺が何も言葉をかけられずにいると、クリス先輩はまるで懺悔でもするかのようにそう告白した。
ていうか、一年以上ってことは、俺が大学に入学した頃からずっとストーカーしていた……ってこと? 全然、まったく気付かなかった。
色々と衝撃の新事実が発覚して宇宙猫みたいな顔になっている俺をよそに、先輩は話を続ける。
「神崎は皆と同じで、俺のこと優しくて何でもできる先輩……って慕ってくれてるのわかってたから。だから神崎に好かれる“良い先輩”でいられるよう振る舞ってたけど、本当の俺はそんなんじゃない。困ってる時にすぐフォローできたのは単純にずっと見てたからだし……この家だってね、普段はもっと散らかってるんだよ。神崎が来るから、昨日ハウスキーパーさんに綺麗にして貰っただけで……」
クリス先輩は今にも泣きそうな顔をしていた。
……先輩、俺が勝手に抱いていたイメージを崩さないようにって、頑張ってくれていたんだ。俺はそうとは知らずに、先輩は皆に優しくて完璧な王子様だ!なんて言ったりして。いつも先輩は良い人だ、とか何でもできて凄いなぁ、とか思うだけで、彼の本質を何も見ようとしていなかったんだと気付かされた。
「あの、先輩……」
口を開こうとした俺を制して、クリス先輩は自嘲ぎみに笑った。そして自分の髪を手の平でぐしゃっと握りながら、ヤケになったように取り乱す。
「いいよ。わかってるから。俺なんて……俺なんて結局見かけ倒しでしかないんだ。本当は勉強だって人付き合いだってちょっとめんどくさいって思ってるし!片付けできないし家事もできないし!ストーカーだし!音痴だし!」
あ、音痴って本当だったんだ……。
前に篠宮さんが「クリスは物凄い音痴だ」って教えてくれたことがあったけど、てっきり冗談だと思っていた。……って、今はそんなことはどうでもよくて。
「クリス先輩。俺、そんなことで嫌いになったりしないですよ」
「……え?」
俺がそう言うと、クリス先輩はやっとこちらを見てくれた。
「確かにその、ずっと見られてたのはびっくりしましたけど……それでも、先輩が優しくて素敵な人なのは変わらないと思いますから」
だって先輩は、たとえずっと取り繕っていたんだとしても、俺に一度も嘘は言わなかったから。
だから、先輩が心優しい人なのはきっと素だと思う。彼はいつも周りをよく見ていて、みんなが楽しめるようにと気を配っていた。俺のせいで無理させちゃったのは申し訳なかったけど、そうやって他人のために頑張れるクリス先輩は、やっぱりかっこいいなと思った。
「完璧じゃなくても、ダメなとこがあっても、全然いいんです。俺にとってクリス先輩は、ずっと尊敬できる憧れの先輩ですから」
俺はクリス先輩に向かって微笑んだ。
何故だろう。普通だったらストーカーなんて怖くて堪らないはずなんだけど……相手がクリス先輩だと、不思議とそういう気持ちはわかなかった。先輩は今まで俺に危害を加えるようなことはなかったし、それ以上に俺によくしてくれたから……って俺、絆されすぎだろうか。
「神崎……」
「あ、でも隠し撮りは……その、できればやめて欲しいですけど……。そんなことしなくても、言ってくれたら俺、普通に写りますし……」
俺がそうお願いすると、クリス先輩はこくこくと何度も首を縦に振った。
そんな彼の様子を見た俺が「それならいいです」と言ってまた微笑むと、先輩は顔を赤く染めて息を呑んだ。
「ちょっと優しすぎでしょ……危なすぎる」
そんなことを言いながらも先輩はようやく立ち上がってくれて、俺の顔をじっと見つめる。近くで見てもやっぱり美形だなぁ、なんて呑気に思っていたら、先輩は更に顔を近付けて、俺の唇にちゅっと触れるだけのキスをした。
「あ……」
「ほら、全然警戒してない……。だから俺みたいなのに惚れられちゃうんだよ」
そういえば今日は『クリス先輩の恋人』として呼ばれたんだとここでようやく思い出して、俺もつい顔が熱くなってしまう。そんな俺を見て、先輩はようやくいつもの優しい笑みを見せてくれた。
それからもう少しだけ一緒に過ごして、来週のライブ成功させようね、っていう話もして、クリス先輩との初デートは終わりを迎えた。
以前よりももっとクリス先輩という人を知ることができたし、なんだかんだで良いデートだったかも……なんて。
end.
✦✦✦
「そういえばさっき部屋で何してたんですか?」
「……怒らない?」
「は、はい」
「……今日、神崎がうちに来るからさ、リビングに隠しカメラと盗聴器仕掛けてて……。音声とかちゃんと録れてるかなって、途中でどうしても心配になって。それでその……つい確認に……」
「先輩……」
「すみません!!ごめんなさい!!返す言葉もございません!もう二度としません!」
応援ありがとうございます!
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