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就学援助金
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三田村幸乃は小学二年生になっていた。
細い小さな身体をしている。幸乃の下に3人の弟妹がいて三田村家の長女で有るのだがその1番上という立場の辛さが少し分かり掛けて来ていた。
母親の美子は子供の目から見れば男っぽくて荒々しく感じる。女だてらに酒乱で飲み始めると目が座って来る。そうなると下の3人は素早く隠れるのが日常となっていて残るは幸乃だけ。どうしても逃げる事が出来ないのだ。あぐらをかきその足の中に一升瓶を立て食事には出さない刺身などを摘みにして呑む。そして当然の事のように睨まれた蛙の様になった幸乃に殴る蹴るの乱暴が始まるのである。逃げたくても幸乃は逃げられない。何で怒っているのか分かる筈もないが1度始まってしまったらその美子の怒りが収まるまで身体を丸くして泣きながらも我慢をするしかないのである。乱暴されつつも母親の異常な行動に対しても自分が悪いから怒られているのだろうし、仕方がない。母親が悪いとは幸乃には思いもしない事なのだ。ただやはり痛い。そして怖い。早く怒りが収まらないかと堪えるしかない。その怒りが収まると当の美子は大の字になって寝てしまう。やっと解放の時が来たのである。トイレに駆け込み泣いたり、部屋の隅で膝を抱えて泣いたり、恨みこそ浮かばなかったが何故自分にだけと言いう不条理は心の隅に芽生え初めてはいた。父親の勉が仕事の昼間に限ってその暴行に及んでいた。だから勉はそんな美子の行動を知る由も無いのである。
近くの魚屋迄買い物に出された。お金は持たされては無い。お母さんが後から払うと店主に言って買って来るのである。その店主は幸乃にも良い顔はしなかった。美子は決して自分では行かない。行けば売ってはくれない上嫌味を言われるだろう。。だから幸乃の仕事となる。そんな事だって恥ずかしい事であると言う事を感じていた。おかしいのでは無いのか。本当は母ちゃんが行けば良いのに。そんな事を思うようになってはいたが、口に出して言える事ではない。怖いのだ。その帰り道、もう家までそう遠くない所に靴屋があってそのケースの中に飾って有る月星マークのズックが光り輝いてるように見えた。自分の履いてるズックはつま先が薄くなっていつ穴が開くか分からない状態である。子供なら新しいズックを欲しくない訳が無い。暫く真新しいズックを眺めては居たが諦めて家に帰るしかなかった。
その年の夏休みに入る少し前の事だった。幸乃は埼玉県営住宅の広場でブランコに乗って遊んでいた。三田村家の隣にある公園である。空に足が上がる。とうとう穴が空いたズックが瞬間見える。あの靴屋のズックが眼に浮かぶ。
空に足が上がる度そう思っていた。
ふと見ると美子は朝顔に水を巻くためホースを出して来ている。子供ながらに今なら言えそうな気がした。ブランコから降りて美子のそばに行くとホースの先から勢いよく水が出てそれが朝顔に撒かれている所だった。優しく振り向くのを期待して「母ちゃん」と呼んでみた。「幸、向こう行ってな濡れるぞ。」と言う。言っても大丈夫な気持ちが強くなって「あのね母ちゃん。ズック買って。」その言葉が終わる瞬間美子はホースを放して振り向いた。幸乃は身を竦めた。水の勢いでホースは蛇のように暴れ、その水があちこち勢いよく飛んでいる。顔はまるで仁王のようで幸乃は凍りついた。「何!お前は家に金が無いのを知っててそんな事を言うのか!」と大きな声を出した。「だって穴が空いてるんだもん。」言わなきゃ良いのに、でも必死にズックの買い替えを願ったのである。美子は幸乃の襟首を掴むと素早く後ろに回りその背中を蹴り始めた。もうこうなったら身体を丸くして耐えるしかなくなる。「親不孝者!」何度も罵声を聴きながら収まるのを待つ。身体も痛い。気持ちも痛い。外での母親の異常な叱責を誰かが見ていて止めてくれないかそればかりを思いヒィヒィと泣いた。誰かが見たので有ろうか、ふとそれは終わった。直ぐに立ち上がり家の中へ駆け込んで部屋の隅っこに泣きじゃくりながら暫く気持ちを鎮めていた。
その次の日の朝幸乃が当校の準備をしていると突然勉と美子の凄い喧嘩が始まった。原因はやはり昨日の幸乃の言動らしかった。
美子は勉に枕を投げたり灰皿を投げたり。耐えきれなくなって「もう止めて、私ズック要らないからもう止めて。」と玄関に降りて言うと「うるさい!早く行け!」と幸乃目掛けて枕が飛んで来た。それが幸乃の耳を掠め正面の漆喰の壁に勢いぶつかり中のあずきが音を立て四方八方に飛び散り、それに驚いた幸乃はランドセルを手に持って反射的に外に飛び出して行った。まだ当校時間には早くて友達も外へは出ていない。
待つ余裕が無い。しゃくり上げるように泣きながら学校へと歩き始めた。涙で前がよく見えない。途中でランドセルは背中に背負った。
住宅前の土手から幹線道路を右に出て歩いていくと通っている小学校は近い。歩く足のズックから右足の親指が出て砂利を踏むと痛い。この辺りまでそんな幼い足で泣きながら歩く幸乃を不思議に思った中年の男性が近寄っては来たがその様子を見て声を掛けるべきでは無いと判断したのか駅の方向へ道を入って行った。この頃の日本はそんな子供を放っておかない時代であった。良くも悪くも近所の子供は周りの大人も育てている、昭和の真ん中辺りはそんな時代だった。
その道みち幸乃は泣きながら考えた。
こんな事になるのも家が貧乏なせいだ。私が無理を言ったからこんな事になった。どうしたら良いのだろう。そんな事を思っていた時ふとある事を思い出した。近所のおばさんが母ちゃんに話していた。教育児童援助費が困っている家庭では申請すれば学校の費用が貰えると。そうだそれを貰えれば少しは助かるかも知れない。先生にお願いしてみよう。そう思い立ったら涙が漸く収まって、学校の門は目の前になっていた。その門を通ると正面が将校口。入ってすぐ左が教員室だ。幸乃の胸は踊った。教員室のドアーを開けるとまだ教員は1人しかいない。担任では無かった。でも今言わなければ、お願いしなければ、そんな気持ちがはやった。「先生お願いが有ります。」その声にその教師は驚いた様子で幸乃を見た。「私に学校の費用を助けて下さい!」目を丸くして尚更顔を見つめている。涙の乾いてない幸乃の眼を見て全てをその若い教師、田辺郁夫は察した。「もしかしたら就学援助金の事かな?」幸乃はうなづいた。「どうしたの?」と田辺は聞いた。2年生の生徒は包隠さず昨日の事から懸命に説明し始めた。田辺の瞳から涙が零れた。「そうか三田村さんだね。」幸乃は「はい。」と答えると「大丈夫、先生から担任の先生にお願いするから三田村さんは安心して教室に行っててね。」と優しい。幸乃はこれで先生に話して貰えると思うと嬉しかった。その時田辺が「あ、三田村さん待って。」と呼び止めた。「君は良い子だから先生ご褒美あげよう。」机の引き出しからそれが出された。12色のクレヨンだった。ほんとにほんとにくれるの?胸の中で騒いだ。「だけどね貰った事は内緒にしてね。1つしか無いからね。教室に戻って自分の名前を書いてしまうんだよ。」と言ってクレヨンを渡された。その意味をまだ当然分からない。幸乃はただ嬉しくて嬉しくて「先生有難う!」とその時には満面の笑顔で職員室を出たのである。
やはり幼い子供である。担任に話してくれると言う田辺先生の言葉をすっかり信じて安心した幸乃はこの事を忘れて暮らしていた。
やがて夏休み。それは幸乃にとっても楽しい気分にさせていた。暑い朝から始まったその日。お昼頃ともなると茹だるような暑さとなって扇風機1台が頼りとなる。ひやむぎの昼ごはんが済むと美子がまた酒を飲み始めた。また幸乃1人が家の中から逃げられない。その日の美子の酒のピッチは早く幸乃に手を出すのは早かった。足で蹴り、
手で叩きまた蹴る。その勢いは前にもまして凄くなっている。それでも例によって身体丸くして泣きながら我慢をしていた。美子に学校から就学援助金の話がされた事など幸乃はついぞ知らない。
それが美子の神経に触れ酒の力を借りての腹いせになった。幸乃がその制度を嘆願する前からとっくにその手続きがしてあった事など全く知らなかった。他人に意見されたりするのに反発する美子の琴線に触れてしまったのだ。この日は執拗に乱暴が続いた。
その時である。この日に限って早くに仕事から戻って来た勉がそれを見つけて美子に掴みかかり止めたのである。美子に容赦なく拳が飛んだ。「お前はいつもこんな事してたのか!」流石の美子も頭から血を流し泣いている。その様子を今まで乱暴されていた幸乃がハラハラしながら見ている。母親へのせっかんを止めて!と複雑な心で叫びながらも声が出ない。父親のそんな様子も初めて見る光景で悲しかった。美子は座り込んでヒイヒイ泣いていた。
その日から美子の虐待は形を替えた。言葉と命令に変わって行ったのである。幸乃が成長して結婚をするまで
パラパラは続いてやっとその状況から脱したのである。この間も高校には行かせない!と言う美子の勢いに負けて就職をした。しかし働いても美子に吸い取られ、その挙句に少しばかりの貯金もいつの間にか取られていた。「お前は弟や妹が食べれなくても良いのか!」それを言われたら出さざるを得ない。何故そんなにお金が無いのか大人になって直ぐに理解した。勉は日銭で働いている。その使い道用途が美子はメチャクチャで家賃や光熱費として差し引いて使う事をせず自分の着物や酒の贅沢な摘みのような事から使うので結局いつも金がなく家賃や電気代など滞ってしまう事が茶飯事だった。あの2年生の時幸乃が必死に願った就学援助金、あれも手に入ればそのように使われて幸乃の為に使われるのは皆無だった事が理解できたのである。このように話をして行くと美子はどうしようもない女だと思うのだが、人は悪い所だけでは無い。時折見せる母親の生きる強さや強引に友達を作る面など真似出来ない部分でありそれは数少ない美子の良いところであった。
幸乃が家を出てからは4人に増えていた下の弟妹に幸乃にした行為が移ったのは言うまでもない。歳を得てその節制の悪さから糖尿病となり、余病を起こし透析を5年間受けて余命も僅かとなった時妹に促されて幸乃に電話が入った。「オラは幸乃に謝らなければならない。確かに目の敵にお前をいじめて来た。これを話さなければオラは死ねない。」と言う話だった。幸乃も子を持つ親となって居たから長く生きられない母親に追い打ちをかけるような言葉はかけなかった。「何言ってるの。何とも思ってないよ。あの時代そうしなければ生きて行けなかったんだよ。」精一杯の母にかけた最後の嘘である。それからまもなく美子は危篤に陥りその後1週間で息を引き取った。
波乱万丈のハチャメチャな女の幕切れであった。今となって幸乃は思う。
最後まで母ちゃんは私をいじめたんだな。ハッキリと虐めたと言った電話。それは聞きたくも無く
墓場迄持って行って欲しかったと幸乃の気持ちを重くしたのである。
自分が受けた虐待やパワハラを幸乃はその後反面教師として子供を育てて来た。子供にはあんな思いさせたくは無かった。虐待やパワハラをしてはいけないことは元より人の痛みがわかる人間に、身体的な事で差別はしない。五体不満足で生まれてきた人は健常者よりも不便で有るが不自由では無い。それだけでも努力して生きている。普通に接すること等口煩くして2人の娘を育てて来た。
それが今の幸乃の財産なのである。
就学援助金、中学を卒業するまでそれに支えられてきた。それを幼い頃必死に家の事を考えて懇願した。その時の優しい田辺先生の思い。そして本当の事を隠し通した先生の辛さの涙とともに思い出は切なくも大切な幸乃の心の財産となった。たかが就学援助金されど就学援助金なのである。 完了
細い小さな身体をしている。幸乃の下に3人の弟妹がいて三田村家の長女で有るのだがその1番上という立場の辛さが少し分かり掛けて来ていた。
母親の美子は子供の目から見れば男っぽくて荒々しく感じる。女だてらに酒乱で飲み始めると目が座って来る。そうなると下の3人は素早く隠れるのが日常となっていて残るは幸乃だけ。どうしても逃げる事が出来ないのだ。あぐらをかきその足の中に一升瓶を立て食事には出さない刺身などを摘みにして呑む。そして当然の事のように睨まれた蛙の様になった幸乃に殴る蹴るの乱暴が始まるのである。逃げたくても幸乃は逃げられない。何で怒っているのか分かる筈もないが1度始まってしまったらその美子の怒りが収まるまで身体を丸くして泣きながらも我慢をするしかないのである。乱暴されつつも母親の異常な行動に対しても自分が悪いから怒られているのだろうし、仕方がない。母親が悪いとは幸乃には思いもしない事なのだ。ただやはり痛い。そして怖い。早く怒りが収まらないかと堪えるしかない。その怒りが収まると当の美子は大の字になって寝てしまう。やっと解放の時が来たのである。トイレに駆け込み泣いたり、部屋の隅で膝を抱えて泣いたり、恨みこそ浮かばなかったが何故自分にだけと言いう不条理は心の隅に芽生え初めてはいた。父親の勉が仕事の昼間に限ってその暴行に及んでいた。だから勉はそんな美子の行動を知る由も無いのである。
近くの魚屋迄買い物に出された。お金は持たされては無い。お母さんが後から払うと店主に言って買って来るのである。その店主は幸乃にも良い顔はしなかった。美子は決して自分では行かない。行けば売ってはくれない上嫌味を言われるだろう。。だから幸乃の仕事となる。そんな事だって恥ずかしい事であると言う事を感じていた。おかしいのでは無いのか。本当は母ちゃんが行けば良いのに。そんな事を思うようになってはいたが、口に出して言える事ではない。怖いのだ。その帰り道、もう家までそう遠くない所に靴屋があってそのケースの中に飾って有る月星マークのズックが光り輝いてるように見えた。自分の履いてるズックはつま先が薄くなっていつ穴が開くか分からない状態である。子供なら新しいズックを欲しくない訳が無い。暫く真新しいズックを眺めては居たが諦めて家に帰るしかなかった。
その年の夏休みに入る少し前の事だった。幸乃は埼玉県営住宅の広場でブランコに乗って遊んでいた。三田村家の隣にある公園である。空に足が上がる。とうとう穴が空いたズックが瞬間見える。あの靴屋のズックが眼に浮かぶ。
空に足が上がる度そう思っていた。
ふと見ると美子は朝顔に水を巻くためホースを出して来ている。子供ながらに今なら言えそうな気がした。ブランコから降りて美子のそばに行くとホースの先から勢いよく水が出てそれが朝顔に撒かれている所だった。優しく振り向くのを期待して「母ちゃん」と呼んでみた。「幸、向こう行ってな濡れるぞ。」と言う。言っても大丈夫な気持ちが強くなって「あのね母ちゃん。ズック買って。」その言葉が終わる瞬間美子はホースを放して振り向いた。幸乃は身を竦めた。水の勢いでホースは蛇のように暴れ、その水があちこち勢いよく飛んでいる。顔はまるで仁王のようで幸乃は凍りついた。「何!お前は家に金が無いのを知っててそんな事を言うのか!」と大きな声を出した。「だって穴が空いてるんだもん。」言わなきゃ良いのに、でも必死にズックの買い替えを願ったのである。美子は幸乃の襟首を掴むと素早く後ろに回りその背中を蹴り始めた。もうこうなったら身体を丸くして耐えるしかなくなる。「親不孝者!」何度も罵声を聴きながら収まるのを待つ。身体も痛い。気持ちも痛い。外での母親の異常な叱責を誰かが見ていて止めてくれないかそればかりを思いヒィヒィと泣いた。誰かが見たので有ろうか、ふとそれは終わった。直ぐに立ち上がり家の中へ駆け込んで部屋の隅っこに泣きじゃくりながら暫く気持ちを鎮めていた。
その次の日の朝幸乃が当校の準備をしていると突然勉と美子の凄い喧嘩が始まった。原因はやはり昨日の幸乃の言動らしかった。
美子は勉に枕を投げたり灰皿を投げたり。耐えきれなくなって「もう止めて、私ズック要らないからもう止めて。」と玄関に降りて言うと「うるさい!早く行け!」と幸乃目掛けて枕が飛んで来た。それが幸乃の耳を掠め正面の漆喰の壁に勢いぶつかり中のあずきが音を立て四方八方に飛び散り、それに驚いた幸乃はランドセルを手に持って反射的に外に飛び出して行った。まだ当校時間には早くて友達も外へは出ていない。
待つ余裕が無い。しゃくり上げるように泣きながら学校へと歩き始めた。涙で前がよく見えない。途中でランドセルは背中に背負った。
住宅前の土手から幹線道路を右に出て歩いていくと通っている小学校は近い。歩く足のズックから右足の親指が出て砂利を踏むと痛い。この辺りまでそんな幼い足で泣きながら歩く幸乃を不思議に思った中年の男性が近寄っては来たがその様子を見て声を掛けるべきでは無いと判断したのか駅の方向へ道を入って行った。この頃の日本はそんな子供を放っておかない時代であった。良くも悪くも近所の子供は周りの大人も育てている、昭和の真ん中辺りはそんな時代だった。
その道みち幸乃は泣きながら考えた。
こんな事になるのも家が貧乏なせいだ。私が無理を言ったからこんな事になった。どうしたら良いのだろう。そんな事を思っていた時ふとある事を思い出した。近所のおばさんが母ちゃんに話していた。教育児童援助費が困っている家庭では申請すれば学校の費用が貰えると。そうだそれを貰えれば少しは助かるかも知れない。先生にお願いしてみよう。そう思い立ったら涙が漸く収まって、学校の門は目の前になっていた。その門を通ると正面が将校口。入ってすぐ左が教員室だ。幸乃の胸は踊った。教員室のドアーを開けるとまだ教員は1人しかいない。担任では無かった。でも今言わなければ、お願いしなければ、そんな気持ちがはやった。「先生お願いが有ります。」その声にその教師は驚いた様子で幸乃を見た。「私に学校の費用を助けて下さい!」目を丸くして尚更顔を見つめている。涙の乾いてない幸乃の眼を見て全てをその若い教師、田辺郁夫は察した。「もしかしたら就学援助金の事かな?」幸乃はうなづいた。「どうしたの?」と田辺は聞いた。2年生の生徒は包隠さず昨日の事から懸命に説明し始めた。田辺の瞳から涙が零れた。「そうか三田村さんだね。」幸乃は「はい。」と答えると「大丈夫、先生から担任の先生にお願いするから三田村さんは安心して教室に行っててね。」と優しい。幸乃はこれで先生に話して貰えると思うと嬉しかった。その時田辺が「あ、三田村さん待って。」と呼び止めた。「君は良い子だから先生ご褒美あげよう。」机の引き出しからそれが出された。12色のクレヨンだった。ほんとにほんとにくれるの?胸の中で騒いだ。「だけどね貰った事は内緒にしてね。1つしか無いからね。教室に戻って自分の名前を書いてしまうんだよ。」と言ってクレヨンを渡された。その意味をまだ当然分からない。幸乃はただ嬉しくて嬉しくて「先生有難う!」とその時には満面の笑顔で職員室を出たのである。
やはり幼い子供である。担任に話してくれると言う田辺先生の言葉をすっかり信じて安心した幸乃はこの事を忘れて暮らしていた。
やがて夏休み。それは幸乃にとっても楽しい気分にさせていた。暑い朝から始まったその日。お昼頃ともなると茹だるような暑さとなって扇風機1台が頼りとなる。ひやむぎの昼ごはんが済むと美子がまた酒を飲み始めた。また幸乃1人が家の中から逃げられない。その日の美子の酒のピッチは早く幸乃に手を出すのは早かった。足で蹴り、
手で叩きまた蹴る。その勢いは前にもまして凄くなっている。それでも例によって身体丸くして泣きながら我慢をしていた。美子に学校から就学援助金の話がされた事など幸乃はついぞ知らない。
それが美子の神経に触れ酒の力を借りての腹いせになった。幸乃がその制度を嘆願する前からとっくにその手続きがしてあった事など全く知らなかった。他人に意見されたりするのに反発する美子の琴線に触れてしまったのだ。この日は執拗に乱暴が続いた。
その時である。この日に限って早くに仕事から戻って来た勉がそれを見つけて美子に掴みかかり止めたのである。美子に容赦なく拳が飛んだ。「お前はいつもこんな事してたのか!」流石の美子も頭から血を流し泣いている。その様子を今まで乱暴されていた幸乃がハラハラしながら見ている。母親へのせっかんを止めて!と複雑な心で叫びながらも声が出ない。父親のそんな様子も初めて見る光景で悲しかった。美子は座り込んでヒイヒイ泣いていた。
その日から美子の虐待は形を替えた。言葉と命令に変わって行ったのである。幸乃が成長して結婚をするまで
パラパラは続いてやっとその状況から脱したのである。この間も高校には行かせない!と言う美子の勢いに負けて就職をした。しかし働いても美子に吸い取られ、その挙句に少しばかりの貯金もいつの間にか取られていた。「お前は弟や妹が食べれなくても良いのか!」それを言われたら出さざるを得ない。何故そんなにお金が無いのか大人になって直ぐに理解した。勉は日銭で働いている。その使い道用途が美子はメチャクチャで家賃や光熱費として差し引いて使う事をせず自分の着物や酒の贅沢な摘みのような事から使うので結局いつも金がなく家賃や電気代など滞ってしまう事が茶飯事だった。あの2年生の時幸乃が必死に願った就学援助金、あれも手に入ればそのように使われて幸乃の為に使われるのは皆無だった事が理解できたのである。このように話をして行くと美子はどうしようもない女だと思うのだが、人は悪い所だけでは無い。時折見せる母親の生きる強さや強引に友達を作る面など真似出来ない部分でありそれは数少ない美子の良いところであった。
幸乃が家を出てからは4人に増えていた下の弟妹に幸乃にした行為が移ったのは言うまでもない。歳を得てその節制の悪さから糖尿病となり、余病を起こし透析を5年間受けて余命も僅かとなった時妹に促されて幸乃に電話が入った。「オラは幸乃に謝らなければならない。確かに目の敵にお前をいじめて来た。これを話さなければオラは死ねない。」と言う話だった。幸乃も子を持つ親となって居たから長く生きられない母親に追い打ちをかけるような言葉はかけなかった。「何言ってるの。何とも思ってないよ。あの時代そうしなければ生きて行けなかったんだよ。」精一杯の母にかけた最後の嘘である。それからまもなく美子は危篤に陥りその後1週間で息を引き取った。
波乱万丈のハチャメチャな女の幕切れであった。今となって幸乃は思う。
最後まで母ちゃんは私をいじめたんだな。ハッキリと虐めたと言った電話。それは聞きたくも無く
墓場迄持って行って欲しかったと幸乃の気持ちを重くしたのである。
自分が受けた虐待やパワハラを幸乃はその後反面教師として子供を育てて来た。子供にはあんな思いさせたくは無かった。虐待やパワハラをしてはいけないことは元より人の痛みがわかる人間に、身体的な事で差別はしない。五体不満足で生まれてきた人は健常者よりも不便で有るが不自由では無い。それだけでも努力して生きている。普通に接すること等口煩くして2人の娘を育てて来た。
それが今の幸乃の財産なのである。
就学援助金、中学を卒業するまでそれに支えられてきた。それを幼い頃必死に家の事を考えて懇願した。その時の優しい田辺先生の思い。そして本当の事を隠し通した先生の辛さの涙とともに思い出は切なくも大切な幸乃の心の財産となった。たかが就学援助金されど就学援助金なのである。 完了
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