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第三話 異世界の職場事情

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「色々、説明しないとダメだね。座って話そう」
 チガヤが言うと、部屋の中央にあるテーブルを囲むように、サーヤ以外は椅子に腰かけた。サーヤはチガヤの目線ほどの高さで飛び続けている。
「あのね、私たちはスコウレリア第三事務所というところの従業員なんだ。会社に行くと、仕事内容が書かれたチケットを渡されて、それをこなすとお給料が貰えるの」
「いくら、もらえるの?」
「仕事内容によるよ」
「どんな仕事するの?」
「言われた物を集めたり、何かを作ったり……あと、何があったっけ?」
「調査依頼もありましたね」
 シオリンが答える。
「俺は害虫駆除が印象的だ」
 ワニックが付け足す。
「何でもアリだね」
「他にも、ミッションってのもある」
「そうだね、サーヤ。あのね、社内ミッションには、新しい社員を連れて行くと貰える勧誘ボーナス。毎日、会社に行くだけで貰える出社ボーナスがあるんだよ。あと、バトル勝利ボーナスもあるけど、ウチは関係ないかな」
 ユニット達が頷く。
「バトルって、誰かと戦うの?」
「うん。他の会社のユニットと戦うんだよ、5対5で。5人未満でも参加できるけど、どのチームも5人揃えてくるかな」
「それって、どっちかが全滅するまで……」
「違う違う。相手の陣地に差してある旗を取ったら終わりだから」
「それなら平和的だね」
 平和的の一言に、場の空気が固まった。
「お前、一回バトルを見てみろよ。スキルもアビリティも使い放題、どんな攻撃もOK。死ぬ一歩手前まで行くのは日常茶飯事だから、ちーっとも平和的じゃない」
 伊吹の目の前で、サーヤがフンッと腕組みをする。
「死ぬ一歩手前? 死にはしないんだ?」
「まぁ~な。闘技場には回復役と、致命傷を受ける前に転移させる係がいるから、今まで死んだ奴は一人もいない」
「なるほど……」
 伊吹は考えた。もし、このバトルの報酬が高額なら、出てみるのも手だと。バトルで死ぬことはないのだから。
「出るなんて、言わないですよね?」
 シオリンが心配そうに問いかける。
「バトル勝利ボーナスって、いくらなんです?」
「銀貨1枚だよ。あっ、銀貨はね、10枚で金貨1枚と同じ価値があるの。銅貨は100枚で金貨1枚と同じだよ」
 チガヤに言われ、改めて自分に投資された額の重みを知る。
「ちなみに、バトル初勝利ボーナスは金貨1枚。ウチは勝ったことないから、勝てば金貨が貰えるよ」
「金貨1枚で、どれくらいの食料が買えるの?」
「1日1食、8人いるとして、50日は大丈夫なんじゃないかな」
「8人?」
 ユニットは伊吹を入れて5人。そのうち1人は小人だが、大きな者もいるから差引ゼロとしても、チガヤを足しても6人なので数が合わない。
「向こうの部屋にパパとママがいるから……。寝てるけど」
 チガヤは奥にある部屋を見て悲しげに言った。その表情が気になったが、伊吹は50日持つということで、俄然やる気になっていた。
「バトル、出ませんか?」
 またしても場が静まり返る。
「ウチで戦闘向きなのはワニックくらいだよ」
 とチガヤ。
「ずっと戦ってきたからな、俺は」
 得意げにワニックが語ったところで、サーヤが口を挟む。
「確かに、頑丈で力持ちだけど、持久力がなぁ~……」
「ハッハッハ……どうも、全力を出すと疲れるのが早くていかん」
 ワニックは笑って誤魔化した。
「まぁ、とにかくバトルのことは忘れろ。死なないって言っても、痛い思いをするのは確実だからな」
「そうですか……」
 死なないけど痛いと言われると、他の人を巻き込むことに罪悪感があった。
「それより、レアのヤマネイブキが入ったから、明日は勧誘ボーナスが貰えるよ! 銅貨5枚も!」
 思い出したかのように、チガヤがはしゃぎだす。
「出社ボーナスと合わせて、銅貨6枚貰えますね。シオリン的には、果実が食べたいですねぇ~」
「俺は肉だな」
「ちょっと、コスパの良い物を選ぼうよ」
 サーヤが釘をさす。そんなやり取りを見ながら、伊吹は貨幣とガチャのことを考えていた。ガチャは3つあって、銅貨で回すものもあった。社員が増えれば勧誘ボーナスが貰える。だったら……
「提案、してもいいですか?」
 皆が伊吹に目を向ける。
「銅貨でまわせるガチャでユニットを増やして、勧誘ボーナスを貰うというのを繰り返したら、楽してお金が稼げるんじゃないですか?」
「アホか。銅貨で回すノーマルガチャで出るのは、コモンとアンコモン。勧誘ボーナスはレア以上が対象。大体、お前が考えつきそうなことを、会社側が考えていないとでも? それに、ユニットが増えれば、食べる物も今まで以上に要る。わかった?」
「……はい」
 サーヤに論破され、伊吹は何処の世界も甘くないと知った。
「今、帰ったんだな」
 桶に水を入れたブリオが戻ってくる。井戸の方で水を飲んできたのか、腹のあたりがたっぷんたっぷんしていた。
「お水、ありがとね。ブリオ」
 チガヤがブリオの頭部を撫でる。
「今日のところは、水でも飲んで寝なよ。あんたも疲れただろ? いきなり、こっちの世界に来てさ」
 伊吹の近くまで飛んでくると、サーヤは肩に手をのせて言った。
「はい……」
 返事をした伊吹の肩をトントンと叩くと、サーヤは天井の方に飛んで行った。天井近くには小さなハンモックが設置されていて、そこにサーヤはゴロンと寝転がった。
 その光景を眺めながら、彼女も自分と同じように召喚されたんだなと、伊吹は改めて思った。彼女だけではなく、シオリンやワニック、ブリオも。
「言葉は乱暴ですけどぉ~、悪い人じゃないですから。サーヤは」
 シオリンがそっと耳打ちする。言われたことは、何となくわかっていた。
「プハーッ! 空きっ腹に水が沁みる」
 そう言う割には、ワニックの口元からは水がこぼれていた。
「どうだ、君も」
 ワニックはヤシの実を半分に割ったような入れ物を渡してきた。
「どうも」
 伊吹は受け取った入れ物で桶の水をすくい、口元まで運んだところで迷った。違う世界の水を飲んでも大丈夫なのかと。海外旅行に行って、現地の水を飲んだら腹を壊したという友人の顔が思い浮かぶ。
「無害ですよぉ~。心配なら、私のスキルを使いましょうか? 毒素感知」
「いえ、大丈夫です」
 自分がいた世界の水と同じに見えるし、みんなが飲んでいるなら大丈夫だろうと、伊吹は一気に飲み干した。いずれは飲むことになるだろうし、人体の約60%は水分なのだから、取っておかねばという思いで。
「冷えてますね」
 元いた世界で飲んだ井戸水と同じに思えた。井戸水の温度は一年を通して一定だが、周りの温度が変わるので、夏は冷たく、冬は温かく感じられる。
「温かい方がいいのか? 俺のアビリティは水分蒸発だが、使い方次第でお湯にすることもできるぞ。やってみようか?」
「寒くなったら、お願いします」
 お風呂を沸かすのに便利そうだなと思ったところで、このアビリティはバトルに使えそうな気がしてきた。人体の約60%は水分、だとしたら……
「あの、そのアビリティって生物にも有効ですか?」
「どうした? 急に」
「僕がいた世界では、人体の約60%……老人でも50%が水分で出来ているって言われているんです。もし、水分蒸発が生物にも有効なら、対戦相手を干からびさせることが出来るんじゃないですか?」
 ワニックとシオリンは顔を見合わせると笑い出した。
「水分で出来てるって? そうは見えないな。水分で出来てたら、スライムみたいな見た目になるんじゃないのか?」
「なかなかのジョークですねぇ~」
 ここの文明レベル的には、そうなるよねと思う伊吹だった。
「まぁ、仮に水分だったとしても、俺の水分蒸発は純粋な水にしか反応しないから無理だ。汚れた水はダメだし、汗なんかでも厳しい。効果範囲も俺の周囲すべてだから、もし体の水分も蒸発できたら、真っ先に干からびるのは俺だ」
「そうですか……」
「まだ、瞬間加速の方がバトル向きだが、このスキルには弱点がある」
「それって、どんな?」
「4秒間だけ2倍のスピードで行動できるが、その後の4秒間はスピードが半減する。加速タイムが終わったら、ボコ殴りになる危険性が高い」
「あ、あぁ……」
 としか言いようのない残念スキルに思えた。
 ワニックのスキルではダメだったものの、他の面子の能力で何とかバトルを勝ち抜けないか、伊吹は皆の能力を振り返る。
 まず、シオリンの毒素探知は戦闘向きじゃない。ワニックの水分蒸発や瞬間加速もダメ。ブリオはスキルもアビリティも無い。残るは、サーヤの加湿香炉と電気操作だ。
 湿度を上げたところで戦いに影響しないし、電気操作で操れるのは確か弱い電気だけだったハズ。やっぱり駄目じゃないかと頭を掻いた時、良いアイディアがひらめいた。
「そうだ、電気操作を脳に使えばいい!」
「何だ? また急に」
「僕がいた世界では、科学という研究が進んでいて、人の動きは脳からの命令によるもので、その脳では電気信号で情報が伝達されているって言われてるんですよ。だから、脳に電気を流せば、相手を思うように動かせられるかもしれません!」
 伊吹は興奮気味だった。相手を操れれば勝てる、そう確信したからだ。
「よくわからん話だ。シオリンは、わかったか?」
「脳みそに電気を流すと、相手を操れる……みたいなぁ~?」
「そうです!」
「例えば、相手の右手を上げさせたいと思ったら、脳みその何処に電気を流すんですかぁ~?」
「それは……」
 聴かれて「しまった」と思った。脳の指令が電気信号で届くという知識はあっても、脳の部位すらロクに知らないことに今さら気づいた。
「……すみません、今の話は忘れてください」
「ふむ。まぁ、何だ……。サーヤも言っていたが、バトルのことは忘れろ。俺は出ても構わないが、女性陣を巻き込みたくない」
「ポッ……私の為に……」
 シオリンが頬を染める。一応、カエルでも雌は女性陣らしい。
「そんな顔をされても困る。これは俺がいた世界では常識でだな……」
 とワニックが語りだしたところで、伊吹はチガヤがいなくなっていることに気付いた。辺りを見回すと、チガヤの父母がいる部屋の隣で、藁の束を縛っているのが見えた。気になって近づくと、それに気付いたチガヤが笑顔を向けてきた。
「これに寝てね」
 縛られた藁の束が並び、ちょっとしたベッドになっていた。その近くには茶色い動物の皮が置かれていた。
「どうも」
「それじゃ、私はもう寝るから。また明日ね」
 そう言ってチガヤは父母のいる部屋へと入っていった。さっきまでいたテーブルのある部屋を見ると、ブリオは壁を背に眠っていた。逆にシオリンは、壁に張り付く形で目を閉じようとしている。
「彼らは、いつも、ああやって寝るんだ」
 ワニックは独り言のように言いながら、四角い穴でしかない窓に板を当て、棒を押し当てて落ちないように固定して歩いていた。
「寝ないんですか?」
「俺は入り口に陣取る。昔からの癖みたいなもんだ」
 ワニックは玄関前で胡坐をかくと、ゆっくりと目を閉じていった。完全に寝ないで、敵襲に備えている、そんな佇まいだった。
「おやすみ……」
 伊吹は小さな声で言い、藁のベッドに横になった。


 翌日、伊吹は掛け布団にしていた動物の皮の匂いで目が覚めた。
 いつの間にか、鼻の近くまで持ってきていたせいで、皮特有の臭みで気持ち悪くなる。
「臭っ……」
 皮をよせて起き上がる。ドアを開けて、テーブルのある部屋に行くと、ワニックが押し当てた棒を外し、窓にはめた板を取っていた。
「よぉ、眠れたか?」
「はい」
 返事をし、辺りを見てみる。シオリンとブリオは、まだ寝ているようだ。サーヤもハンモックの中にいる。
 伊吹は腹が減ったなと思いながら、顔でも洗おうと水が入った桶に近づく。ふと、玄関の方を見ると、ドア下から紙が入れられていた。
「何だ、これ?」
 手にした紙にはガチャの台座が描かれていた。それは絵と言うよりも写真に近い。
「これ、何ですか?」
「たぶん、ガチャのチラシだろう。俺は字が読めないから、詳しいことはチガヤに訊くといい」
「チラシですか。この絵、上手ですね」
「そいつは絵じゃない。見た物をそのまま紙に写す『形態投影』というスキルだ」
 そんなスキルもあるのかと、伊吹は妙に感心した。
「誰か、私のこと呼んだ?」
 奥の部屋から、チガヤがアクビをしながら入ってきた。
「呼んだわけじゃないけど、これって何が書いてあるの?」
「またガチャのチラシが入ってたの? ん~、どれどれ」
 ガチャのチラシを受け取ると、目をこすりながらチガヤが読み上げる。
「限定ガチャは本日最終日。お目当てのユニットをゲットするチャンスを見逃すな……」
「限定ガチャ?」
「召喚されるユニットが限定されたガチャだよ。今回は、飛行ユニット限定、小型ユニット限定、美女ユニット限定だって」
「美女ユニット限定!」
 伊吹とワニックが大きな声を上げたせいで、他のユニットたちも目を覚ました。
「何かあったんですかぁ~」
 半分寝ぼけた状態でシオリンがやってくる。
「おはよ、シオリン。あのね、限定ガチャのチラシが入ってたんだよ」
「ああ、いつものですねぇ~」
 そう言うとシオリンは近くの椅子に座って寝なおそうとした。シオリンとチガヤのやり取りを見て、サーヤも二度寝しようとしている。
「一応、続きを読むね。必要貨幣は銀貨1枚、排出ユニットはコモンからSレアまで……。銀貨で回すレアガチャは、アンコモンからSレアまでだから、確率的にはレアガチャの方が良いよね」
 チガヤの説明は、もはや伊吹の耳には入っていかなかった。“銀貨1枚で美女と暮らせる”という事実を前に、伊吹は冷静な判断を失っていた。この家の食料事情も、ガチャのデメリットも忘れ、美女ガチャを回すことでいっぱいになっていた。
 出社ボーナスと勧誘ボーナスの銅貨6枚では、限定ガチャの銀貨1枚には届かない。何か仕事をしたとしても、いくら貰えるのかは仕事次第。何より、その給料を貰える日が不明だ。今日が最終日の限定ガチャを回す確実な方法は、ひとつしか残されていない気がした。
「あの、やっぱりバトルに出ませんか?」
 伊吹の言葉が、寝ようとしていた者たちの眠気を吹き飛ばした。
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