アダルトな大人

田原摩耶

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モンスターファミリー

次男の反逆

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「……ちゃん、かなちゃん!」

 遠くから声が聞こえる。
 ずきずきと痛む頭の中、響く名前を呼ぶ声に俺はゆっくりと目を開いた。

「っつぅ……」
「カナちゃん、大丈夫?」
「しょ……うた……?」

 あれ、俺、どうしたんだっけ。
 なんでこいつが……。

 まだどこか覚醒しきっていない脳味噌を必死にたたき起こしてみれば、すぐに記憶が蘇る。
 そうだ、確か俺、ハルカから逃げるために翔太と走ってて、それで、落とし穴に嵌って…。そこまで思い出して、自分が翔太を下敷きにしていることに気付いた。

「って、うわ、わりぃ! 大丈夫か?」
「僕は大丈夫だよ。カナちゃんこそ、怪我は……」
「俺は大丈夫だ」

 少しまだ均等感覚が鈍っているが、頭の痛みも落ち着いている。それよりも、俺の下敷きになった翔太の方が心配だった。
 慌てて翔太から退いた俺は、恐る恐る上半身を起こす翔太の顔を覗き込んだ。

「……悪い、重かったよな」
「うん、ちょっとだけ」
「ごっ………ごめん」

 状況が状況なだけに気が動転してしまっているようで、そう謝る声が無意識に震えてしまう。
 もし翔太に怪我を負わせてしまったらという心配に今まで堪えていた平常心が膨れ上がる不安に押し潰されそうになる。
 どうすればいいのかわからなくて、あわあわと取り乱す俺に翔太はおかしそうに笑った。

「そんな謝んなくていいよ。素直なカナちゃん気持ち悪いから」
「き、きも……!」
「それより、早めに移動した方がよさそうだね。ハルカちゃんたちが来るのも時間の問題だろうし」

 人の言葉をさらっと流し、落とし穴ができた天井を見上げた翔太は呟く。
 ここから地上まではかなりの距離があり、床にクッションが敷いてあるものの翔太のように自ら飛び込むような勇気を持っている人間はハルカの子分たちにはないようだ。
 遠くから慌ただしい足音が響いている。
 恐らく、別の通路から地下へと降りてくるつもりなのだろう。それまである程度は時間稼ぎになるはずだ。

「ここからなら書庫が近い。鍵はかかってないけど、あそこには昔からハルカは入るなって言われているから来ないはずだ」
「そうだね、ここにいても仕方ない。早く行こう……っと」

 急に立ち上がった翔太が目の前でふらつき、慌てて俺は腕を掴みやつを支える。

「おい、やっぱお前どこか怪我してんじゃないのか?」
「……残念。ここ、暗いからちょっとふらついだだけだよ。それに、カナちゃんに押し潰されて出来た怪我なら本望だしね」
「それもそれで問題だな……」

 そんな軽口が叩ける元気があるのなら結構だ。それでも心配する俺を察したのか、大丈夫だよ、と俺の頭を軽く掻き回した翔太は微笑む。
 そのときだ。地下の遠くの方から複数の足音が聞こえてきて、俺達は目を合わせた。

「行こう」

 声を潜める翔太に、俺は無言で頷き返した。



 基本、誰も使わない地下は主にハルカの遊び場になっていた。
 どっからか拾ってきた人間を飼う牢や、ハルカの趣味の代物で溢れかえった物置(使用人たちの間では拷問部屋とも呼ばれているらしい)、それとたまに先代たちが集めてきた骨董品などが入った倉庫など大半がハルカのもので溢れかえっていたが一部、ハルカが近づかない場所がある。
 それが、この倉庫だ。

「くそ、しつけえな……。でも、ここなら来ないはずだ」

 主に兄が個人的に使用している書庫は、主に大量のアルバムで埋め尽くされている。
 小さい頃ハルカと一緒にうっかり迷い込んで、血相を変えた兄にこっぴどく叱られて以来俺達は近づかないようにしていたが、ここならあいつも来れないと踏んだ俺はこうして兄との約束を破り、再び足を踏み入れることになったのだが……なんか、すごいことになっている。
 ふと近くにあったアルバムを手にとってみれば『佳那汰3歳の4月16日』とか書かれているんだが、あれ、うそ、まさかこれ一日一冊のアルバムかよどんだけ写真撮ってんだよそういややけに使用人たちがカメラを構えていたがまさかあれか。
 中にはハルカの名前もあったが、カメラ嫌いのハルカは使用人たちのカメラ叩き割っていたので比較的俺の名前のアルバムが目に付く。

「お兄さんって、本当……」
「言うな、なにも言うな……耐えろ……」

 あまりにも怖くてアルバムの中身を見ることはできなかったが、どうせろくでもないのだろう。
 翔太もそれを察しているらしく、それ以上は触れて来ない。

 書庫の奥までやってきた俺達はきょろきょろと辺りを見渡しながら探索していた。
 すると、遠くから足音が近づいて来るではないか。

「うっそ、……まじで?」

 ここまで入ってくるのかよ。お兄ちゃんにどやされてもしらねーぞ。
 なんて呆れていると、翔太に腕を引っ張られた。

「カナちゃん、ここに隠れれそうなところがあるよ。早くっ!」

 自分を棚に上げて、勝手に入ってくんなと言い返したいところだったが今は身を隠すことを優先すべきだろう。
「ああ!」と頷き返し、急かされるがまま俺は翔太についていった。

 部屋の隅にあった扉の中へと身を潜めたはいいが、中はクソ狭いし埃っぽいしなんだここ。と手を動かしてみればなんか見覚えのある子供の玩具やらが置いてあるではないか。
 てっきり捨てたかと思っていた俺達が小さい頃使っていた玩具や人形がそこには埋め尽くされていて、俺たち二人が入るのにはあまりにも狭すぎた。

「っせ……狭い……」

 というか、なんたるデジャブ。まだ衣類に紛れ込んだほうがましだ。
 翔太が入っているところに無理矢理入り込んだせいで向き合うような形になったまま動けなくなる。
 なんとか後ろ手に扉を閉めることが出来たが、光がなくなると更になんかこう、息苦しい。というか暑苦しい。いや、寧ろ。

「カナちゃん、ちょっと、重いよ」
「んなこといったって、仕方ねえだろ。狭いんだよ……っ」

 小声で言い争う俺たち。
 なんとか翔太に負担をかけないようにと身をよじってみるが、背後の扉が軋むばかりで動けそうにもない。
 対する翔太の背後も玩具箱が積み上げられてる状態で、少しでも動いたら山積みになったぬいぐるみの山が崩れ落ちそうな気配があった。

 というか、兄はこんなものまで全て保存していたのか。近くにあった見覚えのあるうさぎのぬいぐるみを手にとってみれば『佳那汰5歳~6歳3ヶ月』とご丁寧に使用期間まで書いたタグがぶら下がっていて。
 そういや使わなくなって、いつの間にかになくなっていたと思ったがこんなところにあったのか。もう今更兄のコレクションに驚きはしない。驚くだけ無駄だ。
 それより、いつまでこうしていたらいいのだろうか。

「うわぁ、カナちゃんの匂いがすぐ傍から……」
「おい、やめろっ、変なこと言うんじゃねえよ! かっ、嗅ぐな……!」

 早々身を隠すことに飽きた翔太が人の肩口に顔を寄せてくる。
 慌てて逃げようとしたら玩具の山が愚図れそうに鳴り、生き埋めになることだけは避けたかった俺は慌てて動きを止めた。その代わり、翔太の顔を手で抑える。

「だって、そんなこと言われたって、無理だよ。こんな近くにカナちゃんがいるのに、普通でいられるわけがない」

 それは、今言うことなのか。
 もしかして翔太も疲労諸々で頭がおかしくなってしまっているのだろうか。

「取り敢えず、今は落ち着けって……っそんな場合じゃないだろ……っ」

 ただでさえこんな至近距離にいて落ち着かないというのに、そんな目で見られたら、こっちまで心臓がどうかなりそうになる。
 吊り橋効果、というのがある。恐らくあれだろう。身を隠してるという状況からのスリル感がよからぬものと錯覚させられるあれだ。
 更に薄暗い密室だ。触れる他人の熱が恋しくなるのは、多分、仕方ないのだろう。…いや、仕方ないのか?いやいやいや。落ち着け俺、なに流されそうになってんだ、落ち着け俺。

「翔太、あと少しだから……っ」

 あと少しでどうにかなるだろうから、だから、我慢してくれ。そう言いかけて、伸びて来た手に手首を掴まれた。
 後ずさった拍子に背中に扉がぶつかり、舌打ちをした。

「知らなかったの? 僕、理解力のない馬鹿なんだよ」
「知ってるけどっ、知ってるけど…」
「カナちゃんと、一緒だよ」

 笑う翔太は目を細め、俺の髪をぐしゃぐしゃと撫でてくる。
 てめえどういう意味だと睨み返した時、翔太が俺にもたれ掛かってきた。

「でも、懐かしいな。前、よくカナちゃんと、ハルカちゃんと、使用人の人たちで隠れんぼしてたよね」

 唐突に始まる思い出話に、驚かない。こいつがいつも唐突なのは今に始まったことではない。
 だから、凭れ掛かる翔太の体を支えてやりながら、俺は「ああ」と頷いた。

「カナちゃんち広いからいつも迷子になってたけど、カナちゃんと一緒に逃げるのは楽しかったなぁ。……でも、久し振りの隠れんぼがこんなんじゃねえ」

 自嘲気味な笑みを浮かべる翔太。翔太の体から手を離した俺は、そのままやつの口元に触れた。

「また今度、ちゃんとうちに来た時皆でやろうぜ」

 そして、小さく背伸びして翔太の唇に軽く自分の唇を寄せた俺はそのまま舌を軽く入れる。
 目を見開く翔太に、すぐ俺は唇を離した。

「……カナちゃん?」

 狼狽える翔太の喉仏が、ゴクリと上下したのを俺は見逃さなかった。
 そして、翔太も自分の咥内に押し込まれた異物に気付いたようだ。慌てて喉を抑えたが、もう遅い。翔太はすでにそれを喉奥へと自ら流し込んでしまった。

「ごめんな……翔太、巻き込んで悪かった」
「かなちゃ……っ、まさか……ッ」
「お前が来てくれて、結構、その……嬉しかった」

 先程、翔太の服からこっそりと抜き取った向坂さんに使ったであろうカプセルの睡眠薬を自分のポケットに仕舞いながら、俺はそのまま気を失う翔太は人形の山の中へと寝かせる。
 なんかめっちゃ埋まってしまったが、まあ大丈夫だろう。…たぶん。

「でも、今度は逃げずにちゃんと話し合うから……少しだけ待っててくれ」

 寝息を立てる翔太の耳に届いているかどうかはわからなかったが、自分に喝を入れるためにも俺は呟いた。
 これ以上、俺達の家族喧嘩に翔太を関わらせるわけにはいかない。
 いや、喧嘩というより暴虐な妹の一方的ないたぶりのような気もしないでもないが、とりあえず。

「この家の次男は俺だ、あいつの好きさせてたまるか……!」

 そうだ、今日の今日こそあの妹をぎゃふんと言わせてやる。
 第一なぜ一応あいつの兄である俺がこんなにコソコソしなければならないのか。家族である俺がこんな扱いを受けなければならないのか。自業自得といえばそこまでなのだが、これからもこんな生活が続くと思ったら気が気でない。
 今からでも、ちゃんと話をつけるべきだ――俺は、この家と縁をきる。
 兄にもちゃんと……いやでもちょっとまだ関わりたくないので置いておこう。先に妹だ。

 固く決意した俺は、外に気配がないのを確認し、翔太を残して書庫をあとにした。
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