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菖蒲さんの部屋を出たあと、そのままの足取りで自室へと戻る。
またあいつが待ち伏せしているのではないか――そんなじっとりと絡みつくような緊張感から逃れることはできなかった。
けれど、あの時とは違い廊下は明るく、まだ沢山の生徒がいる。
煩わしくて仕方なかった人の目があることに安堵する日が来るとは、何が起きるか分からない。
そんなことをぼんやりと考えながら、それでもまだあいつの気配がないか常に神経を研ぎ澄ませながらもなんとか自室へと戻ってきた。
逃げ帰った自室。慌てて扉を閉め、ようやく一人になれたことに一先ず安堵する。
気付けば額は汗でぐっしょりと濡れていた。
きっと、菖蒲さんは俺が一人で部屋に戻ったところで“こう”なることは分かっていたのだろう。
それでもあのまま菖蒲さんと一緒にいることは怖かった。菖蒲さんがどんどん知らない人間みたいに感じるのは、嫌だった。
結局また俺は逃げている。
「……疲れた」
菖蒲さんの部屋で休んで体調はマシになったはずなのに、気分がどんどん落ち込んでいく。
休もう。今は。
逃げるようにシャワーを浴び、ベッドへと潜ってもずっとどこからも見られているような感覚はこびり着いたままだった。
それでもまだ、あの時よりはましだ。
……そう思い込むことが今の俺にできる精一杯だった。
翌朝。
菖蒲さんと約束した通り、俺は学内のダイナミクス専門クリニックの診察を受けることになる。
元々定期検診もあった、そのついでのつもりだった。正直なところ、気乗りはしない。
まだ癒えていない傷口を他者にほじくり返されたくもない。
サブドロップに陥りかけた、陥ったのかも自分ではよく分かってない状況だ。だからこそかもしれないが、誰とも話す気はなかった。
だからいつものようにカウンセリングでも当たり障りのない答えと――取り敢えず体調面の不調だけを口にしていたつもりだったが、思ったよりも長引いてしまった。
それから、『一週間程休学した方がいい』『また二日後きてください』と言葉を添えられ、俺は曖昧に頷いてそのまま診察室を後にした。こちらから頼まずとも診断書も出される。それと、薬も何種類か増えていた。
クリニックを後にし、俺は学生寮へと戻ることにした。このまま日光浴をする気にも、授業に出席する気分にもなれなかった。
丁度休み時間のチャイムが鳴り、ぞろぞろと学園前には人影が増えてくる。
タイミングが悪かったようだ。診断書をくしゃくしゃに畳み、そのままポケットへと仕舞おうとしたときだった。
「――一凛」
いきなりすぐ背後から聞こえてきた声に全身の毛がよだつ。飛び上がりそうになりながら振り返れば、そこにはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた男がいた。
「なーんてな、ビックリした?」
「お、まえ」
――月夜野小晴。
よりによって悪趣味な挨拶をかましてくる小晴に気を取られたとき。つい手にしていた診断書を地面に落としてしまう。
「ん? なんだこれ」
「っ、触るな……!」
慌ててやつより先に診断書を拾おうとするが、遅かった。呆気なく俺の頭を掴んで押し退けた小晴は、そのままひょいと長い指でそれを摘んだ。そして、あろうことか俺の目の前でそれを開くのだ。
最悪だ、と血の気が引いていく。診断書から顔を上げた小晴の口元には嫌な笑みが浮かんでいた。
「診察書……ねえ、また来いってよ。なに? サブドロしたんだ?」
「……ッ」
「ま、んなことだとは思ったけど……星名は『大丈夫そうだった!』とか言ってたけど」
言いながら、固まる俺の肩に馴れ馴れしく手を回してくる小晴。やつの手から診断書を取り返せば、小晴はからからと笑う。中身が見たかっただけらしい、それを取り返そうともしてこない小晴に余計腹立った。
けど、それ以上に。
「こんなところで一人でいていいのか? 会長は知ってんのかよ」
「……」
「おい、どこ行くんだよ」
「……っ、お前が今更先輩面するな。第一、あいつを唆したのもお前だろ……!」
八つ当たりだと、言いがかりだと分かってても止めることはできなかった。
こいつが星名に妙なことを吹き込まなければ、元々こんなことにはならなかった。それだけは確かだったから。
だけど、やつは怒るわけでもなくただ両手を上げ、笑った。
「あれ? バレた?」
「……ッ」
「なんだ? 『言い過ぎたかも』みたいな顔しちゃって、本当愛佐君って変なところで真面目だよなあ? ……ま、つうか俺はただ相談に乗ってやってただけだけどな。お前が露骨に星名のやつ避けるからあいつ、悩んでたぞ」
頭に血が昇っていく。
Domに対する恐怖も忘れる程の熱を抑えきれなかった。
咄嗟にやつの胸ぐらを掴めば、小晴は舌を出して笑う。
「――なんて言ったらお前はスッキリしたか?」
この男はどこまでも俺をコケにするつもりらしい。
またあいつが待ち伏せしているのではないか――そんなじっとりと絡みつくような緊張感から逃れることはできなかった。
けれど、あの時とは違い廊下は明るく、まだ沢山の生徒がいる。
煩わしくて仕方なかった人の目があることに安堵する日が来るとは、何が起きるか分からない。
そんなことをぼんやりと考えながら、それでもまだあいつの気配がないか常に神経を研ぎ澄ませながらもなんとか自室へと戻ってきた。
逃げ帰った自室。慌てて扉を閉め、ようやく一人になれたことに一先ず安堵する。
気付けば額は汗でぐっしょりと濡れていた。
きっと、菖蒲さんは俺が一人で部屋に戻ったところで“こう”なることは分かっていたのだろう。
それでもあのまま菖蒲さんと一緒にいることは怖かった。菖蒲さんがどんどん知らない人間みたいに感じるのは、嫌だった。
結局また俺は逃げている。
「……疲れた」
菖蒲さんの部屋で休んで体調はマシになったはずなのに、気分がどんどん落ち込んでいく。
休もう。今は。
逃げるようにシャワーを浴び、ベッドへと潜ってもずっとどこからも見られているような感覚はこびり着いたままだった。
それでもまだ、あの時よりはましだ。
……そう思い込むことが今の俺にできる精一杯だった。
翌朝。
菖蒲さんと約束した通り、俺は学内のダイナミクス専門クリニックの診察を受けることになる。
元々定期検診もあった、そのついでのつもりだった。正直なところ、気乗りはしない。
まだ癒えていない傷口を他者にほじくり返されたくもない。
サブドロップに陥りかけた、陥ったのかも自分ではよく分かってない状況だ。だからこそかもしれないが、誰とも話す気はなかった。
だからいつものようにカウンセリングでも当たり障りのない答えと――取り敢えず体調面の不調だけを口にしていたつもりだったが、思ったよりも長引いてしまった。
それから、『一週間程休学した方がいい』『また二日後きてください』と言葉を添えられ、俺は曖昧に頷いてそのまま診察室を後にした。こちらから頼まずとも診断書も出される。それと、薬も何種類か増えていた。
クリニックを後にし、俺は学生寮へと戻ることにした。このまま日光浴をする気にも、授業に出席する気分にもなれなかった。
丁度休み時間のチャイムが鳴り、ぞろぞろと学園前には人影が増えてくる。
タイミングが悪かったようだ。診断書をくしゃくしゃに畳み、そのままポケットへと仕舞おうとしたときだった。
「――一凛」
いきなりすぐ背後から聞こえてきた声に全身の毛がよだつ。飛び上がりそうになりながら振り返れば、そこにはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた男がいた。
「なーんてな、ビックリした?」
「お、まえ」
――月夜野小晴。
よりによって悪趣味な挨拶をかましてくる小晴に気を取られたとき。つい手にしていた診断書を地面に落としてしまう。
「ん? なんだこれ」
「っ、触るな……!」
慌ててやつより先に診断書を拾おうとするが、遅かった。呆気なく俺の頭を掴んで押し退けた小晴は、そのままひょいと長い指でそれを摘んだ。そして、あろうことか俺の目の前でそれを開くのだ。
最悪だ、と血の気が引いていく。診断書から顔を上げた小晴の口元には嫌な笑みが浮かんでいた。
「診察書……ねえ、また来いってよ。なに? サブドロしたんだ?」
「……ッ」
「ま、んなことだとは思ったけど……星名は『大丈夫そうだった!』とか言ってたけど」
言いながら、固まる俺の肩に馴れ馴れしく手を回してくる小晴。やつの手から診断書を取り返せば、小晴はからからと笑う。中身が見たかっただけらしい、それを取り返そうともしてこない小晴に余計腹立った。
けど、それ以上に。
「こんなところで一人でいていいのか? 会長は知ってんのかよ」
「……」
「おい、どこ行くんだよ」
「……っ、お前が今更先輩面するな。第一、あいつを唆したのもお前だろ……!」
八つ当たりだと、言いがかりだと分かってても止めることはできなかった。
こいつが星名に妙なことを吹き込まなければ、元々こんなことにはならなかった。それだけは確かだったから。
だけど、やつは怒るわけでもなくただ両手を上げ、笑った。
「あれ? バレた?」
「……ッ」
「なんだ? 『言い過ぎたかも』みたいな顔しちゃって、本当愛佐君って変なところで真面目だよなあ? ……ま、つうか俺はただ相談に乗ってやってただけだけどな。お前が露骨に星名のやつ避けるからあいつ、悩んでたぞ」
頭に血が昇っていく。
Domに対する恐怖も忘れる程の熱を抑えきれなかった。
咄嗟にやつの胸ぐらを掴めば、小晴は舌を出して笑う。
「――なんて言ったらお前はスッキリしたか?」
この男はどこまでも俺をコケにするつもりらしい。
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