恣意的なぼくら。

田原摩耶

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1.イネイブラー

トキシック・ポジティブ

 天翔あまかけ慈門君は僕と正反対の人だった。
 よく笑うし、よく怒ってよく食べるし、それから……よく眠る。

『こいつはいつまで経ってもガキのままだな』
『小緑君、蹴っちゃ駄目だよ』
『お前もお前だ。織和しきわ。甘やかすなと言ってるだろ。こういうやつは許せば許す度に付け上がる。ストッパーになるべきお前がそれを促してどうする?』

 小緑君の家に泊まりがけで遊びに行ったときのこと。
 小緑君はそう転がってる慈門君に文句を言っていたが、これは彼なりの信頼の証だということを知っていた。
 普段物静かで落ち着いた小緑君が熱くなるとき、それはそれほど大切だからだ。
 だから、そんなことを言いながらも眠ってる慈門君にタオルケットを被せている小緑君を見て頬が緩む。

『何笑ってるんだ、ちゃんと人の話を聞いてるのか?』
『うん、楽しいなって……』
『楽しい?』

 小緑君の眉が吊り上がるのを見て言葉を選び間違えてしまったことに気付く。
 僕はいつもこうだ。言葉が足りなくて人を苛立たせてしまう。違うんだ、と首を横に振り、小緑君を見上げる。
 周りの子供達よりも伸びた背丈はぴんと伸ばされたおかげでいつも見上げることしかできない。

『小緑君が楽しそうだから、僕も楽しいんだ』

 言ってから墓穴を掘ってしまったのではないかと汗が滲む。冷たい目のままこちらを睨んでいた小緑君だったが、諦めたようにふん、と鼻を鳴らして僕の隣に腰をかける。
 タオルケットを手繰り寄せ、抱き枕のように抱き抱える慈門君を見つめたまま小緑君は立てた片膝に手をついた。

『逆だな』

 どういう意味だろうか、とフレーム越しにこちらを見つめてくる小緑君に心臓が跳ね上がる。
 まるで心の奥まで見透かされてるようで緊張してしまう。けれど視線から逃れることもできなかった。

『楽しそうなのはお前の方だろ、織和』
『小緑君』

 だから俺は、と言い掛けて小緑君は再び口を閉じてしまった。それからむず痒そうな顔をして目を伏せる。

『……お前がそう感じるなら、それでいい』

 そう言って、小緑君はそっぽ向いた。
 口下手で恥ずかしがり屋で、真面目な彼なりの精一杯の親愛の言葉と僕は知ってた。それはもう十分過ぎるほど。

 小緑君は器用だったけど、人と接するにはあまりにも不器用だった。けれど、そんな小緑君が僕たちにだけは心を開いてくれているのは知っていた。
 僕も慈門君も、だから僕たちは全員バラバラの性格だったけど一緒にいられることができたのだ。

 少なからず、中学に上がるまでは。



 何故今になって小緑君のことを思い出してしまうのか、その理由は分かっていた。

「……」

 小緑君に恋人ができた。それも、自分も知ってる男の子。

『お前、小緑のこと好きだろ』

 慈門君に指摘されたあの日からだ。
 ずっと蓋をして見なかったふりをしていたそこをこじ開けられ、取り出され、握り締められたまま僕は――慈門君に告白された。
 彼の熱量に充てられたこともあり、その場の空気に流されてそのままなし崩しに唇を重ね、僕は慈門君を受け入れた。
 それからずっと頭も体も熱に茹ったような状況が続いている。何もかもが身に入らない。言葉の羅列も、右から左へと流れては消えていく。

 酷い顔をした自分を鏡で眺めながら歯を磨く。
 恋人ができたら何かが劇的に変わると思っていた。けど、実際はどうだろうか。
 確かに変化したのだろう。肛門の違和感、腰の不調、喉の痛み。それから、自覚。
 でもそれは全て与えられたものだ。僕自身は何も変わっていない、そんな気がしてならない。それどころか、取り残されている。過去に取り残されそうになって、置いていかれないように必死に慈門君にしがみついてる……そんな気がしている。


 慈門君と付き合い始めて一週間。
 元々慈門君と過ごす時間が大半だったし、触れることもあった。そのスキンシップに別の意味を孕むようになり、あとは慈門君が僕のことを「好きだ」とかそういう浮ついたことを言うくらいで何も変わってない気がする。
 周りに僕らの関係のことはわざわざ伝えてない。元から僕と慈門君の距離の近さを揶揄する人間が周囲に多かったというのもあったし、どうせ言わなくてもバレるだろと言うのが僕らの総意だった。

 けど、小緑君には伝えた方がいいのではないか。
 そんな一抹の気持ちが込み上げてきたが、それを慈門君に言い出すことはできなかった。
 今までは意識してなかったのに、慈門君が僕が小緑君の話をした時の目が気になってしまうようになったからだ。
 疎遠にはなったが別にタブーでもないはずだ。それに、慈門君の方から小緑君の話を切り出すこともよくある。
 けど、僕はそれを躊躇するようになってしまった。
 その理由は、今はあまり考えたくない。
 だって、慈門君と恋人になったことよりも小緑君と純白君のことを考えている自分など。

「……」

 ちゃんと慈門君と向き合おう。
 冷水でびっしょりと濡れた顔をタオルで拭い、喝を入れる。
 僕は多分、今幸せであるべきなのだから。
 そう言い聞かせてること自体矛盾してるな、などと思いながら僕は支度を済ませて家を出た。




「おはよ、折」
「慈門君……」
「なんだよ、お前のが遅いって珍しいじゃん」

 家の玄関前、座り込んでいた慈門君は「よいしょ」と立ち上がる。昔は僕よりも小さかったのに、いつの間にか背伸びしても追いつけないくらいの身長の差ができていた。
 背丈だけではない。体だってそうだ。昔から慈門君の方が好き嫌いして泣いて駄々捏ねていたのに、何故こうも差がついてしまったのだろうかとじっと慈門君を見上げる。

「ん? なに、俺すげー見られてる?」
「慈門君……おっきくなったなって思って」
「親かよお前は」
「それに、最近寝坊しないね」

 少し前は僕が毎回慈門君の家に迎えに行っていたのに、最近は逆転してる。慈門君を迎えに行こうと家を出れば、既に家の前に慈門君が居るのだ。朝飯代わり、途中で買ったらしいプロテインバーを齧りながら。

「ん……まあな」

 慈門君は何故だかくすぐったそうに視線を泳がせる。
 慈門君は隠し事が下手だ。本当に分かりやすい。
「なんで?」と少し意地悪したくなって慈門君の顔を覗き込もうとすれば、慈門君は「お前な」と僕の頭をわしりと掴む。大きな掌にすっぽりと掴まれ、数日前に彼の下半身に頭を押しつけられた時のことを思い出して息を呑んだ。

「……その顔、ヤメテ」
「僕、どんな顔してる?」
「すげー赤い」
「じゃあ慈門君と一緒だ」

 お揃いだね、とその手をそっと握り返せば、慈門君はむ、と唇を硬く結んだ。何かを我慢してる時の顔だ。
 慈門君との関係は変化したが、根本的な僕らは変わっていない。だから、慈門君とこうして言い合ってる時間も楽しかった。
 ただ、甘ったるい蜜を一滴垂らされただけの関係。

「……なあ、折。それ分かっててやってる?」
「何が?」
「折~……」

 そのまま抱きついてきて、ぐりぐりと待てをさせられた犬のように肩口に鼻先を押し付けてくる慈門君。僕の倍は詰まっているだろうその筋肉質な体を受け止めるほど僕の体も体幹も鍛えられていない。
 蹌踉めき、転びそうになったところを慈門君に腰を抱き止められた。その手はどさくさに紛れて人の臀部を鷲掴みにする。

「ちょっと、家の前」
「なあ、ちょっと遅れたっていいだろ」
「ええ? また?」
「すぐ終わるから、な? いいだろ?」

 僕は昔からこの目に弱い。子供っぽくあどけない目。
「ちょっとだけ」と懇願してくる慈門君に気圧され、「ちょっとだけだからね」と念を押せば、そのまま「大好き、折。愛してる」と首筋に吸い付いてくる慈門君の頭を叩く。

「だから、家の前で――」

 やめてよ、と慈門君を引き離そうとした矢先。
 家の前を過ぎる人影に息を呑む。ちらりとこちらを見て、それから何も言わずにそのまま通り過ぎていく影。
 風に吹かれて靡いた髪の奥、鋭い目がこちらを見ていた――気がした。
 小緑君、と呼びかける声は喉から出なかった。
 何も言わない僕に不安になったようだ。もぞりと慈門君が顔を上げる。

「どうした? なに、本気で怒った? ごめんてば」
「……怒ってないよ」
「まじで言ってる?」
「うん。けど、……二人きりのときだけにしよう。こういうの」
「はいはい、わかったよ。気をつけまーす」

 全く悪びれずイタズラっぽく笑いながら慈門君は「んじゃ、行こうぜ」と僕の手を取る。
 どこか二人きりになれる場所へ、そこで覚えたてのセックスに興じよう。そう慈門君は笑うのだ。

 僕は蓋をする。その上に重石を乗せる。
 余計なことを考えるな、そう自責をする。
 彼が僕らを見ても無視した、それが全てじゃないか。それなのに、何が納得いってないんだ。
 やめよう。自惚れるな。僕は、慈門君さえいたらそれだけで充分なのだ。一人でも僕を愛してくれる人間がいることこそ奇跡で――。

 ああ、僕、無理してるな。
 できることならもう少し遅くてもよかった。こんなことに気付くのは。
 慈門君の横顔を見つめながら、僕はしっかりと握りしめられた手を振り払えずにいた。
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