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ハルベル・フォレメクという男

09※

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 ――リシェス様の体調と八代杏璃の存在がなにか関係あるのかもしれない。

 そう踏んでからというものの、なるべく八代杏璃の周辺には気を配るようにした。無論、リシェス様の身の安全が第一だ。
 だから、リシェス様のためならばなんでもするつもりだった。


 なのに。

 ――無問題だ。それに、お前がいるから
 ――……ハルベル。

 リシェス様に見上げられ、名前を呼ばれる都度鼓動が乱れる。これは異常だと分かっていた。それでも、リシェス様の声や言葉、視線、僕に向けられる全てが触れただけで全身に広がる猛毒のように僕を蝕んでいく。
 腹の奥に押し込めていた箱の中、見てみぬふりしていた感情が暴れ出す。それでも堪えた。
 リシェス様が愛しているのはお前ではないと言い聞かせ続けていた。それなのに。

 ――……部屋。あがって、行かないか。

 リシェス様の口から出たその一言に、僕は心臓を鷲掴みにされたまま何も考えられなくなったのだ。




「……すー」

 目の前で穏やかな寝息を立てるリシェスを見下ろしたまま、僕はリシェス様の寝室にいた。

 僕を信頼し、側に置いてくださったリシェス様。その真意は額面通りのはずだと分かっていても、こうして無防備に僕に寝顔を晒して下さるリシェス様にただ嬉しかった。ああ、そうだ。嬉しかったのだ。プレゼントした香油の甘い香りが鼻腔を抜けて脳の髄に染み渡り、ゆっくりと広がっていく。目の前が染まっていく。幸福とはこのことなのかもしれない。

「……リシェス様」

 こうしてまた再び側にいることを許してもらえることが嬉しかった。
 喜ぶことは罪なのだと分かっていても、不謹慎だと分かっていても、そんなことを考えてしまう自分に嫌悪感を覚える。


 ここ最近、自分がおかしいという自覚はあった。
 リシェス様に見詰められる度に、名前を呼ばれる度に鼓動が乱れて息が苦しくなる。
 目の前、薄く開かれた唇からすうすうと規則正しい寝息を立てるその唇に恐る恐る手を伸ばす。ふに、と柔らかなその唇の感触に全身の血液が一気に熱くなるのがわかった。

「……リシェス様……っ」

 こんなこと、望んでいない。してはいけないと分かっているのに、あまりにも無防備なその寝顔、その寝姿に理性が溶かされていくようだ。
 リシェス様が目を覚まさないようにベッドに乗り上げたまま、腕の中のリシェス様の寝顔を見詰めた。

 ――ほんのりと色づいたこの唇を吸いたい。貪りたい。この白い首筋に歯を立てて、己のものにしたい。

 そう、リシェス様に対して汚らわしい欲望を抱くようになったのはいつからだろうか。ずっと隠していたそれは、今では見てみぬふりすることはできないほど僕の腹の中で育ってしまっていた。

「……っ、は……」

 人差し指を動かし、そのまま上唇を持ち上げようとすれば、そのまますんなりと柔らかな唇の中に吸い込まれていく指先。熱が集まり、ずんと重たくなる下半身にただ吐き気を覚えた。

 まるで自分の中に相反する二つの感情があるようだ。
 リシェス様を汚したくないという己と、本能のゆくまま怪我したいという己だ。

 僕は、――違う。違うはずなのに。

「――っ、ん……」

 ちゅぷ、と小さな音を立て、リシェス様は僕の指に小さく吸い付く。瞬間、下半身に甘い感覚が走るのがわかった。
 そして、残されていた一欠片の理性に亀裂が入る。

 己の下半身に手を伸ばした僕はそのままリシェス様の体を起こさないよう、汚さないように下着の中で自分を慰める。粘着質な音は摩擦するにつれ増していき、下着の中が濡れていくにつれ呼吸は浅くなった。
 自分が何をやっているのかという自覚はあった。それでも、体が勝手に動くのだ。

「は、……っ、ぁ……」

 ――リシェス様、違うんです。本当は僕はこんなことをしたいわけではない。

 性器を擦る手は止まらない。まるで知らない人間に勝手に体を動かされているような不快感と、それをも上回る官能に思考を鈍らされる。
 寝ぼけているのか、僕の指を甘く吸いながら舌を絡めるリシェス様に、脳味噌はますます茹で上がっていくようだった。

 下着の中に睾丸に溜まった精子を吐き出すまで時間は要いなかった。息を飲み、掌で精液を受け止める。脈打つように痙攣する己の性器がただひたすら悍しく見えた。

 ――僕は、なんてことを。

 襲いかかってくるのは強烈な自己嫌悪だった。
 浅い呼吸を繰り返しながら、僕はゆっくりとリシェス様の唇から指を引き抜いた。そしてそのまま濡れた指先を自分の唇まで運び、絡みついたリシェス様の唾液を舐めとった。

 射精したばかりにも関わらず、再び頭を擡げ始める己の下半身にうんざりしながらも、僕は再び性器を握り直した。思考が鈍り、その代わりに得られる肉体的快楽は増していく。


 気付かないまま、目を覚まそうとしないリシェス様の顔を見つめたまま僕は二度目の吐精をした。
 気付けば窓の外は白くなり、僕はリシェス様が目を覚ます前に部屋の換気と着替えを済ませることにした。

 ――気分は最悪だった。
 それでも、「ハルベル」と寝言でリシェス様がつぶやき、寝返りを打たれるのを見て心臓がドクドクと騒がしくなるのが分かった。

 ああ、僕は。――僕は、おかしいのか。
 逸そのことこれが夢だったらどれだけましだっただろうか。頭を掻き毟り、僕はリシェス様が起きるまで寝室を出ることにした。
 ――そうでなければ、耐えられなかったからだ。
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