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第三章
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しおりを挟むそれから数日間、体調が芳しくないような状態は続いた。
その度に花戸は近くの薬局で買ってきた効き目もよくわからない薬を飲ませてきて、それが効かなければ更に別の薬を飲まされて、粉薬と錠剤、喉に詰まりそうになるのを水と唾液で流し込まれて、それから部屋からまともに出してもらえなかった。
大袈裟に苦しがればもしかしたら病院へと連れて行ってくれるかもしれない、と思ったが、元より花戸はこの家から俺を出すつもりはなかったらしい。お前が死ぬのはこの部屋だと言われてるような、高熱の中、このまま眠ればもう目覚めることはできなくなるのではないかという恐怖と隣り合わせの状態でただ薬の効き目を待つ。
鎮痛剤、解熱剤に合わせて眠れない俺のためにどこから用意したのか睡眠薬と精神安定剤も持ってきた花戸は「間人君、飲んで」とただ俺の頭を撫でる。
熱でどんだけ馬鹿になっていようが、分かる。薬の副作用が重なったり、或いは多量摂取によるオーバードーズの危険性くらい。
このままでは完治する前にこの男に殺される。俺は、「もう大丈夫だから、一人で眠れる」となんとか花戸を誤魔化した。眠気というよりも気絶に違いが、それでも自分が自分でなくなってしまうのではないかと怖かった。
花戸は存外素直で、俺の熱が少しでも下がれば多少薬の量もマシになる。与えられた薬を捨てたかったが、目の前で飲まなければ更に倍の量流し込まれる危険性もある。取り敢えず解熱剤だけは欠かさず飲んで、眠って、水分を取って、ゼリー状の食料を喉に流し込んで、眠る。
その間ずっと花戸は俺の側にいた。俺が死んでいないか確認するように、ずっとベッドを覗き込んでいた。
子供でも、もう少しまともな看病をするのではないか。
ぼんやりとした意識の中、そんなことを思いながら俺は花戸の冷たい手に撫でられる。
アンタが風邪を引いたって俺はここまで付きっきりで看病する気はないからな。
そんなことを思いながら、目を瞑る。
この男が病院に行かないのも、保険証のある実家に連れて帰って母親に病院に行かせるという真似もさせないのも、病院そのものを遅れているからだろう。そりゃそうだ、この男に散々虐待され続けた肉体を医者から見られてしまえば事件性を疑われるからだ。
所詮、犯罪者らしい保身的な思考だ。この男は俺の心配をするフリをして、俺を苦痛から助けるくらいならこの部屋で飼い殺した方がマシだと思ってる。
それが再確認できただけでも良かった。
それからどれほど眠ったのか。
最早時間感覚も麻痺しきっていた俺は、次に目を覚ましたときに体が軽いことに気づいた。あれほど靄がかっていた思考もクリアになっている。
ただ、びっしょりと濡れ、肌に張り付くシャツと湿ったシーツの感触が不快だった。
「……」
花戸は……いた。俺の隣、隣で眠っていたらしい花戸の顔を見つける。高熱の間あんなに冷たく感じたこの男の手、しっかりと繋がれたままのその手は今は少し冷たいと感じるくらいだった。
高熱の後遺症か、五感はまだ鈍い。けど、熱の最中よりかはマシだ。
寝ているだけだと言うのに気怠さは取れてはいないが、これも暫くもすれば治るだろう。
俺は目の前の花戸の寝顔を見つめる。
この男も風邪を引けばいい。高熱に魘されて苦しんで、その時は放置してやろう。
そんなことを思いながら俺は再び目を瞑った。この男を起こすのも面倒だし、もう少しこのまま、穏やかな時間を過ごしたかった。
「36.6……よかったよ、熱が下がって」
「……ああ」
「けど、まだぶり返すかもしれないから暫くは体を休ませないとね」
アンタが言うのか、それを。
喉まで出かかった言葉を飲み込み、俺は答える代わりに目の前のお粥を口の中に掻き込む。
「もう少し味気のない食事は続くけど、我慢できる?」
「……ああ」
「そうかい。偉いね、間人君」
「……」
この男に優しくされるたびに薄寒い気持ちになる。
どんだけ上っ面だけ優しく取り繕うとしてもこの男は俺を本当の意味で助けるつもりはない。分かりきっていた。人殺し相手に期待する方が馬鹿だと分かっていても、家族だとか兄だとか抜かすくせにその本質は全て自己保身。自分を満たすことしか考えていない。
「……ごめんね」
そんな俺の視線に気付いたのか、ふとそんなことを口にする花戸に思わずスプーンを握る手を止めた。
「……」
花戸はそれ以上なにも言わず、それからテーブルから立ち、キッチンへと戻る。
静まり返ったダイニングキッチンには水の流れる音が響く。
――なんなんだ、この男は。
後ろめたさを覚えているわけでもあるまい。そもそも今の謝罪も聞き間違いの可能性すらある。高熱の後遺症は俺の予想できないところも含め至る所で出ていた。
それから念の為暫く花戸が付きっきりで世話をしてきた。それでも俺が完全復活すると、また以前のような時間が始まるのだ。
花戸の留守中ほぼ空になっていた冷蔵庫の中からなんとか有り合わせのもので食事も自分で作れば、「まだ無理しなくてもいいよ」と花戸に止められた。けど「もう味覚も戻ったから大丈夫」だと言えば、「ならいいけど」と花戸はあっさりと俺の好きにさせてくれた。
穏やかな時間と共に憎たらしいほどの日々が戻ってくる。慣れたくもない、認めたくない日常が。
そんなある日。
「間人君、これ」
そう、その日花戸は帰宅するなりダイニングテーブルに玩具のようなスマホを置いた。
「これ……」
「君のものだよ、間人君。俺との連絡用だね」
「この前みたいに遅くなる時とかはなるべく連絡するようにするよ」渡されたそれは子供用のスマホだった。恐らくこれを俺に渡すことに大分悩んだのだろう。どうせガチガチに制限をかけまくっているのだろう。幼い頃持たされていたスマホはそうだった。何をするにも保護者の設定が必要だったはずだ。
……けれど、それは“進歩”であることには違いない。
「……ありがとう、ございます」
「うん。暇潰しになりそうなアプリはいくつか選んでおいてあげてるよ」
「……」
言われて操作したら、スマホを新しく買った時に入っているようなラインナップが揃ってる。
……それでも、他人と繋がったりメッセージをやり取りするようなSNSなどはない。ひたすらパズルをしろと言いたいらしい、この男は。
まあ、ないよりはましだ。
俺は暫くその端末を握り締めていた。防犯ブザー機能もこの部屋では何の効果もないんだろうな、そんなことを考えながら。
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