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I will guide you one person
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「準一さんは?」
「そう言われてみれば最近見掛けませんね」
「この間南波さん引っ張ってどっか行ってたの見たけど」
「どっか?」
「ああ、でしたらあそこではないでしょうか。彼へのお供え物があった」
「なるほど、仲吉な」
「ずっと楽しみにしてましたからね、準一さんのことですから健気に待ってるのではないでしょうか」
「……」
「あれだ、なんかあれじゃん。忠犬ポチ公? っつーか寧ろ……」
「「恋する乙女」」
◆ ◆ ◆
八月某日、曇り。
雲行きは怪しく、曇天の空は今すぐにでも雨が降りそうだった。じっとりと肌に纏わりつく湿気はなかなか気持ちいいものではない。
仲吉宛の地図を用意してからどれくらい経っただろうか。
あの日から俺は南波とともに事故現場、もとい件の崖の下で仲吉が来るのをじっと待っていた。
「すみません、何日も付き合わせてしまって」
首輪があるからとはいえ、こんな私情に南波を付き合わせるのはやはり申し訳ない。
木陰の下、ごろごろと転がった手軽な岩を椅子代わりにしていた俺の足元、服が汚れることも構わず地べたに座り込んで胡坐を掻いていた南波だったが、俺が話しかけてくるとは思っていなかったようだ。一瞬驚いたように肩を跳ねさせ、そして露骨にこちらから顔を逸らす。
「……い、いや、俺は全然大丈夫っす。それに、予め話を聞いたときから覚悟は決めてました。長丁場になるだろうってことは」
準一さんが満足するまでお付き合いします、と続ける南波。相変わらず目は合わないが、それでも少なからず心を開いてくれている、はず。きっと。おそらく。
仲吉のことだ、落ち着いたらまた改めてこの場所を訪れるはずだ。だから、俺は南波のリード片手にここで暫く仲吉を待っていたのだが。
「……それにしても、遅いっすね」
「そうですね」
てっきり仲吉のことだから直ぐにここへ来ると思っていただけに、やはり時間が経てば不安になってくる。こうもしている間に数年経ってしまうんではないだろうかという不安だ。
……いや、ないな、仲吉は絶対ここへ来るだろう。なんたってあの仲吉だ。
ここ最近、自分の情緒が不安定になっている。どうしても悪い方に悪い方にと思考が傾いてしまうのだ。
先日花鶏や藤也の言っていた精神的な死が関係しているのだろう。
しかし、それも仲吉と会えば全て解決するはずだ。
その肝心の仲吉にこうして不安な気持ちにさせられるのは予想していなかったが、あと少しの辛抱だ。以心伝心を使いこちらから「さっさと来い待ちわびたぞ」と話し掛けることも考えたが、もし仲吉が運転中だと考えたら安易に使用することは出来なかった。
「準一さんを待たせるなんてどんなやつなんすか」
「高校のときの同級生ですよ。……ちょっとばかしルーズで、だらしないやつっすけど」
南波は俺の一言に「ああ」となにか察したらしい。そしてそれ以上深くは追及してこなかった。
今さらになってちゃんとした約束をしていないと言ったら南波は怒るだろうか。怒るだろうな。
丁度その時だった。ふと、頭上にさらに濃い影が落ちてくる。雲だろうか、そう思いながら顔を上げればそこには歪な骨組みの傘が翳されていた。
「いつ来るかわからない相手を何日も何日も待ち続けるのは精神上よろしいとは言い難い。期待すればする程後が辛くなりますからね、気楽に行きましょう」
あらゆる箇所がバキバキに折れた傘を手にした花鶏は、俺達を見下ろしにこりと微笑んだ。
「花鶏さん……って、なんですか。傘?」
「雨が近いようです、これ以上ここにいるのならこの傘をお持ちください」
言いながら、花鶏は骨折れまくりの錆びまくりのそのビニール傘を俺に手渡してくる。
肝心の雨を凌ぐ部分は修復されているようだがそれ以外は今大破しても驚かないぐらいだ。
「どっからこんなもの……」
「先日の大掃除で物置に入っているのを見付けたんです。この季節には必要不可欠でしょう」
「ただのボロ傘じゃねーか。使えねえ、お前みたいだな」
「ですってよ準一さん」
「え……あ、すみません」
「ち、違います! 準一さんのことなわけないじゃないっすか! ……おい花鶏テメェ余計なこといってんじゃねえぞ狐野郎!」
「煩いですよ南波、あまり喚かないでください」
慌てふためく南波。そんな南波を受け流す花鶏だったが、ふと浮かべていた笑みを消す。そして耳を澄ませ、そのまま崖の上を見上げた。
「準一さん、どうやら来たようですよ」
「え?」
「車の音です」
そして、一笑。
こちらに向かって花鶏はいつものように柔らかく微笑んだ。
「な、かよし」
前方数メートル先。そこには見慣れた友人が一人ぼうっと立っていた。
花が添えられたその事故現場、そこに置かれた俺からの手紙を手にしたままあいつはそれを読み耽っていた。流石にあの幸喜藤也渾身の力作地図だけでは訳わからないだろうと思い、前夜に花鶏から余った紙と万年筆を借りて慌てて地図と一緒に封筒に入れたのだ。内容はこっぱずかしくなるので割愛するが、まぁ、要するに「俺も会いたいがお前にとっては危険がないわけではないから気を付けてくれ」みたいなものだ。
しかも仲吉が来るまで待ち伏せするならば直接言えばいいような内容なものだから余計恥ずかしい。
あいつ、滅茶苦茶真剣に読んでるな。
そんでもって俺はというと、お陰様で完全に出ていくタイミングを逃していた。
岩の上から木陰へと身を隠す俺。それに倣うように南波と花鶏も木陰へと隠れ、そっと遠巻きに仲吉を見守っていた。
「あれが噂の仲吉さんですね。なるほどなるほど。
……それで準一さん、あなたはいつまでこうしているつもりですか」
「う……」
さっさといけ、という花鶏の圧を背中に感じる。
死後、仲吉とこうして直接対峙するのは二度目だ。
しかもその一度目はというと、まともに話し掛けることすらせず俺はその場を後にしたのだ。
もうクヨクヨ悩むのはやめたつもりだったのに、いざその時がくると物怖じしてしまう。これはもう性分のようなものだから仕方ない。
「って言われても、なんか、タイミングが掴めないっつーか……」
「大丈夫ですよ」
「もしかしたらあいつに気付いてもらえないかもしれないし」
「おや、顔に似合わず肝が小さいのですね」
顔は関係ないだろ。
「意思疏通の基本は相手側があなたを受け入れる前提として自らの意思を伝えることです。こうして現実で会おうと約束を取り付けた今、貴方がなにを杞憂する必要がありますか」
「それと、生きてる方に視て貰いたいという気持ちがあれば大抵なんとかなりますよ」視え方や受け取り方には個人差はあるでしょうが、と花鶏。
どうやら花鶏なりに背中を押してくれているのだろう。現役先輩幽霊からのアドバイスには思ったよりも効果があったようだ。気付けば、胸の内がすっと軽くなっていた。
「花鶏さん……」
「あなたが行かないのならちょっくら私がいかせていただきますよ」
ありがとうございます、そう続けようとしたときだった。
言いながら着物の袖を捲りあげる花鶏。なにをするつもりだ。
「ま……待ってください! 行きます、行きますから!」
「結局行くのですか、詰まらな……いえ、それが一番ですね」
なんなんだ、この人は。
いやもしかしたら俺を励ますための冗談なのだろう。そう思うことで俺は気を取り直すことにした。
「せっかくの感動の再会を南波に邪魔されるのもアレですし、今だけはそのリード、私がお預かりしておきましょう」という花鶏の行為に甘えてリードを花鶏に手渡す。南波は嫌だいやだ触るな離せと駄々っ子のように暴れていたが、見事な花鶏のリード捌きによって黙らされていた。
そして発破かけられた俺は木陰を出る。恐る恐る仲吉の背後までやってきたが、仲吉はこちらに気付く気配すらない。
ちらりと後方の二人に助けを求めれば、南波を羽交い絞めにしている最中だった花鶏は「頑張ってください」と拳を作って見せる。あの人ガッツポーズはわかるのか。
取り合えず視界に入ることができれば、と仲吉の前方に回り込む。が、仲吉のやつはというと地図を回転させるこに夢中になっていて、そもそも俺が見えていないのかもわからなかった。
うろうろと立ち往生していた時だった。耳元で「手の焼ける方ですね」と花鶏の声が聞こえたと思った瞬間だった。いきなり、背中を押すような突風が吹いた。
「っうわ!」
仲吉の手から地図が離れるのと、バランスを崩した俺が仲吉に向かって飛び込むような形になってしまうのはほぼ同時だった。
「ん? ……って、え」
そのとき、確かに仲吉と目が合った。そして次の瞬間、あいつは確かに「準一」と俺の名前を呼び、そして俺を抱きとめようと腕を伸ばして来たのだ。
――お前、俺が見えるのか。
そう尋ねることはできなかった。
暗転。バランスを崩し、ド派手に転倒した俺だったがどうやら仲吉までそれに巻き込んでしまったようだ。
「……って、仲吉? 仲吉っ、大丈夫か?」
「っつ、ぅ……ッ、ん?」
下敷きにしてしまっていた仲吉の上から慌てて退き、仲吉に声をかける。すると、うーんと呻いていた仲吉だったがやがて気付いたらしい。ぱちりと目を丸くさせ、俺を見る。
「じゅん……いち……?」
聞き間違いではない、確かに名前を呼ばれた。確認するような、なぞるような、たどたどしく掠れた声で。
「仲吉……お前、俺が視えるのか?」
「ちょ……っその声、もしかして、まじで準一?」
「お前、俺が分かるのか?」
恐る恐る尋ねる。そしてがばりと上半身を起こした仲吉は、「分かるに決まってんだろっ」と俺の顔に触れてくる。両頬を挟むように手を這わされ、そして真っすぐにこちらを覗き込んでくる目。
見すぎだとか、近いだとか。言いたいことは色々あったのに。またこうして仲吉と向き合っている、その不思議な感覚に言葉を発することを忘れそうになっていた。
「な、かよし」
ほんの数秒、それでも俺たちの周りだけ時間の進み方が遅くなっているのではないだろうか、
そう思えるほどだった。段々見つめあっているこの状況に恥ずかしくなってきて、「おい」とやんわり仲吉の腕を掴んだときだった。今度は腕を掴まれ、そのままぎゅうっと抱擁される。
瞬間、全身を包み込む仲吉の体温。久しぶりに感じた人の体温。
「……よかった、俺の夢じゃなかったんだな」
耳元、聞こえてきた仲吉の声は喉から絞り出すような声だった。
いつも喧しい仲吉のそんな弱弱しい声なんて、いままで聞いたことなかった。だからこそ余計、抱きしめてくる仲吉の手を振り払うことができなかった。
「だから夢じゃないって前も言っただろ」
「ああ、そうだな。この触り心地は本物の準一だ」
わしわしと後頭部を撫でてくる仲吉は最後にぺしんと頭を叩き、朗らかに笑いながら俺から手を離す。
全く痛くない、だけど確かに触れられた感触が残っていた。そこを擦りながら俺は「意味わかんねーよ」と顔をしかめたが、それもすぐに弛んだ。そんな俺に、仲吉は楽しそうに笑い声をあげた。
もう二度と会えない。
一度はそう思ったいた相手が目の前にいて、こうして話したり触れたりすることができる。
現実は小説より奇なりとは言ったものだが、生きていた頃の俺ならばこんなこと信じられなかっただろう。
寧ろ、これが夢だと言われた方がまだ信じられるかもしれない。
「取り敢えず……ごめんな、遅くなって」
「それと、久し振り」立ち上がった俺達は改めて向かい合う。
「そうだな。まさか、本当に戻ってくるとは思わなかったけど」
「こんなご丁寧な手紙まで用意してそれは無理があるだろ。てか、ずっとここにいたのか?」
「べ……別に、たまたまやることなかっただけだ」
「なんでそこで照れてんだよ。待っててくれたんだろ? 俺が来るの。……てか、変なの。さっきまでなにも感じなかったのに、急にお前が現れるんだもんな」
――急に?
なんとなく仲吉の物言いに引っかかる。
そういえば仲吉に気付いてもらなかったとき、花鶏の声が聞こえて急に風が吹いたような気がしたが。
先程まで花鶏たちがいた木陰へと振り返るが、そこには人影すらなかった。
そして、
「何事にも舞台装置というのは必要となります。霊感のない相手ならば、ぽるたあがいすと等で存在を主張することから入るとより効果的でしょう」
その声はすぐ俺の背後から聞こえてきた。
ぎょっと振り返れば、そこにはいつの間にかに気絶して伸びてる南波と、それを引きずり立つ花鶏がいた。
そして、その姿は仲吉にも見えているようだ。
「あ、花鶏さん……」
「誰?」
「とまあ感動の再会はさておき、お噂はかねがね聞かせていただいております。貴方が準一さんの大切な御親友――仲吉さんですね」
「お、男……?」
「ええ、私は花鶏と申します。是非あとりん、とお呼びください」
現れた花鶏はそういつの日か俺に見せたときと同じ柔和な笑みを貼り付け、仲吉に握手を求めるのだ。
いつの間にか音もなく現れた花鶏に驚いた様子の仲吉だったが、目を丸くしながらもその握手に応えてるこいつもこいつだ。警戒心を持てとあれほど手紙に書いていたのに、と思いつつも花鶏相手にはその対応は正解だ。
「あとりんさんすね。ここにいるってことは……もしかしてあとりんさんも準一と同じなんすか?」
「ええ、ご明察の通りです。準一さんにはよくお世話になっております」
「準一が?」
「あ、花鶏さん……余計なこと言わないでくださいよ」
「ええ、わかっております。貴方に不名誉なことなどは一切口外するつもりはありませんのでご安心を」
それがもう俺にとって不名誉ななにかしらがあると言ってるようなものなのだが、仲吉のやつはなにもわかってないようで「すげー!生幽霊!」と目をキラキラさせてる。アホで助かった。
「えと、それで……そこで伸びてるのが……」
南波のことも一応紹介した方がいいだろう。
そう、泡を吹いてピクピク痙攣してる南波に目を向ければ、「まだ誰かいるのか?」と仲吉は不思議そうな顔をした。
「え? ……お前、見えないのか?」
「気を失った相手とは意思疎通は不可能です。生きてる相手となるならソレを可視することもできません」
「因みに、意思疎通する気のない死者にも同様ですね」と花鶏は静かに続ける。
仲吉に見る気があったところで片方が拒否すれば姿を見ることもできないということか。
その言葉を聞いて俺は、前回仲吉に気付いてもらうという意志すらなかった自分のことを思い出した。
「へぇ、あとりんさん詳しいな。何言ってんのかよくわかんねえけど」
「わかんねえなら黙っとけよ」
「なんだよ、俺だけ仲間外れにするなって! それに、今回はちゃんと勉強するために色々準備してきたんだからな」
「ほら」と仲吉は肩に背負っていた大容量リュックを持ち出し、その中から色々取り出そうとしてくる。絶対必要のないノートにタブレットPC、よくわかんねえ胡散臭い雑誌、エトセトラ。
「てか電波繋がんねえからここ」
「あ……」
「『あ……』じゃねえよ『あ……』じゃ……ッ! 落としたら危ないからちゃんと仕舞っとけ」
本当にこいつはなんなんだ。しゅん……としながらゴソゴソと再びリュックに戻していく仲吉。そんな仲吉と俺のやり取りを見ていた花鶏は、ふふ、と声を漏らす。
「本当に仲がよろしいんですね。……貴方がそんな風に誰かと親しげにしているところ、私、初めてみましたよ」
「花鶏さん、冷やかさないでください。こいつ調子乗るんで」
「こいつ口うるさいんすよね、本当俺のことどんだけ大好きなんだよって……」
「お前はもう静かにしてろ!」
恥ずかしい反面、まるで今までと変わりない態度の仲吉に懐かしさどころか会わなかった期間のブランクすらも感じないことに驚いた。
こいつがおかしいのだ。俺も花鶏も死んでるのに、当たり前のように接してくるこいつが。
だからこそ安堵する自分もいるのだが、それを素直にこいつに言う気にはやはりなれなかった。
そんな他愛ない会話を交わしていたときだった。ふとぽたりと地面に小さな雫が落ちてくる。
「おや、やはり降ってきましたね」
「うわ、雨? やべ、傘持ってきてねーわ」
「お、お前な……」
最早突っ込む気にもなれなかった。
俺は先程花鶏から借りていた傘の存在を思い出す。どうやら転倒した拍子に手元から離れていたらしい、地面の上転がっていたそれを拾い上げ、差す。哀れになるほどのオンボロ傘だが、ないよりかはましだろう。
「……ほら」
そう仲吉の頭上へと傘を翳せば、仲吉はこちらへと目を向ける。そして、俺の手ごと傘の取っ手を掴むのだ。
「お前も入れよ、準一」
「いや、俺は……」
「いいではございませんか、入れてもらえば」
「霊体も心が冷えると風邪を引きますからね」と花鶏はどこからともなく鮮やかな和染めの傘を取り出すのだ。しかも俺が持ってるやつよりもご立派なやつだ。
「雨脚が強くなる前に移動しますか」
「移動って……」
「ご案内しましょう、我々の住処へ」
そう花鶏は微笑んだ。
やはりこうなるのか、と思いながらも俺は隣の仲吉を盗み見る。完全に観光気分のやつに生きた心地がしなかったが、俺も腹を括るしかない。
人知れず俺は溜息を吐いた。
「そう言われてみれば最近見掛けませんね」
「この間南波さん引っ張ってどっか行ってたの見たけど」
「どっか?」
「ああ、でしたらあそこではないでしょうか。彼へのお供え物があった」
「なるほど、仲吉な」
「ずっと楽しみにしてましたからね、準一さんのことですから健気に待ってるのではないでしょうか」
「……」
「あれだ、なんかあれじゃん。忠犬ポチ公? っつーか寧ろ……」
「「恋する乙女」」
◆ ◆ ◆
八月某日、曇り。
雲行きは怪しく、曇天の空は今すぐにでも雨が降りそうだった。じっとりと肌に纏わりつく湿気はなかなか気持ちいいものではない。
仲吉宛の地図を用意してからどれくらい経っただろうか。
あの日から俺は南波とともに事故現場、もとい件の崖の下で仲吉が来るのをじっと待っていた。
「すみません、何日も付き合わせてしまって」
首輪があるからとはいえ、こんな私情に南波を付き合わせるのはやはり申し訳ない。
木陰の下、ごろごろと転がった手軽な岩を椅子代わりにしていた俺の足元、服が汚れることも構わず地べたに座り込んで胡坐を掻いていた南波だったが、俺が話しかけてくるとは思っていなかったようだ。一瞬驚いたように肩を跳ねさせ、そして露骨にこちらから顔を逸らす。
「……い、いや、俺は全然大丈夫っす。それに、予め話を聞いたときから覚悟は決めてました。長丁場になるだろうってことは」
準一さんが満足するまでお付き合いします、と続ける南波。相変わらず目は合わないが、それでも少なからず心を開いてくれている、はず。きっと。おそらく。
仲吉のことだ、落ち着いたらまた改めてこの場所を訪れるはずだ。だから、俺は南波のリード片手にここで暫く仲吉を待っていたのだが。
「……それにしても、遅いっすね」
「そうですね」
てっきり仲吉のことだから直ぐにここへ来ると思っていただけに、やはり時間が経てば不安になってくる。こうもしている間に数年経ってしまうんではないだろうかという不安だ。
……いや、ないな、仲吉は絶対ここへ来るだろう。なんたってあの仲吉だ。
ここ最近、自分の情緒が不安定になっている。どうしても悪い方に悪い方にと思考が傾いてしまうのだ。
先日花鶏や藤也の言っていた精神的な死が関係しているのだろう。
しかし、それも仲吉と会えば全て解決するはずだ。
その肝心の仲吉にこうして不安な気持ちにさせられるのは予想していなかったが、あと少しの辛抱だ。以心伝心を使いこちらから「さっさと来い待ちわびたぞ」と話し掛けることも考えたが、もし仲吉が運転中だと考えたら安易に使用することは出来なかった。
「準一さんを待たせるなんてどんなやつなんすか」
「高校のときの同級生ですよ。……ちょっとばかしルーズで、だらしないやつっすけど」
南波は俺の一言に「ああ」となにか察したらしい。そしてそれ以上深くは追及してこなかった。
今さらになってちゃんとした約束をしていないと言ったら南波は怒るだろうか。怒るだろうな。
丁度その時だった。ふと、頭上にさらに濃い影が落ちてくる。雲だろうか、そう思いながら顔を上げればそこには歪な骨組みの傘が翳されていた。
「いつ来るかわからない相手を何日も何日も待ち続けるのは精神上よろしいとは言い難い。期待すればする程後が辛くなりますからね、気楽に行きましょう」
あらゆる箇所がバキバキに折れた傘を手にした花鶏は、俺達を見下ろしにこりと微笑んだ。
「花鶏さん……って、なんですか。傘?」
「雨が近いようです、これ以上ここにいるのならこの傘をお持ちください」
言いながら、花鶏は骨折れまくりの錆びまくりのそのビニール傘を俺に手渡してくる。
肝心の雨を凌ぐ部分は修復されているようだがそれ以外は今大破しても驚かないぐらいだ。
「どっからこんなもの……」
「先日の大掃除で物置に入っているのを見付けたんです。この季節には必要不可欠でしょう」
「ただのボロ傘じゃねーか。使えねえ、お前みたいだな」
「ですってよ準一さん」
「え……あ、すみません」
「ち、違います! 準一さんのことなわけないじゃないっすか! ……おい花鶏テメェ余計なこといってんじゃねえぞ狐野郎!」
「煩いですよ南波、あまり喚かないでください」
慌てふためく南波。そんな南波を受け流す花鶏だったが、ふと浮かべていた笑みを消す。そして耳を澄ませ、そのまま崖の上を見上げた。
「準一さん、どうやら来たようですよ」
「え?」
「車の音です」
そして、一笑。
こちらに向かって花鶏はいつものように柔らかく微笑んだ。
「な、かよし」
前方数メートル先。そこには見慣れた友人が一人ぼうっと立っていた。
花が添えられたその事故現場、そこに置かれた俺からの手紙を手にしたままあいつはそれを読み耽っていた。流石にあの幸喜藤也渾身の力作地図だけでは訳わからないだろうと思い、前夜に花鶏から余った紙と万年筆を借りて慌てて地図と一緒に封筒に入れたのだ。内容はこっぱずかしくなるので割愛するが、まぁ、要するに「俺も会いたいがお前にとっては危険がないわけではないから気を付けてくれ」みたいなものだ。
しかも仲吉が来るまで待ち伏せするならば直接言えばいいような内容なものだから余計恥ずかしい。
あいつ、滅茶苦茶真剣に読んでるな。
そんでもって俺はというと、お陰様で完全に出ていくタイミングを逃していた。
岩の上から木陰へと身を隠す俺。それに倣うように南波と花鶏も木陰へと隠れ、そっと遠巻きに仲吉を見守っていた。
「あれが噂の仲吉さんですね。なるほどなるほど。
……それで準一さん、あなたはいつまでこうしているつもりですか」
「う……」
さっさといけ、という花鶏の圧を背中に感じる。
死後、仲吉とこうして直接対峙するのは二度目だ。
しかもその一度目はというと、まともに話し掛けることすらせず俺はその場を後にしたのだ。
もうクヨクヨ悩むのはやめたつもりだったのに、いざその時がくると物怖じしてしまう。これはもう性分のようなものだから仕方ない。
「って言われても、なんか、タイミングが掴めないっつーか……」
「大丈夫ですよ」
「もしかしたらあいつに気付いてもらえないかもしれないし」
「おや、顔に似合わず肝が小さいのですね」
顔は関係ないだろ。
「意思疏通の基本は相手側があなたを受け入れる前提として自らの意思を伝えることです。こうして現実で会おうと約束を取り付けた今、貴方がなにを杞憂する必要がありますか」
「それと、生きてる方に視て貰いたいという気持ちがあれば大抵なんとかなりますよ」視え方や受け取り方には個人差はあるでしょうが、と花鶏。
どうやら花鶏なりに背中を押してくれているのだろう。現役先輩幽霊からのアドバイスには思ったよりも効果があったようだ。気付けば、胸の内がすっと軽くなっていた。
「花鶏さん……」
「あなたが行かないのならちょっくら私がいかせていただきますよ」
ありがとうございます、そう続けようとしたときだった。
言いながら着物の袖を捲りあげる花鶏。なにをするつもりだ。
「ま……待ってください! 行きます、行きますから!」
「結局行くのですか、詰まらな……いえ、それが一番ですね」
なんなんだ、この人は。
いやもしかしたら俺を励ますための冗談なのだろう。そう思うことで俺は気を取り直すことにした。
「せっかくの感動の再会を南波に邪魔されるのもアレですし、今だけはそのリード、私がお預かりしておきましょう」という花鶏の行為に甘えてリードを花鶏に手渡す。南波は嫌だいやだ触るな離せと駄々っ子のように暴れていたが、見事な花鶏のリード捌きによって黙らされていた。
そして発破かけられた俺は木陰を出る。恐る恐る仲吉の背後までやってきたが、仲吉はこちらに気付く気配すらない。
ちらりと後方の二人に助けを求めれば、南波を羽交い絞めにしている最中だった花鶏は「頑張ってください」と拳を作って見せる。あの人ガッツポーズはわかるのか。
取り合えず視界に入ることができれば、と仲吉の前方に回り込む。が、仲吉のやつはというと地図を回転させるこに夢中になっていて、そもそも俺が見えていないのかもわからなかった。
うろうろと立ち往生していた時だった。耳元で「手の焼ける方ですね」と花鶏の声が聞こえたと思った瞬間だった。いきなり、背中を押すような突風が吹いた。
「っうわ!」
仲吉の手から地図が離れるのと、バランスを崩した俺が仲吉に向かって飛び込むような形になってしまうのはほぼ同時だった。
「ん? ……って、え」
そのとき、確かに仲吉と目が合った。そして次の瞬間、あいつは確かに「準一」と俺の名前を呼び、そして俺を抱きとめようと腕を伸ばして来たのだ。
――お前、俺が見えるのか。
そう尋ねることはできなかった。
暗転。バランスを崩し、ド派手に転倒した俺だったがどうやら仲吉までそれに巻き込んでしまったようだ。
「……って、仲吉? 仲吉っ、大丈夫か?」
「っつ、ぅ……ッ、ん?」
下敷きにしてしまっていた仲吉の上から慌てて退き、仲吉に声をかける。すると、うーんと呻いていた仲吉だったがやがて気付いたらしい。ぱちりと目を丸くさせ、俺を見る。
「じゅん……いち……?」
聞き間違いではない、確かに名前を呼ばれた。確認するような、なぞるような、たどたどしく掠れた声で。
「仲吉……お前、俺が視えるのか?」
「ちょ……っその声、もしかして、まじで準一?」
「お前、俺が分かるのか?」
恐る恐る尋ねる。そしてがばりと上半身を起こした仲吉は、「分かるに決まってんだろっ」と俺の顔に触れてくる。両頬を挟むように手を這わされ、そして真っすぐにこちらを覗き込んでくる目。
見すぎだとか、近いだとか。言いたいことは色々あったのに。またこうして仲吉と向き合っている、その不思議な感覚に言葉を発することを忘れそうになっていた。
「な、かよし」
ほんの数秒、それでも俺たちの周りだけ時間の進み方が遅くなっているのではないだろうか、
そう思えるほどだった。段々見つめあっているこの状況に恥ずかしくなってきて、「おい」とやんわり仲吉の腕を掴んだときだった。今度は腕を掴まれ、そのままぎゅうっと抱擁される。
瞬間、全身を包み込む仲吉の体温。久しぶりに感じた人の体温。
「……よかった、俺の夢じゃなかったんだな」
耳元、聞こえてきた仲吉の声は喉から絞り出すような声だった。
いつも喧しい仲吉のそんな弱弱しい声なんて、いままで聞いたことなかった。だからこそ余計、抱きしめてくる仲吉の手を振り払うことができなかった。
「だから夢じゃないって前も言っただろ」
「ああ、そうだな。この触り心地は本物の準一だ」
わしわしと後頭部を撫でてくる仲吉は最後にぺしんと頭を叩き、朗らかに笑いながら俺から手を離す。
全く痛くない、だけど確かに触れられた感触が残っていた。そこを擦りながら俺は「意味わかんねーよ」と顔をしかめたが、それもすぐに弛んだ。そんな俺に、仲吉は楽しそうに笑い声をあげた。
もう二度と会えない。
一度はそう思ったいた相手が目の前にいて、こうして話したり触れたりすることができる。
現実は小説より奇なりとは言ったものだが、生きていた頃の俺ならばこんなこと信じられなかっただろう。
寧ろ、これが夢だと言われた方がまだ信じられるかもしれない。
「取り敢えず……ごめんな、遅くなって」
「それと、久し振り」立ち上がった俺達は改めて向かい合う。
「そうだな。まさか、本当に戻ってくるとは思わなかったけど」
「こんなご丁寧な手紙まで用意してそれは無理があるだろ。てか、ずっとここにいたのか?」
「べ……別に、たまたまやることなかっただけだ」
「なんでそこで照れてんだよ。待っててくれたんだろ? 俺が来るの。……てか、変なの。さっきまでなにも感じなかったのに、急にお前が現れるんだもんな」
――急に?
なんとなく仲吉の物言いに引っかかる。
そういえば仲吉に気付いてもらなかったとき、花鶏の声が聞こえて急に風が吹いたような気がしたが。
先程まで花鶏たちがいた木陰へと振り返るが、そこには人影すらなかった。
そして、
「何事にも舞台装置というのは必要となります。霊感のない相手ならば、ぽるたあがいすと等で存在を主張することから入るとより効果的でしょう」
その声はすぐ俺の背後から聞こえてきた。
ぎょっと振り返れば、そこにはいつの間にかに気絶して伸びてる南波と、それを引きずり立つ花鶏がいた。
そして、その姿は仲吉にも見えているようだ。
「あ、花鶏さん……」
「誰?」
「とまあ感動の再会はさておき、お噂はかねがね聞かせていただいております。貴方が準一さんの大切な御親友――仲吉さんですね」
「お、男……?」
「ええ、私は花鶏と申します。是非あとりん、とお呼びください」
現れた花鶏はそういつの日か俺に見せたときと同じ柔和な笑みを貼り付け、仲吉に握手を求めるのだ。
いつの間にか音もなく現れた花鶏に驚いた様子の仲吉だったが、目を丸くしながらもその握手に応えてるこいつもこいつだ。警戒心を持てとあれほど手紙に書いていたのに、と思いつつも花鶏相手にはその対応は正解だ。
「あとりんさんすね。ここにいるってことは……もしかしてあとりんさんも準一と同じなんすか?」
「ええ、ご明察の通りです。準一さんにはよくお世話になっております」
「準一が?」
「あ、花鶏さん……余計なこと言わないでくださいよ」
「ええ、わかっております。貴方に不名誉なことなどは一切口外するつもりはありませんのでご安心を」
それがもう俺にとって不名誉ななにかしらがあると言ってるようなものなのだが、仲吉のやつはなにもわかってないようで「すげー!生幽霊!」と目をキラキラさせてる。アホで助かった。
「えと、それで……そこで伸びてるのが……」
南波のことも一応紹介した方がいいだろう。
そう、泡を吹いてピクピク痙攣してる南波に目を向ければ、「まだ誰かいるのか?」と仲吉は不思議そうな顔をした。
「え? ……お前、見えないのか?」
「気を失った相手とは意思疎通は不可能です。生きてる相手となるならソレを可視することもできません」
「因みに、意思疎通する気のない死者にも同様ですね」と花鶏は静かに続ける。
仲吉に見る気があったところで片方が拒否すれば姿を見ることもできないということか。
その言葉を聞いて俺は、前回仲吉に気付いてもらうという意志すらなかった自分のことを思い出した。
「へぇ、あとりんさん詳しいな。何言ってんのかよくわかんねえけど」
「わかんねえなら黙っとけよ」
「なんだよ、俺だけ仲間外れにするなって! それに、今回はちゃんと勉強するために色々準備してきたんだからな」
「ほら」と仲吉は肩に背負っていた大容量リュックを持ち出し、その中から色々取り出そうとしてくる。絶対必要のないノートにタブレットPC、よくわかんねえ胡散臭い雑誌、エトセトラ。
「てか電波繋がんねえからここ」
「あ……」
「『あ……』じゃねえよ『あ……』じゃ……ッ! 落としたら危ないからちゃんと仕舞っとけ」
本当にこいつはなんなんだ。しゅん……としながらゴソゴソと再びリュックに戻していく仲吉。そんな仲吉と俺のやり取りを見ていた花鶏は、ふふ、と声を漏らす。
「本当に仲がよろしいんですね。……貴方がそんな風に誰かと親しげにしているところ、私、初めてみましたよ」
「花鶏さん、冷やかさないでください。こいつ調子乗るんで」
「こいつ口うるさいんすよね、本当俺のことどんだけ大好きなんだよって……」
「お前はもう静かにしてろ!」
恥ずかしい反面、まるで今までと変わりない態度の仲吉に懐かしさどころか会わなかった期間のブランクすらも感じないことに驚いた。
こいつがおかしいのだ。俺も花鶏も死んでるのに、当たり前のように接してくるこいつが。
だからこそ安堵する自分もいるのだが、それを素直にこいつに言う気にはやはりなれなかった。
そんな他愛ない会話を交わしていたときだった。ふとぽたりと地面に小さな雫が落ちてくる。
「おや、やはり降ってきましたね」
「うわ、雨? やべ、傘持ってきてねーわ」
「お、お前な……」
最早突っ込む気にもなれなかった。
俺は先程花鶏から借りていた傘の存在を思い出す。どうやら転倒した拍子に手元から離れていたらしい、地面の上転がっていたそれを拾い上げ、差す。哀れになるほどのオンボロ傘だが、ないよりかはましだろう。
「……ほら」
そう仲吉の頭上へと傘を翳せば、仲吉はこちらへと目を向ける。そして、俺の手ごと傘の取っ手を掴むのだ。
「お前も入れよ、準一」
「いや、俺は……」
「いいではございませんか、入れてもらえば」
「霊体も心が冷えると風邪を引きますからね」と花鶏はどこからともなく鮮やかな和染めの傘を取り出すのだ。しかも俺が持ってるやつよりもご立派なやつだ。
「雨脚が強くなる前に移動しますか」
「移動って……」
「ご案内しましょう、我々の住処へ」
そう花鶏は微笑んだ。
やはりこうなるのか、と思いながらも俺は隣の仲吉を盗み見る。完全に観光気分のやつに生きた心地がしなかったが、俺も腹を括るしかない。
人知れず俺は溜息を吐いた。
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