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Overcoming phobia
12
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そして更に暫く時間は経過する。
南波の痙攣がようやく収まったとき、応接室の扉が開いた。
――藤也だ。
そのまま応接室の中へと入ってきた藤也は、俺の隣でぐったりしている南波を見るなり眉を寄せる。
「……なにこの血だるま」
そう一言。俺の横で気絶する南波を見て、藤也は露骨に怪訝そうな顔をする。その反応も無理もない。
「藤也ー! おかえりー!」
「……うるさい。で、なにこれ」
「南波が首輪を外してほしいって泣きついてきましてね、それで少々」
「……で、なんで準一さんまで血だるまなの」
そう汚いものを見るような冷めた目をこちらへと向けてくる藤也。
まだ汚れているのだろうかと慌てて口許を拭えば、俺の代わりに幸喜が「南波さんの返り血」と笑いながら答える。確かにそうだが。多分藤也はそれを聞きたいわけではないだろう。
「失礼します」
そのときだった。藤也が開きっぱなしになっていた扉から奈都が顔を覗かせた。
そして、藤也同様血まみれの俺と同じく肉塊と化した南波を見てぎょっとする。
「……って、なにかあったんですか?」
「南波が男嫌い治ったというので試してみただけですよ」
「俺でな」
「それは……お疲れさまです」
なにかを察され、憐れむような奈都の視線がただただ痛い。
そして藤也と奈都が戻ってきて、珍しく応接室には全員揃っていた。一人意識ないが。
花鶏の隣に座る奈都に、俺の隣に座る藤也。多少座り心地が悪いソファーだが狭くはない。男三人座ってもぎゅうぎゅうにならないソファーだが、こうして全席が埋まるとなんだか不思議な感じだ。
まるで、初めてここを訪れた夜のことを思い出す。
「奈都君たちが戻ってきたということは、どうやら事は済んだようですね」
改めて全員が揃った中、まず一番に口を開いたのは花鶏だった。それに対し、奈都は「はい」こくりと小さく頷く。
「一先ず救急車に乗せられるところまでは確認しました。……あとはもう、外の人たちに任せるしかないかと」
「お二人ともご苦労様です。二人とも動き回って疲れたでしょう」
「……本当無駄に疲れた。おまけにタダ働きだし」
「ふふ、そうでしょうね。私も貴方が手を貸してくださるとは思ってもおりませんでしたし」
「……」
花鶏に誂われ、藤也は無言でそっぽ向く。
当事者と言えば当事者だが、それでも少しは考え方が変わったのだろうか。真意は分からないが、そうだったらいいなとは思う。
樹海に放置されたの女性の遺体は花鶏が後で葬るということだ。俺も手伝うと言ったのだが「貴方は自身が回復することを優先してください」とのことだった。
そして。
「貴方も頑張りましたね、準一さん」
花鶏はそう、こちらへと微笑んだ。
その言葉に、そこでようやく俺は自分にできることをやり遂げたのだと実感した。
……そうだ、やれることはやったんだ。あの人のことを考えたところでどうにもならないとわかってる今、暗くなるようなことは考えたくない。後は野となれ花となれとはまさにこのことだろう。
達成感と同時に湧き上がる不安を堪えながら、はい、と頷き返したときだった。
「じゃああとはあれか。仲吉が来んの待つんだよな」
そして、幸喜の言葉にぎくりとした。
本当にこいつは俺をリラックスさせる気はないようだ。隣に座る藤也の視線を感じたが、俺は敢えて気付かない振りをした。
……ああ、そうだ。決めたのだ、仲吉のことは我慢しすぎないと。
「久しぶりのお客様ですからね、大掃除して盛大に迎えましょう」
そんな俺の心情を知ってか知らずか、微笑む花鶏は幸喜同様どこか楽しそうだ。
そんなことしなくていいです、とも言いづらい。
そんな中、仲吉の話題で先ほどに比べいくらか明るくなる応接室内で約一名話題についていけてないやつがいた。
「……お客さんですか?」
聞き慣れない名前が飛び交い、不思議そうな顔をした奈都。そんな奈都に対し、花鶏は「ああ」と思い出したように手を叩く。
「あのとき、奈都君はいらっしゃらなかったですね。……今度準一さんのご友人がこちらへ来るんですよ」
「準一さんの友達? あの、もしかしてその人って……」
「ええ、もちろんご存命ですよ」
花鶏の言葉に、奈都が息を飲むのを感じた。喉仏が僅かに上下する。
「前にも奈都君には話しましたよね、以心伝心のこと。それで準一さんがその方と連絡取ることが出来ましてね、ご友人の方が『是非会いたい』と」
花鶏がお喋り好きなのはわかっていたが、ここまでベラベラ話されるとやはり話題にされる身としては肩身が狭いというか気恥ずかしいというか。
なんとなくいたたまれなくなって、咄嗟に「花鶏さん」と窘めればどうやら俺が言いたがっていることに気付いたようだ。「おや、失礼しました」そう言いながら慌てて口を手で押さえ、照れたように笑う。
「久し振りのお客人が嬉しくてつい出娑張ってしまいました」
そういう花鶏はどうやら嘘をついているようではないようだ。
珍しく素直というか、純粋というか、やけにまともな花鶏の反応が少し意外だったが下世話な下心があって話題にされるよりか遥かにましだ。
「……以心伝心、成功したんですか?」
ご友人、の部分よりも奈都が食いついたのはその単語だった。
やはり、早々簡単に成功するものではないということなのだろうか。
「……でもまあ、あんま話せなかったんだけどな」
「ご謙遜を。一度ならず何度も成功すること自体珍しいことですよ」
そう口を挟んでくる花鶏に、なんだか顔が熱くなってくる。
まあ、確かに花鶏は最初から成功しないと言っていたしな。しかし、そこまで言われると少し恥ずかしくなってくる。
「相思相愛ってやつだな! ……ひくっ」
幸喜がまたなんか言い出したと思いきや、しゃっくりをする。
顔をしかめる俺を他所に花鶏は「幸喜、それでは意味が違ってきますよ」と隣からフォローを入れてきた。
「一度ならず何度も……」
「じゃー両思いだ!」とまたずれたことを言い出す幸喜の隣のそのまた隣。
騒ぎ始める幸喜と花鶏を他所に、えらく神妙な顔をしてなにかをぽつりと呟く奈都の反応が妙に引っかかる。
「奈都?」と声をかければ、奈都は慌ててその暗い顔に笑みを浮かべてみせた。
「いえ、すみません。なんでもないです。……余程仲がいいんですね、その仲吉さんという方と」
「……別に、普通だと思うけどな」
奈都にまで言われると流石に恥ずかしくなってきてなかなか認めることはできなかった。
どう返せばいいのかわからず、なんとなく突っ慳貪な言い方になってしまう。
確かに俺にとって仲吉は仲のいい部類に分類されるだろうが、やはり第三者から言われるとこそばゆくなるものがある。そんな俺に対し、幸喜は「照れんなよ」とゲラゲラ笑いながら指摘してきた。その一言に一層耳が熱くなり、反射で「照れてねえ」と声を上げた。
なんだろうか、この空気は。
元はと言えば幸喜と藤也が元凶なのだが、それでも一つの目的のために一丸となって頑張った……いや違うな。明らかに余計なことしかしてないやつもいるが、それでもこのバラバラで我の強い亡霊たちが協力してくれたお陰か、妙な連帯感を覚えてしまう自分がいた。
先日まで殺されかけたにも関わらず、ほんの少しこの賑やかな空気に妙な居心地のよさを感じ始めている自分には呆れしかでない。
……これだから藤也にもめでたいやつなどと言われるのだ。それでも、悪い気はしなかった。
気が付いたらその窓の外には日が登っており、遠くから蝉の鳴き声が聞こえ始めててくる。
南波はまだ気絶していた。
「もう朝ですか、早いですね」
窓の外を眺めていた俺が気になったようだ。
つられるように、ぼんやりと明るくなった窓の外に目を向けた花鶏は「今日は天気がいいので屋敷の空気の入れ換えしましょうか」と微笑む。
「ああ、それとついでに倉庫の雑巾掛けもしなければならないですね。ここは手始めに応接室の埃取りからして……」
「うわ、花鶏さんまじで大掃除するつもりじゃん」
「当たり前じゃないですか。来るのは準一さんのご友人ですよ。……私たちが平気だからと生きてる方をこの部屋に招き入れてみてください、瞬く間に体を悪くしてしまいます」
そう珍しく真剣な顔をする花鶏に、俺は少しだけ関心した。そして、応接室を見渡す。
今にも落ちてきそうなほどこんもりと埃を積もらせたシャンデリア。色褪せた壁紙は所々剥がれ、天井には蜘蛛の巣が張っていた。敷かれたカーペットはボロボロで、俺たちがこうして座っているソファーも所々布が腐れては中の綿が飛び出しているという酷い有り様だ。
……寧ろ仲吉はこのままの方が雰囲気あって喜びそうなのだが、俺としては花鶏と同意見だった。
「あははっ本当花鶏さんって人間好きですよね。ま、やりたい人だけやるってことで俺はパス」
「おや幸喜、それでは私たちが人間ではないみたいではないですか。ああそれと、全員強制参加ですので」
確かにこの広い屋敷内を一人で掃除するのは大変だろう。俺はまあ最初からそのつもりではあるが、完全に巻き込まれる形となってしまった奈都と藤也は「え」と声を合わせていた。無理もない。そして
「まあまあまあ! そんなことはおいといて。それよりほら、掃除より先に南波さんの首輪増やしときましょうよ」
「おや幸喜、あなた本気だったんですか。本当にいい趣味をしていらっしゃいますね」
突然思い出したように提案する幸喜。話題転換のつもりだろうが、強引過ぎる。
花鶏も驚いたような顔をしていたが、なんなら言い出したのはあんただ。
そんな俺をよそに、花鶏は「まあ、いいでしょう」と着物の袖から南波が今つけてるものと同じタイプの首輪を取り出した。
「準一さん、これをどうぞ」
そして、そのままそれを俺の目の前に置く。
「俺……ですか」
「ええ、丁度気失ってますし大丈夫ですって」
「……」
そう言って花鶏は俺の隣に目を向ける。
相変わらず南波は伸びていたが、時間が経って大分精神が回復したようだ。今の南波に先刻までの不気味な青白さや口の泡や大量出血などは見当たらず、今では普通に眠っている。もしかしたらそろそろ目を覚ますのかもしれない。
三人の視線の中、俺は手にした首輪を見る。相変わらず誰一人止めようとする人間はいない。
首輪一本だけでも可哀想なのに二本だなんてと思ったが、経緯はどうであれ元々は南波も了承だったはずだ。まあ、リードはついてないしファッションと思えばなんとかなるだろう。
思いながら、首輪の留め具を外した俺は渋々眠っている南波の首に手をかけた。
南波さんごめん。そう謝りつつ、なるべく南波に触れないように手にしたそれを南波の首に巻きつけた。
軽く締めると僅かに南波の顔が苦しそうに歪む。
どうやら気絶してても反応はするようだ。まだ目覚ますなよ、なんて思いながら、俺は南波に首輪を嵌めた。
そして、それを確認した花鶏はそのまますっと立ち上がる。
「ではまずロビーの雑巾掛けからですね。行きますよ」
やる気満々だった。
「あの、僕たちもですか?」
応接室の扉の前まで歩いていく花鶏は、奈都の問いかけにこちらを振り返る。そしてゆっくりと微笑んだ。
「ええもちろん――全員分ご用意してお待ちしておりますね」
そして、そう嬉しくない言葉を残して花鶏は応接室を後にした。
静かに扉が閉まる。花鶏が離脱したことにより、応接室には解散ムードが漂っていた。
「藤也藤也、もちろんサボるよな」
お喋りな人が一人いなくなり妙に静かになる応接室の中、もう一人のお喋りもとい幸喜は向かい側の藤也にそう小声で話し掛ける。
「……それはそっちでしょ」
そして、そんな実の兄に声をかけられた弟はいかにも面倒くさそうにソファーから立ち上がった。
そのまま幸喜から逃げるように応接室の扉へ歩いていく藤也。
「あれ? なに? もしかしてまじでやっちゃうみたいな? うわっ優等生気取りかよ……って、待って待って俺も行くー!」
そして、藤也の後を追うように立ち上がった幸喜もそのまま応接室から出ていった。
色々な意味で賑やかな双子がいなくなり、再び応接室に更なる静けさが走った。
意識ある者は俺と奈都だけだ。相変わらず辛気臭い空気を全身に纏わせた奈都は、そろりと視線をこちらへと向けた。
「……準一さんも参加するんですよね」
「ああ、南波さんが起きたら行くよ」
南波は俺が残ることなんか望んでいないだろうが、首輪がある今このまま置いていくわけにはいかない。だからといって気を失っているところを引き摺るような真似もしたくない。
そう最もらしい理由を奈都に伝えれば、奈都は小さく苦笑を漏らした。
「……わかりました、花鶏さんには僕から伝えておきますね」
そしてそう奈都が口にした次の瞬間、奈都の姿は消えていた。
とうとう意識がある人間がただ俺一人になり、それからの時間が進むのがやけに早く感じた。
南波が目を覚ますのを待ってからどれくらい時間が経ったのだろう。うっすらと明るくなっていた窓の外にはすっかり日が登り、煤汚れた窓ガラスからは燦々とした日差しが射し込んでいた。
そうぼんやり手元のリードを弄びながら窓の外を眺めていたときだ。
「ん……ぅ……」
不意に、隣から小さな呻き声が聞こえてくる。
咄嗟に目を向ければ、眩しげに眉を寄せた南波が猫のように大きく伸びをしていた。
どうやら、ようやくお目覚めのようだ。
「南波さん、起きましたか?」
「っひ」
なるべく驚かせないよう小声で話し掛けたがそれがまずかったらしい。目を見開いた南波は脊髄反射でソファーから飛び降りる。
……「ひっ」って言われた。
凄まじい早さで床に突っ伏して避難した南波だったが、誰とまでは認識していなかったようだ。
「……準一、さん?」
「すみません、俺です」
すると、その一言に寝起きの南波の脳は覚醒したようだ。その顔が先程とはまた違う顔色に変化する。どちらにしろ今にも死にそうな顔だ。
「あ……っす、すすすすみません、俺! さっきはっその、あの、き、ききっ……きき、き」
青い顔をした南波は、そう弾けたように声を上げる。が、言えてない。
早速土下座の体勢を取る南波。「いや、あの俺は大丈夫なんで」と止め、取り敢えず落ち着かせることにした。
「こちらこそすみません、もう少し俺がちゃんと抵抗していれば」
「いえっ、いえいえ! 滅相もございません……! 準一さんが謝ることはないです!」
が、火に油だったようだ。
「寧ろ俺の方こそ!!」とガンガン床に頭をぶつけるような土下座をしてくる南波を止めるのに数分かかった。
それから一先ず南波をソファーに座らせ、土下座を回避させることに成功する。
「それで、あの、結局どうなって……」
ようやく落ち着いたようだ。というかやはり、気絶中の記憶はないらしい。
そして、言いながら何気なく自分の首に手を伸ばした南波はようやく増えてる首輪に気付いたようだ。
「いっ!!」と顔面引き吊らせる南波に、ああ、と俺は憐れむことしかできなかった。
「あの……まあなんつーか、幸喜たちが数えてなかったらしくて無効ということに……」
「無効ぅ?!」
絶対キレるだろうなあとか思いながら口にすれば、案の定キレていた。カッと目を見開き眉を寄せるその様はどう見てもチンピラだ。
思わずびっくりしてしまう。
「クソッ、あいつら舐めた真似しやがって……っ準一さんっ、他のやつらはどこに」
「……え、あーっと、確かロビー辺りにいると」
南波の圧に負けてしまい、ついあやふやに応えてしまうと言うや否や「わかりました」と南波は走り出そうとする。
踏み出された長い足。俺の手に握られたリード。それは前回同様南波の首に繋がっていて、そのリーチはあまりない。
これだけ言えば、次の瞬間南波がどうなったかあらかた想像つくだろう。
「あっちょっ、南波さんっ! あぶな……」
慌てて距離を近付け、リードを弛めようとしたが――間に合わなかった。
ピンと張ったリードは南波の首を絞め、南波の動きを強制的に停止させる代わりに南波から「ぐえっ」と潰れたような声が漏れる。
そして、急ブレーキが掛からなかったようだ。首を絞められるにも関わらず進もうとしていた足は結果更に自分の首を絞めることになり、大きく足を滑らせた南波は上手く受け身が取れずそのままテーブルの角に頭をぶつけ悶絶していた。
大惨事である。
「だ……大丈夫ですか」
慌てて南波に駆け寄る。
笑ってはいけないと分かってても、あまりにもダイナミックなドジに噴き出しそうになる。
それを必死に堪えながら、俺はゆっくりと起き上がる南波に声をかけた。
「あー、時間ならたくさんあるので、その……ゆっくりいきましょう」
亡霊たちの一日は長い。
南波の痙攣がようやく収まったとき、応接室の扉が開いた。
――藤也だ。
そのまま応接室の中へと入ってきた藤也は、俺の隣でぐったりしている南波を見るなり眉を寄せる。
「……なにこの血だるま」
そう一言。俺の横で気絶する南波を見て、藤也は露骨に怪訝そうな顔をする。その反応も無理もない。
「藤也ー! おかえりー!」
「……うるさい。で、なにこれ」
「南波が首輪を外してほしいって泣きついてきましてね、それで少々」
「……で、なんで準一さんまで血だるまなの」
そう汚いものを見るような冷めた目をこちらへと向けてくる藤也。
まだ汚れているのだろうかと慌てて口許を拭えば、俺の代わりに幸喜が「南波さんの返り血」と笑いながら答える。確かにそうだが。多分藤也はそれを聞きたいわけではないだろう。
「失礼します」
そのときだった。藤也が開きっぱなしになっていた扉から奈都が顔を覗かせた。
そして、藤也同様血まみれの俺と同じく肉塊と化した南波を見てぎょっとする。
「……って、なにかあったんですか?」
「南波が男嫌い治ったというので試してみただけですよ」
「俺でな」
「それは……お疲れさまです」
なにかを察され、憐れむような奈都の視線がただただ痛い。
そして藤也と奈都が戻ってきて、珍しく応接室には全員揃っていた。一人意識ないが。
花鶏の隣に座る奈都に、俺の隣に座る藤也。多少座り心地が悪いソファーだが狭くはない。男三人座ってもぎゅうぎゅうにならないソファーだが、こうして全席が埋まるとなんだか不思議な感じだ。
まるで、初めてここを訪れた夜のことを思い出す。
「奈都君たちが戻ってきたということは、どうやら事は済んだようですね」
改めて全員が揃った中、まず一番に口を開いたのは花鶏だった。それに対し、奈都は「はい」こくりと小さく頷く。
「一先ず救急車に乗せられるところまでは確認しました。……あとはもう、外の人たちに任せるしかないかと」
「お二人ともご苦労様です。二人とも動き回って疲れたでしょう」
「……本当無駄に疲れた。おまけにタダ働きだし」
「ふふ、そうでしょうね。私も貴方が手を貸してくださるとは思ってもおりませんでしたし」
「……」
花鶏に誂われ、藤也は無言でそっぽ向く。
当事者と言えば当事者だが、それでも少しは考え方が変わったのだろうか。真意は分からないが、そうだったらいいなとは思う。
樹海に放置されたの女性の遺体は花鶏が後で葬るということだ。俺も手伝うと言ったのだが「貴方は自身が回復することを優先してください」とのことだった。
そして。
「貴方も頑張りましたね、準一さん」
花鶏はそう、こちらへと微笑んだ。
その言葉に、そこでようやく俺は自分にできることをやり遂げたのだと実感した。
……そうだ、やれることはやったんだ。あの人のことを考えたところでどうにもならないとわかってる今、暗くなるようなことは考えたくない。後は野となれ花となれとはまさにこのことだろう。
達成感と同時に湧き上がる不安を堪えながら、はい、と頷き返したときだった。
「じゃああとはあれか。仲吉が来んの待つんだよな」
そして、幸喜の言葉にぎくりとした。
本当にこいつは俺をリラックスさせる気はないようだ。隣に座る藤也の視線を感じたが、俺は敢えて気付かない振りをした。
……ああ、そうだ。決めたのだ、仲吉のことは我慢しすぎないと。
「久しぶりのお客様ですからね、大掃除して盛大に迎えましょう」
そんな俺の心情を知ってか知らずか、微笑む花鶏は幸喜同様どこか楽しそうだ。
そんなことしなくていいです、とも言いづらい。
そんな中、仲吉の話題で先ほどに比べいくらか明るくなる応接室内で約一名話題についていけてないやつがいた。
「……お客さんですか?」
聞き慣れない名前が飛び交い、不思議そうな顔をした奈都。そんな奈都に対し、花鶏は「ああ」と思い出したように手を叩く。
「あのとき、奈都君はいらっしゃらなかったですね。……今度準一さんのご友人がこちらへ来るんですよ」
「準一さんの友達? あの、もしかしてその人って……」
「ええ、もちろんご存命ですよ」
花鶏の言葉に、奈都が息を飲むのを感じた。喉仏が僅かに上下する。
「前にも奈都君には話しましたよね、以心伝心のこと。それで準一さんがその方と連絡取ることが出来ましてね、ご友人の方が『是非会いたい』と」
花鶏がお喋り好きなのはわかっていたが、ここまでベラベラ話されるとやはり話題にされる身としては肩身が狭いというか気恥ずかしいというか。
なんとなくいたたまれなくなって、咄嗟に「花鶏さん」と窘めればどうやら俺が言いたがっていることに気付いたようだ。「おや、失礼しました」そう言いながら慌てて口を手で押さえ、照れたように笑う。
「久し振りのお客人が嬉しくてつい出娑張ってしまいました」
そういう花鶏はどうやら嘘をついているようではないようだ。
珍しく素直というか、純粋というか、やけにまともな花鶏の反応が少し意外だったが下世話な下心があって話題にされるよりか遥かにましだ。
「……以心伝心、成功したんですか?」
ご友人、の部分よりも奈都が食いついたのはその単語だった。
やはり、早々簡単に成功するものではないということなのだろうか。
「……でもまあ、あんま話せなかったんだけどな」
「ご謙遜を。一度ならず何度も成功すること自体珍しいことですよ」
そう口を挟んでくる花鶏に、なんだか顔が熱くなってくる。
まあ、確かに花鶏は最初から成功しないと言っていたしな。しかし、そこまで言われると少し恥ずかしくなってくる。
「相思相愛ってやつだな! ……ひくっ」
幸喜がまたなんか言い出したと思いきや、しゃっくりをする。
顔をしかめる俺を他所に花鶏は「幸喜、それでは意味が違ってきますよ」と隣からフォローを入れてきた。
「一度ならず何度も……」
「じゃー両思いだ!」とまたずれたことを言い出す幸喜の隣のそのまた隣。
騒ぎ始める幸喜と花鶏を他所に、えらく神妙な顔をしてなにかをぽつりと呟く奈都の反応が妙に引っかかる。
「奈都?」と声をかければ、奈都は慌ててその暗い顔に笑みを浮かべてみせた。
「いえ、すみません。なんでもないです。……余程仲がいいんですね、その仲吉さんという方と」
「……別に、普通だと思うけどな」
奈都にまで言われると流石に恥ずかしくなってきてなかなか認めることはできなかった。
どう返せばいいのかわからず、なんとなく突っ慳貪な言い方になってしまう。
確かに俺にとって仲吉は仲のいい部類に分類されるだろうが、やはり第三者から言われるとこそばゆくなるものがある。そんな俺に対し、幸喜は「照れんなよ」とゲラゲラ笑いながら指摘してきた。その一言に一層耳が熱くなり、反射で「照れてねえ」と声を上げた。
なんだろうか、この空気は。
元はと言えば幸喜と藤也が元凶なのだが、それでも一つの目的のために一丸となって頑張った……いや違うな。明らかに余計なことしかしてないやつもいるが、それでもこのバラバラで我の強い亡霊たちが協力してくれたお陰か、妙な連帯感を覚えてしまう自分がいた。
先日まで殺されかけたにも関わらず、ほんの少しこの賑やかな空気に妙な居心地のよさを感じ始めている自分には呆れしかでない。
……これだから藤也にもめでたいやつなどと言われるのだ。それでも、悪い気はしなかった。
気が付いたらその窓の外には日が登っており、遠くから蝉の鳴き声が聞こえ始めててくる。
南波はまだ気絶していた。
「もう朝ですか、早いですね」
窓の外を眺めていた俺が気になったようだ。
つられるように、ぼんやりと明るくなった窓の外に目を向けた花鶏は「今日は天気がいいので屋敷の空気の入れ換えしましょうか」と微笑む。
「ああ、それとついでに倉庫の雑巾掛けもしなければならないですね。ここは手始めに応接室の埃取りからして……」
「うわ、花鶏さんまじで大掃除するつもりじゃん」
「当たり前じゃないですか。来るのは準一さんのご友人ですよ。……私たちが平気だからと生きてる方をこの部屋に招き入れてみてください、瞬く間に体を悪くしてしまいます」
そう珍しく真剣な顔をする花鶏に、俺は少しだけ関心した。そして、応接室を見渡す。
今にも落ちてきそうなほどこんもりと埃を積もらせたシャンデリア。色褪せた壁紙は所々剥がれ、天井には蜘蛛の巣が張っていた。敷かれたカーペットはボロボロで、俺たちがこうして座っているソファーも所々布が腐れては中の綿が飛び出しているという酷い有り様だ。
……寧ろ仲吉はこのままの方が雰囲気あって喜びそうなのだが、俺としては花鶏と同意見だった。
「あははっ本当花鶏さんって人間好きですよね。ま、やりたい人だけやるってことで俺はパス」
「おや幸喜、それでは私たちが人間ではないみたいではないですか。ああそれと、全員強制参加ですので」
確かにこの広い屋敷内を一人で掃除するのは大変だろう。俺はまあ最初からそのつもりではあるが、完全に巻き込まれる形となってしまった奈都と藤也は「え」と声を合わせていた。無理もない。そして
「まあまあまあ! そんなことはおいといて。それよりほら、掃除より先に南波さんの首輪増やしときましょうよ」
「おや幸喜、あなた本気だったんですか。本当にいい趣味をしていらっしゃいますね」
突然思い出したように提案する幸喜。話題転換のつもりだろうが、強引過ぎる。
花鶏も驚いたような顔をしていたが、なんなら言い出したのはあんただ。
そんな俺をよそに、花鶏は「まあ、いいでしょう」と着物の袖から南波が今つけてるものと同じタイプの首輪を取り出した。
「準一さん、これをどうぞ」
そして、そのままそれを俺の目の前に置く。
「俺……ですか」
「ええ、丁度気失ってますし大丈夫ですって」
「……」
そう言って花鶏は俺の隣に目を向ける。
相変わらず南波は伸びていたが、時間が経って大分精神が回復したようだ。今の南波に先刻までの不気味な青白さや口の泡や大量出血などは見当たらず、今では普通に眠っている。もしかしたらそろそろ目を覚ますのかもしれない。
三人の視線の中、俺は手にした首輪を見る。相変わらず誰一人止めようとする人間はいない。
首輪一本だけでも可哀想なのに二本だなんてと思ったが、経緯はどうであれ元々は南波も了承だったはずだ。まあ、リードはついてないしファッションと思えばなんとかなるだろう。
思いながら、首輪の留め具を外した俺は渋々眠っている南波の首に手をかけた。
南波さんごめん。そう謝りつつ、なるべく南波に触れないように手にしたそれを南波の首に巻きつけた。
軽く締めると僅かに南波の顔が苦しそうに歪む。
どうやら気絶してても反応はするようだ。まだ目覚ますなよ、なんて思いながら、俺は南波に首輪を嵌めた。
そして、それを確認した花鶏はそのまますっと立ち上がる。
「ではまずロビーの雑巾掛けからですね。行きますよ」
やる気満々だった。
「あの、僕たちもですか?」
応接室の扉の前まで歩いていく花鶏は、奈都の問いかけにこちらを振り返る。そしてゆっくりと微笑んだ。
「ええもちろん――全員分ご用意してお待ちしておりますね」
そして、そう嬉しくない言葉を残して花鶏は応接室を後にした。
静かに扉が閉まる。花鶏が離脱したことにより、応接室には解散ムードが漂っていた。
「藤也藤也、もちろんサボるよな」
お喋りな人が一人いなくなり妙に静かになる応接室の中、もう一人のお喋りもとい幸喜は向かい側の藤也にそう小声で話し掛ける。
「……それはそっちでしょ」
そして、そんな実の兄に声をかけられた弟はいかにも面倒くさそうにソファーから立ち上がった。
そのまま幸喜から逃げるように応接室の扉へ歩いていく藤也。
「あれ? なに? もしかしてまじでやっちゃうみたいな? うわっ優等生気取りかよ……って、待って待って俺も行くー!」
そして、藤也の後を追うように立ち上がった幸喜もそのまま応接室から出ていった。
色々な意味で賑やかな双子がいなくなり、再び応接室に更なる静けさが走った。
意識ある者は俺と奈都だけだ。相変わらず辛気臭い空気を全身に纏わせた奈都は、そろりと視線をこちらへと向けた。
「……準一さんも参加するんですよね」
「ああ、南波さんが起きたら行くよ」
南波は俺が残ることなんか望んでいないだろうが、首輪がある今このまま置いていくわけにはいかない。だからといって気を失っているところを引き摺るような真似もしたくない。
そう最もらしい理由を奈都に伝えれば、奈都は小さく苦笑を漏らした。
「……わかりました、花鶏さんには僕から伝えておきますね」
そしてそう奈都が口にした次の瞬間、奈都の姿は消えていた。
とうとう意識がある人間がただ俺一人になり、それからの時間が進むのがやけに早く感じた。
南波が目を覚ますのを待ってからどれくらい時間が経ったのだろう。うっすらと明るくなっていた窓の外にはすっかり日が登り、煤汚れた窓ガラスからは燦々とした日差しが射し込んでいた。
そうぼんやり手元のリードを弄びながら窓の外を眺めていたときだ。
「ん……ぅ……」
不意に、隣から小さな呻き声が聞こえてくる。
咄嗟に目を向ければ、眩しげに眉を寄せた南波が猫のように大きく伸びをしていた。
どうやら、ようやくお目覚めのようだ。
「南波さん、起きましたか?」
「っひ」
なるべく驚かせないよう小声で話し掛けたがそれがまずかったらしい。目を見開いた南波は脊髄反射でソファーから飛び降りる。
……「ひっ」って言われた。
凄まじい早さで床に突っ伏して避難した南波だったが、誰とまでは認識していなかったようだ。
「……準一、さん?」
「すみません、俺です」
すると、その一言に寝起きの南波の脳は覚醒したようだ。その顔が先程とはまた違う顔色に変化する。どちらにしろ今にも死にそうな顔だ。
「あ……っす、すすすすみません、俺! さっきはっその、あの、き、ききっ……きき、き」
青い顔をした南波は、そう弾けたように声を上げる。が、言えてない。
早速土下座の体勢を取る南波。「いや、あの俺は大丈夫なんで」と止め、取り敢えず落ち着かせることにした。
「こちらこそすみません、もう少し俺がちゃんと抵抗していれば」
「いえっ、いえいえ! 滅相もございません……! 準一さんが謝ることはないです!」
が、火に油だったようだ。
「寧ろ俺の方こそ!!」とガンガン床に頭をぶつけるような土下座をしてくる南波を止めるのに数分かかった。
それから一先ず南波をソファーに座らせ、土下座を回避させることに成功する。
「それで、あの、結局どうなって……」
ようやく落ち着いたようだ。というかやはり、気絶中の記憶はないらしい。
そして、言いながら何気なく自分の首に手を伸ばした南波はようやく増えてる首輪に気付いたようだ。
「いっ!!」と顔面引き吊らせる南波に、ああ、と俺は憐れむことしかできなかった。
「あの……まあなんつーか、幸喜たちが数えてなかったらしくて無効ということに……」
「無効ぅ?!」
絶対キレるだろうなあとか思いながら口にすれば、案の定キレていた。カッと目を見開き眉を寄せるその様はどう見てもチンピラだ。
思わずびっくりしてしまう。
「クソッ、あいつら舐めた真似しやがって……っ準一さんっ、他のやつらはどこに」
「……え、あーっと、確かロビー辺りにいると」
南波の圧に負けてしまい、ついあやふやに応えてしまうと言うや否や「わかりました」と南波は走り出そうとする。
踏み出された長い足。俺の手に握られたリード。それは前回同様南波の首に繋がっていて、そのリーチはあまりない。
これだけ言えば、次の瞬間南波がどうなったかあらかた想像つくだろう。
「あっちょっ、南波さんっ! あぶな……」
慌てて距離を近付け、リードを弛めようとしたが――間に合わなかった。
ピンと張ったリードは南波の首を絞め、南波の動きを強制的に停止させる代わりに南波から「ぐえっ」と潰れたような声が漏れる。
そして、急ブレーキが掛からなかったようだ。首を絞められるにも関わらず進もうとしていた足は結果更に自分の首を絞めることになり、大きく足を滑らせた南波は上手く受け身が取れずそのままテーブルの角に頭をぶつけ悶絶していた。
大惨事である。
「だ……大丈夫ですか」
慌てて南波に駆け寄る。
笑ってはいけないと分かってても、あまりにもダイナミックなドジに噴き出しそうになる。
それを必死に堪えながら、俺はゆっくりと起き上がる南波に声をかけた。
「あー、時間ならたくさんあるので、その……ゆっくりいきましょう」
亡霊たちの一日は長い。
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