婚約者に捨てられた聖女ですが、素敵な騎士団長に見初められました。

ハリネズミ

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騎士団長、フェルナンド

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 ――意識が浮かび上がったとき、わたしは白い天井を見ていた。
 水の冷たさも、身体の重さも、もうなかった。ただ乾いた布に包まれている。

「目を覚ましたか」
 低く落ち着いた声に、びくりと肩を震わせる。視線を向けると、ベッドの傍らに一人の青年が座っていた。

 長身で、漆黒の髪を肩に流し、深い青の瞳がこちらを見下ろしている。鋭い輪郭に刻まれた表情は冷ややかに見えるのに、不思議と心を安らげた。

「……あなたは?」
 掠れた声で問いかけると、青年は小さく笑った。
「俺はフェルナンド。この国の北にあるレオン王国の騎士団を率いている者だ。君は、川を漂っていたところを拾った」

 漂っていた? つまり、わたしは――生き延びたのだ。
 あの日、川に身を投げて命を終えるはずだったのに。

「どうして……助けたのですか」
 思わず口からこぼれた言葉に、フェルナンドは眉をひそめた。
「助ける理由などいるか? 死にかけている人間を前にすれば、騎士なら当然のことだ」

 その言葉に胸の奥が揺れる。これまで尽くしてきた国から「死ね」と命じられたわたしにとって、その当然さが眩しすぎた。

「名前は?」
 フェルナンドが問う。
 ――イザベル、と答えかけた唇を噛む。
 聖女の名を名乗る資格はもう、わたしにはない。
「……イザ、と呼んでください」
「イザ、か。いい名だ」

 彼はそれ以上追及しなかった。まるで、わたしが抱えるものを察してくれたかのように。

 その日から、わたしは彼の屋敷に身を寄せることになった。



 屋敷は城館のように大きく、騎士や使用人たちが忙しなく出入りしていた。
 顔の傷を布で覆い、名も明かさぬ女を受け入れることに不審がる者もいたけれど、フェルナンドが一言「俺が保護した」と告げれば、誰も逆らえなかった。

 療養の日々が始まった。身体は弱っていたが、不思議なほど心は軽い。
 裏切られ、すべてを失ったわたしにとって、この屋敷の温もりは救いだった。

 夜、静かな部屋でベッドに横たわると、まだ夢にうなされることがある。
 マリアの笑み、王太子の冷たい瞳。
 そのたびに胸が締めつけられ、涙で枕を濡らす。

 けれど、ある夜。扉の外に人影が立つ気配を感じ、思わず声をかけた。
「……誰ですか?」

「眠れぬのか」
 フェルナンドの声だった。扉が開き、蝋燭の灯りが差し込む。
「すまない、騎士団の訓練のことで考え事をしていた。足音が気になったなら謝ろう」

「いえ……」わたしは首を振る。
 その姿に、不思議な安堵を覚えた。孤独に沈み込む夜に、彼がそばにいることが救いのようで――。

 胸の奥が温かくなり、思わず言葉がこぼれた。
「……生きていて、よかったのかもしれません」

 フェルナンドの青い瞳が、じっとわたしを見つめる。
「当然だ。君は死ぬために生まれたわけじゃない」

 その一言が、わたしの心を優しく支えてくれた。





 王城の広間で、わたし――王太子レオンハルトは報告書を握り締めていた。
「また……?」
 報告官は青ざめながら頷く。
「はい、殿下。南の村で再び疫病が……。マリア様のお力では抑えきれず、被害は拡大する一方です」

 歯噛みする。どうしてだ。
 本物の聖女はマリアだと信じて疑わなかった。だからこそイザベルを断罪したのに。

 しかし、民は日に日に不満を募らせていた。
「前の聖女の方が……」という囁きが、まるで呪いのように城中を漂っている。

 あの日、川に身を投げたイザベルの姿が脳裏をよぎる。
 水面に広がる血のような夕焼け。
 振り返ることなく消えていった彼女。

「……いや、ありえない」
 わたしはかぶりを振った。
 彼女は偽りの聖女だった。そうでなければ、今の惨状の説明がつかないではないか。

 けれど――本当にそうなのか?

 夜、ひとり書斎に籠もると、胸の奥から不安が湧き上がる。
 マリアの力は確かに聖女のもののように見えた。だがどこか脆い。持続せず、力を振るうたびに彼女は顔色を失っている。

 イザベルならば、決してこんなことにはならなかったはずだ。
 思い返すたび、胸に疼く痛みは後悔に似ている。

 ――わたしは、取り返しのつかない過ちを犯したのではないか。
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