婚約者に捨てられた聖女ですが、素敵な騎士団長に見初められました。

ハリネズミ

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芽生える想い

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 その日、わたしはフェルナンドに誘われ、庭園を歩いていた。
 初夏の陽射しが降り注ぎ、花々が色鮮やかに咲き誇っている。
 フェルナンドは長身の影を落としながら、静かに歩調を合わせてくれていた。

「顔色がよくなったな、イザ」
「ええ……屋敷のみなさんが優しくしてくださるから」
 答えながら、自然と口元がほころぶ。

 ふと、水面に映る自分の姿が目に入り、胸が痛んだ。
 布で覆った頬の傷。……それを見るたびに、あの日の記憶が蘇る。
 思わず立ち止まり、視線を落とした。

「……この傷がある限り、わたしは」
 言葉を続けられなかった。美しさを失った女に、誰が微笑んでくれるというのだろう。

 すると、フェルナンドがすっと手を伸ばしてきた。
 大きな掌が布越しに頬を覆い、やわらかく支える。
「その傷は、君の弱さの証ではない」
 低く穏やかな声が胸に響いた。
「生き延びた証だ。俺は、そういうものを尊いと思う」

 どくん、と心臓が大きく脈打った。
 こんなふうに言われたのは、初めてだった。
 顔が熱くなり、思わず視線を逸らす。
「……フェルナンド様は、不思議な方です」
「不思議、か?」
「はい。わたしが一番嫌っているこの傷を、そう言ってくださるなんて」

 彼は笑った。いつも冷ややかに見えるその瞳が、柔らかく細められる。
「君は自分を嫌っているのか」
「……少し」
「なら、俺は君を好いていると言おう」

 その言葉に、胸が跳ねる。
 からかいかもしれない。だが、彼の声は真剣で――わたしの心に深く刻まれた。



 その夜。部屋に戻っても眠れなかった。
 彼の言葉が何度も頭をよぎる。
 ――俺は君を好いている。

 心が揺れ、頬が熱を帯びる。
 わたしは恋などしてはいけない。過去を背負い、偽りの聖女として追放されたわたしには。
 けれど、彼の瞳に映る自分は、何者でもないただの「イザ」だった。

 その自由さに、胸が震えた。



 翌日。屋敷の前庭で剣の稽古を見学していたときのこと。
 見習いの少年が足を滑らせ、木剣を振り落とした。
 鋭い音とともに地面に叩きつけられ、少年は泣きそうな顔になる。

「大丈夫?」
 駆け寄って手を差し伸べると、彼は目を見開いた。
「イザさん……!」
 小さな手がわたしの手をぎゅっと握り返す。

 その瞬間、不思議な温かさが全身に広がった。
 少年の擦りむいた手から淡い光が立ちのぼり、みるみる傷が癒えていく。

 ――癒やしの力。
 かつて「聖女」と呼ばれていたときに使っていたものと同じ。
 けれど、前よりも柔らかく、穏やかに流れていくようだった。

「すごい……!」
 少年が感嘆の声を上げる。
「ありがとう、イザさん!」

 その言葉に胸が震えた。
 まだ、わたしの中には誰かを救う力が残っている。
 そう思えた瞬間、背後から低い声が響いた。

「……やはり君は特別だ」
 振り返れば、フェルナンドが立っていた。
 青い瞳が真っ直ぐにわたしを射抜く。
「その力を否定するな。君が笑えば、人は救われる」

 心臓が、また大きく鳴った。



◆side:王太子レオンハルト

 夜の執務室。書き連ねられた報告書を読み進めるたび、額に汗が滲んでいく。

「……また魔獣の出没か」
 南部の村が襲撃を受け、多くの被害が出たという。マリアは聖女の力を振るったが、結界はすぐに崩れ落ち、被害を食い止めることはできなかった。

 苛立ちに駆られて書類を机に叩きつける。
「どうなっている……!」

 そのとき、重臣が恐る恐る口を開いた。
「殿下……民の間で、妙な噂が広がっております」
「妙な噂?」
「はい……亡くなられたはずのイザベル様が、実は生きておられるのでは、という……」

 息が詰まった。
「ばかな。彼女は自ら川に身を投げ――」
 言いかけて、唇が震えた。
 あの日の光景が蘇る。水面に消えていった彼女の姿。だが、確かに亡骸をこの手で確認したわけではない。

 噂は民心を揺らしていた。
「やはり真の聖女はイザベル様であったのだ……」
「マリア様では国を救えぬ……」

 そんな声が城下でささやかれていると。

 マリアはわたしの隣で震えていた。
「お兄様……わたくしを信じてくださいますわよね」
「……ああ、もちろんだ」

 そう答えながら、胸の奥に不安が渦巻いていた。

 ――もし、イザベルがまだ生きているのだとしたら。
 国を裏切り、彼女を切り捨てたのは、このわたしなのだ。
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