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赤い傘《海里》
しおりを挟むとんとん拍子ではだめだ。
ひとつ飛ばして昇っていきたい。
とくに名声や権力には興味はなかった。
ただ俺は怖がりで慎重だから、安心が欲しいだけなんだと思う。
会社を出ると外は雨だった。
見覚えのある赤い傘。
会社の後輩が傘の中を覗きこんで、声をかけている。
「誰か、この会社の人を待ってるの?」
「お兄ちゃ……兄を待ってます」
細い甘やかな澄んだ声。
「有栖?!」
びっくりしてつい大きな声を出してしまう。
オフィス街にはちょっと不釣り合いなくすんだ水色のワンピースに,リボンのついたクリーム色のレインブーツ。
有栖、俺の妹だった。
「こんなとこまで来て!もう暗いじゃないか」
「あ、お兄ちゃん!」
俺の声に彼女は駆け寄ってきてうれしそうに笑う。
「た、立花先輩の妹さんでしたか……!し、失礼します!」
後輩は顔を真っ赤にして、ぺこりと頭を下げると、逃げるように走り去った。
有栖は、そんな彼を軽く会釈して見送る。
「今日は午後から登校日だったの。近くまで来たから…お兄ちゃん傘持ってたかなーって思って気になって。」
そう言いながら、折りたたみの黒い傘を手渡してくれた。
有栖は退院してから、オンライン授業中心の通信制高校に通っている。
それでもこんなふうに時々、登校日がある。
「迎えに来てくれたのか……ありがとな……でももう暗い……危ないよ…」
少し濡れた有栖の肩の雫を払いながら言う。
「大丈夫。うちにはもうひとり過保護さんがいるから」
有栖はふふっと笑う。
「有栖ーっ!勝手にうろうろしないでよーっ!あ!兄貴、おつかれ」
オフィスの隣のビルのコンビニから竜之介が湯気たつ紙コップを持って飛び出してくる。
「待ってる間に有栖が冷えちゃうかなって思って温かい飲み物買ってたんだよ……」
竜之介は言いながら、紙コップを有栖に渡す。
「兄貴、きいてくれよ……有栖の学校に迎えに行ったらさ、チャラそうな奴に有栖すっごいナンパされてんの……」
竜之介はため息をつく。
「なに!?」
それは聞き捨てならない。
「リュウ、あれはただのクラスメイトだよ、ナンパじゃない」
有栖は紙コップを両手で持ちながら軽く竜之介を嗜める。
「いーや、年頃の男子なんてみんな狼って思うくらいでいいの!俺には見えたね、牙の生えた大きな口が舌なめずりするところ」
「……もう、リュウは過保護なんだから!」
「わかったよ……過保護ですみませんね……」
竜之介は口をとんがらせて紙コップを有栖から受け取り、そのままごくりと飲む。
「……せっかく有栖と竜之介が迎えにきてくれたんだから、今日は外で飯食っていくか?」
俺たちは3人並んで歩き出す。
有栖は道を塞ぐことを気遣って、赤い傘を畳んで竜之介の傘に収まっている。
「賛成!と言いたいとこなんだけど、俺、来る前に五目飯と味噌汁作ってきちゃったんだよな…」
竜之介がちょっと残念そうに言う。
「私、竜之介の五目ご飯大好き!」
有栖はうれしそうに竜之介の腕に飛びつく。
そうだ、俺が欲しいのはこんな日常。日常を続けるための安心が欲しい。
そのために俺は働く。
野心なんかない。
ちっぽけで全くかまわない。
やっと手に入れた形なんだ。
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