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甘いクリームとキス 《海里》

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「有栖、生クリームかき混ぜてくれるか?」

有栖を無理やり家にいさせて、学校へ行くことを阻止するために、突然ケーキ作りをしている。

生クリームの紙パックを有栖に手渡そうとして、ふいに手が滑って、パックが床に落ちる。

「あ、すまん…」

有栖は、大丈夫とちいさく言ってそれを拾う。

有栖の白いエプロンがふわっと揺れる。こうしていると、本当に有栖は不思議の国にアリスみたいだ。
小さい頃から、染めているのか、パーマをかけているのかと、教師に咎められた栗色のゆるいウェーブの髪。白く抜けるような肌にほんのり色づく頬。薄紅色の形良い唇。
大きな潤んだ瞳を縁取る長いまつ毛。
こんなに美しい、可憐なものを、父は手にかけて無理やり蹂躙した。

写真が頭にちらちらと浮かんでくるのを無理やりかき消しながら、目の前のスポンジ作りに集中する。

「お兄ちゃん」

ふいに有栖がすこし改まった声で呼ぶ。

「ん、なに?」

俺は小麦粉をふるいにかけながら聞き返す。

「雑誌に載っちゃったんだね……写真」

有栖は目を伏せて、生クリームを混ぜる手を止めないまま言う。

「え……」

有栖、気づいていたのか……
やっぱり唐突にケーキ作りはおかしかったか。

「だってお兄ちゃん、さっきからモノ落としたり、こぼしたりばかりいる…全然お兄ちゃんらしくない」
「あ、ああ……」

テーブルに少しこぼれていた砂糖に気づいて、あわてて台ふきんで拭き取った。
俺はなんてまぬけなんだ……
彼女がちいさく震えていることに気づいた。

「私のこと、傷つけないように隠そうとしてくれたの?」

消えてしまいそうな、でもしっかりした口調で、有栖は言って、泣きそうな潤んだ瞳で笑いながらこちらを見た。
俺はなにも答えられなかった。
ただ、ただ、その笑顔が儚く綺麗だった。

ややあってから、ようやく俺は口を開く。

「有栖は何も心配しなくていい。全部兄ちゃんたちに任せるんだ。だから、有栖は……」
もう傷ついちゃだめだ。
その言葉は俺の口の中で小さく消えた。

傷つかないわけないだろう。
俺たちがどんなに頑張っても。
画像がネットからいつか消えても、有栖の傷が消えるわけではないのだから。

「お兄ちゃんも……」
有栖は目をボウルのなかのクリームに戻してかき混ぜながら、口を開いた。

「お兄ちゃんも、写真、見ちゃった……?」
声が震えている。

「……」

「……お兄ちゃんは優しいね」
と有栖が小さく笑うのでいたたまれなくなる。

「リュウも優しい……桃くんも……でも…私…
見られたくなかったな……」

有栖の声がどんどん小さくなる。

「でも…私は……大丈夫だよ?だからそんな顔しないで……」

有栖はクリームの泡立て器を持ったまま、こちらを振り返り無理に笑顔を作ろうとした。

そんな笑顔を見たくなくて、俺は気がついたら彼女の細い身体をぎゅっと後ろから抱きしめていた。
カランカランと泡立て器が有栖の手から床に落ちて、クリームが床を汚す。
「おにいちゃ……」
「ごめん、今はこうさせてくれ」
ゆっくりと有栖の身体を向き直らせて、また腕に柔らかく力を込めた。

有栖は俺が怖くないだろうか。
父親に似た俺が。

有栖の手が戸惑って俺の背中を少し這って、やがて遠慮がちにそっと俺のシャツを握りしめた。
有栖の細い腕に、さらに胸がつまる。



snsとは恐ろしいところだ。
「娘に対して酷い」「父親が異常」そんな父を非難する意見がいちばん多いものの「親子で気持ち悪い」「娘から誘ったんじゃないの?」「娘は案外Mで嫌じゃなかったんじゃない?」なんていう何も根拠のない有栖を批判するもの、さらには「目線入ってるけど、きれいな子じゃん、俺もお願いしたい」「無修正版がみたい!抜けそう」「これはたぶん美人。傷モノなら俺がひきうけたい」などというおもしろ半分な下劣なコメントもある。
みんな他人事だ。
みんな何も知らない。
俺たち家族のことも、有栖のことも。

マスコミが公表しなくても、面白半分の匿名の奴らに有栖の顔が特定されてネットに晒されるのは時間の問題だろう。
雑誌はすぐに消費され、画像はいつか消せても、匿名の末端の呟きやコメントまできれいに消えることはない。
ネットとはそういうところだ。



「……お兄ちゃんに見られたくなかった」
俺の胸のなかでくぐもった声で有栖が言う。

俺が守ろうとして、でもできなくて傷ついた有栖。彼女の小さな身体がはかなく感じられる。
俺は何も答えられずに、より腕に力を込める。
どのくらいそうしていたのだろう。

「お兄ちゃんが好きなの……」

小さな小さな声で、俺の胸の中で有栖が言う。

胸が熱くなるのと同時に、ズキリと痛んだ。
「……俺も有栖が好きだよ……」
俺は兄貴としてのものとも、男としてのものともつかぬ、ただただ有栖を大事に思っている気持ちを伝える。ずるいのかな、俺は。
どちらに振り切ることもできない。兄にも男にも。

「ずっとお兄ちゃんのそばにいたいのに……別の人と付き合えなんて言わないで…」
「………!」
悲しそうな声で言うので、胸がぎゅっと痛む。 
有栖の目が潤んでいる。
有栖、聞いていたのか…桃の話…。

「……ごめん…… でも、有栖には」
ふつうの幸せを手にしてほしくて……、そう言おうとしたら、彼女の震える指が俺の唇をやさしく塞いで、彼女は弱々しく首を横に振った。

「言わないで…………お願い…今更私に普通だなんて……私、もう普通じゃない。だから、誰とも付き合わない……私はもう壊れてるし、汚れている、みんなみたいにかわいい恋愛なんかできない……でも許されるなら、妹でもなんでもいいの……、お兄ちゃんのそばにいさせて……」
潤んだ瞳で有栖はまっすぐにこちらを見上げて言う。
その瞳に吸い込まれそうになって、一瞬息ができなかった。

なんて綺麗な瞳で俺を見つめてくるのだろうか……

俺は有栖の頭に手を回して顎を上に向かせると、
「……おに……ちゃ…」
まだ何か話そうとする有栖の口を塞いでいた。
キスをするのは3度目だった。
1度は衝動的に自分から。
2度目は有栖から。
どちらもまだ有栖が中学生の頃だった。俺はまだ親父の金で生かされていた。どんなに足掻いても父親の庇護のもと。

有栖を守ることができなかったちっぽけなガキだった。

頭の芯がちりちりと燃えて焼け切れるように甘美に痛む。

柔らかな唇の感触。甘い。
舌で彼女のきれいに並んだ歯に触れた。
「……ん……」

本当は誰にも渡したくない。
そんな欲望を口にできるほど子供ではないし、そんな資格もないこともわかっている。彼女の幸せのためならなんでもすると決めている。

でも……今は……

有栖は躊躇いがちに、細い指で俺の頬に触れた。震える指は、やさしい愛おしい仕草だった。
俺はその仕草に胸がかきむしられる。
そして、一度離したが、また彼女の小さな頭をぐっと寄せて唇を奪う。栗毛色の髪が揺れた。
彼女の息があがっているが、かまわず口づけを深くしていく。
有栖の舌が、遠慮がちにそっと俺の舌に触れてきた。
その舌の感触に頭が真っ白になりかけた。
有栖の俺を想う気持ちが若さゆえの幻想だとしても……それでも今は彼女に触れ、キスしたかった。
彼女のつらい気持ちを抑えたかったのかもしれない……いや、ただ単に自分が彼女にふれてたしかめて、安心したかったのかもしれない。今、有栖はちゃんと自分の腕のなかにいて、親父の触れられない安全なところにいることを。

もう、自分でもよくわからない感情と欲望が入り交じりながら彼女を貪り続けていた。
彼女の息が上がりきったところでようやく唇を離した。

「有栖は壊れてなんかいない、ぜんぜん汚れてない…きれいなままだよ……」
弱々しく小さく首を横に振る有栖の頬に触れ、唇に触れながらまっすぐ彼女を見つめて言う。
「きれいだ……」
「お…にいち…ゃん……」
有栖も潤んだ瞳で見つめ返してくる。
「そうしてこれからもっと素敵になるよ……マスコミからは…これ以上つらいことにならないよう、俺たちが全力で守るから……」
愛おしい気持ちが溢れる。また頬に触れ、やわらかい髪に触れる。
有栖はまだ呼吸が整わないようだ。
「ごめんな……苦しかったよな……」
有栖がゆるく首を横に振ると、その拍子に瞳に溜まっていた涙が溢れた。
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