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逃避 《海里》
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桃くんがどういうわけか竜之介を連れ出してくれた。
今夜は竜之介は帰らないだろう。
有栖はお風呂からあがり、頭を拭きながら、ぼんやりとソファに座っている。
ずっと鋏を入れていないゆるくウェーブした長い髪は、腰のあたりまで伸びて、まるで人魚姫みたいだ。
有栖は黒いストレートヘアに憧れているみたいだが、明るい栗毛色をした柔らかい有栖の髪が俺は愛おしい。
自分でできると言う有栖を制して、
いつも丹念に竜之介が髪を乾かし、ブラッシングをして手入れしている。そんな間も二人はいつも楽しそうにおしゃべりをしていた。
週刊誌に写真が載るまでは。
竜之介が写真にショックを受けて、そんな竜之介の様子に有栖も傷ついている。
好きな女性が、別の男に(しかもそれが実の父親に無理やり)抱かれている写真を見たら、そうなるのはごく自然な反応だろう。
じゃあ俺は??
俺は……もちろん苦しいけれど……自分の感情と向き合う純情な感覚など、とうに焼き切れてしまった。
有栖の首や胸についた痣や内出血をみたあの頃に、とっくに捨ててしまったのかもしれない。
なりふり構わず彼女を守りたい。
守るために、捨ててしまった。
普通に彼女に恋をする気持ちを。
後悔はない。
ないと思っていた。
「手伝うよ……」
俺は風呂上がりに飲んでいた缶ビールを置いて、有栖の隣に座った。
季節はいつのまにか秋になり、夜は少し冷えるくらいになってきた。
有栖が濡れた髪で風邪をひかないよう、俺も竜之介にならって、有栖の髪を拭くことにした。
いきなりドライヤーを当てるのではなく、しっかりタオルドライしてから乾かすほうが髪に良いという。
タオルで拭く時もごしごし拭いてはいけない……優しくタオルで包み込むように拭くのだそう。
竜之介が有栖に話すのを聞いたことがある。
まだ湿り気の残る長く柔らかな髪は手触りが良くてずっと触れていられそうだと思った。でも、竜之介もいつもこんな柔らかい彼女の髪に触れているのかと思うと、少し複雑な気分だ。
俺は彼女の細い肩にタオルをかけるようにして、髪を優しく拭いた。
「お兄ちゃん、会社で何かあった?」
頭を拭かれながら、有栖が前を向いたまま尋ねてきた。
俺は驚いて手が止まる。
「どうして?」
「……なんとなく……帰ってからずっと顔色が悪いから……」
有栖はそう言って俺を見上げる。
ああ……
有栖はお見通しなんだな……。
俺はそのまっすぐ見つめてくる瞳にどきっとして、思わず息をのんで見入ってしまう。
この瞳にいつも吸い込まれそうになるんだ。
俺はそれには返事をせず、ゆっくりと有栖に前を向かせて、黙ったまましばらく頭を拭いていた。そう、優しく包み込むように。
髪を持ち上げると白い頸がみえた。
この頸から背中に
続くラインには、2年前の手術の深い傷跡がある。
竜之介が一生背負っていくと言っていた罪の……いや、絆の跡だ。
彼らは血は繋がっていないものの、それ以上の強い絆で繋がっているように感じていた。
鼻先をくっつけて一緒に眠り、一緒に目覚め、髪を梳かして、一緒に食事をする。
まるで魂の双子のように惹きあいながら。
有栖が俺に示してくれる淡い恋心よりうんと強い絆だ。
でも、それでもよかった。
と、思っていた。
俺は他にすべきことがあったから。
俺は有栖の暮らしを守る。
住むところ。食べるもの。身につけるもの。学ぶ機会も。
そう思うことは驕りだったのだろうか。
親父でなく、俺の力でそれを守りたかった。
ギリギリかもしれないけど。
できている自負があった。
その自負だけが自分を兄として立たせていたんだ。
だけど。
「有栖……」
髪を拭き終わった彼女を後ろから抱きしめる。
「お兄ちゃん…?」
有栖の華奢なうなじに顔を埋める。
シャンプーの甘い香り。
俺は彼女のうなじに口をつけたままようやく口を開いた。
「有栖…一緒に…一緒に逃げないか?」
有栖は振り向かったけど、身を固くしたのがわかった。
「逃げる……?どういうこと?」
今夜は竜之介は帰らないだろう。
有栖はお風呂からあがり、頭を拭きながら、ぼんやりとソファに座っている。
ずっと鋏を入れていないゆるくウェーブした長い髪は、腰のあたりまで伸びて、まるで人魚姫みたいだ。
有栖は黒いストレートヘアに憧れているみたいだが、明るい栗毛色をした柔らかい有栖の髪が俺は愛おしい。
自分でできると言う有栖を制して、
いつも丹念に竜之介が髪を乾かし、ブラッシングをして手入れしている。そんな間も二人はいつも楽しそうにおしゃべりをしていた。
週刊誌に写真が載るまでは。
竜之介が写真にショックを受けて、そんな竜之介の様子に有栖も傷ついている。
好きな女性が、別の男に(しかもそれが実の父親に無理やり)抱かれている写真を見たら、そうなるのはごく自然な反応だろう。
じゃあ俺は??
俺は……もちろん苦しいけれど……自分の感情と向き合う純情な感覚など、とうに焼き切れてしまった。
有栖の首や胸についた痣や内出血をみたあの頃に、とっくに捨ててしまったのかもしれない。
なりふり構わず彼女を守りたい。
守るために、捨ててしまった。
普通に彼女に恋をする気持ちを。
後悔はない。
ないと思っていた。
「手伝うよ……」
俺は風呂上がりに飲んでいた缶ビールを置いて、有栖の隣に座った。
季節はいつのまにか秋になり、夜は少し冷えるくらいになってきた。
有栖が濡れた髪で風邪をひかないよう、俺も竜之介にならって、有栖の髪を拭くことにした。
いきなりドライヤーを当てるのではなく、しっかりタオルドライしてから乾かすほうが髪に良いという。
タオルで拭く時もごしごし拭いてはいけない……優しくタオルで包み込むように拭くのだそう。
竜之介が有栖に話すのを聞いたことがある。
まだ湿り気の残る長く柔らかな髪は手触りが良くてずっと触れていられそうだと思った。でも、竜之介もいつもこんな柔らかい彼女の髪に触れているのかと思うと、少し複雑な気分だ。
俺は彼女の細い肩にタオルをかけるようにして、髪を優しく拭いた。
「お兄ちゃん、会社で何かあった?」
頭を拭かれながら、有栖が前を向いたまま尋ねてきた。
俺は驚いて手が止まる。
「どうして?」
「……なんとなく……帰ってからずっと顔色が悪いから……」
有栖はそう言って俺を見上げる。
ああ……
有栖はお見通しなんだな……。
俺はそのまっすぐ見つめてくる瞳にどきっとして、思わず息をのんで見入ってしまう。
この瞳にいつも吸い込まれそうになるんだ。
俺はそれには返事をせず、ゆっくりと有栖に前を向かせて、黙ったまましばらく頭を拭いていた。そう、優しく包み込むように。
髪を持ち上げると白い頸がみえた。
この頸から背中に
続くラインには、2年前の手術の深い傷跡がある。
竜之介が一生背負っていくと言っていた罪の……いや、絆の跡だ。
彼らは血は繋がっていないものの、それ以上の強い絆で繋がっているように感じていた。
鼻先をくっつけて一緒に眠り、一緒に目覚め、髪を梳かして、一緒に食事をする。
まるで魂の双子のように惹きあいながら。
有栖が俺に示してくれる淡い恋心よりうんと強い絆だ。
でも、それでもよかった。
と、思っていた。
俺は他にすべきことがあったから。
俺は有栖の暮らしを守る。
住むところ。食べるもの。身につけるもの。学ぶ機会も。
そう思うことは驕りだったのだろうか。
親父でなく、俺の力でそれを守りたかった。
ギリギリかもしれないけど。
できている自負があった。
その自負だけが自分を兄として立たせていたんだ。
だけど。
「有栖……」
髪を拭き終わった彼女を後ろから抱きしめる。
「お兄ちゃん…?」
有栖の華奢なうなじに顔を埋める。
シャンプーの甘い香り。
俺は彼女のうなじに口をつけたままようやく口を開いた。
「有栖…一緒に…一緒に逃げないか?」
有栖は振り向かったけど、身を固くしたのがわかった。
「逃げる……?どういうこと?」
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