俺たちは、壊れた世界の余白を埋めている。

惟光

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第6話 抜刀

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# 第6話 抜刀


乾いた金属音が、室内の静寂を裂いた。
外れた扉が、ひしゃげたまま床に崩れ落ちる。
軋む床板の上、黒いスーツの男たちが三名、澱んだ殺意を纏って踏み込んできた。
握られた鈍色の得物が、灯りを反射して無遠慮に光る。

ルカは一瞥をくれ、口元を歪めた。
そこに、いつもの軽薄な笑みはない。
一歩前に立つナオの背中を見据えながら、短く告げる。

「……任せた、ダーリン。」

その声と同時に、小さく蹲っていたクラウンへと手を伸ばす。
獲物を攫うような一瞬の動きで、彼を掴み上げた。

華奢な身体が、驚くほど軽く持ち上がる。
クラウンの顔に、一瞬だけ困惑の色が滲んだ。

「なっ……!」

躊躇なく窓を蹴り開けると、ルカは柵の向こうへ、クラウンを抱えたまま飛び出した。
煌都の夜に、二つの影が吸い込まれていく。

空中。
風を裂く落下の中、クラウンの指がルカの腕を掴む。
反射だった。だが――拒絶ではない。

アスファルトが迫る。
だが次の瞬間、二人の影は音もなく着地した。
ルカは体勢を崩すことなく、膝を使って衝撃をいなし、そのままクラウンの襟首を掴んで引き起こす。

「立て。動け、まだ終わってねぇ。」

呆然としたクラウンの耳を、遠くから甲高い叫びが貫いた。

「あそこだ!!」

すぐに、複数の足音。
足場を叩く重量と速度が近づいてくる。

「……まだいんのかよ。」

心の中で、舌打ちを一つ落とす。

ルカはクラウンの腕を掴み直すと、そのまま夜の裏路地へと駆け出した。

その瞬間、ルカの肩越しに、ドローンから雪の声が飛び込んだ。

『ルカ兄、大変!動画解析したら、この子――アルゴスにも、レーヴァにも、……ヘリオスにも手、出してる!』

通信は恐らく、ナオにも繋いである。
この煌都を牛耳る三大勢力、その全てに喧嘩を売った――
現状を把握するには、それだけで十分だった。

一瞬、走りながらクラウンへ目をやる。
呆れとも、焦りともつかない声が漏れた。

「お前、狙ってやったのかよ……!?」
「そこまでは調べてねぇけど……」
「節操ねぇなぁ、もう!!」

だが、そのやりとりも数歩の間しか続かなかった。
前方の路地の陰から、二つの影が飛び出してくる。
すぐに背後からも、別の足音――二人。

完全に、挟まれた。

ルカはすぐに足を止め、クラウンを背後の壁際に押しやった。
前方の敵へ、ちらと目を走らせる。

「……賑やかで何よりだなぁ。」

口元はいつもの調子をなぞっている。
だが、その声の奥には――確かな“殺気”が滲んでいた。

一拍、間を詰める。
ルカの手首が鋭く跳ねた。
鞭がしなり、空気を裂く音が路地に響く――次の瞬間、前方の男二人の足首を絡め取り、そのまま地面に叩き伏せた。

「雪、ルート誘導!クラウン走れ!!」

その声に応じて、ルカの肩にいたドローンが羽音を立てて舞い上がる。
旋回すると、すぐクラウンの肩へととまった。

『了解!このまますすんで、その先で曲がるよ!』
「え、ちょ、……っ!」

動揺を抱えたまま、クラウンは指示に従って走り出す。
足元は覚束ない。だが――振り返ることはなかった。

路地の角を曲がり、その背が夜に溶けていく。

「……じゃ、やろっか。」

ルカの口元に浮かんだのは、どこまでも冷たい笑みだった。
熱を削ぎ落としたその表情からは、もはや“遊び”の色は消えている。

+++

同じ頃、建物の中では――
もう一振りの“刃”が、静かに鞘から抜かれようとしていた。

ひた、と畳に足音が沈む。
抜かれぬ刀――ただその構えだけで、空気が軋んだ。

ただそこから、ナオは、一歩も動かない。

柄に添えた指先が、ごくわずかに動いた。
鞘が、ミリ単位でずれる。
“音すらないその動き”に、空気が凝固する。

男たちは異変に気づく。
ここに居るのは、自分たちが探しに来たイタズラ犯ではないことに。

「――Clownは、どこだ。」

低く、張り詰めた声。
ナオは、応えない。

呼吸を一つ。
腰の高さ、足の角度、首筋の向き――
すべてが、“斬る”ための最適解に揃えられていく。

男の一人が――痺れを切らして踏み込んだ。

――次の瞬間。
一閃。

ナオの身体が、風のように揺れた。
刀は、半ばまでしか抜かれていない。
柄の先端が、男の首筋の一点に正確に触れる。

トスッ。
ごく小さな音を残し、男が膝から崩れ落ちた。

息継ぎの暇もなく――
二人目が反射的に構えを取るよりも速く、
既に刀は鞘を離れ、刃の峰で手首を叩き折った。

鋭い悲鳴と共に得物が飛び、床に転がる。

その隣にいた三人目が叫びを上げる前に、
ナオは最後の一歩を滑らせるように踏み込む。
鞘で鳩尾を突く。
呼吸が詰まる音のあと、肩口に振り抜く。
鈍くぶつかる衝撃音が室内にこもった。

数秒の静寂。
男たちはすっかり動きを封じられていた。
抜ききられた刀身が、音もなく鞘へ戻される。

ナオは、ふ、と息を吐くと、
ほんの一瞬だけ、目を伏せ――

そして揺れるカーテンの向こうに、ため息の代わりのように、静かにまなざしを緩めた。
その一瞬だけ、張り詰めていた空気が、ふっとほどける。

+++

同じ頃――路地の入り口に、一人、残された影があった。
ルカは、鞭を握ったまま、静かに一歩、足を踏み出す。

前と後ろ。
左右に分かれて構える男たちは、互いに目配せしながら、じり、と間合いを詰めてきていた。
完全に囲まれた状況。

なのに、ルカの目には、焦りの色どころか――笑みすら浮かんでいた。

「……さーて、どいてもらおうか。」

ルカの手首が、空気を切るように一閃する。

しなやかに放たれた鞭が、まるで生き物のように蛇行しながら走り、後方の男の手首を捉えた。

パシィィンッ――!
ルカは鞭を引きながら口元を歪めた。
「ひとつ。」

手にしていたナイフが吹き飛び、鉄製のゴミ箱にぶつかって鈍い音を立てた。

同時に、ルカの体が回る。
次の瞬間、鞭の軌道が円を描き、左側の敵の膝裏を撫でるように撃ち抜く。
足を払われた男が、無様に前のめりに倒れ込んだ。

「ふたつ。」

右の敵が叫びを上げて、突進する。
だがルカは微動だにせず、ただ片手で鞭を弛めたまま構えた。

「――っ!」

突進する男の頬を、鞭が一閃した。
瞬きすら許さぬ速さで、血の筋が走り、男は声もなく崩れ落ちる。

「みっつ。」

最後の一人は躊躇なく銃を抜いた。
だが、その瞬間。

バチン。
鋭い音と共に、男の手元が弾かれる。
銃は遠くへ飛び、鞭は既にその腕を絡めとっていた。

「よっつ、っと。」

ルカが引くと、男の身体がごく自然に前へ傾く。
そこに、無造作に放たれた膝蹴りが叩き込まれた。
呻き声を上げる間もなく、最後の男も崩れ落ちる。

しん、と音が止まった路地に、ルカの吐息だけが落ちた。

彼の鞭は、空中で一度くるりと回り、再び手元へと戻される。

「……せっちゃん?どこまでいっ――」

インカムに声を投げかけた、その瞬間だった。
ルカの足が止まる。

気配の異常に、反射的に首をめぐらせる。
数メートル先――路地の向こうに、いつの間にか“それ”は立っていた。

静かに、すっと。
まるで、最初からそこにいたかのように。

コートの裾を揺らす無風の静寂。
男はひとり、夜の闇に溶け込むように立ち尽くしている。

「……なんだ、お前。」

ルカの声から、軽さが抜け落ちる。
つい先ほどまであった余裕も笑みも、跡形もなく消えていた。

向けた視線は、真っ直ぐ。
冷たい光を宿した、鷹の目だった。

――空気の“密度”が違う。
それだけで、強さがわかる。
互いに一歩踏み出すたび、周囲の闇が押し返されるような錯覚さえあった。

「……お察しの通り、俺も彼の回収だよ。」

柔らかな声色で、トレンチコートの男が言った。
笑っているようで、目は笑っていない。
肩に預けられた長い棒――その重みに、逆らう様子はまるでない。
体幹、踏み込み、軸。
すべてが、無駄のない構えを物語っていた。

「じゃあ……お察しの通り、通すわけねぇだろ。」

ルカの返しも、どこか柔らかい。
だがその瞳には、じわりと熱が灯り始めている。

――次の瞬間、互いに踏み込んだ。

刹那。
金属と木がぶつかる硬い音が、夜の路地に響く。

木製の長棒が、しなりもせず一直線に振り下ろされる。
ただ重い。
それだけで、凶器になる。

ルカの鞭がしなり、男の棒が正確に弾く。
ただの力任せじゃない。
角度、重み、速度――どれもが、熟練の域。

「通してもらわないと、困るんだよね。色々と。」

男が流れるように打ち込みながら言う。

「わりぃな、あとでうちで強く言って聞かせますんで!」

軽口を交わしながら、鞭と棒が幾度も火花を散らす。
一撃ごとに互いの懐を探り、すぐ距離を取る。
張り詰めた空気が路地に充満していった。

男の棒が足元を狙って回り込んだ瞬間、ルカの鞭が絡む。
互いの武器が、一瞬だけ交錯した。

腕一本もない距離で、視線がぶつかる。
次の一手を読んだ方が勝つ。
――そんな極限の“間”。

だが、どちらも動かなかった。

「……やんじゃん。」
「厄介だなぁ……。」

数秒の沈黙のあと、同時に一歩ずつ後ろへ下がる。
そのとき、ルカがふっと笑った。

「……ここまでやり合って、無言は無粋だな。」

わざとらしく肩をすくめると、男が口元に微笑を戻す。

「……ルクシオンの鷹宮ルカ。……で、“なんだ、お前”。」
「アルゴスの那智だよ。よろしく……は、したくないな。」

決着は――まだ、つかない。

――その時、路地の奥から、規則正しい足音が近づいてくる。
急ぎすぎず、けれど気配を探るような静かな足取り。
あの歩調は、ナオだった。

那智の視線が、ごくわずかに揺れた。

「……分が悪いね。」

那智は棒を肩へ戻す。
だがそれは、撤退ではない。
勝負を投げたのでも、怯んだのでもない。

――ただ、ここでこれ以上やる意味はないと、静かに見極めた。
引き際すら計算に入れていたような、静かな余韻だけが残った。

「……やけにあっさりだな。」

ルカが低く呟く。
悔しさとも、苛立ちともつかない、息を漏らすような声。
だが那智は振り返らない。ただ、手を軽くひらりと上げただけで――
夜の奥に、するりと姿を溶かしていった。

その背を、追いついたナオが目で追う。
一歩、追いかけようとする――
が、ルカが無言で片手を伸ばして制した。

「――いい。追うな。」
「……何があった?」
「……アルゴスの動きが、妙だ。」

ルカは鞭を手繰り寄せながら、吐息をひとつ、地面へ落とす。
かすかに睨むように、一瞬手が止まった。

「……くそ…。」

小さな呟き――
けれどその目は、まだ何も終わっていないと語っていた。

「……クラウンが先だ。せっちゃん、案内。」

そう言って、ルカは指先でインカムにそっと触れた。
乱戦の最中に少しズレたままになっていたイヤーピースを、無意識に馴染む位置へと戻す。

そして、雪の返事を待つ。
だが次に聞こえた声は、あまりにも異質だった。

『ルカ兄……どうしよう、早く来て……!』

焦っていた。
あの雪が、声を震わせるほどに。

「場所。」

ルカの声は静かだったが、その足はもう動き始めている。

『路地の先、左!すぐそこ……!』

ルカとナオは並んで駆ける。
狭い路地の先――街灯の届かぬ暗がりの奥で、何かが動いている。

視界が開ける。
……次の瞬間、ルカの足が、硬直した。

「……っ、おまえ……!」

そこにいたのは、追っ手の一人に馬乗りになり、拳を振り下ろし続けるクラウンだった。

既に相手は動かない。けれど、クラウンの腕は止まらなかった。
拳が叩きつけられるたび、重苦しい破裂音が路地に響く。
――そこにあったのは、“壊れた少年”の姿だった。

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